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ゼロα⑥
天陽は伏せた目で言った。
「雪弥は俺を苦しめた」
天陽からは不意に苦しみが漂ってくる。
いつもの明朗な天陽の姿とはかけ離れていた。
(俺が天陽を苦しめていた、だと?)
「天陽、お前、俺が首位なのが気に食わなかったのか」
確かに出会ったときにはあからさまに敵意を向けられていた。しかも雪弥にだけ。雪弥が天陽の初めての挫折となったとの自覚はある。
しかし、天陽はそんな狭量ではないはずだ。
「雪弥、そんなわけないだろ?」
天陽は雪弥を恨みがましそうな眼で眺めてきた。
苦しそうな顔を向ける天陽を茫然と見つめ返した。
(俺が憎い、のか)
「雪弥は俺を地獄に突き落とした。だから、お前を俺の地獄の道連れにすることに決めた」
雪弥は息を飲んで天陽を見つめた。
(天陽はそこまで……。俺はずっと天陽にとって敵対するαだったのか……)
天陽はどこまでも雪弥の味方だった。雪弥をどこまでも助けてくれた。それが全部欺瞞だったとは到底思えない。しかし、目の前の天陽は苦しげだ。
(俺のどこかがお前を苦しめていたのか)
「………天陽、お、おれ、もうお前の前には姿を出さないよ、だ、だから、戻してくれ」
天陽は目を細めて首をかしげる。
「俺の前から消えるだと? よくもそんなことを言えるな?」
「た、頼む、俺を元に戻してくれ」
「できない」
「頼む」
「できない」
「頼む」
天陽は首を横に振った。
「お前は俺の番にする」
雪弥がヒュッと息を飲んだ。
(それが目的なのか? 俺をペットとして惨めに生きさせるために?)
秀人が口を開いた。
「俺が藤堂先輩をαに戻す方法を探し出します」
秀人は雪弥に一歩近づく。
「ひで、と……」
「藤堂先輩。項を噛まれたら、おそらくαにはもう戻れません。完全なΩになってしまう。あなたを完全なΩにして、それから、捨てる。それがあなたを一番苦しめる方法です」
雪弥はハッと怯え、そして項垂れた。
(天陽の目的はそれか……)
「藤堂先輩、行きましょう。俺の自宅なら、あなたを匿う部屋くらいはある」
秀人は雪弥に手を伸ばした。雪弥は秀人に助けを求めるように秀人の手を取った。
「ひで……」
「雪弥ァ! 俺を困らせるな!」
雪弥を天陽が引っ張った。秀人と雪弥の間に体を割り入れて、雪弥を抱え込む。
なおも秀人が雪弥に手を伸ばしたところで、秀人がザーッと後ろに引きずられる。その体が壁に向かう。
天陽の威圧だ。
「うぐっ」
秀人は壁に叩きつけられそうになるところを自身の威圧で免れた。
体勢を整えると秀人は天陽を挑むように見返した。
「俺もこう見えて結構強い方のαなんですよ」
天陽は秀人をスッと細めた目で見た。天陽から秀人に向けて強い威圧が伸びる。
天陽の威圧を秀人は受け止めて、秀人からも威圧が天陽に向く。凄まじい威圧波が部屋に満ちる。窓がビリビリと音を立てはじめた。
「俺に歯向かうのか」
天陽の目は冷淡だった。余裕綽綽たる声が天陽の秀人への手加減を悟らせる。
「て、天陽、もうやめろッ」
雪弥は声を上げた。雪弥は天陽に取り縋る。
「天陽ッ」
「あ、あんたのやっていることは間違っている」
秀人が苦しげな息で天陽を諫める。
「黙れ」
天陽は威圧をさらに強めた。
「天陽! やめろ! 天陽!」
雪弥は天陽に取り縋って肩にしがみつく。天陽は、急に威圧を引っ込めた。そして秀人の背後の壁を指さす。
「何だ、あれ?」
秀人と雪弥が天陽の指さす方を向いた隙に、天陽は秀人の股間に蹴りを入れた。
「いっ、……ひ、卑怯な」
秀人はそう言いながらうずくまる。
天陽はラックにかかるコートを取って雪弥を包むと、雪弥を肩に担ぎ上げた。力で抑え込まれた上に威圧をかけられ雪弥は動きを封じられている。
「俺が卑怯なことくらい覚えとけ」
天陽はスマホを取り出すと告げる。
「俺だ。車を一台回してくれ」
雪弥を肩に担いだまま、天陽は寮を出た。
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