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幸せの約束①

年末にメディアを騒がすニュースがあった。 ある俳優Kがパーティー会場で大多数からの暴行を受けて、重体を負ったというものだった。一命をとりとめたが、Kは間もなく芸能界を引退した。 ネットではショッキングな噂が飛び交っている。 「Kはその場にいたαに集団レイプされたっぽい。発情が起きたらしいよ?」 「Kもαよね。αのKがどうして?」 「KはΩだったりして」 加害者逮捕のニュースが一向に出てこないことが噂に拍車をかけた。目撃者も多く、誰が加害者なのかは明らかであるにもかかわらず。 Ωのレイプは犯罪とはならないために、逮捕者が出ないという話につながった。 「でも、KってΩ食いで有名だったじゃん。Ωを強制発情させたって悪い噂もあったし」 「もしかして、あれじゃん? 敵対αのアタックじゃない? アタックでαをΩ化ってやつ」 「『欲情』フェロモンを大量に浴びせるのよね?」 雪弥はネットで検索を重ねた。 事件の二週間前に、Kのベッド写真が流出していることが分かった。そのベッド写真に『欲情』を感じたαもいたに違いない。そんなαが、実物Kを前にして、『欲情』フェロモンを向けていたら。 Kは、じわじわと周囲のαからのアタックを受けて、パーティー会場で多数のαにトドメのアタックを受けた。そして、その場で発情した、のではないか。 αの『欲情』フェロモンに晒されて、Ωになったのはもう間違いはないだろう。 雪弥の場合は、生成写真でじわじわとアタックを受けて、文化祭で大多数にアタックを受けた。 (大山は、俺を集団レイプの被害者にしたてるつもりだったのか) ゾッとする。 天陽の助けがなければどうなっていたか。 雪弥はαの餌食になっていた。数十人のαの餌食に。 それが『Victim』の狙いだったのか。 今更になって雪弥は身を竦める。 (あいつはサイコか) 大山の旅先でのニコニコ顔。 (俺にそれだけの敵意を向けていたとは。だが残念だったな、俺は怪我一つしていないぞ) 雪弥は今はしがない高校生だ、しかも野良Ωだ。 しかし、アメリカに行って、Ωの診断を受けて抑制剤を手に入れられるようになれば、発情に怯えずに済む。Ωの匂いも抑えられる。 (そうなったら、俺も自由に動ける。大山を探すこともできる) 雪弥は自分がαであることをいまだ諦められなかった。 (αに戻る方法があるはずだ) そのためにも絶対に卒業しなければならない。 年明けて、Ω狩り騒動の噂が下火になると、雪弥がΩだとの噂が再燃した。 俳優Kの件が燃料となった。 「藤堂さんもアタック受けたってことだよな」 「きっかけは、文化祭のモジャ山のアレだよなあ」   「藤堂さんの絵、エロかったもんな」 学校の噂も雪弥の考えと似たような結果にたどり着いたようだ。 陰口も花を咲かせる。 「藤堂がΩって、ざまあ、じゃん」 「えらそうだったのに、今じゃおどおどしてて笑えるよな」 「あー、藤堂、いじめてえ。鼻っ柱折ってやりてえわ」 「天王寺さえいなけりゃな。あいつが、いつも自分の威圧の中にすっぽり収めてるもんな」 「天王寺の奴、自分のオナホ、人に貸すのは嫌なタイプなんだろうな」 「そんなの、俺だってやだよ」 「あいつら、出来てるってこと?」 「そりゃ、Ωと同室ならやりまくるっしょ」 その日、雪弥は荷物の整理をしていた。六年も住んだ寮だ。結構な荷物がある。捨てるものと後輩に譲るものに分けていく。 アメリカに持っていく荷物はスーツケースに収まりそうだ。これが自分の生きた18年間の全部の荷物だと思うと清々しくさえあった。 形のあるものはこれだけだが、形のないものは心にたくさんある。 その多くを天陽がくれた。 (それを胸に大事に抱えてアメリカで生き直そう) そこへ、ノックが聞こえてきた。天陽の合図だ。 天陽が留守するとき、雪弥は昼ご飯を用意して、部屋に閉じこもる習慣になっている。 ドアを開けると「天陽、おかえり」と笑顔で出迎える。天陽は目を細くして、眩しがるような笑みを向けてきた。荷物を床に置くなり雪弥を抱きすくめる。 まるで恋人同士だ。 しかし、雪弥は天陽と自分とは全く違う立場となってしまったことを知り抜いている。 自分はΩだ。オナホ扱いされる存在だ。 雪弥は、かりそめの「今」を噛みしめて過ごしている。 「天陽、今日は試験、どうだった?」 「大丈夫そう!」 天陽は推薦入試を受けてきたところだ。難関大学のために一般受験よりも推薦の方が難しい。あとは既に受けた共通試験で他にも合格も獲得しているために、天陽も今日で受験からは「あがり」だ。 天陽は天成学園の系列大学は受けなかった。あえて理由は訊いていない。 「よくやりました」 その茶色の髪を手で梳いてやるとくすぐったそうに笑う。 「雪弥、機嫌良さそうだけど何で?」 「片付けたからかな」 ほとんどの本をひもで縛って床に置いたために、書棚はスッキリとしている。心までスッキリした。気持ちがさっぱりしている。 「そっか」 「渡米を早めるつもり」 「いつに?」 「来月かな? あっちの入寮まで、どっかにステイする」 入学手続きはあとは費用を払い込むだけになっている。実家で過ごさず渡米してしてしまったほうが、親にも都合が良さそうだ。 天陽は雪弥の腰に手を回し、「よいしょ」と雪弥を担ぎあげるとベッドまで運んで座らせた。自分は床にあぐらをかいて雪弥を見上げる。雪弥の膝の両手に、自分の手を重ねる。 「アメリカには何があるの?」 天陽はいつになく神妙な顔で訊いてきた。 「えー、いまさら訊く?」 「うん、訊きたい」 「何で?」 「俺、雪弥と番になりたいから」 「え、ええ?」 雪弥の開いた口がしばらく塞がらなかった。

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