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セカンドアタック①
気力が弱っているときには体力もそがれるものらしい。
(また微熱か……)
このところ雪弥は夕方になると熱を出すようになっていた。ただの風邪にしては喉の痛みも咳もない、ただ上がりきらない熱だけがある。微熱でもこう何日も続くと不安になる。
「こんなの、知恵熱ぶりだな……」
思わず出した気弱な声を天陽が拾い上げて、ベッドのそばに近づいてきた。
「風邪のひき方を忘れちゃったんじゃねえの? 高熱出しちまえばケロッと治まるのにな」
超のつく健康体の雪弥はこの数年、風邪一つ引いたことがなかった。
その点、天陽は毎冬一度は38度台の高熱を出す。大抵一日で収まるが、普段の邪魔くさいまでの明朗さが引っ込んで、大人しくなった天陽が何だかおかしくて、雪弥が「鍛え方が足りないんだよ」と嫌味を言いつつも面倒を見てやっていた。
その恩を返そうというのか、天陽はあれこれと世話を焼いてくる。
今度は天陽が弱った雪弥を面白がっているのか、ときおり、物珍しそうに寝顔を覗き込んでは、枕の上のタオルを変えたり、頭を撫でたりしている。
ふと天陽から汗の匂いが漂ってきた。同時に、ブワッと雪弥の体内から何かが燃え上がった。
(何だ、これ、あつい……)
慣れ親しんだ汗の匂い、いつもの安心する匂いのはずが、そのときは匂いに溺れるような感覚に襲われていた。
(あつっ……。あついっ)
急激に体温が増し、雪弥は上半身を起こした。
その途端、天陽が、何かを避けるように雪弥のベッドから飛びのいた。天陽が雪弥を凝視している。
「あつ、い」
雪弥はヘッドボードの飲料ボトルを取り、半分ほど一気に飲んだ。
天陽が吸い寄せられるように、雪弥を見つめている。喉の動き、口元から垂れた飲料のしずく、汗ばんだ髪。天陽はそのどれもに吸い寄せられたように目線を貼り付かせている。
雪弥は大き息を吐きだすと、天陽の視線をとがめるような目で見返した。
「な、に?」
天陽は雪弥をじっと見ている。その目を見返しているとズクッと体内に痺れるような感覚が起きて雪弥は目を逸らした。
「今、一瞬、何か匂った」
雪弥はパジャマの胸もとをぐいと引っ張って、スンスンと嗅いだ。
「くせえかな」
天陽は首を横に振った。
「違う。何か、Ωみたいな匂い」
「お前、またどこかでΩを」
引っ掻けてきたのか。いつものつまらない軽口は、雪弥の口から出かけて途中で止んだ。
天陽の自分を見る目がおかしい。
ここ数日悩まされている威圧。『欲情』のこもる威圧。あれから、ずっと残り火がチラチラと雪弥にまとわりついている。その『欲情』フェロモンが天陽から出ている。
「天陽? 天陽っ……」
(お前までそんな目で俺を見るな)
天陽はハッと正気に戻り、邪な思考を振り払うように頭を左右に振った。
「ごめん。俺……。俺もなんかおかしい。コンビニにΩのバイトがいたかもしれない。Ωが触ったものを持って帰ったのかも」
その言葉に、雪弥の高まった熱が急に冷え込んだ。サッとペットボトルから口を外す。
「そういや、このペットボトル、くせえ気がする」
ペットボトルは天陽がコンビニで買ってきたものだ。雪弥は、さも不愉快そうにティッシュで拭った。Ωが棚に並べたペットボトルだとしたら最悪だ。
(野良Ωなんか雇うなよ)
野良Ωと蔑まれられるのは、番う相手もおらず、保護施設にも入っていないΩである。
成熟したΩは番ってしまえばよいが、番わない限り、αを誘う。社会をけん引するαをヒート事故に巻き込む。それは迷惑だ。
そのために、成熟したΩは番う相手が見つかるまで、保護施設に入らなければならなかった。
もちろんΩとはいえ、人権上の問題もあり、保護施設に強制力はない。それでも、まともなΩならば自ら進んで保護施設に入るべきだ。雪弥は当然のようにそう思っている。
しかし、中には保護施設を嫌がるΩもおり、Ωであることを隠して市井に生きているのが野良Ωである。
雪弥の母親の相手も、野良Ωだった。雪弥のΩへの、特に野良Ωへの嫌悪は根深い。
「野良Ωのいるようなコンビニに行くのはやめてくれ」
雪弥は熱のいら立ちもあるのか、天陽に八つ当たり気味に言った。
「うん、了解!」
天陽の返答はいつもと同じく明朗だった。
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