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アウグスト帝異聞③

 出産の日が近づいてくると、マリウスはいてもたってもいられなくなった。 (どうしてだ、どうして、俺が出産を代わってやれないんだ。せめて、俺がエミーユの痛みを引き受けることができたら。理不尽だ、獣人に怪我も痛みも引き受けられないのは、余りに理不尽だ。むしろ、獣人が妖人の怪我も痛みも引き受けるべきなのに)  しかし、自分が騒いでいてはエミーユは困るだけだ。心配でたまらないのをぐっとこらえて、何とか心を落ち着かせる。  陣痛が始まると、マリウスまで痛くなってきた。 (畜生! 俺が替わってやりたい)  いよいよお産が始まると、近所から出産経験のある人が集まりはじめ、マリウスに子どもたちは、家の外で待つことになった。  マリウスは、両手にケヴィンとリベルを抱き上げていたが、その顔は蒼白だった。  かろうじて、大騒ぎすることなく過ごしてはいるものの、内心では叫びだしたいほどに不安だった。 (エ、エミーユが痛い思いをしていると思うと、死にそうだ)  がちがちと歯を震わせながら、二階の窓を眺める。 「エミーユに何かあったら……」 「マリウス、だいじょうぶだよ」 「まりうしゅ、しっかり」    マリウスは二人の子どもを抱いて、石畳の通りを右往左往する。  そのうち、マリウスは石畳にしゃがみ込み、右手をケヴィンに、左手をリベルに握ってもらっている、そんなありさまになった。  近隣の住人らまで、マリウスを励ましにかわるがわるやってきた。 「陛下、しっかりしなせえ」 「マリウスさん、エミーユなら大丈夫よ。二人目だもの」 「旦那、うちのうめえ揚げ菓子でも食いな」 「うちで仕入れたばかりの瓜も食いな」 「陛下、うちの花、エミーユに持ってってね」 「みんな……、あ、ありが……とう……」  マリウスの前には皆が置いていったものが小山になり、お供えもののようになった。  やがて、元気の良い産声が聞こえてきた。  集まってきた人々は口々にマリウスに「おめでとう」を言うも、マリウスはまだ不安だった。  ヘレナの声が二階の窓から降ってきた。 「無事、生まれましたよ」 「エ、エミーユは?」  マリウスの問いにヘレナはにっこりと笑った。 「エミーユも赤ちゃんも元気よ」  それを聞いて、マリウスはやっと安心した。 (エ、エミ……。よ、よかった)  生まれたのは女の子だった。  ベッドに赤ちゃんと一緒に横になったエミーユは神々しかった。 「べ、べびーびゅ……。あ、あじがどう。ぼえ、じあばぜだ………」  二人の子どもたちが通訳する。 「ありがとうって」 「まりうしゅ、しあわしぇだって」  女の子の髪は燃えるような赤毛で、目の色はハシバミだった。  マリアと名付けた。  マリウスは、新入りのマリアを迎えても、瞬時に順位を抜かされて下っ端のままだった。家の中の順位は、ヘレナを筆頭に、エミーユとケヴィンとリベルとマリアが同順位で、かけ離れて下っ端がマリウスだ。  それでもマリウスは幸せだった。 「まりうしゅは、まりあよりもなきむしなの」 「でも、あまえんぼうなのはマリアにゆずってあげてね」  二人の息子はそう言いながら、マリウスの頭やら背中やらを撫でたりさすったりと大忙しだ。 「まりうしゅ、よしよし」 「マリウス、いいこいいこ」 「じ、じあわぜだ……うっ、うえっうええっ……」  マリウスはますます幸せにむせび泣く。 (ところで、エミーユは何が二人目だったんだろう......)  エミーユは大丈夫よ、二人目だから。確かにそんなことを誰かが言った気がしたが、目の前の幸せに忙しいマリウスは疑問を深く考えることなくすぐに忘れ去った。  アウグスト帝が、たいそうな泣き虫だったことは、彼の身近な者しか知らなかった。   (おわり)

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