1 / 12
第1話
隣に立っている男が親しげにずっと話しかけてくる。
その声をBGMに、今自分の置かれている現状を把握しようと数時間観察した結論を導き出した。
(ソシャゲじゃんこれ……)
愕然とした。
これが漫画だったら黒塗り背景に訝しげな顔を浮かべた俺が映ってただろうな。
ふと気がついたら、見覚えのない部屋にいた。四方の壁は何か物が沢山詰め込まれた棚に囲まれており、窓が無い為か少し薄暗く圧迫感があった。俺以外には三人の人間がいて、その棚と手元のタブレットを見比べながら作業をしている。奇抜な服を着たイケメンと美女だ。見慣れない人達がこれまた見たことない『何か』の整理をしていた。後で聞いたが強化素材らしい。強化素材って何? ゲームでしか聞いた事無い単語なんだが。
これは五番の棚に……とかそれは誰々に必要で……とそこかしこで会話がなされている。喋っている内容は聞こえるが何も理解が出来ない。
そもそも俺はここにいる前に何をしていたんだ。いつものように起きて会社に行って働いて、帰って飯食って風呂入って寝て、休日は惰眠を貪ったりゲームしたり友人と食事したりといつものサイクルは思い出せるがそれ以外があやふやだ。
キョロキョロを周りを見渡していた俺を不審に思ったのか胸とお尻が大きく身長も高い妖艶な美女が
「どうしたの? マスターちゃん」
と声を掛けてきた。ここで素直にここはどこ私は誰と打ち明ければ良かったのかもしれないが、
「デッッッッ……! あ、いえ大丈夫です」
言えなかった。頭の中八割が美女の迫力に負けて思考停止になっていた。
「もう、相変わらずつれないわねぇ」
なんて言いながらウインクなんてされてしまったら俺は手も足も出ない。なんという色気。貴方の下僕になりたい。
(……相変わらず?)
ぼーっとして流しそうになったが、あの美女は今「相変わらず」と言ったような。まるで俺の事を知っているような口ぶりである。あんな美女一目見たら何があっても記憶に残り続けてると思うが知らない人だ。確実に初対面である。誰かと間違えているのだろうか。いやそもそも俺がここにいる事をここにいる誰一人不思議に思っていない事がまずおかしい。しかもマスターって言ってなかったか? 額を抑えて頭を振る。
「なんだいいつにもまして気の抜けた顔をしているじゃないか」
美女がいなくなったら今度は線の細い王子様みたいなイケメンが来た。
「もしかして自分がやってる事すら分からなくなったのかい? しょうがないからまた僕が教えてあげるよ、君は本当に低能だね」
見た目にそぐわず失礼な物言いだが嬉しそうにあれをやってこれをやってと指示を出してくれた。こちらが言い返す前に次に移られるので何も言えない。
そしてそのままその場は気圧されたままただ「ウン……」と答える置物になってしまったのだ。多少不思議には思われたらしいがなんとかなってしまった。なってしまった……!
その次は部屋にいた助手を名乗る別の赤髪のイケメンに召喚の場と呼ばれる部屋に連れて来られた。召喚って何を…?
その部屋の床には所謂魔法陣と呼ばれるものが描かれている。魔法陣の周りには燭台があり、窓が無い為その火で照らされた薄暗い部屋だった。
薄暗い部屋に圧迫感を感じながら、俺は魔法陣に目を奪われた。こんなものゲームやアニメでしか見たことない! と顔には出さなかったが大はしゃぎしていた。扉から歩を進め、魔法陣の近くまで寄る。これ何で描いてあるのだろう、チョークか? 触っても良いものだろうか?
しゃがんで魔法陣をじっと見つめていると足音がして、顔を上げると助手が近くに来ていた。
「で、今日は誰狙いで呼びかけるんだ?」
「誰……」
誰も何もないんだが。え、これ装飾やインテリアとかじゃなくて本当に何か呼び出せるものなのか。ガチで言ってる? 思わず魔法陣とイケメンを交互に見てしまった。
「お前には俺がいるんだから召喚なんてしなくていいと思うけどな」
手を差し出されたのでなんとなく片手を乗せると、ぐいっと引っ張られて立たされた。そのまま背中に腕を回されて支えられる。……ん? 動けないんだが……。
「召喚石だって無限じゃねーんだからよ、今日はやめておこうぜ、な?」
ぐいっと顔を近づけられて驚く。鼻と鼻がぶつかりそうでヒヤヒヤした。
「は、ハイ」
勢いと距離の近さに圧倒されて思わず了承してしまった。
「よし!」
イケメンは心底嬉しそうに返事をして、俺の手を引っ張って召喚の場から離れていった。
長い廊下を二人で歩いていく。引き続き俺の手を引っ張っている男は上機嫌だ。召喚を中止した事がそんなに嬉しかったのだろうか。
「折角だからこのまま俺の強化していくか」
「強化、ですか」
「昨日の討伐で俺用の素材は貯まっただろう?」
「はあ」
何と言っていいのかわからずに生返事しか返せない。
しかし討伐……討伐ときたか。つまりここにいる人間達は何かと戦っているらしい。獣か? 敵対する組織や国の人間か? どちらにしても穏やかじゃない。しかも何だ、素材を使った強化……訓練ではなく? 先程の魔法陣といい、まるで現実味がない。俺は本当に『何処』にいるんだ。
「……もしかしてまた他の奴に素材をまわすつもりじゃあないだろうな」
思考を回していたら何だか男の様子が変わった。足が止まったので自分も足を止める。一段と低くなった声に肩が勝手にはねる。恐る恐る男の方を窺うと、大変不機嫌でございますとも言いたげな冷たい目と目が合った。此方を睨んでいる。俺の腕を掴んでいる手に力が入り、少し痛い。
突然何だ。しかも視界が小刻みに揺れ出した。何だと困惑したが、カタカタと震えているのが自分の体だと驚きつつ
「いえ違います」
これはまずいと即座に判断して返事をする。
「ならいいさ、強化の余地があるのに後回しにするのはおかしいからな」
ニカッと効果音がつきそうな人の良さそうな笑みを浮かべまた男は上機嫌になった。喜怒哀楽が激しい人なのだろうか……。
何だかこの人、ちょっと、怖いな。今俺は混乱していて返事がうまく出来てなく流されているにしても、あまりに一方的だ。自分の思った通りにならないと不機嫌になる、という面がある事がこの少しの邂逅でもわかってしまった。何がきっかけに怖くなるかわかったもんじゃない。体はまだ震えていた。
……ここまでの出来事をまとめてみよう。
まずは強化素材。更に多種多様な奇抜な服装の美男美女。そして召喚。さらに何かの討伐や素材を使った戦力強化。
ヘビーユーザーではないが幼少の頃よりゲームに触れてきた俺の記憶がこれらの手掛かりから結論を導き出した。あり得ない事だがこれしか考えられん。
ソシャゲじゃんこれ……。
俺何かのソーシャルゲームの世界に異世界トリップしてる……。
◆
現実逃避から戻る。
なんかイケメンが色々喋ってるけどそれどころじゃ無いんだわ。一人になりたい。それかもう少し話が通じそうな人に会いたい。この人に話しても理解を得られる気がしない。考えを整理させつつより状況を把握したい。
「とりあえず、色々見てこよう」
「見回りだな、俺も付き合うぜ」
「あ、結構です一人で」
思わず口に出した言葉に反応を返され、反射で否定する。何も考えずに返事をしてしまったので遅れて相手の反応を窺うと、
「………」
笑顔のまま固まっていた。俺に否定されるなんて微塵も思っていなかったという反応だ。察するに、『俺』はこのイケメンを常に侍らせて行動していたらしい。推しだったのだろうか。
「な、何の冗談だ?」
男は大層動揺しているようだった。たった十数分の付き合いでしかないが先程までのどこか自信たっぷりな雰囲気は霧散してしまったようだ。
「えっと…」
「おいマスター」
またもマスター呼びと来たか。これはますますソシャゲ疑惑が出てきた。大勢が俺というマスター一人を慕って、俺を軸にして行動し何もかも俺の指示で動いて、どう強くなっていくかも俺次第。
そして、俺が消えたら全てが瓦解する状況。
(嫌だが⁉⁉⁉⁉)
ぞぞぞ、と背筋に寒気が走る。世のソシャゲの主人公達の事を本当に尊敬する。大勢の存在が自分を軸にして存在しているなんて、恐ろしい事この上ない。俺は何も問題を起こさず、ほどよい大変さと充分な自由さで働き退勤後と休日に人生を謳歌したい民です。
「とりあえず本当に結構ですので!失礼します!」
「あっ、まだ話は終わって」
ない、と続いたであろう言葉は耳に届かなかった。手を振り解き、ここがどこで、どこをどう動いたら良いか全くわからないまま俺は走った。
(ほんっっっとに何処だよここは‼)
広すぎる。廊下だけでも直線、L字、T字、十字があり、部屋も多い。更に階段もあったので上下階もある。つまりここは階数が多い巨大建築だ。迷う。いや元からここが何処だかわからないんだから最初から迷子か、笑えてくる。
走りながら後ろを確認する。あのイケメンは追いかけて来ないようだ。ほっとして前を向こうとして
「ぶえ」
何かにぶつかった。
「……痛い」
上から声が聞こえた。人だったらしい。
「ご、ごめんなさい」
慌てて離れる。ゆっくり走っていたのでぶつけた右耳は特に傷んでいない。顔をあげると、
「………何だ」
これまた端正な顔立ちのイケメンがいた。黒髪の毛先が少しはねた短髪で目つきはなかなか鋭い。氷みたいだ。ここには顔が整った存在しかいないのか。そのイケメンが目を細めて、こちらを訝しげに見ている。
「え、ええと……」
居心地が悪い。ただでさえ綺麗な顔なのだ。それが機嫌が悪そうにこちらを睨んでいる。迫力が常人の二倍くらいある。怖い。
「……一人でいるなんて珍しいな。いつもあの癪に触る奴と一緒にいるのに」
怯えていたらイケメンは言葉を発した。この人も俺の事を知っているらしい。しかし『いつも一緒にいる』? 前後から察するに人を指しているらしい。誰を?
「え? なに、誰?」
「だから……アイツだよ」
「……誰?」
「…………」
今この男心底面倒くさいって顔した。しかし心当たりがないのだからしょうがないだろう。もうわけがわからない、全く見覚えのない場所と一方的に俺を知人のように接してくる美男美女。誰かこの状況を詳しく説明して欲しい。
怪訝な顔をしながら男は話し掛けてくる。
「喧嘩でもして……いやいい、どうでもいいから答えなくてい」
「喧嘩する以前の問題というか、なんというか」
「答えなくていいって言ってるだろう」
「アッハイ」
自分から振ってきたくせにすぐに撤回して話題を拒否されてしまった。
「全く、いつもいつも面倒な事ばかり起こして……少しは大人しく出来ないのかトラブルメーカー」
なんだこの失礼大明神は。殴るぞ、殴らないけど。暴力はだめだ。
「僕トラブルメーカーなんですか」
「自覚がないのか? ……本当に救えないな」
この人さっきから辛辣過ぎないか。『俺』と仲悪かったんだろうか。しかし、先程の人より話が通じそうな気配を察知した俺は立ち去ろうとするこの男の腕を掴んで引き止めた。引き止められるとは思っていなかったらしい男は目を見開いて此方を見てきた。
「これだけ教えてください僕の作業場とか執務室とかそういうのってどっちでしたっけ」
「…………あっちだ」
頭でもぶつけたのかこいつって顔されたが答えてくれた。指で示してくれた方を覗いてみるが、ここから見ただけでも部屋数が多い。どれが正解かわからず、絶対一人では辿り着けない。
「助かりました、このまま案内してくれるともっと助かります!」
「はあ…?」
怪訝な顔をしている男に頼み込んで、渋々案内を引き受けてもらった。
「着いたぞ。じゃあな。」
「おおお待ちを!せっかくなのでこのまま中で話でも!」
到着後男はさっと身を翻して立ち去ろうとした。慌ててその背の服を掴み引っ張り、腕を掴んで引き止める。ここで去られたら色々困る。
「オレが任されたのは案内までだろう」
「ほらほらまあまあ」
抵抗する男の腕を引っ張って無理矢理案内された部屋に引き摺り込む。恐らくだが俺なんかより断然力が強いであろう男は嫌がっているわりには俺を引き剥がそうとはせずにずりずりと引っ張られてくれた。
そしてわかっている範囲で全部説明した。
「………くそ、本当に厄介事案だった」
「これで一蓮托生ですね」
「ゾッとする……」
青い顔をして男……黒鴉隼月 さん(※説明過程で名前聞いた)は心底この場を去らなかった事を後悔しているようだった。申し訳ないが潔く巻き込まれて欲しい。今から別の人を探して一から説明するのは非効率的であまり好ましくない。
頭を抱えているシュンゲツさんを横目に執務室(仮)を見渡す。部屋を囲むように本棚があり、中央にソファと低い机、そして部屋の一番奥には何かの書類が置いてある大きめの事務机と傍にもう一つの事務机がある。恐らく大きい方が俺の机だろう。ドアの傍の壁には郵便箱のようなものも取り付けられていた。
そして、部屋には鏡が備えてつけてあった。鏡の前に歩を進める。鏡ならば客観的に自分の姿を確認出来る。ようやく、この未知の場所に来て初めて俺は自分の姿を確認出来る。もしかして俺も顔が整ってイケメンになってるのでは、と思ったが。
「……」
……感想が難しかった。鏡の中の俺も難しい顔をしている。
鏡にはどこかぼーっとした顔の白衣を羽織った茶髪の青年が映っている。その顔自体には何の違和感もない。しっくりくる、と言えばしっくり来たのだろう。キャーッ誰この人⁉ とはならなかった。因みに飛び抜けて美形という訳ではなかった。悲しい。
異世界トリップしてきたのなら、確かその世界の登場人物の一人に成り変わるか憑依するから顔が変わっている、だから鏡を見たら驚くというのがセオリーの筈。しかし、不思議な感覚はするが違和感はない。これは俺の顔だ と確信出来る。
「どうかしたのか」
「……、いえ」
鏡を見て呆然としている俺を不思議に思ったのかシュンゲツさんが声を掛けてきた。鏡から視線を外し、シュンゲツさんの方に体を向ける。
「とりあえずここでの事、見事になーんにも覚えておりませんのでそれとなくサポートをして頂けると大変助かります」
意識的に明るく素直に助力を請う。恐らくだがこの人は正面からのお願いを無下にはしないだろう。先程俺を振り切れた筈なのに、部屋に引っ張られてくれた人だ。
「チッ、事情を知ってしまったなら仕方ないが……」
シュンゲツさんは予想通り舌打ちはしているが立ち去ろうとはしなかった。
色々といくつか細かい点の質問に答えながら補足をしていると、確認したい事がある、とシュンゲツさんは切り出した。
「…………お前は、『マスター』じゃない、という事か?」
見定めるようにシュンゲツさんは此方を見ている。
「それは……」
当たり前の疑問にどう答えるべきか少し考える。鏡を見た時に感じた感覚と、今の今まで考えていた自分の現状、合わせてみる。
「先程説明したばかりの内容を少し訂正して話しますと……僕としてはついさっき前世を思い出して、その衝撃で転生してからの記憶が全部とんだって認識なのですが」
仮定。記憶にある世界で何かしらの要因で死んでこの世界に生まれ変わり、今の今まで前世を忘れて過ごしていたが何かのきっかけで前世の記憶が不完全だが戻り、その衝撃で今度は今世の記憶を無くしたのでは。つまり異世界トリップならぬ異世界転生だ。ただ世界を跨いだのではなく、この世界での一つの命として俺は生まれ変わったのだと結論づけた。これなら鏡を見て顔に違和感を感じない理由も説明出来る。生まれ変わってからこの顔で過ごしていたならしっくりくるのは当たり前だ。不思議な感覚がしたのは恐らく前世での顔とは違うから、しっくりしつつ違う感じもしたからではないだろうか。憶測でしかないがなかなか的を得ている筈である。
そんな俺の結論を聞いたシュンゲツさんは口元に手を当てて何か考えながら俺の事をじっと見つめている。あまりじろじろ見られるのは気恥ずかしい気がしてそわそわしてしまう。
「……雰囲気はオレの記憶にある『マスター』のままだ。厚顔無恥で傍若無人だが」
「すごい言うこの人」
気恥ずかしさが吹き飛んだ。
「あと口調、少し丁寧すぎないか。『マスター』は皆にはもう少しフランクだったぞ。最初頭でも打ったかと思った」
「訳がわからなかったので失礼のないように意識して丁寧にしてたのですが……あと僕にとっては皆さん見知らぬ他人でしたし」
特に面識がない人との会話や社会人として接する場では『俺』で『タメ口』では失礼にあたるだろう。男の丁寧な場での一人称難しい問題がここに来てからずっと立ち塞がっている。『私』だと丁寧過ぎるし『僕』だと少し弱々しいし、『俺』ではがさつ過ぎる。中間はないのか中間は。
「他人……チッ」
一人称に悩んでいたらよくわからないけれど舌打ちされた。
「あの、『僕』の事嫌いですか?」
「そんな事はない」
出会った時からの憎まれ口に心配になって聞いていたが即答してくれた。食い気味に答えられた為、目を瞬いてキョトン、としてしまった。
「あ……いやちが……いや違わないが………チッ」
顔をそらされたが、耳が赤いので照れていると判断する。どうやら思っていたよりは好かれているらしい。良かった。それは俺に対してではないのかもしれないけれど。
「というか何でオレなんだ?」
「え?」
「記憶がとんでから現状が把握出来た時、助手のアイツが……タツヤが傍にいたんだろう。何故逃げたんだ。そのまま事情を話して助けてもらえば良かっただろうが」
一瞬誰の事だと思ったが、助手を名乗っていたあの怖い人の事だとすぐに気付く。
(あの赤髪の人タツヤさんっていうのか)
一応誰の事かは見当がついたのでそのまま会話を続ける。
「は、はい、ごもっともです。でもその……うまく言えないのですが」
一旦言葉を区切る。たった十数分の付き合いで断言するのは失礼かもしれないが、それでもそう判断出来てしまったのだ。
「謎の確信があったんですよね。この人はどんなに話してもわかってくれないなって」
あの助手を名乗る男性は自分が正しいと信じ切ってきて、自分が見えている認識しているものにしか理解を示さないし、それ以外のものは無かった事にするだろうと。
召喚の場や廊下を助手の人に手を引かれながら歩いていた時の事を思い出す。俺がいれば良いと召喚を止められた事や、強化の事で他の人に素材をまわすのではないかと疑われた時の冷たい目、そして自分の体が勝手に震え出した事。……今思えばあの震えは記憶に無くとも覚えていたその人に対する恐れから来るものだったのではないのだろうか。
「……!」
シュンゲツさんは俺の答えを聞いて目を見開いていた。
暫くして
「……そうか」
と、シュンゲツさんは答えた。口元に笑みを浮かべながら。
「良いよ、助けてやる」
「マジですか!」
彼の中で何の心境の変化があったのかはうかがい知れないが了承してくれた事は有り難い。何処か嬉しそうなシュンゲツさんは意地悪な表情で笑っている。うーん見事なゲス顔。何を考えているのだろう。しかしこれでこれから何とかなりそうで一安心だ。
「あんまり期待するな。助ける気はあるがオレは面倒事が大嫌いだからな、面倒な気持ちが勝ったら見捨てるぞ」
「微妙に心配になること言わないでくださいよ」
早速執務室(仮)についての説明を受けていて、ふと気になった事があり聞いてみた。
「あの、ちなみにここでの僕の名前って何ですか?」
「お前自分の名前すら忘却したのか……」
可哀想なものを見る目で見られてしまった。
「憐れむような目やめてください、前世のは覚えてますよ」
「へえ、何て言うんだ?」
「え、リョウですけど……」
何でそれを聞くんだ? と不思議に思いつつ答える。
「じゃあ2人きりの時はたまにそっちで呼んでやるよ、リョウ」
「はあどうも……じゃなくて! こっちでの僕の名前!」
意地悪そうなククク、という笑い声をあげてシュンゲツさんは楽しそうに
「悪かった悪かった、トモだ。藤原灯 」
とようやくこの世界での俺の名前を教えてくれた。初めて聞く名前だがなんだかしっくりきた。この名前で呼ばれても反応は出来そうである。しかし元がソシャゲでは基本的に『マスター』呼びであまり呼ばれない予感がするなあ。
改めて、考える。
此処が何をする所なのかわからない、自分に課せられていたであろう役割もわからない、この世界がどういう世界かもわからない、この世界で生きてきた『今までの俺』の記憶も戻るのかわからない。先行きが不安で仕方がなかったが協力者を得る事が出来たのは僥倖だ。
(とりあえず現状把握、今の所の目標はこの世界に馴染む事だな。生まれ変わってるなら元の世界に帰還とかは無理だろうし、この世界で真っ当に生きてジジイになれるように頑張りますか)
まずはシュンゲツさんに沢山質問して、そしてこの執務室の書類を調べて、自分の役割を掴むか。何かしらの記録が残っていれば俺がここで何をすればいいかが分かるはずだ。
「それじゃあシュンゲツさん、色々教えてください!」
こうして俺の異世界転生物語は幕を開けたのだった。
ともだちにシェアしよう!

