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第3話
* *
『engageme nt――約束――』の撮影は、ひと月前から始まっていた。
しかし、主演のカイト・ウェーバーはアメリカでの仕事の都合上まだ参加していなかった。彼が来日して撮影に加わったのは、山奥の館でのロケが始まった今日の朝だ。
木々に隠れるようにして建っているこの厳かな館は、戦前アメリカの女性が数人の世話人と一緒に暮らしていたという。その女性が戦時中に不幸な最期を遂げた後、この土地の持ち主である日本人が管理していた。
近年その血筋の者が売却し、今はホテルになっている。ただし、一般庶民ではなく、やんごとなきお方たちの隠や家としてだが。
一般に公開されていないせいか、この辺りでは幽霊屋敷とも呼ばれており、実際に宿泊した客たちが、見たとか見ていないとか。
前日からここに宿泊している俺たちには特に変わったところもなく、ただの噂だろう。
そろそろ撮影へと取りかかる関係者が館の中庭に揃った頃、あいつが現れた。
白い高級車に乗って。
「カイト・ウェーバーです。ひと月遅れの参加で申し訳ありません。よろしくお願いします」
爽やかな笑顔で挨拶をしながらも、ハリウッドスターの風格を醸し出している。
その場にいる出演者、スタッフの全女子が、ほ……っと感嘆の吐息を漏らす。女子ばかりでなく、男性陣にも好印象を与えているあたり、流石だ。俄か役者の俺など到底敵わない。
全員の拍手をもって挨拶を終え、一旦バラけたその時だ。
「詩雨ちゃ~ん」
とカイトが先程とは違う妙に甘えた声を出し、詩雨さんのほうへ向かっていき、あろうことか彼に抱きついた。
「え……」
俺は驚きの余り固まった。
そして、詩雨さんは。
「カイト~~大きくなったなぁ」
甘んじてその包容を受け、自分より背も高く体格も良い男の頭を撫でた。子どもにするように。
「詩雨ちゃんはますます美人になったね」
「何言ってるんだ、バカだなぁ」
(いったい何なんだ、この展開は)
今日の撮影は俺から始まる。そんなことは忘れて二人の間にずかずかと入り込む。
「詩雨さん、知り合いなんですか?」
ハリウッドスターだろうが、何だろうが、俺の詩雨さんに近づく者は許さない。
俺はぎろりとカイトを睨んだ。
しかし奴は、まったく動じず爽やかな笑顔を向ける。
「ウィーンにいるオレの叔父さんの子だよ。『カイト』は本当は漢字で『海の人』って書くんだ。オレがまだカンナ交響楽団 にいた中三の夏に会って以来だから、二十二年振り? あの頃はドイツ語混じってたけど、日本語上手くなったなー」
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