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第4章:抗争 第7話
「鷹臣さん!!」
駆け寄り、体を支える。鷹臣は左わき腹を押さえ、苦悶の表情を浮かべていた。
「チッ……しくったな……こんなことも、予期してなかった、なんて、な……」
鷹臣の手がどんどん赤く染まっていく。ぽたりぽたりと血が溢れ、板張りの廊下を濡らしていく。
「たか、おみさ……血……血が……」
急いで鷹臣を横にさせ、代わりとばかりに傷跡を押さえる。どんどんと血で濡れていく指。一向に止まる気配がない。
「鷹臣!? 僕、手当できる物ないか探してくる!!」
悠真が客室から飛び出した。駆けて行く足音が段々と小さくなる。
「たかおみさん……たかおみさん……」
ガタガタと震えながら首を振る。鷹臣の瞳が閉じられ、浅く荒い息を吐いている。
(どうしよう……ど、どうしたら……)
涙が込み上げてくる。傷口を押さえるだけで何もできない。なすすべもない。
血が止まらないままでは死んでしまう。混乱から、過呼吸のようにセイル自身も息苦しくなる。
頭の中で一つの考えが思い浮かんだ。
鷹臣の体から手を離す。巫女装束の胸元へと差し込んだ慎吾のドスを取り出した。
鞘を抜く。窓からの月明りは廊下にほとんど届かないが、僅かな明かりで鈍く光る刃先を見つめた。
セイルの口角が上がる。ボロボロと泣きながら、目の前の刃に向ける笑みを止められなかった。
エルフの血を引く自分が生まれてきた本当の意味が、分かった気がする。
里を救うためという大義名分の元に湖へと身を投げ、なぜ死なずにこの世界へとやって来られたのか。
そして、鷹臣と出逢い、生活を共にすることになったのか。
不器用な優しさに触れた。見た目は確かに怖いと思ったこともあるが、懐に入れた者を大切にしてくれる。まっすぐに見つめてくれるその視線が、いつの間にか心地良くなっていた。
「鷹臣さん、大丈夫です。私が、必ず助けますから」
ポロポロと涙を零しながら巫女装束の左肩を曝け出す。露わになった左胸へとドスの先端を当てる。深呼吸を一つ。傷口を押さえていた時にはガクガクと震えていた手が、今は不思議と収まっていた。
もっと怖いかと思っていた。実際、湖に身を投げた時は死への恐怖に支配されていた。
それなのに、今は全く怖いと思わない。
いや、もしかしたら、深層心理では恐怖を感じているかもしれない。しかし、それを自分の中に収められていた。
一度目を閉じる。ゆっくりと開き、ドスを持つ手に力を込めた。
一気に奥へと向けて刺し込んだ。肉を斬る嫌な感触。
「ぐっ、うっ……」
もっと深く、もっと確実に血を出せるように。ブルブルと震える手を叱咤しながら奥へと向けて刺していく。刃全てが肉に埋まる。そして、勢いづけて引き抜いた。
「がはっ」
傷口から大量に溢れる鮮血。口からも血を吐き出した。口内に充満する鉄の味。ドクドクと零れる血を鷹臣の口へと流し込む。
心臓を貫けば、最も鮮度の良い血を与えられるはずだ。仮に心臓でなくとも、そこに繋がる血管などが集まっている。新鮮さで言えば問題などない。
鷹臣の傷から流れていた血の量が減っていく。震える手を伸ばし、シャツを引っ張った。逞しい筋肉は血に塗れているものの、傷らしきものは見当たらない。ホッとした瞬間、またしても吐血する。
もう出なくて良いのに。ドクドクと流れていく自分の血も止められない。意識が朦朧としてくる。ここで意識を失えば、直に死を迎えることだろう。
どうせ死ぬなら、せめて、鷹臣が意識を取り戻すのを確認してから死にたい。パチパチと膝に乗せたままの鷹臣の頬を叩いた。
もう時間がない。頼むから、目を開いてほしい。
もう一度だけで良いから。貴方の黒い瞳が見たい。
それさえ見られれば、もうどうなったって良いから。
里のみんなに申し訳なく思ってはいる。
何の成果も出せなかった。
でも、大切な人を一人、救えただろうから。
生まれてきたことをもう責めないでほしい。
鷹臣の瞼がピクリと動いた。薄っすらと持ち上がる。
ようやく開いた瞳。やっと見られた。
それなのに、涙が込み上げて、ぼやけてしまう。
「俺、は……撃たれた、はず……なのに……痛くねぇ……?」
呆然としながら呟いた声を聞き、一気に体の力が抜けた。上半身が壁を伝いながら床へとゆっくりと倒れ込む。
「おい、セイル!? 何でテメェが血ぃ流してやがんだよ!? おい!!」
鷹臣が起き上がり、板張りの床に身を任せたままのセイルの上半身を抱え上げた。
先程まではセイルが膝枕する格好になっていたというのに、今度は真逆だ。形勢逆転とばかりに変わった態勢に何だか少しだけ笑ってしまう。そして、それが肺を傷つけていたのか、体に障り、またしても大量の吐血へと繋がってしまった。
「おい! てめぇ、何勝手に死にかけてやがんだよ!」
鷹臣の大きな掌が血の止まらない左胸の傷を押さえる。
もう、どうせ助からない。残り僅かな体力を振り絞り、左手を持ち上げた。しゃらりと手首に巻いていたブレスレットの鎖が蠢く。せっかく鷹臣がくれた大切な宝物だ。血が付いてしまったら嫌だという思いもありながら、もう死ねば身につけられなくなるのだから気にする必要などないなと頭の片隅でボンヤリ思う。
傷を押さえる鷹臣の手の上に掌を乗せた。冷たくなっていくセイルの手と違い、温かい。普段なら、セイルの方が体温は高いのにと考え苦笑する。
押さえている手を外し、指を絡ませた。夏祭りの夜、こんな風に繋げたら、もっと恋人同士のように振る舞えただろうか。
もっと可愛げのあることを言えて、素直になれただろうか。
もっと早く、ちゃんと想いを告げられただろうか。
後悔の念ばかりが押し寄せる。
朦朧とする意識のせいで、涙だけでなく視界がぼやけていた。
もう、鷹臣の顔すらまともに見えない。三十センチも離れていないというのに。
「たかおみ、さん……」
「もういい! 喋んじゃねぇよ!」
フルフルと首を横に振る。最後になるだろうから。これだけは絶対に言わなければならない。
死後の世界にまで、これ以上、後悔の念を持って行きたくはないから。
「もう……こん、なこと、いっても……ご、めいわくに……なるって……わかって、る……んですけど……」
「いらねぇよ! 迷惑とか言うな! ここで死んでみろ、それが一番の迷惑だ! 絶対に許さねぇからな!」
困って眉尻を下げてしまう。つまり、最後の最後までこの人には迷惑ばかりをかけてしまう。
繋ぐ手に精一杯の力を込める。
謝罪と、感謝の念を伝えるように。
「はじ、めて……だれ、かを、……すき、に……なっ……たんで、す……。だ、から、……おぼん、だけ、で……いい、です……から……。おも、いだし……て、……まって、て……くれ、ま、せん……か……?」
「うるせぇ! 待たねぇよ! 誰が俺を置いて逝くような奴を待つってんだよ!」
瞼が重い。もう、意識を保っていられるのも限界が来たようだ。
せめて、最後は愛し愛されたと自覚しながら死にたかった。
それすらもさせてくれないなんて、酷い人だ。
そんな人を好きになったのは自分だが。
朦朧とする意識の中、鷹臣が必死に何かを言い募っている気がする。しかし、その言葉の意味を理解できるほど脳が働かない。
最後くらいは面と向かって好きだと言ってくれても良いのに。唇を読みたくても、動いているという程度にしか分からなかった。
どんどんと鉛のように重くなる瞼。閉じれば楽になれるだろうか。もう、胸の痛みすら、遠いところにあるようだった。
鷹臣が何かを叫ぶ声と共に聞こえてくる足音。先ほど出て行った悠真だろうか。
本来であれば、悠真にも礼を言うべきだった。最初から最後まで、本当に良くしてくれた。人間と似てはいても、異形の類だろうに。
何も恩を返せなかった。
不義理は承知で更にお願いをできるのであれば、セイルが死んだ後も結界に関してだけは調べ続けてほしい。
もしかしたら、いつか里から誰かが来るかもしれない。
その時に、少しだけでも役に立っていたいから。
手に力が入らない。血で滑り、落ちそうになるのを鷹臣が強く握って止める。
(ごめんなさい……また、鷹臣さんにツラい記憶を植え付けてしまいますね)
幸せにしたかった。未来は明るく、楽しいこともたくさん待っていると。互いに思い出を積み重ねていきたかった。
部屋の扉が開いた気がする。しかし、もうそれすらも確認できない。
重い瞼を閉じた先にあったのは、暗闇だけだったから。
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