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こうして伝説が生まれる②

 マリウスは客殿に戻ると自分の部屋に入った。そして、ロイを丁寧にソファの上に下ろした。  ロイにひざまずいて話しかける。 『エ、エミ………。エ、エミ………』  喉がつかえて何も話せない。ただ涙が浮かんでくる。 『エミ……、顔を見せて……』  ロイは茶目茶髪だった。そのことはマリウスにロイがエミーユであることを確信させた。しかし、マリウスはロイを顔を見て唖然とした。 (エ、エミーユ、せ、成長した……? 想像以上の成長ぶりだ……! どういうわけか中年のおじさんに見える)  ロイは40代後半だった。 (ああ、でも、そんなことなんかどうでも良い、とにかくエミーユ、会いたかった) 「へ、へいか……?」  ロイは何が起きているのかわからないながらも、皇帝陛下が自分を熱のある目で見つめてきているのだけはわかった。 「陛下………」  ロイには、長年寄り添う妻もいたが、情熱的な目で見つめて来られると、胸の中で高まるものがあった。  しかも、相手は、ほれぼれするほどの見目の良い皇帝だ。一見、怖そうな皇帝だったが、何故かとろけそうな甘い目でロイを見つめている。  皇帝が、ロイの手を取り、手の甲に口づけをしてきた。  ロイは混乱するも、胸が熱くなってきた。 「へ、へいか……」  皇帝には匂い立つような男らしい風情があった。そんな男が顔を切なげにゆがめて見つめてくるのだ。 『どうか、マリウスと。あなたに会いたかった』  ロイには皇帝が何を言っているのかよくわからなかったが、感極まった声を出した。 「へへ、陛下……!」 『もう、あなたを離さない。また、出会えた。約束だ。俺と一緒になってくれるでしょ?』  ロイは、皇帝が何かを懇願しているのはわかり、うなずいた。  皇帝が歓喜に目を輝かせた。  皇帝はロイが感激するほどの優しい手つきで、ロイを引き寄せ胸にロイを抱きしめた。  ロイは思わず声を漏らした。 「わあ、あったけえ。皇帝さまの胸、すごく頼もしくてあったけえだ」  皇帝は、胸に抱きとめたロイをスンスンと嗅ぐと、愕然とした顔でロイを体から離した。 『ちがう……、匂いがちがう……。あなたからエミーユの匂いがなくなった……。あなたはエミーユではないのか……?』  ロイからはエミーユの匂いはしなかった。わずかに残っていたが、ほとんど消えていた。 「エミーユ?」  ロイは聞き取った単語を聞き返した。  ロイの肩からは楽長から借りた肩掛けがどこかになくなっていた。連れて来られる間に、どこかに落ちたのだろう。 『エミーユを知ってるのか?』 「エミーユ? 俺が知ってるエミーユと言えば楽長に料理長でさあ。楽長はいつも俺のことを気にかけてくれる優しい人だし、料理長はパンの耳を俺に持たせてくれる良い人だよ。俺んち、子が七人もいるからよ」 『お願いだ、エミーユがどこにいるのか、教えて欲しい』  皇帝はしきりとロイに何かを頼んでくる。 「ひょっとして陛下もパンの耳を食いてえがか?」  戸惑うロイに、皇帝は、自分の上着を脱いで、ロイの肩にかけた。 『この上着を差し上げよう。そのかわり、エミーユを連れてきて欲しい』 「この上着、俺にくれるがか? もしかして、陛下は俺の上着が猫にしょんべんを引っ掻けられたってことを知ってるがか? さすが皇帝、何でもお見通しだ!」  皇帝はうなずきながら部屋の入り口のドアを開けた。 『頼む、エミーユをここに連れて来てくれないか。お願いだ』 「陛下もパンの耳を食いたいがね? わかった、任せて下せえ!」  マリウスは頼もし気に胸をたたくロイに期待して見送った。  しかし、エミーユがマリウスを訪れることはなかった。  その代わり、何故か料理長らしき男が緊張の面持ちでやってきた。そして何故か、パンの耳の乗った皿を差し出してきた。 (何だろう、これは……。パンの耳にしか見えないが……。しかし、わざわざ持ってきたということは違う何かなのだろう……)  マリウスが口に入れてもパンの耳の味しかしなかった。  しかし、何でもおいしくいただけてしまうマリウスには、とてもおいしいパンの耳だった。 『おいしかった、ありがとう』  全部平らげると、料理長は感極まった顔をした。 「ああ、陛下、陛下がパンの耳を食べるだなんて、何という慎み深い皇帝さまだ」  その夜、アウグスト帝にまつわる噂が、王宮中を駆け巡ることになった。 「陛下は、わざわざ、ホールにねぎらいに来てくれただ」 「皇帝さまは、俺の上着にしょうんべんがひっかけられたことまでお見通しだっただ!」 「陛下がパンの耳を全部食べたんだよ。しかもおいしそうに!」 「すげえ、下々の気持ちをわかる素晴らしい皇帝様だ!」    こうして伝説が出来上がっていく。    ***  その夜、結局エミーユに会うことはできなかったが、それでも、マリウスは希望に満ちていた。 (エミーユはここにいる。ここ、エルラント王宮で、使用人をしているはずだ)  不意に素晴らしい考えを思いつく。 (そうだ、明日、茶目茶髪の使用人を女王に集めてもらおう!)

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