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第1章:異世界へ 第3話②

 やっと振動から解放されたかと思うと、トランクルームが開けられる。セイルを車の中へと放り投げた男にまたしても担がれる。  首を上げて辺りをキョロキョロと見回した。セイルにとっては全く見覚えのないものばかりだった。  ところどころ塗装のはげた鳥居に手水舎、そして、平屋建ての建物などが見える。 「おい、悠真、いるんだろ? 出て来いよ」  ガンガンと乱暴に扉を蹴る音が聞こえる。ほどなくして、扉の開かれる音。 「ちょ、鷹臣やめてよ~、ドア壊れちゃうから!」 「うるせぇ。行くことは電話で伝えてやったんだから、さっさと出てくりゃ良いだけだろ」 「も~、こっちの都合もお構いなしに~」  室内へと招き入れられる。物のように肩に担がれたままのセイルには声だけは聞こえても会話をしている男たちの顔は見えなかった。 「てか、何その子? びしょ濡れじゃないか。風邪ひいちゃうよ?」 「知らねえ。好き好んでこんな時期に海水浴してる馬鹿を拾った」 「海水浴!? いくらちょっと暑くなってきたって言っても、まだ六月だよ!? どこで!?」 「俺が行くのなんて東京湾くらいしかねーだろ」 「東京湾にぃ!? しかもこの時間に海水浴!?!? いや、絶対海水浴じゃないし、訳ありでしょ!!」 「そりゃあ、訳アリだろうな。だからテメェの所に持って来たんだろ」 「ふきゃん!」  玄関先に転がされる。衝撃で強く尻を打ち、痛みを訴える場所を擦りながら周囲を見渡した。  やはり建物の中もセイルにとっては馴染みのない場所だった。木造の造りには里と似たものを感じて好感を持ったが、日本家屋を見慣れていないセイルには置かれている物も含めて初見の物ばかりであった。 「え? 耳、長っ! 整形?」 「じゃねぇみてーだぞ? さっき引っ張ったら痛がった」 「ほんとに~?」  天然パーマに瓶底眼鏡、更には甚平を着た裸足の男性がセイルへと向けて手を伸ばして来る。先程、運ばれる前に引っ張られた蛮行を思い出し、咄嗟に両手で耳を守る。  天然パーマの男とオールバックの男は少し話をすると、天然パーマの男が手を引っ込めてくれた。そして、未だ座り込んだままのセイルの横にしゃがみ込むと、口角を三日月型にして笑顔を作った。危害を加えるような雰囲気ではない。おそるおそる耳から手を離す。 「君、このままじゃ風邪ひいちゃうから、お風呂入ろうか。東京湾なんかにいたからかなぁ、ちょっと臭うし」  言われて舞装束へと視線を落とす。確かに海水で少し変色しているし、袖口を嗅いでみれば臭い。  コクリと頷けば、天然パーマの男が手足を拘束していたロープを外し、手を差し伸べてきた。おずおずとその手を取ると、立ち上がらせてくれる。  男に手を引かれ、連れられて来たのは浴室だった。既に誰かが入った後なのか、湯舟にはまだ温かい湯が張られている。シャワーの使い方やシャンプー、コンディショナーなどの説明を受けた。 「脱衣所にバスタオルと着替えも置いておくから、着替えまで終わったら僕のこと呼んでね~。あっ、僕、日向悠真って言います。悠真って気軽に呼んで良いからね~」  顔を指さしながらニパッと屈託なく笑う悠真からは先程の男たちのような怖さは感じない。むしろ、人懐こくて優しそうだ。話しているだけで安心感を与えてくれる。  悠真が脱衣所から出て行くと、セイルは悠真に教えられた通りシャワーや石鹸などを使って体を清め、湯舟へと浸かる。温かい湯に包まれ、やっと落ち着いてきた。  シャワーと呼ばれる物を初めて見たが、どういう原理なのだろうか。それに、髪を洗う洗剤も液体だった。固形石鹸しか使ったことのなかったセイルには全てが謎に包まれ、不思議でいっぱいだった。  それに、煌々と明るく室内を照らす電気にも興味を持つ。里では明かりの類といえばろうそくを利用したランプしかない。しかし、この浴室の天井に取り付けられているのは、どう見てもろうそくには見えないのだ。  十分に体を温めてから浴室を出ると、バスタオルと着替えがカラーボックスの上に畳んで置かれていた。手に取ったバスタオルの柔らかさに驚く。こんなに上質な生地を使ったことなどない。もしかしたら、相当な好待遇でもてなされているのではないだろうか。  体を拭って用意されていたTシャツとハーフパンツを身に着ける。少しばかり襟ぐりはヨレヨレだが、これらも綺麗に洗濯されて汚れなど一切ない。  ロープで縛られて窮屈な場所に閉じ込められた時はどうなることかと思っていたが、心の底から安堵する。 「悠真さ~ん……」  浴室の扉を少しだけ開き、声を上げた。すると、「は~ぁ~い~」と間延びする声と共にギシギシと廊下が音を立てる。 「ちゃんと温まれたかい?」  コクリと一つ頷いた。それに悠真はまたしてもニッコリと笑う。 「ああ、髪の毛がまだ濡れたままだね。でも、あんまり待たせると鷹臣の機嫌がま~た悪くなるから、あっちの部屋でドライヤーかけようか」  悠真は洗面台の下からドライヤーを取り出し、セイルを率いて木造の廊下を歩いて行く。随分と年期が入っているのか、少し歩くだけで廊下はミシミシと音をたてる。しかし、きちんと掃除が行き届いているため、不快という訳ではない。  セイルが連れて来られた部屋の中には、先程の鷹臣と呼ばれた美丈夫とスキンヘッドの男がいた。美丈夫は部屋の中央に置かれたソファで悠々と煙草をふかし、スキンヘッドは部屋の片隅で立っている。 「こら! いつも言ってるけど、うちは禁煙!!」 「ったく、うるせぇな」  少し苛立ちながら鷹臣がスキンヘッドの男へと手を伸ばす。スキンヘッドの男はソファへと近づくと、胸元から携帯灰皿を差し出した。鷹臣は不機嫌面のまま吸っていた煙草の火を消した。 「これで良いだろ」 「じゃあ、祭りの話はここまでにして、本題に入っていこうか」  悠真がドライヤーのプラグを延長コードで部屋の中央まで伸ばしたコンセントへと挿し、鷹臣の向かい側のソファへと腰を下ろした。扉の前に立ちっぱなしだったセイルを手招きする。恐る恐るソファへと近づき、指示されるままに悠真の隣へと座った。 「わぁっ」  沈み込んだソファのフカフカ具合にもまた感動する。こんな柔らかい椅子、里にはない。ここに来てから、驚いてばかりだ。  悠真へと背を向けさせられる。一体これから何が行われるのだろうと不思議に思っていると、悠真がセイルのロングヘアへとドライヤーの温風を当てていく。  何が何だか分からず、背後の悠真を振り向こうとすると前を向くよう指示され再び扉の方へと顔を背けた。 「で、東京湾でこの子拾ったってさっき言ってたけど、どういうこと? そもそも、何で海なんて行ってたんだよ。……まさか、人を沈めて……」 「別に沈めちゃいねぇよ。人をヤるのに海ってのは具合がわりぃ。重し付けても体内のガスでそのうち浮いてくるし、見つかったらめんどくせぇ。それに、ヤった後は山に埋めた方がまだ見つかんねぇ。……まあ、脅しに使うには調度良いけどな」 「脅しって、鷹臣ほどの立場の人が行かなくても、別の人なんていくらでもいるだろ」 「ちょいと額が大きかった野郎だから、トばねぇように俺直々に釘刺してやったんだよ。そしたら、そいつが海で浮いてたから拾ったってだけだ。悠真、こういう化け物とか妖怪に詳しかっただろ? 高校時代、オカ研だか何だかって入ってたじゃねぇか」 「オカルト研究会のことぉ? いや、まあ、入ってたけど、よく覚えてたね~。鷹臣のことだから、忘れてるかと思ってたよ」 「てめぇは俺のことを何だと思ってやがる」  向かいのソファからおびただしい程の殺気を感じて背筋が伸びる。鷹臣の方向を見ないようにと努めていると、背後の悠真から「終わったよ」と声がかかる。 「わっ」  あっという間に髪の毛が乾いており、セイルは驚きを隠せなかった。風呂上がりは自然乾燥しかしたことがない。セイルの腰近くまである髪の場合、全部乾くまで相応に時間がかかる。ドライヤーをしげしげと眺めていると、それに気づいた悠真がドライヤーをセイルへと手渡してくれた。 「ドライヤー初めて?」 「はい。私の里にはこんなすごい道具ありませんでした。あの、ありがとうございます。お風呂とか、服も」 「どういたしまして。鷹臣、何この子、めっちゃ良い子じゃん! 拾って来たって言ってたよね? なら、うちに置いてってよ!」 「はぁ? 何でだよ」 「だって、これだけの美人さんだよ!? エルフ巫女としてバイトしてもらったら、絶対人気出るじゃん! そうすれば、うちのこの閑古鳥鳴く神社にもたくさん人が来るし、経営も赤字脱却!」 「こいつを拾ったのは俺だ。所有権なら俺にある。まあ、このツラだからな。ソープにでも沈めるか、裏モノのAVにでも出すか……」 「ちょ、そんな可哀想なことさせる気!?」 「当然だろ。あんな時間にあんな所にいたって、こいつ死ぬだけだろ。だったら、助けてやったんだからそれくらい当然だ」  ソープやらAVやら聞き慣れない言葉が出て来て小首を傾げる。ただ、悠真の慌てようや「可哀想」という言葉を聞く限り、良いことではないのだろう。  確かに海で命を助けてもらったことは事実である。その点に関してはありがたいことだが、その先に不安ばかりが募る。先程も会話の中で「人を沈める」とか「ヤる」「埋める」などという物騒な言葉が飛び交っていた。せっかく助かった命だというのに、またしても生命の危機に瀕しているのかもしれない。 「それか、ちょうど女が出てって家のことをやる奴がいなくなってたところだから、家事させるか……」 「私、家事、とっても得意です!!」  それまで黙っていたが、前のめりになって主張する。家事ならずっと続けてきたし、自信がある。それなら何とかできそうだ。 「えー、うちに置いてってよぉ~。エルフ巫女で一儲けさせてくれよぉ~」 「売ってやっても良いぜ? 一億でどうだ。安いもんだろ」 「払えるはずないだろ~!? 今月の神社の分の収入だって雀の涙だってのに」 「じゃあ諦めろ」 「せっかく神の思し召しだと思ったのにぃ~」 「神の!?」  鷹臣の方へ前のめりになっていたが、今度は悠真の方へと身を乗り出した。  儀式自体は行ったが、これで里へと異世界からの遣いが行っているとは思えない。そもそも、セイル自体が生きているのだから。  仮に、飛び込むだけで召喚できていたならば、それはそれで良い。  しかし、できていなかった場合、何もしないで待つだけなんて無駄な時間となってしまう。  乗り物の中でずっと考えていたことだった。あの儀式は、異世界へと旅立つためのものであり、異界で結界を張れる人を探し出して連れて行かねばならないのではなかろうか。  だったら、神と名の付く場所の近くにいた方が良い。結界を張れる程の人物なのだから、そう簡単に見つかるとは思ってはいないが、何かのヒントくらいは分かるかもしれない。 「私、巫女として働きます!」 「えっ、本当に!?」 「はいっ!!」  握り拳を作ってやる気を示す。こんなに優しく、好待遇で扱ってくれる人なのだ。きっと悪いようにはしないだろう。この世界での知り合いなどいないし、この縁を手放したくない。 「鷹臣、この子もこう言ってくれてるしさ~、昼間だけ! ちょぉっと貸してよ~。もちろん、バイト代もちゃんと払うからさぁ」  コクコクと何度も頷けば、鷹臣はフゥと大きな溜め息を吐いた後、「仕方ねぇな」と言いながら長い脚を組み直した。  何をさせても随分と様になる人物だ。同じ男同士なのに、見惚れてしまいそうだ。 「そんでぇ~、鷹臣はこの子をうちに連れて来て、僕に何を聞きたかったの?」 「エルフっつったか、化け物とか妖怪の体内に寄生虫でもいたら店出せねーだろ。だから、その辺大丈夫かどうか確認に来ただけだ」 「きせいちゅう?」  またしても聞き慣れない言葉が飛び出し、首を傾げた。チラリと悠真を見れば、苦虫を噛み潰したような顔をしている。きっとまたしても良い言葉ではないのだろう。 「あのねぇ、エルフって言っても、僕らとそんなに変わらないよ。もちろん、会ったこととかないからおとぎ話とかゲームの知識くらいだけど、人と変わるのって、魔法が使えるとかそういうのくらいじゃないかなぁ」 「魔法? 使えんのか?」  二人の視線が集まる。耳の痛い話題だ。あまりにも肩身が狭く、その場に縮こまった。 「すいません……私には使えません……」 「つまり、ただ耳が長ぇってだけか」  身もふたもない言い方をされて傷つくが、全くもってその通りである。一つ小さく頷いた。 「なんだ、魔法とやらが使えるんならそれも含めて見世物にできるかと思ったが、ただ耳がなげぇだけなら何の価値もねぇ。やっぱりソープか裏ビに……」 「ああああの、私、本当に料理も洗濯も掃除も得意ですから! 誠心誠意、心を込めてお勤めします! それに、働くのも大好きなので、皆さんのご期待に添えるよう、頑張りますから!!」  ズイと向かいへと身を乗り出し、鷹臣の手を握り締める。ジッとその目を見つめる。  鷹臣は少し面食らった顔をした後、盛大に一つ溜め息を吐き出し、セイルの手を振り払った。 「分かった。そこまで言うなら使ってやる。だが、少しでも使えねぇと分かったら、即ソープに沈める」 「ありがとうございます!!」  両手を合わせて感謝を示す。どうやら、これでおぞましいことはさせられずに済みそうだ。  それに、神の元で働くこともできる。何の後ろ盾もなく、路頭に迷って野垂れ死ぬことはなさそうだ。 「こいつの食い物とかって、人間と一緒で良いのか?」 「多分ね。本当に普通の耳の長い人として接すれば良いんだと思う」  コクコクとまた頷いた。人間と一緒に暮らしたことはないから詳細は分からないが、文献などで見る限りは同じような生活をしていた。エルフからすれば、人間とは魔法が使えないが、繁殖能力の高い種族という印象だ。 「あの、ところで、きせいちゅうって何ですか?」 「お腹の中にいる悪い虫のことだよ。動物とかって体内に変な虫がいることがあるから、接する時には気を付けなきゃいけないってこと」 「わ、私、そんな変な虫とかいませんー!!!! 失礼ですよーーーーーーー!!!!!!」  あまりにも酷い偏見に涙目になる。  こうして、セイルの異世界での生活が幕を開けた。

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