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第1話

第1章 最初の支配-1  雨は上がっていた。路面に残った水溜まりが、看板のネオンを歪ませる。  借金の伝票は一枚。だがその裏には、甘い匂いのする店と、夜に生きる人間の吐息が絡みついている。  玖条牙琉は封筒を親指で弾いた。紙が、乾いた音で空気を切る。  「期限は過ぎた。支払う気がないなら、それ相応の筋を通してもらう」  店の奥にいるはずの“債務者”は現れない。代わりに、薄い香水とシャンパンの気配をまとった男が、暗がりからふっと顔を出した。  茶色のメッシュ、ゆるく流した前髪、遊び人の笑み。だけど目だけは、よく研がれた刃物の色をしている。  ――天堂ルイ。  「通す筋? へぇ、若頭さんの辞書には面白い言葉が並んでるな」  カウンターに片肘をつきながら、ルイは笑う。  「でもその封筒、こっちのテーブルには似合わない。置くなら優しく置けよ。乱暴にされると、客が萎える」  牙琉は封筒を静かに下ろした。目だけが笑わない。  「お前が保証人か」  「違う。ただの“夜の顔見知り”。……でも困ってる奴がいたら、少しくらい肩を貸すことはある」  そこで声色が変わる。軽さの奥に、妙な重みが潜った。  「若頭が人を脅して楽しいのはわかるけど、ここは舞台が違うんだよ。ネオンの下は、俺の土俵だ」  その瞬間から、牙琉の土俵はもう揺らぎ始めていた。

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