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紛れ込んだΩ⑦

秀人は手に修学旅行土産を持っていた。 雪弥がΩになってからは、在室中でも部屋に鍵をかけるようになったし、誰かの訪問も天陽がドア先で応じて、室内には入れなくなった。 雪弥が部屋からほとんど出ないで過ごすようになったことも、部屋に誰も立ち入らせなくなったことも、受験が良い目くらましになっていた。 勉強、忙しいもんな――。 雪弥は「あがり」になっても、天陽の受験がまだ残っている。誰もが気を利かせて部屋に入るのを遠慮した。 しかし、そのときの秀人は少々強引だった。 ドア前で追い返そうとする天陽の隙を突いて、部屋の中を覗き込み、雪弥と目を合わせてきた。 「藤堂先輩に直にお祝いを伝えたいんですが」 雪弥の合格の一報は秀人にも届いているらしい。 「雪弥、どうする?」 天陽が雪弥に訊いてくる。 秀人と目が合ってしまえば、断るには理由がいる。しかし、うまい言い訳を探し出すことができなかった。 「いいぞ」 秀人は上位αだ。それだけでも近寄るのが怖い上に、雪弥は思いついたバカげた考えを捨てることができないままでいる。 秀人が雪弥を放校しようとしているのではないか、との、バカな考えを。 (秀人は敵に回すと厄介な相手だ。琢磨のように自分の感情を表に出せるやつは大したことはない。秀人は、他人の信頼を容易く勝ち得てしまう。そんな相手の方が余程手ごわい) 警戒しながら天陽の後ろから秀人を出迎える。 「これ、どうぞ」 秀人の手を思わず避けそうになるのをかろうじてこらえて、土産を受け取った。そんな雪弥を秀人が眼鏡の奥で探るように見てくる。秀人の目線を避けて土産の袋を覗き込んだ。 「バットマン饅頭…………?」 (修学旅行? いったい、どこに行ってきたんだ? バットマンなのに饅頭?) いろいろと頭をひねりたくなる土産だ。 「うお! 俺、饅頭好き!」 声をあげる天陽に、秀人がペラペラした紙を突き出す。 「天王寺先輩はこっち。合格を祈る寄せ書きです」 『天王寺先輩、がんばれ(笑)』の文字が見えた。 「箸袋じゃん! 配膳待つ間に暇つぶしに書いた奴じゃん! あー、そうだよねー、秀人は昔から、雪弥には甘いけど、俺には塩だよねー?」 天陽がわめきたてる。雪弥は饅頭をその場で開いた。こうもりマークの紙に包まれた一口饅頭が30個ほど入っている。 「天陽、まあ食え。秀人も持ってけ」 秀人に幾つか渡して、早々に自室に戻らせるつもりが、秀人は座卓の前に座り込んでしまった。 「じゃあ、ここで食わせていただきます」 天陽を真ん中に、雪弥は秀人から身を隠すように座っている。三人で饅頭を食べる。 饅頭一つを食べ終わった雪弥と秀人は押し黙り、通夜のようだ。 天陽だけが、通夜に連れてこられて状況がわかっていない子どものように、「うまいな! これ、うまい!」と饅頭をパクパクと口に放り込んでいく。半分減ったところで急に遠慮が働いたのか、天陽は饅頭に伸ばした手をそわそわと引っ込めた。 すると今度は、秀人が残った饅頭に手を伸ばしはじめた。何故か天陽も負けじと手を伸ばし、二人の間でバチバチと火花が散り、あっという間に饅頭はなくなった。 (俺のバットマン饅頭ぇ……) 饅頭がなくなっても秀人は押し黙って座り込んでいる。 (まだ腹が減ってるってことはねえよな) 天陽は饅頭の包み紙をいじっていたが、そのうち、包み紙に残った薄皮を指でこそぎ取って口に入れ始めた。 (こっちはまだ腹ペコだな) 口火を切ったのは雪弥だった。 「秀人、俺に用があるんだろ? 遠慮なく言え」 秀人はいきなり直球を投げてきた。 「藤堂先輩がΩとの噂が流れています。少々の火消しではどうにもなりません」 「そうか」 雪弥は上ずった声をごまかして慌てて咳をした。 グループトークの噂は表面では消えたように見えたが、雪弥を避けて続いていたのだ。それもだんだんと真実味を帯びて。 「雪弥はαだ。デマを真に受けるな」 天陽が言った。 秀人は真面目な顔でなおも口を開いた。 「俺の実家の病院なら、診断結果も本人にしか通知しないように頼めます。抑制剤も誰にも知られずに処方できます」 「そんなの俺には必要ない」 「じゃあ、あれは一時的なものだったと信じていいんですね? あの文化祭の日の体調不良は今はもうないんですね?」 「あれはただの熱だ」 (秀人が俺を放校するつもりなら、いつでもできたはずだ。やはり秀人は信用できる) 目の前の秀人は雪弥の心配をしているだけだ。 雪弥は口では秀人に断りながら、内心では揺れていた。 (秀人に全部ぶちまけてしまおうか。でも秀人の親も信じられるのか? 自分の息子が通う高校にΩが居座るのを手伝うような真似ができるのか? いや、そんなのできるはずがない) 「ヤマダは」 秀人から切り出した。雪弥が生徒会グループトークを見ているのを知っている。秀人は続ける。 「全員を問い詰めましたが、俺にも誰の仕業かわかりませんでした。しかし、二年にはいないはずです。もしかしたら、一年が何かしでかすかもしれません」 天陽が尋ねてきた。 「ヤマダって?」 天陽が訊いてきた。天陽は生徒会グループトークから抜けている。雪弥はスマホを見せた。 「気持ち悪いな。俺、琢磨に釘を刺しとくわ。一年を見張っとけって」 天陽は琢磨本人がヤマダかもしれないとは思ってもいない様子だった。雪弥も天陽の従弟を疑うようなことは口には出せない。 「俺、藤堂先輩が心配です」 秀人はじっと雪弥の顔を窺ってきた。雪弥は天陽を盾にしながら、秀人を見返した。 「俺なら大丈夫だ」 「わかりました。でも、何かあったら俺にも相談して下さい。俺に出来ることがあれば手を貸しますから」 秀人はそんな言葉を口にしながら立ち上がる。 秀人は、以前に雪弥に見せてきたような、フニャリとした笑顔は見せることがなかった。その代わりに、どことなく痛ましそうな目を雪弥に向けていた。 「わかった」 「絶対ですよ?」 「ああ」 雪弥はきれいな作り笑いを向けてみたが、秀人の目は痛ましそうなままだった。

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