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卒業

 春のうららかな陽気。  天成学園では、卒業式が執り行われた。  ひそひそと保護者が囁き合っている。 「見事な答辞だったわね。涙が出ちゃったわ」 「さすが藤堂くん、かっこよかったわ」 「アメリカの名門大学に行くんですってよ」 「藤堂くんって、αの中のαって感じよねえ」  秀人はそんな保護者たちを見送っている。 (まさか、その藤堂くんの腹に子どもがいるって知ったら、全員腰抜かすだろうな)  秀人の心配をよそに、二人はのほほんと寮に戻ってきた。北海道土産を両手いっぱいに抱えて。 「あんたら、俺がどれだけ心配したと」 「写真送っただろ。雪弥がジンギスカン食ってるとこ」 「まあ、そりゃそうですけど」 「俺たち、結婚することになったから」  天陽は、恥ずかしげもなく、幸せ報告をしてきた。 (なんなんだ、この人たちは! お騒がせな奴らだ!)  秀人は内心で大いに呆れた。しかし、報告を受けてみると、それが自然な成り行きのようにも思えてきた。  秀人は、一時は、雪弥を奪ってやろうと思ったが、天陽には適わなかった。欲しいもののためならどんなことでもやってのける天陽には何者も適わないだろう。  それにしても、天陽のドヤ顔は見たくなかった。なので、受け取った『木彫りの熊』に全集中した。  結局、秀人は、「幸せならOKです」と言うほかなかった。    雪弥はαとして卒業する。  雪弥がΩであることを疑っている生徒は多いが、雪弥の第二性が取り立てて追及されることはなかった。  卒業目前でもあったし、雪弥の校内での貢献、雪弥の培ってきた信頼と尊敬、その存在の威光のためだろう。もちろん、そばでにらみを利かせている天陽の影響もあるだろう。  とにかくことは収まった。収まるべきところかどうかはわからないが、雪弥の表情に「これでよかった」と秀人も納得せざるを得ない。  雪弥は以前の高慢さを取り戻し、天陽を顎で使っている。  しかし、雪弥には、以前のような近寄りがたい冷たさはない。やわらかい雰囲気になった。  その笑顔もぞっとするような整ったものではなく、どこかほっとさせる間の抜けた笑顔を浮かべるようになった。  天陽の雪弥への奴隷っぷりは凄まじく、箸ですら雪弥に持たせようとしない。あんまり天陽が雪弥の身をかばうものだから、「天王寺先輩のほうが『Victim』っすね」と嫌味を言うと「へへ、雪弥はもう一人じゃないからな」と鼻の下を人差し指でこすった。 (はっ? それって………)  秀人は呆れ、内心で罵った。 (豆腐に頭ぶつけろ! クソが! 幸せすぎるだろ、お前ら!) 「天兄もアメリカに行くなんて」  琢磨はゲッソリとやつれている。「推しの推しは推しだ。推しの推しは推しだ」と呪文のように唱えている。 「推し………?」 「いやあ、推しが誰かのものになるって、マジできついっすね」 「天王寺先輩を推してたのか?」 「ええ」  悄然と項垂れる琢磨に、秀人はため息をつく。 (はあ、こいつも天王寺押しなのか。あの好青年の中身はただの下衆だというのに。どうして、誰もかれも爽やかな外見に騙されてしまうのか)  すると、琢磨は意外なことを口にした。天陽を顎で指して言う。 「あの腹黒は将来大悪党になるって思ってたんですけど、小さくまとまっちゃいそうで残念です。すっかり藤堂さんに骨抜きになっちゃって。あちこちにある秘密基地を譲ってもらったから、まあいっか……」 「秘密基地?」  秀人は訊き返すも、琢磨は「押しの推しは推し」とよろつきながらどこかへと消えていった。  数年後、背も伸び、声変わりした琢磨は、庶民が拍手喝采するような大胆な事件を起こすが、それはまた別のお話。  子連れの保護者の姿に、雪弥の顔色が変わったのを、秀人は見て取った。 「永青、おかあさん、それに、お父さん………」  そう言ったのが聞こえてきて、秀人は保護者を二度見した。雪弥の保護者を見たのは初めてのことだった。  雪弥の保護者は行事でも一切、学校には来なかった。そのために、雪弥と親との間には何らかの亀裂があるのだろうとは秀人は察していた。 (藤堂先輩、ご両親と和解されたのか)  父親のほうは雪弥とは目も合わせないが、母親のほうは涙ぐんでいる。 「雪弥さん、わたし、気遣いができないところあるけど、雪弥さんのことは応援してるからね。いつでも帰ってきてね、お相手の方も一緒にね」  雪弥は素直にうなずいている。  雪弥の傍らに立つ天陽が、「相手は俺です」と言いたそうにうずうずしているのを見て、秀人が袖を引っ張りに行く。 「あんたが急に出て行ったら、親御さんはびっくりするから! 何もかも台無しだから! こういうことは段階を踏まなきゃダメでしょうが」  天陽はシュンとなったが、何とかしゃしゃり出るのを我慢させることができた。  母親が雪弥に小さな包みを手渡している。 「あとこれ。雪弥さん名義で貯めたものよ」 「あの、その、別にいいです。何とかなりますから」  その包みに入っているのはおそらく銀行カードだろう。雪弥は両手を振って断っている。 (何とかなるよな。天王寺先輩、金持ってんだから、藤堂先輩のためならいくらでも出せるよな。何でいつもあんなに金持ってんだか。もしかして、どこかから盗んでるのか?)  断る雪弥に、母親はそれでも手渡してくる。やがて雪弥は受け取った。 「おかあさん、そ、その、弟か妹、無事に生まれることを祈ってます。心から祈ってます」  雪弥はいつになく、しどろもどろになっている。 「あら、ありがとう」  母親は自分の腹を撫でた。 (母御殿も妊娠してるのか?)  まさか雪弥の腹にも子がいるなどとは伝えるべくもない。  雪弥は火照った顔をごまかすように、ブレザーを脱ぐと、弟の肩にかけてやった。胸に生徒会長バッチのついたものだ。弟は歓声を上げて喜んでいる。  父親は最後まで、雪弥と目を合わせなかったが、それでも、卒業式に現れたということは、和解の意志はあるのだろう。雪弥のほうは、父親へのわだかまりも失せたのか、父親にも笑いかけている。  秀人は天陽を肘で突っついた。 「で、いつ、アメリカに行くんです?」 「明日」 「あんたはアメリカでどうするんです?」 「雪弥の全面フォローかな? あいつ大学もあるし。当面、家事と育児は俺の仕事」 「できるんですか? あんたに」 「どうだろ。今、いろいろ勉強してる。俺、全力でする。何でもする。精一杯する」  天陽の指先にはやたらと絆創膏が貼ってある。そういえば、天陽は最近やたらと寮の調理室に出入りしていた。 「なるほど」 (藤堂先輩のためにせいぜい犠牲を払うんだな。やっぱりあんたが『Victim』だ) 「まあ、金もあるしな、なんとかなるっしょ」 (だからその金どっからだ?) 「あんたのとこは、両親とはどうなったんです?」 「あ、親のことを忘れてた。多分、向こうも俺のこと忘れてる。でも一応、アメリカに行くって言っとくか」  天陽はスマホを手早く操作した。おそらく、「アメリカに行く」の一行で済ませるのだろう。  天陽は顔をあげると目線を雪弥に向けた。  ニヤついた目線の先にいる雪弥は、同級生や下級生に囲まれて、そのうちの何人かには泣かれている。そろそろ助けに行かなければと思ったのか天陽が雪弥のもとに走っていった。  すると、天陽を見つけたバスケ部が周囲にわらわらと集まってきて、集団が大きくなったために、却って面倒なことになったようだ。  だが、まあ、二人とも遠目に見ても幸せそうなので、せいぜい犬に食われろ、としか秀人には思えない。  秀人は、Ω化を調べるうちで一つ気付いたことがあったが、黙ったままのことがある。 (これ以上、天王寺先輩をニヤけさせてたまるか!)  Ω化には、敵対するαをΩにする、などとアメコミのようなイメージがもたれているが、実際はその逆だ。そもそもがΩ化はキーαの執着だけじゃ起きない。ターゲットがキーαに好意を寄せていないと、ターゲットのΩ化は起きない。  俳優Kは無事回復した。その後、元所属先のプロデューサーとの同居が目撃されている。Kには悲劇が起きてしまったが、おそらくはプロデューサーがKのキーαだったのだ。今は幸せに暮らしていることだろう。 (藤堂先輩も以前から天王寺先輩のことが好きだったってことだな)  秀人は肩に落ちてきた白いものを摘まんだ。桜の花びらだ。息で吹き飛ばすと、秀人は生徒たちの集う校庭に背を向けた。  心の中で天陽に祝福を唱える。 (天王寺先輩よ、αをΩに変えるほどの強い執着を抱いた男よ、一世一代の恋を実らせた男よ、藤堂先輩をせいぜい幸せにするんだな。ただしお前は禿げろ! クソが!)  桜の花びらが旅立つ若者たちの明るい未来を祈るように、一枚、また一枚と舞い始めた。 (おわり)

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