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草原の別れ②
マリウスは宿場町に着くなり、見かけた男に尋ねた。
「人を探してるんだけど、見なかった?」
「何だい?」
男は荷ほどきの手を休めずに訊き返してきた。
男の言葉は聞きづらかった。
「人を探してるんだけど」
「何だい?」
男がノルラント語で喋っていることに気づいた。
(そうだ、ここはノルラントだ)
マリウスは片言のノルラント語と身振り手振りで話しかけた。
「エミーユっていって、これくらいで」
マリウスはエミーユの大きさを手で示した。
男は顔を上げてマリウスを見ると、途端に、声音を丁寧なものに変えた。マリウスの馬も身なりも立派なことを見て取ったのだ。
「どんな風体ですかい?」
「髪は茶色で目も茶色で」
「どんな服装ですかい?」
「ボタンのないシャツにズボンで」
「色は?」
「えっと」
「ちょっと絵に描いてもらえやすかい?」
男はメモと耳に挟んだペンを渡してきた。
そこでマリウスは気づいた。エミーユのことを良く知っているはずなのに、その見た目も知らない、ということに。
声も触り心地も体温も知っているのに。
エミーユとつながる糸は切ろうと思えばすぐに切れる細いもので、エミーユはその糸をいつでも断ち切れるようにしていたのだ。そのために、マリウスの目に包帯を巻いていた。
マリウスの目に異常はない。エミーユは失明すると嘘をついていた。ようやくそれに気づく。
最初からエミーユはマリウスを捨てるつもりだった。
(エミーユ、ひどい。あなたはひどい人だ。俺を捨てた。俺はあなたがいなければもう生きてなんかいけないのに)
絵を描けずに男と別れた。
それから、マリウスは馬を引いて、宿場町の端から端まで回った。
しかし、エミーユの外見を知らないマリウスには捜しようもなかった。男で、18歳で、茶目茶髪ということしか知らない。
(エミーユ、あなたはひどい人だ……)
とぼとぼと来た道を戻りながら、マリウスの目から涙が零れ落ちた。
丘の草原に戻れば、ひどくみすぼらしい小屋があった。
あらためて眺め見る。
(こんなところに住んでいたのか)
エミーユの小屋は人が住むにはみすぼらしすぎた。壁は傾いているし、中に入るとところどころ陽が差し込んでいる。雨漏りは激しかっただろう。
机、ベッド、棚があるだけの粗末さだった。椅子は一脚しかない。エミーユは何に座って食べていたのだろう。もしかして、マリウスには座らせて、自分はずっと立っていたのだろうか。
ベッドも一台しかない。マリウスがベッドを占領している間、エミーユは床で寝ていたに違いなかった。
(こんな生活じゃ、俺は邪魔だったに違いない)
マリウスはテーブルに突っ伏した。マリウスが泣けばエミーユは頭を撫でてくれた。エミーユの優しい手つきがまだマリウスから消えない。
ここにはまだエミーユの温もりが残っていた。
マリウスは何もする気が起きなかった。いつもは旺盛な食欲さえもわかず、ずっとテーブルに突っ伏していた。
いつの間にかベッドに移ったようで、小鳥のさえずりに目が覚めた。
やはりエミーユはいなかった。
かまどにパンが並べられたままであることに気付いた。食欲旺盛なマリウスでも数日では食べきれないほどの大量のパンだ。
パンを口に入れると甘かった。これまでエミーユにもらったどのパンも甘く、干し果実がたっぷりと入っていた。
(こんな困窮した生活なのに、俺にそれを少しも感じさせなかった)
――今日は特別にハチミツを入れましたので、おいしいと思いますよ。
エミーユにはハチミツだって干し果実だって贅沢なものだったはずだ。なのにマリウスのために惜しげもなく使った。
マリウスの目からまた涙が出てきた。
「エミーユ、ひどい、ひどいよ……。俺を捨てるなんて」
マリウスはパンを噛みしめた。大泣きしながらパンを食べる。
「ううっ、うああっ……、エミーユっ………! ひどい、ひどいよ、うあああっ……!」
(いや、違う。エミーユはひどくなんかない。エミーユは俺を助けてくれた。俺はグレン兵なのに。親の仇なのに。馬も剣も俺に残した。売ればそれなりの額で売れたはずなのに。エミーユは俺を甘やかしてくれた。いつもいつも俺に尽くしてくれた。俺、エミーユに何も返せないままだった)
次にマリウスが立ち上がったときには、涙は乾いていた。
(エミーユ、ありがとう。俺、いつかエミーユに会えたときのために立派になるから)
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