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第8話 古の魔導継承者?いいえ、うどん職人です。
『リセルへ。
元気にしてるか?
そっちはちゃんと風呂、毎日入れてるか? 温かい飯、食えてるか?
こっちはまあ、いろいろあるけど――頼もしい仲間たちに支えられながら、なんとかやってます。
たまに同居人が風呂に侵入してきたり、寝てるときに上に乗っかってきて、腕が痺れたり、腰が死にかけたりしてるけど……兄さんは、どうにか生きてます。たぶん元気です。
あ、でもヒールあるからセーフ。
魔法って、こういう時のためにあるんだなって、初めて心から思ったよ。
じゃあまたな。兄さんより』
「……兄さんっっ!?!?!?」
その手紙を読んだ時、思わず叫んでいた。
椅子の脚がガタンと鳴り、危うくひっくり返しかける。
視線が、一斉にこちらへ向けられた。
同級生たちの好奇心と若干の警戒が入り混じった目にさらされて、僕は咄嗟に咳払いをひとつ。
「……」
顔を伏せて、手紙をそっと畳む。けれど手元が、わずかに震えていた。
……兄さん。
優しくて、いつも僕の前を歩いてくれていた、あの背中。
あの時と変わらない、柔らかな笑顔が、今でも脳裏に焼きついている。
家を出るとき、兄さんは何も言わなかった。
けれど僕には分かっていた――あれは、半ば追い出されるような形だった。
「凡才」「無能」「家の面汚し」――
まるで、兄さんには何の価値もないかのような言葉で、あの人たちは切り捨てた。
……どうして?
誰も、兄さんの本当の凄さに気づいてくれない。
優しくて、努力家で、僕のことを一番に考えてくれて。
自分より、家より、何よりも僕を守ろうとしてくれた、あの人を。
父に取り合ってもみた。
「兄には才能がある。見ようとしてないだけだ」と訴えた。
けれど返ってきたのは、冷たい沈黙と、背を向けるだけの無関心だった。
あの時の悔しさと無力感は、今でも僕の胸に残っている。
兄が「普通じゃない」と気づいたのは、僕が八つの頃だった。
その頃にはすでに、両親は兄に「出来損ない」というレッテルを貼っていた。
兄が部屋を出るたび、扉の向こうでため息と愚痴が飛び交う。
「やっぱり、あの子には向いてなかったのよ」
「才能のない者を育てる余裕なんて、うちにはないわ」
代わりに、彼らの期待はすべて僕に向けられた。
「リセルには希望がある」
「将来は魔法省の長官か、宮廷魔導師かもしれないわね」
そう笑いながら、無意識に兄を踏み台にするような言葉を、平然と口にする。
僕は、ただ笑っていた。
顔に出さず、うなずいていた。
でも――心の奥では、それが酷く、酷く、辛かった。
ある日、ほんの些細なことで転んだ。
石畳で手をついた拍子に、掌を少し擦りむいただけ。
血がにじんで、少しヒリヒリした――それだけの、よくある怪我だった。
でも兄さんは、それを見て目を丸くして、まるで自分が怪我をしたみたいにすっ飛んできた。
「リセル! どこ!? 痛いか!?」
僕の手をそっと取り、迷いなく呪文を口にする。
「ヒール――」
光がふわりと灯り、兄さんの掌から流れ込んできた温もりが、僕の傷を優しく包む。
皮膚が再生していく感覚がくすぐったくて、不思議と笑いそうになった。
でも――それだけじゃなかった。
その瞬間、胸の奥に絡みついていた、見えない鎖がふっと緩んだ気がした。
敷かれたレールの上、期待と重圧に押しつぶされそうだった僕の心が、確かに――希望を取り戻した。
「……兄さん? いま、何をしたの?」
兄さんはきょとんとした顔で、にこりと笑った。
「ん? ヒールをしただけだよ?」
本当に……?
でも――
僕はその時、確信していた。
兄さん自身すら気づいていない、その奥底に眠る力に。
優しさで包むように発動されたヒール。
痛みを消したのは傷口だけじゃない。
心に触れるような、あの癒しの魔法――あれは、ただの凡人にできるものじゃない。
兄さんには、まだ知られていない才能がある。
誰よりも優しい魔法を使う、その手には、きっと――
世界を変えるだけの力が眠っているんだ。
それ以来、僕は決めた。
兄さんのあの魔法が何なのか、どうしてあんなに優しくて、あんなにも深く癒せるのか――
その正体を突き止めようと。
もしそれが明らかになれば、兄さんの凄さを、両親だけじゃなく魔法学院やこの国の誰もが認めてくれるかもしれない。
僕は、兄さんの汚名を晴らしたかった。
“凡才”なんかじゃない、“無能”でもない。
世界でたった一つの力を持った、かけがえのない人だって、証明したかった。
それからの僕は、時間さえあれば王立図書館に通い詰め、古代魔法や癒しの術式、失われた呪文の体系まで、ひたすらに書物を読み漁った。
兄さんの魔法は、どこかで必ず、記されているはずだと信じて――。
ある日の授業で、王国建国以前――
この国がまだ諸部族の争いに明け暮れていた時代の、とある戦争についての講義があった。
「その戦いで、わずか一万の兵を率いて十万の敵軍を破った英雄がいます。彼のことを、皆はこう呼びました――《ソウルリターナー》と」
教師の声に、教室が静まり返る。
「彼は、極めて珍しい魔法の使い手でした。《ソウルリトリーバル》――それは、心に巣くう恐怖や呪い、戦場で受けた深い傷さえ癒し、人の魂を再び“希望”へと引き戻す魔法だと言われています」
淡々とした語り口に、生徒たちはにわかにざわめき出す。
「それによって兵士たちの士気は飛躍的に高まり、統率の乱れはたちまち収束、戦局は逆転。戦の後も、彼の力は多くの人々の精神を救い、王国の礎となる秩序と安寧を築く手助けをしたのです」
――その瞬間、僕の背筋に、ぞわりと戦慄が走った。
ソウルリトリーバル。
トラウマを癒やし、希望を与える魔法。
それってまさに――
「……兄さんの、あのヒール……」
あのとき僕が受けたのは、ただの傷の回復じゃなかった。
あの優しい光は、僕の心そのものを――
あの時、潰れかけていた僕を、確かに“引き戻して”くれた。
もし、もしも兄さんが《ソウルリターナー》の系譜の者だとしたら――
僕の心臓が、跳ねた。
両親に追い出されたせいで、兄さんは――
きっと、あの手紙に書いてあったみたいに、理不尽な毎日を送ってる。
相手が男か女かなんて関係ない。
風呂に侵入されて、寝てるときに上に乗られて、腰が死にかけるなんて……そんな生活、まともじゃない!
兄さんを救えるのは、僕しかいない!
講義が終わるや否や、僕は勢いよく席を立ち、教壇へと駆け寄った。
「カーヴェル先生、あの……! 少しお話を!」
「ん? リセルくん。どうしましたか?」
「さっきの講義に出てきた、ソウルリターナーと呼ばれる魔法使い――彼のような魔法の使い手は、今も存在しているんですか?」
教師は一瞬だけ目を伏せ、小さく息をついた。
「……残念ですが、いません。歴史上、確認されているのは彼ひとりだけです。あの“ソウルリトリーバル”という魔法についても、詳しい記録はほとんど残っていません」
「そんな……!」
やはり、兄さんの力は……他の誰とも違う。
世界がまだ、その存在に気づいていないだけで――
兄さんは、本物の“特別”なんだ。
僕は、もう迷わない。
兄さんの真価を証明してみせる。
そのためなら、どんな手でも使う。
たとえこの命に代えてでも――兄さんを救ってみせる。
「兄さん……僕の兄が、その使い手かもしれないんです」
言った瞬間、空気が張り詰めた。
教師の目の色が、ふっと変わる。
まるで信じがたいものを目の前に突きつけられたように、しばし絶句したまま僕を見つめていた。
やがて、静かに息を吐いて、彼は言葉を発した。
「……その話、詳しく聞かせてください」
僕の肩にそっと手が置かれる。
「ここでは落ち着かない。私の部屋へ来なさい。すぐに」
緊張で喉が渇いていたけれど、僕は強く頷いた。
――兄さん、きっとこれが、変わるきっかけになる。
あなたの本当の力を、世界に知らしめる一歩だ。
そして、僕にできる償いの、始まりだ。
場所を変えたあと、僕はひととおり、講師……カーヴェル先生に兄さんの魔法について説明した。
「……なるほど。君の兄上が、“ソウルリトリーバル”に似た力を有している可能性は、十分にあると考えられます」
静かにそう言ったカーヴェル先生の声に、僕の胸は高鳴った。
「じゃあ兄は、本当に……!」
希望をにじませてそう言いかけた瞬間、先生は首を横に振った。
「……しかし、現段階ではまだ“可能性”にすぎません。証拠も記録もない以上、学院として正式な判断を下すことはできません」
「……それでも……上に報告してくださるんですよね?」
「ええ。この件は、学院の上層部に共有します。判断はその後になりますが……おそらく、事実確認のための調査が入るでしょう」
「……はい!よろしくお願いします!」
心の底から、お願いした。
これでやっと、兄さんが……あの優しい兄さんが、正しく評価されるかもしれない。
僕の中で、長く燻っていた思いが、希望へと変わっていくのを感じた。
その時、先生が眼鏡を押し上げ、表情を引き締めて言った。
「……リセルくん。この件は――君と私だけの話です。
軽々しく誰かに話してしまえば、君の兄君に危険が及ぶ可能性もある。……いいですね?」
僕は息を呑んで、こくりと頷いた。
「……はい。絶対に、誰にも言いません」
先生は静かに頷き、視線を窓の外へと移した。
窓の向こうには、もうすぐ訪れる季節の変わり目を告げる風が、梢を揺らしていた。
兄さんに、春が来る。
――そう信じたかった。
僕は拳を握り、そっと胸に誓う。
(待ってて、兄さん。今度は僕が、兄さんを助ける番だから)
──そして、その風はまだ見ぬ再会の予感を運びながら、静かに学院の塔を吹き抜けていった。
***
「腰がいてぇ……ついでに肩はバキバキ、首も寝違えてる……」
いや、ショタっ子たちの抱き枕と布団役を担うのが幸せじゃないとは言わない。むしろご褒美だ。
……だが、こうも連日続くと、さすがに愚痴の一つもこぼしたくなる。そんな、いつもの朝。
起き抜けの第一行動は、もはやルーティンと化した自分へのヒール。
「よし、これで今日も……24時間戦えるぜ」
部屋には、スープのいい香りが漂っていた。
今朝の食事当番は、ガウルとアヴィ。
メニューは、豆とニンジンモドキ、ブルファングの肉を煮込んだスープに、固めのパン。
味は悪くない。悪くはないんだけど……。
塩。結局、塩。全部、塩。
この世界、味付けという概念が基本「しょっぱい一択」らしい。
ああ……醤油と味噌と米が、恋しい……。
誰か、炊きたての白飯と漬物をくれ……。
日本食……恋しいな……。
牛丼、カツ丼、天丼……丼ばっかじゃねーか俺。
――ん?
待てよ。小麦はある。卵もある。……ってことは、天ぷら、作れるんじゃないか?
さすがに米は無い。だから丼は無理。でも――
小麦があれば、うどんが打てる!
こねて、踏んで、寝かせて、切って……時間はかかるけど、やれないことはない!
それに、野菜だってそれっぽいのはある。玉ねぎモドキとニンジンモドキ、あと緑の葉っぱ系のやつを細切れにして、適当に魚介入れて小麦粉と卵で豪快に混ぜて揚げれば……!
そうだ、かき揚げうどんだ!!
味付けは……まあ、麺つゆなんて気の利いたもんはないけど……塩味のスープでなんとかごまかせば、いける!
これだ!今の俺にできる、最高の贅沢飯ッ!
「よし! それだ!」
勢いよく立ち上がった俺に、周囲の視線が集まる。
クーがパンを口にくわえたまま目をぱちくりさせ、アヴィはスプーンを止めて小首を傾げた。ガウルは相変わらず無表情だけど、じっとこっちを見てる。
みんな、きょとん顔。
「日頃の感謝を込めて――今日の夕飯は、俺が作ろうと思う!」
ちょっと照れくさくなりながら、でも胸を張って言ってやった。 みんな、ぽかんとしてたけど……そのあと、どこか嬉しそうに、静かに頷いてくれた。
――よし。決まりだ。
かき揚げうどん、上手くできるかわからないけど、やってみるか……!
材料はすべて現地調達。
ダイニングテーブルに、ボウル代わりの鍋をドンと置く。
そこへ小麦粉と塩、水を少しずつ加えながら、慎重に混ぜていく。
――高校時代にうどん屋でバイトしてて良かったぜ。前世の俺よ、ありがとう……!
ある程度まとまったところで、生地を取り出し、清潔な布をふんわりとかぶせた。
「……よし。クー、ガウル、アヴィ。ちょっと手伝ってくれ」
声をかけると、3人が興味津々といった顔で寄ってくる。
「この上から順番に踏んでくれ。そう、しっかり、でもリズムよくな」
そう――うどんは、捏ねて踏んでこそ、コシのある最高の麺になるのだ。
「ユーマ、楽しいねっ!」
「こんな調理法、初めて見ました」
「……なあ、これ、本当に食べ物か?」
「だいじょーぶ。信じろ。うどんは裏切らない」
俺は自信たっぷりにそう言って、再び布をかけた。
その間に、俺はかき揚げの準備に取りかかった。
玉ねぎモドキ、にんじんモドキ、それに小松菜っぽい葉野菜を細く刻む。
さらに、市場で偶然見つけた、スルメのような乾燥イカを湯にくぐらせて少し戻し、ざくっと刻んで投入。
塩しかないこの世界では、こういう乾物の旨味が貴重な味の決め手になる。
それらを、小麦粉と卵、水で作った衣にざっくり混ぜ込む。
味付けは……塩のみ。調味料なんて洒落たものは無いから、完全に勘と経験が頼りだ。
「……火加減が命なんだぞ……」
つい、独り言も多くなる。
緊張とワクワクが混ざったようなこの感じ、懐かしい。
木の枝をナイフで削って即席で作った菜箸を、そっと鍋に入れる。
――ブクブクッ。細かい泡が枝のまわりに広がった。
よし、だいたい180℃。揚げ時だ。
かき揚げタネをそっと落とす。
ジュワッ!!
「……っ!いい音!!」
異世界とは思えぬ懐かしきこの音。音だけで白飯いける(なお米はない)。
茹で上がった手打ちうどんに、塩と干し肉から取った出汁のスープを注ぎ、最後に黄金色のかき揚げをのせる。
――かき揚げうどん、完成。
みんなでテーブルを囲み、それぞれフォークを手に取る。
「……いただきます!」
クーがうれしそうに声を上げ、まずはスープを一口すする。
「……おいしい!」
ガウルはうどんを器用にフォークに巻きつけながら、珍しく表情を緩めた。
「これが……異国の味。うまいな……」
アヴィは感心したように目を見開き、かき揚げをフォークで丁寧に切り分けながら、うどんと一緒に口へ運ぶ。
「このカキアゲ? 食感もさることながら、野菜の甘味とスープの塩味が相まって、絶妙です」
「いや急に評論家!?」
俺が思わず突っ込んでいると、クーが満面の笑みで空になった器をこちらに突き出してきた。
「ユーマ! おかわり!!」
「早っっ!! よく噛んで食べなさい!」
ガウルは黙々と食べながら、目を細めて頷く。それだけで彼なりの最大限の称賛だ。
異世界なのに、まるで実家のような食卓風景。
皆のフォークが止まらない。俺の胸の奥も、ほんのりあったかくなった。
結局クーは、2回もおかわりした。
「ふぅ、食べた食べた……。久しぶりに胃も心も満たされた気がする」
「ご主人様、後片付けは僕たちに任せてください」
「おお、アヴィ、ありがとうな」
そう言いながら、俺は満腹感に包まれ、心のどこかで小さな幸せを噛みしめていた。
ベッドにゴロンと横になる。
食べてすぐ横になると牛になるって言うけど、こっちの世界ならミノタウロスか?
いいなあ、ミノタウロス。 あれくらい筋肉隆々になれるなら、食後のゴロ寝も悪くないかもな。
そんなバカなことをまどろみの中で考えていると、後片付けが終わったのか、クーがいつものように俺の上にどっかりと乗ってきた。
「ユーマ、おやすみ」
重い……今日は、かき揚げうどん3杯分の重みがさらにプラスされた気がする。
まあ、いつものことだ。仕方ないか。
気がつくと、アヴィもガウルもいつの間にか布団の中に潜り込んでいた。
ああ、なんだか、いいな……。
こんな日常がずっと続くなんて、これ以上ない最高の異世界生活だろう。
もういいや、俺はスズメバチでいい。
ミツバチたちに群がられて蒸し殺されたスズメバチだって、最後にはきっと、いい夢を見ていたはずだ。
なあ……?
そうだろう……?
小さな寝息に包まれながら
俺は静かに夢の中へと落ちていった。
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