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梅酒と柿の葉寿司

 揚げ油の飛び跳ねが怖くて、酒生はコンロから離れ、調理台の上に皿を並べ、野菜を盛り付けた。  中埜が持参した柿の葉寿司も大皿に移し替え、いつものように、ご近所から差し入れられた、お漬物や煮物も用意した。 「さあ、熱いうちに、お1つ」  中埜が、菜箸で揚げたての唐揚げを小皿に取り分け、酒生に手渡した。 「うわあ、本当に揚げたて熱々ですね。ありがたくいただきます」  そう言って、酒生も箸を取り、フウフウと息を吹きかけながら憧れの揚げたて唐揚げを口に運んだ。 「ほっ、ほっ、あ、熱いです、ね」 「火傷しないでくださいね」  和やかで、明るいやり取りをしながら、2人は心底楽しそうに笑った。 「うん、本当に美味しいです!下味には、生姜も使っているのかな?味がしっかりしていて、カリッとした食感がいいですね。とても素人の仕事じゃないですよ」  手放しで褒める酒生に、さすがに中埜もこそばゆくて身の置き所に困る。慌てて残った唐揚げを鍋から引き上げ、火を止めて、中埜は手早く盛り付けた。 「さあ、味見はそこまでにして、お昼にしましょう」 「柿の葉寿司も、もう運びましたからね」  2人はいつも一緒に昼食を摂る座敷に移った。  あいにくの雨で、ガラス戸は閉まっているが、庭は見渡せる。中埜が気にしていた白い彼岸花もまだ美しく咲いている。 「せっかくだし、昼間からでも、いただいた梅酒を飲みましょうか」  中埜が振り返ると、そこには水が入った小ぶりのピッチャーと、氷が入ったアイスペール、そしてクリスタルのグラスが2つ載ったトレイを持った酒生が居た。  すでにペットボトルに入った梅酒は座敷の大きな座卓の脇に運び込まれていた。 「中埜さんは、お酒はお強いので?」 「いや、それほどでも。特に最近は、飲み歩くということも無いので、弱くなりました」  2人はただにこやかに、穏やかに向かい合い、中埜が梅酒の水割りを作るのを待たずに、酒生は唐揚げに手を出した。 「さっそく、いただきます」  子供のように嬉しそうに唐揚げを食べる酒生に目を細めながら、中埜は梅酒の水割りが入ったグラスを、教授の前に置いた。  自分が作った唐揚げを頬張る酒生が幸せそうに見えて、中埜もまた胸がいっぱいになる。 「やっぱり美味しいですね。本当に、中埜さんの揚げたての唐揚げも最高です」  美味しそうに頬張る酒生に引っ張られるようにして、中埜も食が進む。唐揚げも多すぎると思うほど作ったつもりだったが、もう半分以上食べてしまった。 「もちろん、冷めても美味しんですよね」  無邪気な酒生に、中埜の気持ちも舞い上がる。 「この柿の葉寿司も、美味しいですね!この酢飯の味わいは、初めて食べますよ」  自分が美味しいと思うものを、同じく美味しいと共感できる人が近くに居ることは、人をとても幸せにする。中埜は、今、そんな感情があふれ出るのを感じた。 「あ、そうだ。中埜さんにお見せしようと思って、準備していたのです」  梅酒のせいもあるのか、少しはしゃいだ様子で、酒生は座敷の隅に用意していた物に手を伸ばした。 「ほら、これが、『慕田峪長城』です」  そう言って酒生が開いたのは、昔ながらのアルバムで、そこには長く続く長城を背景に立つ、穏やかな笑顔の酒生の写真があった。今よりもずっと若い酒生が、1枚は1人で、もう1枚は友人と思しき人たちと並んで写っている。他には、人物は無く、壮大な長城の風景が幾葉もあった。 「これが、酒生さんお薦めの万里の長城なんですね」  長城だけでなく、酒生の若い姿も中埜の目を奪う。今と変わらぬ穏やかさと知性も見られるが、若さゆえなのか純真な笑顔や、端整な顔立ちが際立っていた。 「こちらには、『八達嶺』も。これは、私が初めて北京に行った時のものなので、今は全く変わっていると思いますが…」  ニコニコと聞き上手な中埜の特技もあってか、酒生は次々とアルバムを拡げ、万里の長城に限らず、北京をはじめとする中国各地の写真を披露した。 「ほら、これは10年前の上海。こちらは去年行った上海の同じ場所です。全くと言っていいほど違うでしょう?」  確かに、北京や上海のような大都会だけでなく、中国各地の写真は、数年違うだけで別の場所のように変わっているものが多かった。 「北京も…、私が初めて行った頃とは全然違います」  そう言って酒生は、一番古いと思われる北京の写真を指差した。 「初めて行ったのは、学生時代に、友人との旅行でした。いわゆるバックパッカーの真似事のようなことをして、北京周辺をウロウロしたものです」  学生だという若々しい酒生が、写真の中で知らない男性と心から楽しそうに笑っていた。それが、酒生の青春を象徴する1枚であると、中埜は感じた。 「あの頃は…、街もまだ素朴で、私たちも若すぎて怖いもの知らずだった…」  懐かしそうに目を細めた酒生に、何か深い想いを感じて、中埜の箸が止まった。 「そのご友人とは、今も?」  思いもしなかったのか、中埜の問いに、酒生はビクリと反応した。 「いや…、残念なことに、彼はもうこの世にはいません」  震えるような声の酒生の目が、潤んでいるように中埜には見えた。

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