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第5話

 夜、執務室。討伐の事後処理も終え、報告書もまとめ終わった。一度、伸びをする。後は帰って寝るだけの状態に出来たのでようやく時間が取れる。  向き合っていたパソコンをシャットダウンする。執務室のソファに座りながら机に両肘を立てて寄りかかり、両手を口元に持ってきて何やら難しい顔をしているシュンゲツさんに声を掛けた。肩がビクッと揺れ、ギギギ……と油が切れた機械のようにぎこちなく此方を向いたシュンゲツさんに苦笑いする。 「……すごい緊張してますね」 「い、いざ話すと思うと、落ち着かなくて」 「それであの有名な威圧的なポーズで固まってたんですか」 「有名……?」 「あっいえなんでも。わかる人はわかるポーズなので気にしないでください」  いわゆるゲン◯ウポーズなのだが伝わらなかったらしい。先程とは別の苦笑いをして誤魔化した。 「……ふう、なんだがお前がいつも通りで肩の力が抜けた」 「そりゃ特に面接でもなんでもないんですから、もっとリラックスしていいんですよ」 「そうだな……」  そんなつもりは一切なかったがどうやら少しは緊張を解す事が出来たらしい。 「じゃあ……ここに座ってくれるか」  シュンゲツさんは自分の向かい側のソファを指定してきた。机を挟んで対面で座って欲しいらしい。 「隣でも良くないですか?」 「至近距離に緊張で吐きそうなので向かい合わせでお願いします」 「敬語が出るほど」  吹き出しそうになりつつ、大人しく向かい側のソファに座った。  今日は月明かりが眩しい夜だ。執務室は電気をつけているので窓に近寄らないと外の様子は見えないが、雲もなく星もキラキラと輝いているのを先程見た。澄んだ空になんとなく気持ちが軽くなったのを感じていた。そのお陰か、気を引き締めているシュンゲツさんに対して俺はリラックス出来ていた。どんな話が聞けるか、と楽しみの方が大きい。 「シュンゲツさん、お話を聞かせて下さい」 「ああ」  もしかしたら『話を聞いた』という事がトリガーになって記憶も戻るかもしれない。俺は口を開いたシュンゲツさんの声に耳を傾けた。 ◆  まずはどこから話そうか。……折角だから出会いも少し語ろう。と言っても、あまり良い出会いではなかったが。 「黒鴉隼月だ。……よろしくなんて言わない、戦う時だけ声を掛けてくれ」 「えっ」  オレの紹介を聞いたリョウ……ここでは今世の名前であるトモの方がいいか、トモは呆気にとられていた。当たり前だろう、これから継続して仲良くしていこうという挨拶を拒否されたのだ。 「あ、えと、トモです。マスターをしています」 「そうか」 「えー……っと、じゃあここの説明とか部屋の案内とかしますので、ついてきてください」 「ああ」  大人しく説明を聞いた。トモは説明以外にも色々と話をふってくれたが、俺は意図的に話が広がらないように「そうか」「わかった」「ああ」しか返さなかった。トモは終始やりづらそうにしていたのを覚えている。  そんな性格のオレは勿論、他の能力者達と上手く交流出来る訳もなく、順調に孤立していった。中にはそれでも仲良くしようと積極的に話しかけてくる人もいたが、当時のオレはそれさえもはねのけていた。別にその人が嫌いだとかそういう訳じゃ無い。ただただ、面倒だっただけだ。ここに来るまでに能力持ち故に面倒な人間関係に振り回されてしまった為、誰かと接する事に本当に嫌気が差していたのだ。今思うと自分が子供過ぎて申し訳無い気持ちになる。  タツヤに鬱陶しがられたのも恐らくこの時期だ。最初は確か……今から思うと気色悪いほど親しげに話しかけてきた。それを拒否し続けてた。対応が変わったきっかけの時も皆の輪に引っ張ろうとするタツヤを 「オレを気にかけなくていいと言っているだろう、構うな」 といつもより少し強い口調ではねのけたのを覚えている。  目を少し見開いて驚いていたタツヤを横目にオレはそこを立ち去ろうとした。すると、急に腕を掴んできて 「お前の気持ちなんて関係ない、俺が来いと言ってるんだから来るのは当然だろう」 と、捻り上げてきた。そのあまりの力の強さに呻いた。折られるかと思った。痛みに耐えながら見たタツヤの顔は、今の今まで見せていた気さくな好青年の仮面を剥ぎ取り、冷たい目をしてオレを睨みつけていた。冗談抜きで身の危険を感じた為、必死に振り払ってその場を立ち去った。  自分の事をヨイショせずに単独で行動している、しかも己の誘いにも何も乗ろうとしないオレに嫌気が差したんだろう。以降、何かとオレが孤立するように除け者にしようとしている。 ◆ 「前腕を折られかけたって言ってたのはこの事だったんですね」 「そうだ。酷い青痣が出来て暫くジンジン痛かった」 「怖っ……あっでもこれ傷害で訴える事が出来るのでは?」 「……しかし誰も証人がいない。討伐中の怪我だと言われたらそれまでだし、人望もタツヤの方が圧倒的に高かったからな。信じてもらえそうになかった」 「それ含めて全部計算してそうで怖い」 「いや流石にそれは………………あり得るな」 「ほらー!」 ◆  加えて当時のオレは自分の能力を過信していた。  そのせいで、魔物の群れが発生した大規模な討伐作戦の時に……オレは突出し過ぎて孤立した。知っての通りオレの能力の最大捕捉は一体だ。単体の敵との戦闘に特化している。沢山の魔物に囲まれてしまったオレは、それをさばききれずに重傷を負い、怪我を庇いながら命からがら偶然見つけた洞窟に身を潜める事になった。  離れた場所で戦闘していた為、オレの近くには誰もいなかった。オレが負傷して離脱した事に、戦闘が終わるまで誰一人気付かなかった。  後で聞いた話だが、討伐終了後にオレの姿が見えない事に気付いた数人がオレを探しに行こうとしたのをあの野郎……タツヤが止めたらしい。 「きっともう駄目だ、諦めよう。深追いして今度は俺達が魔物に囲まれでもしたら本末転倒だ」  と。もっともらしい事言ってるが要は邪魔だったオレを片付けられるチャンスだと思って出た言葉だったんだろうな。 「俺はリーダーとして皆を、全体を守る義務がある。それには時として多少の犠牲には目を瞑らないといけない事もあるんだろう……今がその時だっただけだ」  言葉巧みに皆の気力を削いで諦めモードを促していたらしい。本当に腹が立つ。綺麗事唱えてオレを見殺しにしようとするんじゃあない。  それに強く異を唱えてくれたのがトモだった。しかし、マスターよりリーダーであるタツヤの方が影響力が強かった為、賛同してくれる者は少なかった。一人だけの為に全員を危険に晒すわけにはいかない、でも見殺しは……と各々が頭を悩ませていただろう。 「……僕一人で、シュンゲツさんを探してくる!」 「な、おいマスター⁉ 止まれ‼」 「止まらない‼」  そんな中トモは駆け出して俺を探してくれた。 ◆ 「僕が…?」 「ああ」 「……」 「どうかしたのか?」 「あ、いいえどうぞ続きを」 ◆  洞窟内で、出血が酷く、意識が朦朧としながら荒い息を零して倒れていた俺をトモは見つけてくれた。 「シュンゲツさん!」 「…………ます、たぁ……?」 「っ酷い怪我を、待ってて下さい応急処置します」  トモは持っていた救急箱から包帯やら消毒液やらテープやら色々取り出して止血を始めた。 「……なんで、ここに、っどうやって」 「地面に垂れていた血を辿ってきたんです。もしかして、と思って」 「そうじゃなくて、なんで……何でオレなんかを」 「……?」 「突き放すような言葉しか交わしてないオレなんかを、どうして」  手を止めたトモは、しっかりと俺と目を合わせてきた。 「だからこそです。……シュンゲツさんは自分で思ってる程冷たい人じゃないですよ」  呆気にとられるオレを横目に、トモはニコリと笑い、喋りながら治療を再開した。 「確かにフレンドリーにお話は出来ませんでしたが、そこに悪意も嫌悪もないのはちゃんと伝わってきましたよ」 「それに、満足に相互理解も出来ないままお別れになっちゃうのは嫌でした。僕は人と分かり合う為には一方通行も跳ね返すのも良くないって思ってます。まだシュンゲツさんとキャッチボール出来てませんもの。あとは普通に困っている人がいたら助けようって気持ちだけですよ」 「大層な理由があるわけじゃないのでそこまで気に病まなくて大丈夫です。ほらお腹に包帯巻きますよ」  後に残ったのは呆然としてるオレと、応急処置をやりきって満足そうなトモだった。 ◆  あれ、何だよ前の俺、ちゃんと意見言えてたじゃないか、自分から動けてたじゃないか。俺の推測は間違っていた、ちゃんと『俺』は自分の軸を持っていたんだ。 (じゃあなんでタツヤさんに依存するようになっちゃったんだ……?) 「…………」 「リョウ?」  シュンゲツさんが不思議そうな顔をして此方を見ていた為、今考えていた事を一旦忘れて続きを促す。 「あ、えっと、ここで僕とシュンゲツさんは第一歩を踏み出せたんですね」 「ああ、……オレの大切な思い出だ」 「大切な……」 ◆  オレはトモの応急処置で出血もおさまり、安静に出来た。マスター専用の端末で呼んだ医療班が到着するまで二人で少しずつ会話していったんだ。本当に、色々話したんだ。 「大体ですね、他の皆を危険に晒すわけにはいかないから少数を犠牲にしようって考えが気に入らないんですよ。その犠牲に言った本人が含まれてない前提なのも。絶対タツヤさん自分が犠牲側になったら死ぬ気で生還してきますし、助けようとしなかった人達を全力で責めますよ。目に浮かびます」 「……よく、わかってるんだなアイツの事」  トモは、ただ嫌な奴と毛嫌いしてるオレなんかよりよっぽどタツヤの事を理解しているようだった。 「一応みんなのマスターですから。……タツヤさんとは対立する事も多くて人よりよく見るようになっちゃったのかもしれませんが」  少し寂しそうな顔でトモは呟いた。 「なんで、ああなんでしょうね……タツヤさんは」 「……」  なんだか怖くて、この時のオレはこの話題に触れることが出来なかった。  その後、オレの過去にも少し触れた。 「シュンゲツさんはどうして人を避けるようになっちゃったんですか?」 「……オレの能力が物体の操作と圧縮なのは知ってるだろう? 高威力の。ざっくり言うとそれで怖がられたんだよ。能力の恐ろしさを理解してない、冗談抜きで人を殺せる力を持った子供だったんだ。癇癪で発動させるなんて、気をつけてても起こってしまう可能性はゼロじゃない」  横になりながら、少しずつオレは過去を語った。 「実際、妹の腕を潰しかけた事がある。それから家族も外の人間もオレを殊の外怖がって排斥してきた」  あの時の妹の恐怖で歪んだ顔は今でも思い出す度に心にくる。この件以降オレは妹と関わるのを禁止されて別居、その状態のまま今回組織に所属する事になったからもう何年も会ってない。会うつもりはないが大きくなったであろう今の妹を見てもオレは妹とわかるだろうか、とたまに考えてしまう。 「感情が激しく揺れるのは人と関わるからだ。では関わりさえなくせば感情は凪いだまま。能力は暴走しないだろう」 「それは……」  目を伏せてトモは悲しげな表情をしていた。オレの話でそこまで悲しくなんてならなくていいと、なぐさめるつもりも兼ねて本音を言ってみると、 「どうせ関わってもいつでも頭部をボンボン破壊出来るモンスターが隣にいるんじゃ漏らす勢いで全力で逃げられるのが当然だからな。逃げる姿はなかなか愉快だった」 「ショック受けて塞ぎ込んでるのかと思ったらちょっと面白がってますね?」 「自分にビビっている人間、どこか面白くて」 トモはそう答えた俺を見てクスクス笑っていた。  そうして過去を語って、オレの対人関係での問題を知ったトモは少し考え込んでから、横たわるオレに向かって手を差し伸べて来たんだ。 「人と関わっての能力暴走が怖いなら……、僕と一緒に歩いていきませんか」 「え」  トモはそう、オレに言ってきた。 「言ったでしょう、シュンゲツさんと相互理解とキャッチボールがしたいって。今話しただけでもシュンゲツさんが優しい人でちょっとサディストなのはわかりましたし」 「いやサディストは忘れてくれ。ではなくて、オレなんかと一緒にいて暴走の被害を受けたらどうするつもりだ。死ぬかもしれないんだぞ」 「む、こう見えても能力者達のマスターですよ。ちゃんと身を守る術はあります。僕を通してちょっとずつで大丈夫ですので壁を無くしていきませんか? 能力のコントロールを身に着けていって暴走の心配無く皆とも打ち解けてここでのシュンゲツさんの暮らしを豊かにしちゃいましょうよ」 「…………」  オレは呆気にとられてしまった。そもそも過去や気持ちを吐露したのも初めてだったし、それを受け入れられるとも思ってなかったんだ。怖がられて距離を置かれると思い込んでいた。  一人助けに来てくれた上に、治療もしてくれて、扱いづらいであろうオレの話を根気強く聞いてくれて、しかも力になると手を伸ばしてくれた。オレに対して優しい人間がこの世にいる事に俺は心底驚いた。  トモは一人で突っ走って孤立していたオレと共に歩くと言ってくれた。本当に助けてくれるだろうか、見捨てないでくれるのだろうか、と不安でなかなか手を伸ばす事が出来なかった。が、そんなオレにまるで大丈夫ですよ、とでも言うようにトモは微笑んでくれていた。  その笑顔に安心感を得たオレは、ゆっくりと手を伸ばし、差し伸べられていたトモの手に恐る恐る自分の手を重ねた。しっかりと握り返してくれたトモに嬉しくなって、胸が高鳴ったのを覚えている。だいぶ暗くなってきていたのに、トモの姿だけやけにはっきりと見えていた。 「改めて、これからよろしくお願いします。シュンゲツさん」 「ああ。……よろしく頼むマスター」  そして、駆けつけた救急隊によって、オレは搬送された。  その後は……重傷だったオレは入院していたんだ。かなりの出血量だったからあと少し発見が遅れていたら危なかったらしい。傷も酷かったからな。つまり冗談抜きでタツヤに殺されかけたも同然だったわけだ。アイツほんと嫌い。トモは命の恩人だ。トモがいなかったらオレはここにはいなかったんだ。トモがいなかったらオレはトラウマを乗り越える事が出来なかったんだ。……感謝しかない。  トモはよくお見舞いに来てくれた。他の奴? 来るわけ無いだろ。少しずつぎこちなかった対応もちょっとした世間話とかをする内に打ち解けて、退院後には食事を一緒に食べたりと友人のように接する事が出来るようになった。  戦闘復帰したのは実はリョウとぶつかる二、三ヶ月程前だったんだ。だから退院後暫くは討伐には参加せずにリハビリとか、雑務とかをして過ごしていたよ。組織のルールやらを覚えたのはこの時の経験だ。  トモの助言とその反省から少しは人に対する態度を柔らかくしてみた。が。 「ああコイツはいいんだよ、どうせ協力なんて出来ないんだから好きにやらせておけ」 と以前よりあからさまにタツヤに除け者にされるように、よく孤立するように誘導されるようになった。リーダー格のタツヤがそんな方針では他の奴もオレと関わるのを避けるのはあきらかだ。それに内心ムカつきながら答えた。 「お前達の邪魔などしない、オレはオレのやり方で……助けるさ」  ぼかしたがタツヤとタツヤをヨイショする奴等は一ミリも助けたくないからトモだけを助けるつもりで言ったぞ。タツヤは舌打ちをしてとっとと取り巻きと一緒に去っていった。  結局他の奴等ともあまり会話しないままの状態は変わらずに今に至っている。  それと、オレはずっとトモに言えてなかった事があったんだ。助けてくれた事への、手を差し伸べてくれた事へのお礼だ。あの時は手を取る事に注視してしまい、その後はトモと話せる事に夢中になってしまい、ずっとお礼を言えないままだったんだ。言おう言おうとしていたが、今に至るまで言えなかった。 ◆ 「だから、遅くなってしまったが今言わせてくれ。助けてくれて感謝している。手を伸ばしてくれて感謝している。……ありが」 「待って下さいシュンさん」  お礼を言おうとしたシュンゲツさんの言葉を名前を呼ぶ事で遮った。驚いたシュンゲツさんが不安そうに此方を見るので、拒否した訳では無い事を伝える。 「その……感謝の言葉は記憶を思い出した時にちゃんと受け止める事にします。あの日の僕と断絶してしまっている今の僕では、あの日の僕と同じ感情は抱けないので」 「……わかった」  シュンゲツさんはあまり納得してない表情をしていたが了承してくれた。しかし、これは譲れない点だ。謝罪を受けるのは今の俺ではない。 「すみません勝手に」 「いや……」  少し気まずくなってしまった。シュンゲツさんは俺から目線をそらしてしまっている。話を戻してもらおうと此方から続きを促す。 「えーと、そこから僕とシュンさんは仲良しになったんですね」 「な、仲良し……おう。……んん、オレは弱っていて他に誰もいない二人きりの状態だったからな、いつもより感傷的になっていたんだと思う」  シュンゲツさんの機嫌が少し良くなったようだった。 「忘れちゃってる僕が言うと他人事みたいになりますが、とても良い思い出ですね」 「ああ」 「でも何でそこから僕とぶつかった時のあんな辛辣な態度になっちゃったんです?」 「それは……」 ◆  でもそれから暫くして、トモの様子がおかしくなった。話そうとしても返事が単調になる等素っ気なくなった、話せたとしてもうまく話せなくなった。常に表情は暗く、生気がなかった。そして、常にタツヤの傍にいるようになった。元々助手だったタツヤはよくトモの傍にいたが、その比じゃなかった。その違和感に、タツヤに何かされたのかと聞いても、『違う何もない』としか返ってこなかった。  今思えば何かあったのは疑いようのない事なのに、当時のオレは視野が狭く自分の事しか考えてなかった。トモの『何もない』という言葉を鵜呑みにして、トモの中でオレとタツヤの優先順位が変わってしまったんだとか、薄っすら感じていたトモのタツヤへの他とはどこか違っていた気持ちが表出してしまったのではと、それでオレへの態度が疎かになってしまったんだとしか考えられなかった。  勝手に見捨てられたと拗ねて、此方からも関わるのを避けて、例え関わっても、冷たい態度を取るようになってしまったんだ。今思うと本当に申し訳無い、オレはなんて視野が狭いんだ。  その時交わした少ない会話の中で目立った会話は一つだけ。偶然タツヤが離席していた執務室にオレが報告書を持って行った時だった。入ってきたのがオレだとわかるとトモは少し気まずそうにしていた。それにまた少し苛立ちを覚え提出の際、思い切って声を掛けたのを覚えている。  すまない今は本当に悪かったと思ってる、過去に起きた事をその時の感情交えて伝えているだけだから今はちゃんわかっているから。嫌いにならないでくれ、本当に反省しているから。 「……最近のお前、完全にタツヤに寄りかかってるんじゃないか? 相互理解はどうしたんだよ」 「…………」 「黙りか……。……お前までアイツの方を選んでしまったんだな」  何も答えてくれないトモに、悲しくなって背を向けて執務室を去ろうとした時後ろから声が掛かった。 「確信は、あったんです」 「……?」  足を止めてトモの方へと向き直ると、苦痛に満ちた表情で俺の方を見ていた。 「タツヤさんはどんなに話しても何も分かってくれないって。あの人は僕…いえ誰であっても、変わる事は無い。確信はあったのに自分でも気づかない内にタツヤさんへ自分でもコントロール出来ていなかった激情を抱えてしまっていた事がわかって……。僕も結局、あの人という強烈な光に惹かれてしまった虫だった訳です。こんな僕の愚かな行いをあの人は許してくれました、受け取りはしなかったけど容認してくれました。報われる事はなくても十分過ぎます、苦しいけど自業自得です、僕は……僕はもうあの人がいないと駄目なんです……っ」  ……タツヤへの想いに苦しむ気持ちの吐露だった。目の前が真っ暗になったよ。思わず後ろに後退りしてしまった。オレに唯一手を伸ばしてくれたトモまでタツヤに染まりきってしまったんだって。  ろくな返事も返せずに、オレはその場から走り去った。  そして、あの日。ここでの全てを忘れてしまったトモ……いや、リョウと出会った。どこからどう見てもトモだったからな、最初は警戒していた。でも表情が違っていた。暗く沈んで下ばかり見ていたのに、オレをまっすぐ見てきょとんとしていた。憑き物が落ちたとそんなレベルじゃない、まるで『何も無かった』という顔をして。異世界転生とか言われてもふざけてるのかとしか思ってなかったが……。明らかにこれまでと違う様子、ここでの知識の無さ、オレへの態度、タツヤを頼らずオレに頼ってきた事、そんな違和感だらけ中で 『謎の確信があったんですよね。この人はどんなに話してもわかってくれないなって』 と以前と同じ事を話すお前を見て、オレはお前が確かにお前のままだと確信した。記憶が無かろうが前世の記憶があろうが、な。  千載一遇の好機だと思った。これは逃してはならない、と以前とは違いなるべく拗ねずに素直に助けになってリョウの傍を確保しようと思ったんだ。……ずるい奴だろう。やっぱり俺は優しくなんてないんだ。自分の至らなかった点を、自分の事しか考えられずトモを責めてしまった事も今の今まで言わないでお前の隣で『いつも親切でちょっと意地悪なオレ』を演じていたんだよ。……どの面下げてんだか本当に。……でもそれでも、お前と一緒にいたかったんだ。お前を独り占めしたかったんだ。あの時に死んでたかもしれないオレを助けてくれて、閉じこもって諦めていたオレと一緒に歩いて行こうと言ってくれてた前のお前を。そして、オレを頼ってくれて軽口も叩いてくれる気の置けない今の何も知らないお前を。  これが今のオレに至る経緯だ。 ◆  語り終えたシュンゲツさんはそう締め括った。吐き出した事ですっきりしたのか、話す前の緊張はどこへやら穏やかな表情をしていた。対して俺は……全然落ち着けなかった。落ち着ける訳が無かった。 (そ、想像以上の激重感情をぶつけられて……いやでもその対象は前の俺で………………いや今の俺の事も言及してたような……)  顔に熱が集まってきて、それを振り払うように頭を振る。 「か、確保ってそんな。僕の傍なんてそんな価値無いですよ」 「あるんだよ、オレには……あるんだ」 「…………」 「本当にすまなかった。覚えてないのは承知しているし、謝罪を受けるのは自分じゃないって思ってるのはさっきのお礼の時にもわかっているが……オレは今のリョウにも不誠実だったんだ。リョウにも謝罪を聞いて欲しい。すまなかった」  シュンゲツさんはそう言って頭を下げた。 「……はい。その、僕は、えと……」  何かを言うべきなのだろうが、言葉が浮かばなかった。ソファに腰掛けたままシュンゲツさんから視線をそらし、自分の膝辺りを見て頭を抱えてしまった。  以前の自分とタツヤさんの間に何があったのかは分からなかったが……それはタツヤさんに事情を話せそうな場合に一緒に聞いてみる事にしよう。その事情を話すか、も含めて一旦置いておこう。  恐らく、突然優しくしてくれた筈の人が素っ気なくなってしまって人付き合いが慣れていないシュンゲツさんは混乱してしまったのだろう。うん、混乱するのも……無理はない、と思う。俺も今シュンゲツさんに冷たい対応されたら多分困惑するだろうし。  記憶が無い為、自分がそういう対応をされてしまったという感覚が薄いが……ある意味、俺はシュンゲツさんに騙されていたという事だろうか。真実を隠されたまま、あった筈の確執を隠されたままだった、と。  シュンゲツさんはとても申し訳無く思っているみたいだけど……多少不都合な事や嫌な事に目を瞑ってしまうのは誰だってやってしまう事だろう。そこまで酷いとは、俺は思わない。  シュンゲツさんがそこまで気にしているなら、俺にも無関係という訳では無いのなら謝罪を受け入れるべきだろう。そのうえで思い詰めなくても大丈夫だと伝えよう。決心して顔を上げ、シュンゲツさんを見る。シュンゲツさんと目が合った。何やらシュンゲツさんも決心したような顔をしているような……。 「シュンゲツさん謝罪を、」 「言ってしまおうか、悩んだんだが……先程の話でもう隠せていないのはわかっているから、伝えようと思う」 「え、何を」  先程決めた事を口に出そうとしたがシュンゲツさんと発言が被ってしまった。驚いてしまい、口を閉じてしまった。そして間髪入れずにシュンゲツさんは口を開いた。 「オレはお前の事が、リョウの事が好きだ」 『ごめんなさっ、……さん、好き、です……っ』 「え」  唐突だった。あまりに唐突な告白だった。今までもそうではないかという言葉はあったが、はっきりとした告白を受けてしまった。そして、誰かの他の告白の言葉がシュンゲツさんの告白に重なった。  頭に走った衝撃で目を見開いて固まってしまう。頭が真っ白になる。何かに押されたように体が後ろに傾いてソファの背もたれに寄りかかってしまう。  シュンゲツさんを視界に入れつつも、頭の方に視界の光景が入って来ない。体中の感覚が鈍くなる。まるで絵画を見ているみたいに目の前の光景が遠くなった。 (今の声は……誰だ?)  聞き覚えがあるが妙に掠れたその声に疑問を抱きながら、何だこれ、と固まったまま困惑していると……視界が暗転した。 ◆  いつの間にか俺の目の前には、両手を頭の上で縛られ、顔は誰かに何発も殴られたように傷つき口の端から血が出ていて、こちらを困惑した目で見ている……タツヤさんがいた。  え、と後退ろうとしたが変な感覚があり出来なかった。  そして、何故か手が痛んだ。自分の手を見る。じんわりと痛みがある。まるで何かを殴ったように。  そして、よく見ると俺はベッドに寝かされているタツヤさんの上に乗っていた。  そして、俺は服を着ていなかった。変な感覚は下半身の辺りだ。そして何か、何かが。何かが自分の中に入り繋がれたような感覚が。生々しい何かが。 (そして、……そして?)  頭が混乱する。状況が理解出来ない。何だこれは、俺は何で。タツヤさんに馬乗りになって襲っているんだ……何だこれは‼ ◆ 「リョウ、リョウ! どうしたんだ⁉」  ハッと何かから目が覚めるように感覚と状況が戻った。目の前には焦っているシュンゲツさんしかいない。  ここは執務室だ。タツヤさんは……いない。俺はソファに座っている。執務室にはベッドもない。服だってちゃんと着ている。自分の手を見る。特に痛くはない。  何が何だかわからず動揺し、困惑したままシュンゲツさんを見た。 「え、……えっと……?」 「急に目を見開いたまま動かなくなったんだ。……さっきまでの事は覚えているか?」 「二人で、話を……していたんですよ、ね」  今日の仕事を終わらせた後、シュンゲツさんと前の俺との間にあった出来事を聞かせてもらっていた筈だ。それは覚えている。そして、話が終わって……終わってどうしたんだっけ? 「……、……」 (気が遠くなって、俺は何を見たんだ? ……あの生々しい光景は、もしかして過去の出来事? ……何で今? まさか告白が何かのトリガーになった……?) 「……リョウ?」  心配そうにシュンゲツさんが俺の顔を覗き込んできた。それに対して、まだ混乱はしていたが無理に微笑んで 「だ、大丈夫……です」 と伝えた。しかし、シュンゲツさんはそれを聞いてもあまり納得は出来なかったようで、俺の隣に座り直してきた。そのまま背中をさすってくれる。申し訳無かったが、背中をさすってもらうと少しずつ落ち着いてきた。何だかとてつもない精神的疲労を感じたようにどっしりと気持ちが重かったが、呼吸も落ち着いてきた。  落ち着いてくると、話が終わった後の事も徐々に思い出してきた。飛び込んできた衝撃的な光景はまだ頭から離れないが、シュンゲツさんに告白された事をやっと思い出せた。返事を、しなければ。 「……あっ、告白の返事が、まだ」 「いや、いい。体調が悪いなら無理に言わなくていい」 「…………すみません」  シュンゲツさんは首を振って、そう言ってくれた。正直、それどころではなくなっていたのでありがたかった。  思い出した声と光景と感覚。衝撃が大きかったが、落ち着いてくると少し冷静になってきた。まだ混乱はしているがアレが何だったのかを考える余裕は出てくる。  両手を縛られ、顔には殴られた痕があり、ベッドに寝かされていたタツヤさん、そして裸の自分がその上にいて、何かが体の中に……。 (あの光景が本当なら……俺がタツヤさんにした酷い事って、まさか、俺がタツヤさんを、無理矢理襲った……⁉)  背中に冷たいものが走る。信じられない結論に冷や汗が止まらない。顔の周りの温度が一気に低くなったような感覚がした。体が震える。視界が揺れる。 「リョウ⁉」  世界が回転したような感覚がし、支えきれずに体が傾いた。しかしソファに倒れ込む前に隣にいたシュンゲツさんが俺を抱き留めてくれた。その温かさに少し冷たさがやわらいだ気がした。 「あ、すみ、すみません」  おかげで、気絶せずに済んだらしい。申し訳ないがシュンゲツさんの胸板と太腿に手を当てつつ起き上がる。……思ってたよりかたいな。 「今日は寮に帰るのはやめてここで寝ていけ。仮眠室の準備は俺がしてくるから」 「……お言葉に甘えます」  寮まで歩いて帰れる自信が無かった為、有り難い申し出をそのまま受ける。 「そこで休みながら待っててくれ」 「ありがとうございます」  シュンゲツさんはそう言って仮眠室へと入って行った。その背中が見えなくなるのを確認して、俺はソファにゆっくり寝転んだ。そのまま仰向けになって天井を見上げる。照明が眩しい。右手で目を光から守るように覆った。 (一世一代の告白を、流してしまった……)  まだ思い出してしまった『酷い事』の衝撃は抜けないが、告白の事も大事だ。シュンゲツさんは自分が不誠実だなんて言ってるがとんでもない、俺の方が不誠実だ。勇気を出して告白してくれたのにそれどころじゃないとか考えてしまったし、お言葉に甘えてしまった。  しかし、もし自分が本当にあんな酷い事をするような人間だったなら、そもそもシュンゲツさんに告白される資格はないという事になる。 (どうすればいいんだ……)  俺は仮眠室の準備を整えたシュンゲツさんが戻ってくるまでずっと顔を押さえながら頭を抱えていた。

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