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第2話
それからというもの、シュンゲツさんはタツヤさんと助手を交代して本当に常に俺の傍にいてくれるようになった。交代の時はかなり揉めたが。あとシュンゲツさんの能力がサイコキネシスのように念じただけで物を動かしたり握り締めるように圧縮出来るというものだという事も教えてもらった。
戦闘での指揮を頼まれても何をやれば良いのかわからない時、執務をするにも何を書いて何を承認するのかわからない時、場所がわからない時、全部シュンゲツさんがサポートをして教えてくれる。正直とても助かる。お陰様で不審に思われたりはしていない。
「リョウ、記憶の方はどうだ」
「本当に少しずつ戻ってるみたいです。先程の書類、見た瞬間に記入の仕方がすっと頭に入ってきましたし」
「ふーん。そうか」
「まだわからない事だらけなのでまだまだシュンさんの事頼っちゃいます」
ちなみに、シュンゲツさんだと長いので省略してシュンさんと呼ぶ事にした。特に嫌がられたりもしていないので呼んでも問題は無さそうである。
「別に、面倒にならない程度までなら構わない」
「だいぶ迷惑かけてる認識だったのですがそれでも許容範囲内なんて、だいぶ僕の事好きですね~シュンさん!」
「………」
呆れた表情をされてしまった。
「無言やめて傷つく」
「今一気に面倒くさくなったぞ」
「ギャーッ‼ やめてください調子に乗りすぎました見捨てないで‼」
このように軽口も叩けるようになった。本気で面倒になったりはしてない……してない筈である。
しかし、仕事(という理解でいいと思う)の事は思い出してきたが、肝心の人間関係はさっぱりであり困っている。この組織に属している人のリストが執務室にあったので見せてもらったが、見覚えがあるようなないようなという微妙な感想しか出て来ず一から覚え直している最中だ。なかなかに人数が多いので苦戦している。元々人の顔と名前覚えるの苦手だし……。
前世を思い出して記憶が飛んでから討伐時や業務連絡以外はシュンゲツさんと助手に戻せと訴えに来るタツヤさん以外と関わりがないので今の所どうにかなっているが。マスターってそういう感じでいいのだろうか。
シュンゲツさんの説明によると此処は時折現れ人を襲う魔物等を討伐している組織らしい。この世界の人間の中には元の世界での所謂超能力や魔法と呼ばれるような不思議な力を宿している人達がいて、その中でも能力が一定以上高い人々が運営からスカウトを受けて組織に属し日々戦っているという。
では俺もそんな能力者なのかとテンションが上がったが
「いやお前は組織運営側から俺達能力者のまとめ役として派遣された一般人だぞ」
と夢は砕かれた。異世界転生したならチート能力で無双するのがセオリーじゃないんですか。
そんな俺の嘆きは他所にシュンゲツさんは説明を続けていく。
「能力者は力がある分我が強いというか、我儘というか他人に頼らず自分は何でも出来ると思っている独断専行者が多い。そんな暴走機関車達をまとめるのがマスターである、お前だ」
「ぼ、暴走機関車……」
そこまで言う程なのか。如何せん関わりが薄いので自分では何も見極められない。警戒していた方が良いのだろうか。
「もちろん全員が全員暴走機関車な訳では無いが。もしそうならこの組織とっくに破綻してるだろ」
「ですよね」
「しかし中にはこの面が強烈な奴もいるから気をつけろよ、……あの野郎とか」
シュンゲツさんは目を細め苦々しい表情をして此処にはいないその人を睨みつけているようだった。
「はあ」
あの野郎。シュンゲツさんが苦々しげに呼ぶのは一人しかいない、タツヤさんだ。タツヤさん、暴走機関車なのか。
(なんだか怖い、と印象を受けたのはあながち間違ってないのかな、やっぱり)
出来れば、なるべく早めにタツヤさんの事は思い出した方が良い気がする。対応を間違えて取り返しのつかない事になりかねない……予感がするのだ。
タツヤさんの事で少し未来への不安を抱いていると
「悪い、脱線した。マスターの事だったな」
とシュンゲツさんは軌道修正して説明を続けてくれた。
「オレ達はお前と契約を結ぶ事によって魔物から取れる素材で能力強化出来るという恩恵を受ける事が出来るんだ。あと少しだけ強制力もあるらしい。だから俺達能力者はマスターの指示にも従うし、連携も取るようになる」
「契約⁉ そんな不思議パワーあるのに僕一般人なんですか⁉」
それはそれで人外の力なのではないか。一般人らしい俺ですらこうなのか。元の世界の常識で捉えているとこの世界は驚く事ばかりだ。
「契約にまつわる力は元々はかなり昔の能力者の能力を他人でも限定的に使えるようにして、マスターを任じられた者にだけ継承しているものらしいが……事の起こりはもう何十年も前の話だ、詳しくは知らん」
「はあ」
つまりこの組織はそれなりの歴史がある、という事らしい。日々こうしてシュンゲツさんの講義を受けているが全容がなかなか把握出来ない。前世思い出す前の『俺』、ちゃんと全部理解して仕事してたのだろうか。生まれ変わろうが本質は変わりそうにないので力を抜く所は抜いてなんとなくでなんとかなってた気がしないでもない。
前の『俺』への不安やタツヤさんへの不安等を抱きながら、その日は執務を終えた。
◆
後日、召喚の場にて。話を聞くより召喚を体験してみようという習うより慣れろ精神で召喚にチャレンジする事になった。両開きの扉を開くと、あの日見た召喚陣が変わらず俺とシュンゲツさんを迎えてくれた。
「召喚の場で呼びかけるっていうのはどういう事なんですか?」
確かタツヤさんがそんな事を言っていた気がする。あの時は状況が把握出来ずに後回しにしていたが、知っていた方がいいだろう。
「能力者がスカウト制なのは説明した……よな。召喚もマスターが継承している能力の一つで、一定水準以上の未契約の能力者に声と姿を届ける事が出来るんだ。これがスカウトならびに召喚だな。呼び掛けに応じたら此処に招待して契約完了だ」
へえ、と感心する俺に、シュンゲツさんは指先を向けた。
「恐らく体の何処かに契約の力の源みたいなものがある筈だぞ」
「えっマジですか」
自分の体を腕や足を動かしながらまじまじと見てみる。紋様とかだろうか。アクセサリーの類は元々身につけていなかったはず。お風呂とかで体を改めて見た方が良いのかも知れない。
「詳しくは運営側の人間でないとわからない。俺達能力者にはマスターの力が他にどんな事が出来るのか、どう継承されてるのか、どう維持してるのか何も開示されないからな」
「そうなんですか」
驚く。能力者には開示されない情報があるのか。
「過去にマスターの力を盗み取って自分がマスターになろうとした能力者がいたらしい。二度とそのような事が起きないように色々と禁則事項になったんだよ」
「へええ」
何処の世界でもそういう人はいるんだな。決まりが作られている裏には過去に何かしらのトラブルがあったという事はよくある事だろう。能力者達は暴走機関車が多かったり、過去に裏切り者がいたりと一枚岩では無さそうだ。まとめるの本当に大変そう。……まとめるの俺だ。
色々と確認しつつ、魔法陣の近くに寄る。正式名称が分からない為魔法陣って呼んでるが支障無さそうなので引き続き魔法陣と呼ぶ事にする。
「陣の外側から強く念じながら陣の中心に向かって手を伸ばしてみろ」
「強く……何を?」
「誰か返事しろこの野郎とかでいいだろう」
「呼びかけで喧嘩売ってどうするんですか」
とりあえず言われた通り陣のすぐ傍で右掌を陣に向かって突き出す。左腕で一応右腕を支えた。そして目をつぶり
「ぬおおおおおおおおおおおお」
と叫んだ。
「叫ぶ必要全くないんだが」
「こっちの方が気合入るんでえええええ」
そうして気合を込めつつ頭の中で念じる。
(どうもこんにちは記憶喪失で右も左もわからないマスターです‼ 聞こえたら返事下さい優秀な貴方の参加を我々は待ってます‼ 今なら敷金ゼロ円入会金無料‼)
青白く光り出した魔法陣が脈打ち、風が渦を巻いた。陣が俺の呼び掛けで反応したらしい。なんとなくの手応えを感じつつ更に気合を入れ続けた。
「なんだろう……そこはかとなく念じ方が間違ってる予感がする……」
シュンゲツさんの不安そうな声をBGMに俺は息と気力が続くまで呼びかけを続けた。
結果。
「誰の、声も聞こえなかったん、ですけど……これ壊れてるんじゃ、ないですか」
「そういう時もある」
初の召喚は不発に終わった。魔法陣から風は起こったがそれ以降何も起きなかった。巻き起こった風が徐々に沈静化していくのを落胆した気持ちで眺めただけだった。ゼーハーゼーハーと肩で息をしている俺をシュンゲツさんは怪訝な表情で見ている。
「何でそんなに疲れる程気合入れたんだ」
「そっちの方が、答えてくれるかと思ってぇ……」
「結果には何も影響無いから次からもっと投げやりでやるといい」
「それ先に言ってくださいよぉ……」
がっくりと肩を落とし俺は床に座り込んだ。召喚って難しいんだな……と実感した。
「一回の召喚で召喚の場で保管されている召喚石が一個自動消費される。一度に十個消費して十回分の召喚を行う事も出来るぞ」
召喚の場の奥の壁に設置されている棚にシュンゲツさんは移動し、扉を開いた。中には赤色の宝石みたいなものが大量に仕舞われていた。
「じゃあ今のは召喚石がただ消費されただけという……」
「そういう事だな。一応貴重品ではあるが召喚石はマスターの任務達成状況に応じて運営から支給されるようになっている。日課や月課、主要なもの色々だ。執務室の受け取り箱の中に今日までの分も入ってるだろうから後で見ておけ」
「やっぱりソシャゲじゃん……」
今までの中で一番のソシャゲらしさを感じた。
召喚はまた日を改めて再挑戦する事となった。一度くらいは成功体験をしてみたい。
◆
シュンゲツさんに色々教わるようになって数日。俺のここに対する知識はだいぶ増えた。まだふわふわな所が多いとは言え初日と比べれば雲泥の差だろうと自負する。それと同時に不思議に思う事がある。
「それにしてもシュンさん、色々詳しいですよね」
たいへん助かるが、以前助手を担当していた訳ではないのに色々と把握しすぎてはいないだろうか。疑問に思った事を聞けば大抵しっかりと答えが返ってくる。
「……これぐらい此処にいるなら普通だぞ」
なんてこと無い、というように答えるシュンゲツさんの様子に気が遠くなる。
「え、この規模の事を全部暗記してるのが……? 絶対無理……」
今まで聞いた事だって完璧に復唱出来る気がしないというのに。マスターやる事覚える事多すぎ問題。
「暗記として捉えるから覚えにくいんじゃないのか」
「なんかこう、マニュアルとかありません? 流石に全部何も見ないで覚えるの無理ですよ」
「それこそ、運営に聞かないとわからないな。連絡方法とか知らな……いんだよな」
「とんでしまった記憶の中ですね……」
前世を思い出して記憶がとんで以降運営とは何も接点が無い。というか連絡を取る方法がわからない。こうして過ごしてきても影も形もない。本当にいるのか運営って。
「シュンゲツさん達能力者の方々はその運営とやらに連絡は取れないんですか?」
「取れないな、何をするにもマスターを通していた。それも能力者の禁則事項に当たるんだろう」
「禁則事項多いなぁ、なんか思ってたより能力者って縛りが多いですね」
「全くだ。野放しにしておくのが危険とは言えわずらわしい。一応そんな中でも調べられる事は調べたからこうして説明出来てるんだ」
(そんな所までソシャゲに似る事ないのに)
所謂、プレイヤーとソシャゲ運営の関係そのままなんだろう。マスターしか連絡が取れない、というのもプレイヤーが運営に問い合わせや報告をするようなものだろう。能力者達はつまりゲームのキャラクター、登場人物なのだから運営に接触するのは出来ない、という事だ。
(変な世界だなぁ)
つくづく、そう思う。早く戻れ記憶。
「あ、あと気になったのですが」
マスターとは何か、能力者達とは、運営とは、とシュンゲツさんの講義を受けてなんとなく掴めてきた時にふと思いついた。
「以前の僕とシュンさんってどんな関係だったんですか?」
間。
「……えと、何で突然黙るんです?」
先程までポンポン返ってきた答えが返って来なくなった。じっと見つめたら視線までそらされてしまった。懲りずに見続ける。
「答えなる必要なんて……無いだろう」
シュンゲツさんは一切こちらを見ずに、少し口ごもりながらやっと答えた。が。
「何でこのタイミングで意地悪になるんです⁉」
先程までペラペラと喋ってくれたのに、と唇を尖らせて不満をたらせる。
「少しずつ戻ってるんだろう、じゃあわざわざ言わなくてもいいんじゃないか」
「ええー」
余程言いたくないのか、声を掛けても肩を掴んで揺さぶっても反応は鈍い。あと此方を見て欲しい。
「やめろ酔う」
肩を掴んでいた手を離されてしまった。ちぇ、と思いながらも大人しく執務をする席に戻り座り直した。
シュンゲツさんがはあ、と溜息をついたので顔をシュンゲツさんの方へ向ける。
「とりたてて……目立った事など、一度きりしかなかったんだからな」
「一度きり……?」
悲しそうな顔をしたシュンゲツさんは、それから口を閉ざしてしまった。以前の俺と何かあったのか、それとも無かったのか。詳しく話を聞きたくなったが、この事を話したくなさそうなのは伝わってきたのでよした方が良さそうだ。
まあ確かに、シュンゲツさんと今こうして話せる関係でサポートもしてくれて特に問題なく過ごせているので、以前どういう関係だったのか知らなくても困る事は無い。もし以前は仲が悪かったとして、じゃあ今の俺もシュンゲツさんを嫌悪するかと言えばそんな事はない。こうして短い間とは言え接してきてシュンゲツさんがどんな人かはおおよそ掴めている気がするし、悪感情は持っていない。面倒になったら見捨てると言いつつあれもこれも説明してくれるし。元から仲良かったなら更に何も問題は無い。あとはあまり関わっていなかったという可能性だが……。
(うーん、仲が悪かったならそもそも面倒以前にぶつかった時にそのまま立ち去っただろうし、仲良かったならあんなに辛辣ではないだろうし……ん?)
「あー……あのもう一つ良いですか」
話題を変えよう。ちょうど聞きたい事が出来た。
「今は軽口くらいですが何かシュンさん初対面の時めっちゃ意地悪じゃありませんでした?」
「…………気のせいだろ」
肩を揺らしたシュンゲツさんは顔ごと目線をそらせて俺から表情が見えないようにした。ならばと席を立ち体を動かしてシュンゲツさんの正面を陣取る。また顔をそらされたが追って動いた。このやり取りを三度繰り返して諦めたシュンゲツさんは顔をそらすのをやめて
「お前の記憶違いだな」
としらばっくれた。
「いやいやいやトラブルメーカーとか救えないとか厄介とか言って見捨てようとしてたでしょ」
「くそ、はっきり覚えてやがる」
その苦々しい表情に思わず笑ってしまう。
「ほらほら答えてくださいよ」
「〜〜ッぐぅ……」
「そんな大ダメージ受けたような声出さなくても」
シュンゲツさんは先程までとは違う百面相苦々しいバージョンを繰り広げてからぼそりと呟いた。
「………拗ねてただけだ」
「拗ねてた? 何で?」
俺の純粋な疑問に、シュンゲツさんは何故だか耳を赤くさせて顔を逸らし怒ったように言い放った。
「……っうるさい! いいだろう理由なんて」
「ええー」
それに不満げな声を出して教えて欲しいと訴える。わざと上目遣いで見つめてみたが効果は無かった。やはりこういう仕草は可愛い女の子でなければ滑るだけだな。
「もう解決もしてるから気にするな」
「ええ……なんか知らない間に解決済みになってる……」
喋る気はゼロであるようだ。シュンゲツさんは手元の書類をトントン、と揃えた後、顎をくいっとさせて俺に席に戻るように促してきた。しぶしぶシュンゲツさんをジト目で見ながら着席する。
「質問は終わりだな。喋り疲れたから執務に戻るぞ」
「ええ……別に良いですけど……」
シュンゲツさんが「口が疲れた」と口を閉ざしてしまった為、講義と雑談の時間が終わり執務を再開した。
そして暫くした後。
「……まあでも」
「はい?」
シュンゲツさんが突然口を開いた。書類から顔を上げて、隣の机で作業しているシュンゲツさんの方を見る。
「何ですか?」
シュンゲツさんはどこかスッキリした表情で、珍しく柔らかい笑みを浮かべていた。先程までの様子との違いに首を傾ける。黙って作業していた間に心の整理でもついたのだろうか。
「混乱してたお前がぶつかったのがオレで本当に良かったよ」
その言葉に俺は目を何度か瞬かせる。
「はあ……まあ僕も理解を示して助けてくれるシュンさんで良かったですよ」
シュンゲツさんの真意が読めないながらも、とても助かっているのは事実だ。
俺の返答を聞いたシュンゲツさんは、なんとなく、少し困った感じをまといながら安心させる笑みを浮かべている。
「仕事に戻ろうぜ」
「はい」
俺の返事を聞いたシュンゲツさんは作業を再開した。俺もそれにならう。
(もう少し、打ち解けられればいいなあ)
それにはここに更に馴染んで仕事も人を覚えていくのが必要だろう。一層気合を入れていこう、そう思った。
◆
「おい、マスター」
「タツヤさん」
廊下を一人で歩いてきた時、タツヤさんが向かい側から歩いてきた。呼ばれたので少し警戒しながら近寄る。
「そろそろ俺がいなくて困ってきてるだろう? いい加減変な意地を張らずに俺を助手に戻せ」
「そんな事ないですよ」
助手に戻して欲しいといういつもの催促だった。もう何度目だろう。
「ここの連中のリーダーは俺で、お前はそのサポートとして頑張ればいいんだ。お前は俺がいなきゃダメだろ?」
「はい、タツヤさんが皆さんのまとめ役なのは承知してます。僕はシュン……ゲツさんに手伝って頂きながら裏方をやるので大丈夫です。タツヤさんは皆さんを引っ張ってあげてください」
ニッコリと意識して笑顔を向ける。内心冷や汗ダラダラである。しかもうっかりタツヤさんの前で『シュンさん』って言ってしまいそうだった。仲が絶対よろしくない二人なのだ、変にあだ名で呼んでますアピールしたら絶対拗れる。
(怖い怖い怖い怖い大丈夫? これちゃんと躱せてる⁉)
「……」
タツヤさんは無言だった。顔がしかめられている。怖い。
これはさっさと退散するべきだな、と別れの言葉を言おうとしたが、それをタツヤさんの溜息が遮った。それだけで肩を揺らして怖がってしまった体に驚く。
「トモ、お前何かあったのかよ」
「えっいえ、何も」
言いつつ、流石に何もなかった、とは思ってもらえないだろう。助手交代までしているのだから。その時はその場しのぎで色々理由を言って代わってもらったがそのどれにも納得している様子は見せなかった。以降タツヤさんはずっと助手に戻すように進言をしてくる。
「いや何かあるなら真っ先に俺に言うはず……」
「そ、そうなんですか」
よくわからないが以前の『俺』は何でもかんでもタツヤさんに話していたのだろうか。確か、以前は固定の助手で何をするにも基準や優先順位がタツヤさん贔屓だったのは聞いている。シュンゲツさんに聞いた話でしか以前の事がわからないので下手な事が言えない。
「…………。トモ、もっとしっかり話そうぜ」
断固拒否したい。ボロが出る。
「えっいえ僕はこのままでいいので特に何か話さなくても」
「ほらこっち来いよ」
「うわっ」
聞く耳を持ってなどくれなかった。タツヤさんは逃げようとした俺の手を掴み、引っ張って強制的に連行した。強く掴まれた為振り払うのも難しそうで、振り払えたとしてもそれが原因で余計話が拗れる可能性がある。大人しくついていく事にした。
連れて来られたのは一階にあるカフェスペースの一角だった。「ここにいろ」と座らされ、少し待つと二人分の珈琲を手にしたタツヤさんが戻ってきた。
(腰を据えて話す気満々だ)
苦笑いしながら珈琲を受け取る。タツヤさんは俺の向かい側の席に座った。
「砂糖とミルク」
「あっハイ」
二人分の珈琲に机に備え付けてあった砂糖とミルクを入れる。スプーンでぐるぐると回し充分混ざった事を確認し、それぞれの目の前に珈琲を置いた。目でその動きを追っていたタツヤさんは置かれた珈琲を手に取り一口飲む。
「……」
無言が怖い。入れ過ぎたのだろうか、少な過ぎたのだろうか。タツヤさんの様子を気にしつつ自分も一口飲んだ。個人的にはちょうどいい甘さと苦さだ。味をじっくり楽しみたいが目の前の男が怖くてそれどころではない。
「……それでさっきの話の続きだが」
「は、はい」
難しい顔をしながらコーヒーを飲んでいたタツヤさんはカップを置き、腕を組みながら本題に入った。
「手間だとは思わねーの?」
「手間ですか」
意図せずオウム返ししてしまった。でも手間って何がだ?
「ここの連中を率いているのはお前じゃなくて俺だ。お前は『マスター』なんて言われちゃいるがマスターなんざただのお飾り……媒介でしかない。実際に戦っているのも研究しているのも俺達能力者だ」
タツヤさんは腕を崩して、左腕を机に置き、肘をついた右の手の指で頭をトントン、と叩く動作をした。
「しかし、上の連中はマスターがまとめ役だとかぬかしやがる。形だけでも守らないと此方の立場が危うくなるからお前を矢面に立たせてやってるだろう」
頭をトントンしていた指先が俺に向けられる。視線と指先のダブルで居心地が余計に悪くなった。
「俺が助手……お前の一番傍にいられる役割を被って、俺の指示をお前に言わせる事でこれまで成り立って来たじゃないか」
(そうだったんだ)
今の話を聞くだけでも本当に以前の『俺』は媒介そのものだったのだろう。それならば助手交代を俺が進言した事は本当にタツヤさんにとっては思いも寄らない行動だったと捉えられる。
「今はどうだ。あの根暗が助手のせいでいちいち俺の指示をアイツを通してお前に申請してそれからになってるだろ。根暗と毎度毎度顔を合わせなきゃいけないのもムカつくし、手間だろう」
成る程手間とはその事か。
最近の流れとして、基本俺とシュンゲツさんは執務室にこもりきりで事務作業を行い、討伐にもついてはいくがタツヤさんの考えをシュンゲツさん通して知り(毎度お互い苦々しい顔してる)、そこから認証してまたタツヤさんが皆に伝達し、その場の動きなどは全部タツヤさん任せ……という形で動いてもらっている。シュンゲツさんはあまり他の人と関わらない……というか周りが避けているようで、タツヤさんを通す必要がない業務連絡でたまに俺が誰だこの人って人と一言二言交わすくらいだ。未だに覚えられなくて申し訳ない。
「それに根暗野郎に助手は荷が重い、全員アイツの事を遠巻きにしているからな。助手ってのは何をするにも仲間達とのやり取りが必須……大き過ぎるハンデだ」
「あ、いえシュンゲツさんには基本そういうのはお願いしてなくて僕が」
「そう、今の所はマスターが担っている。しかしそもそもそれは助手の仕事だ」
(遮られてしまった……というかシュンゲツさんが遠巻きにされてる? やっぱり他の人と会わないのは……)
シュンゲツさんが周りに避けられているのは気の所為では無かったらしい。今度何かのタイミングでシュンゲツさんにも話を聞く事にしよう。
「いるだけでマスターの負担になる助手なんておかしいだろう? 俺なら、今までのようにお前には負担をかけない」
タツヤさんの手が伸びてきたかと思うと、コーヒーカップを持っていた右手を包みこまれた。突然の接触に手も握られてしまった為そんなつもりは無いのに顔に熱が集まり勝手に照れてしまう。 怖いけど、なぜか心臓が高鳴ってドキドキしてしまった。元々が(キャラクター的に、だが)好みの見た目しているのだ。照れるなって方が無理だ!
「不相応な役割にマスターだからって押し付けられてお前も大変だろう? 俺なら面倒事は全部俺が担ってやれる、いつもそれで助かってるって言ってくれただろう? シュンゲツに何を言われたのか知らないがお前は俺の言う事を聞いていれば全て上手くいくんだ。俺にはお前が必要なんだ。元鞘に戻ろうぜ、な?」
「あー……えっと……」
「良い子に戻ってくれるだろ? それともお前はまた俺に酷い事をするのか?」
色が乗った声色と、言葉選び。まだ若干距離の近さに緊張はしているがしゅるしゅると照れが消えていく。
(ううん、なんというか……差別と誘導が混じった言葉と勢いだな。思わず納得してしまいそうになる程)
俺をうまく自分の思い通りにしようとしているのが伝わってきてしまい、俺は冷静さを取り戻した。
(きっと以前の『俺』はこれに流されて取り返しがつかない程タツヤさんに寄りかかっていたのかもしれない、……面倒臭がりで流され気質な俺ならあり得る)
自分で言うのもなんだが、少なくとも前世の俺はいつもかなり(適当ではなく)テキトーに生きてきた。こうした方が良いと言われればじゃあ、とその通りに動き、なんだかんだでそれで結果を出せて、それなりの評価をもらえていたのだ。恐らくはたから見れば自主性がないにも関わらずのらりくらりと順風満帆に生きている男に見えただろう。それで良いと思っていた。そしてまあここで生きてきた『俺』もそうだったんだろうな、と。全力でタツヤさんに寄りかかっていたな絶対。死んでも性格や気質は変わらなかったらしい。
……それで良いと思ってたんだけど。
転生した、と、前世を思い出して自覚するという通常起こり得ない事を経験した。これは通常では考えられない二度目のレースだ。少し走り方を変えてみようと思うのも不思議ではないだろう。というかやってみたい。リピート再生なんて嫌だ。今度は人の言いなりでなく、自分でやりたい事を趣味とか以外でも生き方でやってみたい。じゃあ俺は、今まで通りにタツヤさんにおんぶに抱っこでやっていくのか、シュンゲツさんと共に自分で出来る事を増やして自分のものにしていくのか。
答えは出た。
「……そうです、ね」
少しだけ目を伏せて、憂いの帯びた顔を心掛けて語り出す。
「でも僕も任されたからにはせめて執務だけでも自力でやれるようになりたいです。戦闘はホントからっきしなので引き続きタツヤさん達頼みになってしまいますが」
(何かと戦うなんて前世じゃゲームくらいしか経験無いしな! 戦術とかからっきしの初心者のせいで命の危機になるよりはこれは任せた方が良い!)
タツヤさんは目を見開いて俺の話を聞いている。
まるで気弱な人間がようやく決めた覚悟を語るように俺は続けた。
「なので今はタツヤさんに頼りきりにならないように修行中って事で、見守ってくれませんか? シュンゲツさんは僕の修行に付き合ってくれてるんです。一人前になったらまた助手とかの事は考えますから」
「……、は……? お前、どうしたんだよ、本当に」
極めつけに少し自信無さげに微笑んでみる。
なんとなく、以前の『俺』はタツヤさんに恐怖しつつも離れられない程依存してしまった気弱な人間に思えていたので、それを精一杯演じながら本心を語った。あまりに懸け離れた振る舞いをすると中身が違う(記憶の有無が違うだけで本人ではあるんだが)と勘付かれてしまう可能性がある。
タツヤさんからは心の底から困惑している様子が伝わってきた。信じられないものを見る目をしている。握られていた手がそっと離される。離されたならいいか、と手を自分の元に戻して、カップを手に取り残りの珈琲を一気に飲みきった。ぬるくなっていた。
「そ、それでは僕は執務があるので。今日も討伐よろしくお願いします」
椅子を引いて立ち上がり、呆然としたままのタツヤさんに声を掛ける。
「……、あ、ああ」
返事が返ってきて、特に止められなかったので会釈をしてその場を立ち去った。カフェスペースから俺の姿は見えなくなるであろう箇所を過ぎるまで背中にずっとタツヤさんの視線を感じていた。
タツヤさんから十分距離を取った後、俺は息を大きく吐き出した。ずっと緊張しっぱなしで肩を張りっぱなしでどっと疲れた。
「つっかれた〜……これで暫くは何も言ってこないようになるといいんだけども」
助手に戻せの訴えに対してのちゃんとした返事は出来た筈だ。これで懲りてくれるといいのだが。
大きく伸びをして、息を大きく吸って、吐いて、吸って、吐いて……少し落ち着いたのを確認し、シュンゲツさんの待つ執務室へと戻った。今日も仕事は山積みだ。
「……でも、酷い事って何の事だろう」
ちょっとだけ、何かが引っ掛かった。
「……おかしい、絶対におかしいだろ、いつもなら俺の言葉に喜んで、俺に罪悪感を抱いて、俺を頼ってくれるじゃないか。何で、素っ気ないんだよ」
「いつもいつもタツヤさんタツヤさんって雑に扱っても縋ってくるのがお前だろう。そうじゃなきゃおかしい」
「……問い詰めてやる、俺から離れようとするなんて間違ってる」
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