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白い彼岸花
毎週月曜日と木曜日の午前中、中埜は月見村を訪れる。
今日もまた、月曜の朝から月見村への郵便物を整理し、使い込んだ黒い皮のカバンに詰め込むと、中埜幸志は愛用の赤いスクーターへと向かった。
「中埜さん、今日も限界集落ですか。お疲れさまです」
市内中心部を回る若い配達員が、からかうように声を掛けるが、中埜はそんな挑発に乗る年でもなく、人の良さそうな笑顔1つでやり過ごした。
安全運転を心掛けて市内中心部を駆け抜け、狭い山道の、それでもバスが通る国道を、中埜の人柄そのままに、のんびり、無理なくスクーターは進んでいく。山奥の月見村だけでなく、その途中の孤立世帯の幾つかにも立ち寄りながら、中埜のスクーターは国道から離合もギリギリの農道へと入っていく。
村の入口にある1件目では、独居老人の未亡人が庭で野菜の世話をしていた。
中埜はいつも通り、行政関係の郵便を手渡し、彼女が親戚へと出す手紙を預かる。そして、老婆が1人で収穫した籠いっぱいの野菜を自宅の台所まで運んだ。
2軒目は、いつも元気な老夫婦だ。こちらにも行政関係の郵便物を渡すだけだった。思えば、それぞれの家庭に私信の配達をすることも減った。年を取り、手紙やハガキを書くことも億劫になり、電話で済ませることも多くなったのだろう。最近は、スマホでメールやチャットを使いこなす村人もいる。
「そうそう、中埜さん。今日からは上の酒生さんの家にも寄ってあげてね」
若い頃から顔なじみの奥さんに言われて、中埜は頷いた。
すでに転居届の知らせを受けており、長く空き家だった酒生家に人が入ったことは分かっていた。これまで、酒生家の郵便物は、市内中心部の田町有美子宛てに転送されていたのだ。
「もう引っ越してこられたんですね」
勧められた冷たい麦茶が、残暑の残る今日の気温に心地よい。中埜もありがたく口にしながら、静かに話を合わせる。
「この土日にね。私たちも手伝うと言ったんだけど、最近は便利な業者があるのね~。荷物を運んでくるだけでなく、梱包も解いて、全部片づけてくれるんですって」
奥さんは、今もその業者の手際に感心しているらしい。
「引っ越しの挨拶まわりには、有美子さんが一緒だったけど、昇一郎さんもずいぶんと貫禄があったわよね~。大学の先生だったんですって」
「そうなんですか。立派な方なんでしょうね」
そう言って中埜が麦茶を飲み干すと、当たり前のように奥さんは中埜のコップに継ぎ足した。話はまだ終わらないようだ。
「昇一郎さんが、あの家を出てもう40年近くになるのよ。大学院を卒業する直前に、中国に留学するってご両親に言いに来てね、それ以来、親の葬式にも顔を出さなくて、有美子さんも大変だったのよ」
その手の噂話には慣れている中埜は、余計なことは言わずにニコニコとして聞くともなしに聞いていた。
「中埜さんにつまらない話の相手をさせるんじゃない」
そこへ、奥からこの家のご主人が現れた。友人に出す手紙がもう少しで書き終わるからと、待たされていたのだ。
「じゃあ、これを頼みます」
「はい。確かにお預かりしました」
今どきは珍しい、見事な毛筆で宛名がかかれた白い封筒を受け取り、中埜は間違いが無いよう、丁寧に回収袋へとしまい込んだ。
礼を述べると、中埜は腰を上げた。この辺りの民家にはほとんどある、長い縁側に座って話すのが、月見村での中埜の習慣だった。
「酒生さんのところの昇一郎さん、1人暮らしなんですってよ。バツイチなのかしら。それとも、死別?」
中埜が立ち上がっても、奥さんのおしゃべりは止まらない。それさえも微笑ましく思いながら、中埜はまたスクーターに乗って村の中を進んで行った。
ほんの数件となってしまった世帯を回り、中埜は最後に酒生家を訪れた。
まるで村を見下ろすような高台に、どの家よりも広大な敷地と庭と屋敷を持っているのが酒生家だった。
これまで、この大きな古民家に届ける郵便物はなかった。全て本局から転送されていたからだ。
なので、中埜がこの酒生家の尊大なほどの立派な門が開いているのを見るのは初めてだった。
門をくぐると、広い庭先だ。引っ越しに合わせて、きちんと剪定されたのであろう庭の木や植栽が、過去の栄華を思わせる。池や飛び石も並ぶ、昔ながらの日本庭園である。
その手前に白木の引き戸の玄関があるが、そこに手をかける前に、中埜は庭の方に人の気配を感じた。
他の家でもそうするように、中埜は庭の方からまわり、縁側の方へと向かった。
その時、中埜はハッとして足を止めた。
「へえ、珍しいな」
思わず声に出してしまった。
中埜が見つめるその先には、白い彼岸花が咲いていた。
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