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「ぶちあがれトウキョー!!」  ボーカルの叫びにワアアー、と歓声があがり、東京ドームが揺れた。  5万人の観客が一斉に跳ねる。  ステージのメンバーも観客も汗だくだ。  2度のアンコールを終えて、約2時間の東京ドームでのライブが終わり、追加に追加を重ねたツアーが終了した。  楽屋でもまだ、あちこちに興奮した空気が残っている。  そんな中、七音(ななお)は一人、身支度を急いでいた。  シャワーを浴び、光沢のある濃い青のシャツを着て水色のガラスのループタイを首にかける。 「七音(ななお)さん、お客さんが楽屋に」  スタッフの声に 「ありがとう」 と答え、楽屋に戻ると花丘(はなおか)玉名(たまな)、ユウと美青(みお)が揃って七音を見た。 「かーっこいいー」  玉名がはしゃいだ声を上げた。 「お前ー、そんな良いスーツ持ってんならステージの上で着ろよ」  花丘が呆れた声で言い 「いいね」 と美青も頷く。 「それ、アキさんの見立てたスーツでしょ」  ユウが近づいてきてにんまりと笑った。 「うん、そう」 「さすが、アキさん。これも?」 とループタイの紐を直しながら訊いた。 「うん。その時買ってくれた」 「星が入ってる。なんだ、もうこの時からちゃんと愛されてたんじゃん」  あの時、アキの指が触れた感触を昨日のことのように思い出す。  あの日、俺はもう完全に恋に落ちていた。 「とろっけた顔しちゃって。スケベ」 「スケベ上等」 「アキさん、アレックスの店で待ってる」 「分かった」 「早く行ってあげて。もう二度とアキさん一人にしないで」 「うん、ありがと」 「七音さん、タクシー来ました」  スタッフに声をかけられ 「今、行く」 と七音は答えた。 「じゃあ、悪いけど先に出る」 「おお、アキさんによろしくな」 「わかった。ありがと」 「お礼、期待してるからねー」  ユウの声にピースサインを見せて七音は荷物を肩にかけ、楽屋を出た。  搬入口に待っていたタクシーに乗り込み、アレックスのバルに向かう。  逸る気持ちで窓の外を眺めた。流れる夜の明りがドキドキと高鳴る胸を彩る。 アキとバルで別れて以来、一年四か月もの時間がたっていた。  長かったな。  アキのネットでの晒しと無責任な噂や便乗したコメントは、作家活動への営業妨害として法的措置を取る、と公に発表されしばらく騒がれたが、そのニュースはあっという間にその他の噂に埋もれていった。  アキ本人に何の罪もないとはいえ、その時書いていた連載小説などは全て休載となってしまった。  映画はスポンサーからの抗議で延期にはなったがなんとか公開までこぎつけた。公開されてみると映画は話題になり、Seven(セブン) Timbres(ティンブレス)の主題歌と音楽は高く評価された。  映画のパンフレットの中に、オリジナルのイラストストーリーをユウが書下ろし、こちらも話題となった。  アキが書いた短編小説をユウがイラストに描き上げたのだが、アキの名前はどこにも記載されはしなかった。  花丘の監視をかいくぐりアキに会いに行ったことで、七音はしばらく社長宅で監視下におかれ、アキと連絡を取ることを禁じられた。   アキさん、怖がりなのに。きっと外に出ることすらままならないはず。  そう思うと七音の肺は砂が詰まったようになり、息をするのも苦しかった。 『輝き続けて』  そのアキの一言を頼りにこの一年四か月、持っているもの全てを音楽に注ぎ込んだ。   アキさんに俺の光が届きますように。  そうひらすら願い続けてステージに立った。  ツアー最後のドームでのライブを控えた1か月前、ユウと美青がライブハウスに一冊の本を届けにきた。 【星の光が見える場所~言祝(ことほ)ぎの言葉を君に~ 若葉アキ】 「アキさんの新刊だよ」  深い青に星が散りばめられている装丁の美しい表紙だ。ゆらり、と淡い紫色の光が一筋、漂っている。 「すげえ、綺麗な表紙」 「もー、アキさんがなかなかオッケーしてくれなくて大変だったんだからねー」 「ユウが描いたの?」 「あったり前じゃん」 「そっか。アキさん、体調は?」  七音は慈しむように本をそっと撫でながら尋ねた。 「うん、良いよ。外出できるようになったし、パニック発作も出なくなった」 「夜は?眠れてる?」 「うん。七音の曲聴きながらだと眠剤なしで朝まで眠れるんだってさー」 「そっか、良かった」 「でね、ドーム終わったら迎えに来てって」 「え?会いに行っていいの?」  七音は顔を上げた。 「だって、もうそろそろ七音、限界でしょー?」  ユウが笑う。 「もうとっくに限界超えてるっつーの」 「だよね。七音の事務所の社長さんからアキさんもドームに招待されたんだけど、まだたくさんの人の所にはちょっと怖くて行けないって。だから終わってから迎えに来て欲しいんだってー」 「ようやくだな、七音君。よく頑張ったよ」 「ん」  美青に向かって頷いた。  やっと会える。  バルの前にタクシーが止まった。  少し震える手でドアを開ける。 「!Nanao(ナナオ)! Quant(クワント) tiempo(ティエンポ)! !Que() guapo(グワポ)!(七音、どのくらいぶりだよ!決まってるな!)」  アレックスが変わらぬ大げさな身振りで七音を迎え、一気に緊張が解けた。 「久しぶり、アキさんは?いる?」  挨拶もそこそこに訊く七音にアレックスが真顔になって 「No() (いいや)」 と一言答える。 「え?」  ギクリ、と七音の顔が凍り付くと、わはは、と笑って 「冗談!来てるよ」 とじゃれついてくる。七音はドスッと一発、アレックスの腹に拳を当てた。 「Hey(エイ) hey(エイ) , Tranquilo(トランキーロ) bonito(ボニート)(落ち着けよ、かわいこちゃん) バルの中は安全だからゆっくりしていけ」 「Gracias(グラシアス)(ありがとう)」  七音のスペイン語に嬉しそうにウインクを返す。  薄暗いレストランの中に入ると、数組の客がテーブル席で夕食を楽しんでおり、誰も七音に目もくれない。  七音はバーカウンターのスツールに座っているベージュにストライプの入ったスーツの背中を見つめた。   傍らには黒い傷だらけのスーツケース。  心臓が爆発しそうに跳ねる。速足で近づいて後ろから前より痩せてしまった体を抱きしめ、うなじに顔を埋めてアキの匂いを嗅いだ。 「また加齢臭嗅いでる」  懐かしいアキの穏やかな声が耳に流れ込んで来てフフ、と七音は笑った。 「いいじゃん、彼氏の特権」 「元気だった?」 「会いたかった」 「こんなおっさんに?」 「うん」 「やっと会えた」 「ごめんね。ずいぶん待たせちゃいました」  待ち切れずに七音は顔を寄せアキに口づけた。  アキの指が七音の髪に差し込まれ、冷たい指の感触が七音の体を蕩けさせる。  ずっと、この人に恋をしていた。  その言葉に、声に、全てに。  最初に会った時から愛されたいと焦がれ続けた。  やっと届いた。  時間も距離も全て飛び越えて、ようやく辿り着く。 「七音君を愛してる。これまでもこれからもずっと」 「アキさん、俺も愛してる。会った時から。ううん、会うずっと前から」  最高の言祝ぎの言葉を俺からあなたへ。                                     終わり

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