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第34話 雨上がりの朝
レインはまどろみの中で、頬に触れる柔らかな感触を心地よく感じていた。
このふわふわの綿毛のような毛は、ゴールデンレトリーバーのデイジーに違いない。また夜中にベッドに潜り込んで来たのだろう——
——いや、待て。彼女はもう。
そこでレインはぱちりと目を見開く。
ブラインドの隙間から差し込む白い光が、朝を告げている。
柔らかな毛髪。
腕の重み。
胸に触れる寝息。
絡み合う足。
「……ルカ」
思わず口から名前が漏れる。
起こしてしまったかと心配したが、ルカは軽く身じろぎしただけだった。
腕の中にすっぽりと収まる身体。
長い手足が絡み付き、唇はほとんど胸に触れている。
穏やかな呼吸。
朝の光を反射し輝く頬。
——美しい。
それ以外の言葉など、思いつくわけもない。
肩に回した腕に少しだけ力を入れ、さらに引き寄せる。
「ん……」
小さい吐息と同時に、ルカの顔に満足げな笑みが広がる。
柔毛とシャンプーの香りが鼻先をくすぐる。
こんなにも穏やかな朝を迎えることができるなんて——
レインはルカの髪に顔を埋める。
昨夜は、ルカが堕ちるように眠った後に軽く寝床を整えたところで、意識が途切れた。
そのまま一度も起きなかった。
物音に反応した記憶も、夢の底から引きずり上げられた記憶もない。
ただ眠った。
深く。信じられないほど深く。
不眠に陥ってからではない。これまでの人生で一番よく眠った、と言ってもたぶん大袈裟ではないだろう。
長く使われていなかった部分まで、ようやく休息が届いたような、妙に澄んだ重さがある。
そして——
昨夜の熱。
止めどなく濡れ、あられもない声を上げて幾度も果てるルカに、恐ろしいほどに欲情した。
それを与えているのが自分だということが始終信じられなかった。
思い出しかけただけで、腹の底が熱くなる。
『幸運』には違いないが、そんな言葉ではとてもじゃないが片付けられない。
たぶん——
幸福、がふさわしい。
それを受領する価値が自分にあるとは思えないが、今、腕の中にある温もりは現実だ。
レインはしばらくの間、ルカの睫毛に視線を置いた。
そして、心地よいだるさに身を任せる。
次第に瞼が再び重くなり、やがて抗いがたい眠りへと導かれる。
もう起こり得ないと思っていた、二度寝の誘い。
ああ、このまま永遠に——
レインは瞼を閉じた。
頭の奥底から湧き出ようとする否定の言葉を、全力で無視しながら。
◆ ◆ ◆
目を覚ましたとき、最初に見えたのは星型の傷跡だった。
若干ケロイド状になっているそれは、レインの胸で、朝日を照り返してまるで本当の星のように輝いている。
腰には太い腕が回り、ルカは正面からすっかり抱き込まれていた。
そっと目だけを上げてみる。
いつもならどこか険しさを残している眉間が緩み、今は驚くほど穏やかに見えた。くっきりとした陰影に映る鼻梁、高い頬に、強い顎のライン。
比較的華やかな世界にいるルカでさえ、ここまで精悍で魅力的な男性には会ったことがなかった。
見た目だけではない。いろんなことを分かりやすく話してくれる丁寧さ。低いのにどこか甘さを残した声。
昨夜は、何度も名前を呼んでくれて——
途端に、昨夜の記憶が戻ってきた。
シャワーの音。濡れた肌。低い声。自分だけを追っていた、あの瞳。
その先まで思い出しかけて、ルカはぎゅっと目を閉じた。
耳が燃えそうなほど熱くなっているのが分かる。
昨夜、自分が何をされたか。自分がどんな声でレインを呼んだか。記憶は都合よくぼやけてなどくれなかった。
もし今レインが目を覚ましたら、とてもじゃないが顔を見せられない。
起こさないようにそっと身体をずらし、レインに背を向ける。
その瞬間、腰に回っていた腕が動いた。
「……っ」
眠っているはずのレインが、離れかけた身体を強く引き戻したのだ。
胸板が背中へぴたりと重なり、腰へ回った腕に力が加えられている。
裏腿がぴったりとレインの前腿と密着し、さっきよりむしろ隙間がなくなった。
首筋のすぐ後ろをレインの寝息がくすぐる。呼吸のたびに胸の動きが背中へ伝わってくる。
照れるあまりに隠れようとしたつもりだったのに、もっと近くなってしまった。
たぶん、離れた温度を、身体が無意識に追っただけなのだろうとは思う。
それなのに。
まるで、ここにいろと言わんばかりの強さで抱きしめられて——
ルカは腰に回された大きな手へ、そっと自分の指を重ねた。
「……離れたくないな」
声にしたのは、囁きにもならないほど小さかった。
昨夜、二人は確かに何かを越えた。
けれど、それに何という名前をつければいいのかは、まだ分からない。
名前を与えてもよいのかすら。
約束は、何ひとつ交わしていない。
だからこそ、怖かった。
昨夜を一晩だけの出来事にはしたくない。
朝になれば消えてしまうようなものにも。
——だめだ。こんな風に考えても、何も変わらない。
ルカは深く呼吸をした。
幸福の真っ只中にいてなお不安を抱くなんて、バカげている。
少しずつ身体の力を抜いて、背中をすっかりレインへ預けてしまう。
そうするだけで、胸の奥が静かに満たされていく。
腰に回された手へ指を重ねたまま、そっと目を閉じた。
次に目覚めた時には、レインに微笑みかけようと決めて。
もし寝ていたら起こしてしまおう。
そして、公園に散歩でも——
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