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第1話

職場きってのエリート、庭井晴臣は溜息をついた。 「はぁ……」 彼は自分の座るデスクの島から離れた位置の、壁際にある課長席を見詰める。そこではくたびれたスーツに身を包んだ、40半ばにしてはなかなか精悍な顔つきをした上司が必死に何かを探していた。あれでは見つかるものも見つからないだろう。 彼が探しているのは恐らく書類だ。さっき、総務の青井さんが来ていたから、彼女に言われた書類を探しているに違いない。 その書類なら貴方の左側の山になった紙束の上ですよ、と思いながらその姿を見詰める庭井。 しかし、なかなかその一言が言えない。言い出せない。 何故なら、庭井は彼、源浩介に恋をしているから。声を掛けてくれて助かった、などと微笑まれた日には心臓が止まってしまうかもしれないからだ。 「庭井さんが溜息ついてる、カッコイイ…」 「いい男は絵になるよねぇ」 庭井の背後ではデスクを見詰めて切なげに溜息をつく庭井の様子を、事務の女性たちがそっと見つめていた。庭井はこの役所の工事管理部門で主任を務める男だ。 この部署で働き始めて数年だが仕事の出来る男として部署内での評判は上々。 端正な顔立ちと、いつも手入れされてキッチリとした黒い髪、清潔感のある風貌から女性からの評判も高い。 クールな近寄り難いイメージだが、それもまたいい、と憧れる女性は数知れず。そしてその一方で男性陣からは羨望とやっかみを受けているのだが、庭井にってそんな事はどうだって良かった。 彼の恋の相手は上司の源であり、他の人間からの好意など意にも介していないからだ。 源はいよいよ困った様子で溜息をついた。 困っている姿も素敵だが、そろそろ助け舟を出そう、と庭井は立ち上がる。 「源さん」 「どうした」 「いえ…あの、お節介かもしれませんが、お探しの書類って先日行った現場のですか?」 庭井が申し出ると、源は目を見開いて驚いた。無精ひげが似合っているのがまた子憎たらしい。 「なんだ、見てたのか、お前。困ってる俺を見て楽しんでたな?さては。それにしても、なんでその書類だと分かったんだ」 「助かった」と言われる、という庭井の予想とは違っていたが、目尻に皺を寄せた茶目っ気のある笑顔に庭井の心はときめいた。なんでそんな素敵な顔をして笑うんですか、貴方は。と内心の動揺を抑える。 「失礼ですね、楽しんでなんていませんよ。先程青井さんがいらしてたじゃないですか。昨日、彼女が俺の所にもその書類を探しに来たんですよ。源さんが持ってると教えたのは俺ですから」 「優秀な部下を持つと仕事が楽で助かるよ。しかし、肝心のそいつが見つからなくてな…」 「恐らく、その山の上なのではないかと思いますが」 庭井は「その山」と源の左にある書類の山を示した。 「ほんとだ…なんでこんな簡単なものが見つからなかったんだ…。お前……凄いな…」 それは今朝から貴方の事を見ていたからです、とは口が裂けても言えない庭井。 「先ほど課長のデスクの前を通りがかった時に気が付いたんですよ」 課の女性からステキ、と言われる微笑みを浮かべる庭井。 「お前はほんと良く気がつく男だな。じゃ、早速承認を…と、…しまった印鑑、どこやったっけな…」 「以前は左の引き出しに入れてましたよね」 よく気が付くは源さんのことだけですけどね、と心の中で呟きつついつもしまってある場所を示すと「いや、それが、この前場所を動かしたんだ」という源。日頃から源を観察している庭井は、すぐに動かしたであろう場所を思いつく。 「こちらの引き出しではないですか?」 こちら、とデスクの上に置かれたプラスチックの書類ケースの引き出しを示すと、源の顔が明るくなった。 「そうだった。この前、良く使うんで場所を変えたんだ…って、お前……エスパーか…?」 貴方のことですから!と言いたくなる気持ちをぐっと堪えた庭井。 「先日、総務から整理用に書類ケースが配られた日に源さんがそこに入れようと言っていたのを覚えていましたので」 と、まるで秘書のような庭井と少々ズボラな源のこのような2人の遣り取りな日常茶飯事。 源は昨年全く畑違いの部署から越してきた男だが、仕事もできるし、現場を経験しているため部下ともよく話が合うので信頼されている上司だ。 整理整頓が苦手で良く書類を紛失しては部下から注意されているが、熱心に働く姿を皆寛容な目で彼を見ている。庭井もその一人だ。 そして、部内の主任を務めるエリート庭井。この2人が揃うと絵になると評判で、いつも源の世話を焼く庭井の姿に、一部の職員は「奥さんみたいだ」とからかう。 本望だ!と思う庭井だが決して顔には出さない。   源はバツイチで、今年小学校に上がったばかりの小さな娘がいる。遅くに出来た子供だったこともあり、体の弱かった妻は源を置いて間もなく亡くなった。それ以来、男で一つで育てているが苦労が絶えない様だ。 庭井は今も妻を想い、子育てをする源も含めて好きだった。叶わぬ恋だとは思っていたが、それでもいい。そして、そんな庭井自身も子はいないがバツイチである。 源に出会い、恋するまではもう誰にも恋なんてしないと思っていたのに。 贅沢は望まない、今の職場でこの人の傍で必死で働こう。そう決めていた庭井と源の関係に僅かな変化が訪れたのはそれからすぐのことだった。

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