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Ωの人生③
寮は普段よりも人気が少なかった。「あがり」になった三年生がちらほらと退寮を始めている。
運転手が天陽に指示されたのか部屋まで送ってきた。
雪弥は、ドアを閉めて鍵を締めるなり、床にへなりと座り込んだ。
新天地をアメリカに求めて旅立つつもりだったのは、つい昨日のことだった。晴れ晴れとした気持ちを抱いていた。それが、遠い昔のように思えてくる。
手のひらからぼろぼろと自分の夢がこぼれ落ちて行く。夢を諦めては、またささやかな夢を作り直して、そして追いかけて、その夢も色を変えた。
もう何もやる気が起きなかった。
(これがΩ。これがΩの人生なんだ)
震え出したスマホ。天陽からの到着確認コールだろうと思えば、甲高い継母の声が聞こえてきた。
「雪弥さん? ちょっと話し忘れていたことがあったの。こんなに早く戻るとは思わなくって伝え忘れちゃった、うふふ、あのね。あ、その前に。永青と話してあげて欲しいのだけどいいかしら」
(もう家族じゃないと宣言されたのに、家族ごっこをまだ続けなきゃいけないのか)
うんざりしながら口を開く。
「いいですよ」
永青の声が聞こえてきた。その声にふっと安らぐ。
『お兄ちゃん、今度はいつ帰ってくるの?』
無邪気な声ながらも、真っ先にそれを聞いてきたということは何かを察知しているのかもしれない。
「あ、えっと、うん、あー、うん」
もう帰れない、とは言えない。疲れた頭に、上手な嘘もひねり出せない。
『早く帰ってきてね』
「うん、できればな」
『あのね、俺も天成学園に入る! そしたらお兄ちゃんみたいなカッコいい人になれるでしょ? 俺も生徒会に入る!』
「うん、がんばれ」
『βでも生徒会長になれる?』
「がんばれば、なれるよ」
『俺、αじゃないけど、お兄ちゃんみたいに、カッコいい生徒会長になるんだ!』
兄を慕い褒めるすべての言葉が今の雪弥を深く抉る。
(俺はαじゃない、βですらない、Ωだ。笑えるだろ?)
ククク……。乾いた笑い声が漏れる。
『ママに変わるね』
再び継母の声が聞こえてくる。
『あ、そうそう。パパの言うことを真に受けないでね。ちゃんとここは雪弥さんの家だからね』
(家なんかもういらない。家族なんかいらない。善人ぶるためにそんなつまらないこと言うのなら、あんたが進学費用を出してよ)
雪弥は声をこらえて泣いた。
(あんたらは、俺がどれだけ困った状況にいるか想像もつかないんだ。他人だから想像もしないんだ。俺のことなんか、少しも考えてくれないんだ。自分たちがどんなひどいことをしてるかわかんないんだ)
継母の声がした。
『あとね、うふふ』
気持ちの悪い笑い方だった。どこか匂わせているようなところがある。
『あとね、あなたに妹ができるのよ。予定は夏なんだけど』
雪弥の背中がぞわっと粟立つ。
(何だそれ、気持ち悪ィ。吐きそうだ、虫唾が走る)
継母は40代で、持病もあり、前回の出産のときに大変で、次はどうなっても知らないと医師に念を押されているはずだ。
(へえ、俺を追い出したのは、新しい家族ができるからなんだ。急に俺が邪魔になって、追い出したんだ)
継母はなおもペラペラと続ける。
『ホントは妊娠しちゃ駄目なんだけどね、でも、できちゃったから、うふふ』
(あんたらも後先考えないで本能のままでセックスしたんだ)
急に腹で煮えくり返るものがある。
(お父さんはお継母さんの体よりも自分の欲を優先したんだ)
父親は、結局は自分の本能を棚に上げて、αだΩだと罵っていただけだった。
雪弥の神経が擦り切れて抑制が効かなくなっている。ため込んだ感情が爆発する。
「あなたたちも動物だったんですね」
『え?』
「所詮、αもβもΩも同じでしょ。本能には逆らえない」
継母はスマホの向こうで呆気に取られたように黙り込んでいる。
雪弥に被虐心が沸いた。
「父に、いえ、父だった人に言っておいてください。優秀なαだった息子はΩになって、愛のないセックスをルームメートとやってるって。大学には行くのはやめて、愛玩物になることに決めたって」
通話を切った。言ったはいいが、自分が惨めになるだけだった。
(お父さんとお継母さんの間にはちゃんと愛はある………。同情で与えてもらっている俺とは違う…………………)
被虐どころか、自虐にしかならなかった。
すぐに鳴り出したスマホは継母からの着信に違いなかった。電源を切ってスマホを投げ出すと、床に座り込んだまま膝に顔をうずめた。
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