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銀髪の皇帝と赤毛の従兄
アウグスト帝は、客殿の窓辺に立ち、城下町をじっと見下ろしていた。
海霧が立ち込めて幻想的な夜を迎えようとしている。
開いた窓から吹く夜風が、アウグスト帝の銀色の髪を優しくなぶる。
アウグスト帝は頬に夜風の冷たさを感じて、自分が泣いていたのに気付いた。
(泣いたのなんていつぶりだろう)
そう考えて最後に流した涙にすぐに思い当たる。
(エミーユの小屋にいたときだ。あのときに涙をすべて流しきったはずだったのに、まだ残っていたのか)
アウグスト帝こそがマリウスだった。
***
マリウスは、エルラント王都に来てより、どういうわけかエミーユの感触を生々しく思い出していた。
マリウスは目が見えなかった分、エミーユの感触は強く残っている。声、匂い、とともに。
しかし、何よりも強く残っているのはエミーユの優しい手つきだった。
(エミーユ、あなたは優しく俺を撫でてくれた。春風のように優しく撫でた)
マリウスに残るエミーユの感触はあまりに生々しい。
(エミーユ、あなたに会いたい。あなたはどこにいるんだ?)
エミーユはマリウスの命の恩人であり、今もまだ忘れられない人である。
マリウスはエミーユの小屋を出たあと、軍に戻った。皇帝を倒すしかないと考えた。
たとえ皇帝が自身の父であろうとも。
暗愚な皇帝を倒し、戦争を終えて妖人を解放することがエミーユへの償いでもあり、恩返しでもあるに違いなかった。
(エミーユが守ってくれたこの命、エミーユのために使うのなら惜しくはない)
すでに皇帝への反発が至る所で起きていた。水面下で同志を募り、結束を固め、皇帝を殺した。そののち、皇帝の座についた。
戦争が終わってからマリウスはずっとエミーユを探している。人を使って、ノルラントのあちこちの町を探らせている。
しかし、あまりにも手がかりが少なかった。
(年齢は俺と同じで、茶目茶髪で、グレン語を喋る)
マリウスはエミーユについてそれだけしか知らない。
(匂いに声にその優しい手つきが今もまだ俺に残っているというのに)
そのとき、居間に続くドアが開いた。
ノックもなくドアを開けるのは一人しか思い浮かばない。案の定そちらを向けば、リージュ公が赤毛を覗かせていた。
リージュ公は、マリウスの従兄だ。髪と目の色以外は、マリウスとそっくりだ。
マリウスもリージュ公と同じ真っ赤な髪をしていたが、この四年ですっかり色が抜けて銀色に代わってしまった。
見間違われるほどによく似ている二人だったが、マリウスが銀髪になったせいで、ひと目で判別がつくようになった。
リージュ公はずかずかと室内に入ってきた。
「マリウス、もう部屋に戻っていたのか。夜はこれからだろ。相変わらず堅物だな。え、お前泣いてるのか?」
「俺が泣くはずがないだろう。月がまぶしくて目をこすっただけだ」
マリウスがごまかせば、リージュ公は追及してはこなかった。
「明日はエレナ女王が、港湾を案内してくれるそうだ。海鮮料理がたっぷり食えるぞ」
「できれば、宮廷楽団の演奏をもう一度聴きたいのだが。女王に言っておいてくれないか」
(あの管弦楽は心に沁みた)
サロンでの管弦楽は、当初は退屈だろうと思っていたものだったが、意外にもマリウスの心を揺すぶった。
マリウスにはあの音楽のどこが自分を揺さぶったのかはわからなかった。
旋律に聞き覚えがあったが、グレンの古民謡ならばそれも当然のことだった。
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