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君と歩き出す 2

 あの後、ミャーには改めてお断りをした。  絶対ミャーにはもっといい人がいると言ったけど、諦めないけどその思いは隠すから今まで通り友達でいようと返された。なんなら、うなじの跡を見せたらお祝いまでしてくれた。ワインまで送ってくれたミャ―は今まで通り過ぎて、あんな告白されたのが夢だったみたい。  それでも仕事の方は譲れないと言われた。絶対にオーディションは受けるべきだと。  俺もずっと願っていた夢が叶ったことで次の段階に進みたい気分だったし、番ハイになっていたおかげで思いきってチャレンジすることにしたんだ。  そうやって滑り込みでエントリーしたオーディションには、無事受かった。  なんせ俺は朝生凌太に愛された男だ。その自信が良い方向に作用したのだろう。  誰に見られていてもどんな状況でも緊張することはなかったし、持っている力を出しきれた。  その結果見事合格。  当然のごとく受かったミャーとともに、ロスで行われるショーの仕事をもらった。  そのためにパスポートやビザの申請に海外の提携先の事務所との契約、とにかく色々な準備で慌ただしい毎日を過ごしている。  なにより海外で仕事をするための急務として必要最低限の英語を学ぶ必要があった。  日本語のわかるエージェントをつけてくれるとは言うけれど、向こうで仕事を受けたりしばらく生活するならやっぱりある程度英語を喋れた方がいいだろう、と。ミャーに頼り切りというわけにもいかないし、どこでだってコミュニケーションは必要だから。  とはいえ短期間で英語を習得するのはさすがに無茶だったので、俺は独自の勉強法を編み出した。  日常会話英語のテキストを、朝生くんに読んでもらうのだ。その声を録音してひたすら聴く。これが本当に素晴らしい勉強法だった。  何度繰り返しても頭に入らなかった英語が、朝生くんの声のおかげで記憶に残るんだ。しかも何度聞いても飽きない。いつまでだって聞き続けられる。その声で質問されれば、答えたい気にもなる。  さすがにこれだけで突然ペラペラになるわけではないけれど、英語を覚えると言うハードルはだいぶ下がった。その結果、「Brace」も歌詞の意味がわかるようになって、朝生くんには大層しかめ面をされた。これも大変モチベが上がる出来事だった。  ただ、朝生くんに録音してもらったデータには「私には恋人がいます」「私には愛するパートナーがいます」「ディナーの誘いはお断りします」「そろそろ帰ります、さようなら」と言ったテキストにはない会話がいくつか加えられていた。  朝生くんの言うところ、これも日常会話として必要だそうだ。  ……そんなところからもわかるとおり、自分の気持ちを素直に伝えてくるようになった朝生くんは最近ちょっと過保護だ。  いやたぶんずっと過保護だったんだろう。  仕事がある日の前にはセックスしないのも、俺の体が心配だったからだと言われた。ライブに行かせたくないのは、MCで俺のことを話すのを聞かれたくないことの他に、もしも予定外のヒートになった時に危ないから、という理由だったそうだ。そうじゃなくても心配なのに、とのこと。どうやら朝生くんは180センチある男がか弱いと思っているらしい。  何度も大丈夫だからと言い張って、実際元気な様子を見せてやっと回数が増えた。なんなら抑えていた分が解き放たれたことで、キスやスキンシップまで増えた。だから最近はとても恋人らしいしとても甘やかされている。  幸せって、たぶんこういうことを言うのだろう。 「向こう行くの、とりあえず三週間だっけ?」  ソファーの背もたれから乗り出し、スーツケースに詰めたヒネモスのグッズを引っ張り出す朝生くん。それを取り返しながら、再度詰め直す俺。 「そう。俺も、ちょっとぐらい朝生くん離れしても平気にならないといけないからね。だから三週間はいい練習になると思うんだよ」  特に最近はずっと一緒にいるし、会いたくても会えないのは辛いだろう。  けれど、きっと仕事と生活でいっぱいいっぱいになるだろうから寂しがる時間も少ないはず。 「それはちょっと無理かもな」  気合を入れる俺の意気を挫くように、朝生くんが笑うから思わずその顔を見上げた。 「で、できるよ、それぐらい。そんなのすぐだし。ツアーの時だって一週間いない時もあったんだから」  全国ツアーの時に、それぐらい会わない期間があったんだから離れるのは初めてじゃない。  ……まああの時はずっとライブDVDを流しっぱなしにしていたし、曲もずっと聴いていたしミャーにも寂しさを訴えて聞いてもらったけど。 「だからたかが三週間くらい、毎日通話してくれれば全然平気なので」  それは譲れない。声は聞きたい。  いや、メッセージをくれるなら通話は二日に一回でも耐えられるかもしれない。我慢強さも学ばねば。 「そうじゃなくて」  拳を握りながら泣きそうになっている俺を笑って、朝生くんはぐしゃぐしゃと俺の頭を撫でた。 「前まで断ってたでかいフェスの仕事受けたんだよ」 「フェス?」  もしかして、その仕事があるからしばらく通話もできないと言われるんじゃないかと身構える。けれどそうではなかった。 「今までと規模の違うでっかいのに呼ばれてさ。行く気なかったんだけど、気が変わった」 「……どこでやるの?」  もったいぶった発表の仕方に、引っ掛かりを覚える。  断っていたはずのフェスの仕事を、なぜ、今受けたのか。そしてそれはどこの話なのか。 「いつ、どこでやるかわかったらいいものやる」  口の端を上げて笑う朝生くんに、俺は即座に思いついた場所を答えた。 「さすが。正解」  正解のご褒美は、熱い一夜と指輪とフェスのチケット。  どこから喜んだらいいかわからなくて熱が出そうだったけど、一番効いたのはその後に言われた言葉かもしれない。 「今度はちゃんと見に行くって言ったろ?」  ねぇ、やっぱり俺の番かっこよすぎない?

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