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第12話 おい、筋肉だけでダンジョン攻略するな②

中層域に差しかかってから、空気がまた一段と重くなった気がした。坑道の壁はうっすらと汗をかいたように湿っていて、天井からは時折、水滴がぽたりと落ちる音がする。 周囲には、不自然なほどの静寂が広がっていた。風すら通わぬ地下空間。ひんやりとした空気が肌にまとわりつき、たいまつの灯りだけが頼りだ。 そのときだった。 たいまつの炎が、ぶわりと揺れた。 アヴィの目が細くなる。坑道の最奥、暗闇の中――ぬめるような吐息が、かすかに這い寄ってくる。 やがて、岩壁と見紛う巨大な“影”が、ゆらりと動いた。 「……ゴーレム!?」 思わずそう叫んだ俺の声に反応するように、“それ”が顔らしき前面をこちらに向けた。 いや、顔じゃない。そこに“目”はない。 ただ…… 粘土質の表面に無数の穴が空いている。そして、穴から這い出す“何か”が、這いずる音を立て始めた。 ――ズル、ズルズルズル……ッ!! 「うっ……な、なんだアレ……ッ」 たいまつの炎に照らされた“それ”は――岩ではなかった。 湿った粘土質の巨大な塊。その表面にびっしりと這いまわるのは、無数の巨大なミミズのような魔物。 うねる群れは、ひとつの生き物のように連動して動き、ただの塊に四肢を与え、“人型”のような輪郭を形づくっていた。まるでそれ自体が「身体」であるかのように。 「なにあれ……気持ち悪……」 背筋を這うような悪寒に、思わず誰かが呟く。 「――ウェルミスの群生体、だな」 ガウルがわずかに剣を構えた。 その瞬間、“それ”が蠢いた。 ヌチュ、ヌチュ……と不快な湿音と共に、無数のミミズの“融合体”が、手足のように這い、粘土の塊を持ち上げるようにして立ち上がる。 「くるぞ!!」 ガウルの叫びと同時に、彼とアヴィが素早く前に出る。 それぞれが短剣を抜き、腕部と思われる部位に斬りかかる――だが、 「……っ、やはりダメか」 刃が、ぶよぶよとした表皮を滑った。まるで濡れた革のような粘膜。 ミミズたちの身体は刃を受け流し、切り裂こうとした感触はまるでゼリーか泥を叩いたよう。 アヴィもすぐに距離を取る。 「表面が滑りすぎて、刃が跳ねる。これじゃ、効かない……!」 「刃が通らないなら、殴るしかないでしょ!」 クーが吠えるように言い放ち、地を蹴った。 獣じみた踏み込みとともに、放たれる剛腕―― ドゴォッ!! 耳を劈くような音と共に、拳が粘土の塊にめり込む。 ぶよぶよとした表面がひしゃげ、何匹ものミミズがちぎれて宙を舞った。 うわ……えげつない。でも、それだけじゃない―― 「……っ!」 崩れた部分の奥、わずかな隙間に“何か白いもの”が見えた気がした。 丸い……卵? 骨? とにかく、粘土じゃない。明らかに違う。 「今の……なんだ……?」 俺が思わず身を乗り出したその刹那、ミミズの塊が蠢き、白い部分をすぐに覆い隠してしまう。 見せまいとしている……? いや、守ってる……! 「おい、今の見たか!? 中に何かあるぞ!」 思わず叫ぶと、ガウルが短く頷いた。 ――ただの融合体じゃない。あれが、この化け物の“要”……! 敵の“核心”を見つけた――そう思ったのも束の間だった。 「アヴィ――ッ!!」 思わず、俺は叫んでいた。 次の瞬間、ウェルミスの“身体”がうねる。無数のミミズが蠢き、粘土の塊から伸びた“腕”のようなそれがアヴィを絡め取っていく。 足を。腰を。腹を。そして――喉元まで。 「くっ……!」 アヴィは顔色一つ変えず、だが確かに苦しそうに眉を寄せた。 それでも、崩される体勢の中で、片足をわずかにずらす。 「こんな連中の餌にされるなんて、まっぴらですね」 静かに、そう言った次の瞬間だった。 アヴィは粘土の中へ、自分から跳び込んだ――いや、引きずり込まれる勢いを利用して、むしろ跳躍した。 俺の混乱なんてどこ吹く風。 アヴィは無言で重心を沈めると――ぐい、と背を反らせた。 「はあああああッ!!」 叫びとともに、ジャーマン・スープレックスを決める。 (ちょ、待って!? プロレスでしか見たことないやつ……!!) ミミズの束ごと、自分の体を引きずり込みながら、粘土の“頭部”めがけて派手に背中から叩きつける。 もはや意味がわからない。でも確かに、キマってた。 一瞬、ウェルミスの動きが止まった――その隙を見逃すガウルじゃない。 ズドォン!! 圧倒的な質量を感じさせる音。 ガウルの拳が、粘土の“胸”にめり込むようにしてめちゃくちゃに叩きつけられた。 「出てこい……コアっ!!」 砕けた粘土の奥から、真っ赤に脈打つ卵のような“核”があらわになる。 それをガウルが乱暴に引きずり出し―― グシャッ!! 赤黒いそれは、あっさりと潰された。 「ギイィィィィィィィ……ッ!!」 断末魔のような、耳障りな悲鳴が響き渡る。 その瞬間だった。あれだけ一体化していたウェルミスの群れが、糸の切れた操り人形のように一斉に崩れ始めた。 這い回っていた無数のウェルミスが、まるで意志を失ったかのように、のたうち、地に落ちていく。のろのろと地面を這いながら、壁の隙間や土の中へと散っていった。 もうそこに、「敵」としての意志はなかった。 ただ、守るべきものを失った群れが、野生へと還っていく――それだけだった。 アヴィは、無造作に体についた粘土を払いながら立ち上がる。 「またそのうち、出現するかもしれませんが……まあ、仕方ないですね」 ガウルは、砕けた卵核の残骸を確認しながら小さく頷いた。 「単体なら襲ってこないが……やつには魔法も効かないし、刃も通りづらい。地味に厄介な相手だ」 「え、そんなにヤバいやつだったの!?」 思わず声を上げた俺に、アヴィが静かに補足を入れる。 「ええ。並のパーティーなら確実に――養分コース、だったでしょうね」 ゾクリと背筋が冷える。 (……待って。そんなヤバいやつを、腕力だけで黙らせたこいつらの方が一番ヤバんじゃないの……!?) ひりつくような沈黙が、また坑道の空気を支配する。 俺はふらりと岩肌にもたれかかり、荒くなった呼吸を整えた。 やっぱり……これ、本当に国が進化した獣人を軍事利用しようとしてるんじゃ……? そして今、その進化の“成功例”を三体も──俺が手元に抱えてるってことになる。 ……これ、マジでヤバいんじゃないのか? 俺ごと囲われるか、消されるか……分からないけど。 冗談半分のはずだった妄想が、なぜか妙に現実味を帯びてきて、嫌な汗が背中をつう、と伝ったそのときだった。 俺の肩に、そっと温もりが触れた。 振り返れば、アヴィがいた。 服は泥にまみれ、栗色の髪も少し乱れている。 それでも、いつものように、どこか含みを持たせた微笑みを浮かべて。 「ご主人様、大丈夫ですか?……どこか、怪我でも」 「……あ、ああ……大丈夫。ちょっと、ビビっただけで……」 「……ですが、顔色が悪いです。ほんの少し、休みましょうか」 「っ……大丈夫、だって……!」 そう言いかけた俺を、アヴィの手がすっと制した。 その指先には、どこか柔らかな強引さがあって―― 「……そう言って無理をするのが、貴方の悪い癖ですよ」 そう言って、アヴィはそっと俺の前髪に触れた。 触れるか触れないかの距離――ほんのわずかに、指先が額にかかる。 (なんか、近い……近い……!) 俺が息を呑んだ、その瞬間だった。 「ッ!?」 ふいに視界がふわりと浮く。 次に感じたのは、しっかりとした腕の中――そして、背中に回されたもう一方の手。 「……ガウル!? ちょ、なにして……!?」 驚いて顔を上げると、ガウルが無言のまま俺を“お姫様抱っこ”していた。 その横顔はいつも通り無表情だが、妙に無駄のない動作でアヴィの手から俺を攫っていく。 「!? ……ガウルさん?」 アヴィが珍しく眉をひそめた。 「ユーマの体温が落ちている。……深部に長くいたせいだろう。休ませる」 あくまで冷静に、医学的配慮ですというテンションで言い切る。 けれど、その腕には妙な強さがこもっていて――抱かれてる側の俺には、余計にわかる。 (……ちょっと待ってくれ、俺の乙女回路!!! オイ! ショタ以外に反応するな!!) 脳内で警報が鳴っているのに、心拍は勝手に上がっていく。 どこまでも無骨な横顔に、ほんのりと耳が熱くなる。 (いやいやいや、これは医学的お姫様抱っこ……え、なにそれ……矛盾してない!?) しかも、今さっきまで俺の前髪を撫でていたアヴィが、わずかに口元を引きつらせていて―― 「……ふふ。なるほど。油断しましたね」 低く笑ったアヴィの声に、背筋がゾクリとした。 さっきまであれだけ冷静だったのに、微かに滲む感情が読めない。 そして、誰より自由なクーが満面の笑みで叫ぶ。 「えっ、なにそれズルくない!? じゃあオレの布団貸すー!!」 (お前の布団って……筋肉ベッドじゃねぇか!!) どうすんだよこの状況。 地底の激闘を乗り越えたら、イケメン三人に挟まれて寝る流れって何!? (そしてお願いだ、みんな……合法ショタに戻ってくれ……!! 合法ショタから“ショタ”を取ったら、それただの合法じゃねぇか!!) 体温はぬくぬくなのに、頭の中だけ氷水ぶっかけられたみたいに冷えていた。 *** 「やっと、深層部まで来たな」 俺は汗ばんだ手で地図を広げ、今いる地点を松明の灯りで確かめる。 (お願いだから、もう……これ以上なにも起きないで) 心の中でそっと祈った矢先―― 「……大型種の糞だ」 ガウルが足元の土の塊を指し示した。 まるで瓦礫の一部にしか見えないが、近づけば強烈なアンモニア臭と、わずかに焦げたような匂いが鼻を突いた。 「最近の痕跡だ。まだ近くにいるかもしれん」 途端に、地面がわずかに揺れた。 「!?」 ゴゴゴゴッ……と地鳴りが響く。岩壁が軋み、天井から細かな石くれがこぼれ落ちてくる。 その音に混じって、低く唸るような呼吸―― 「……いる!」 俺の叫びと同時に、奥の岩壁が崩れた。 いや、崩れたように見えた“それ”が、動いたのだ。 岩のようにゴツゴツとした硬質化した皮膚に覆われた巨大な胴体。 まるで“岩壁の一部”そのものだった。 深紅に輝く目が、俺たちを睨む。 「岩竜……! サクスムドラコだ!!」 巨大な口が開き、火ではなく粉塵をまき散らすような咆哮があたりに広がる。目と鼻が焼けるほどの強烈な鉱粉の風。 その直後、岩のような尾が地を薙ぎ払った。 「避けて!!」 俺たちは散開し、それぞれが戦闘態勢を取る。 その巨体が地を踏み鳴らすたびに、坑道が小さく揺れる。 「斬撃は……通らない」 ガウルのミディアムソードがガキィンと甲高い音を立てて跳ね返された。 硬い、ってレベルじゃない。こいつの身体、岩というよりほぼ鉱物の塊だ。 「じゃあ、殴るしかないね!」 いつもどおり笑顔のクーが、竜の横っ腹に飛びついた。 「え、ちょっ……!?」 驚く間もなく、クーはそのまま岩竜の首に両腕を回し――ガッツリとヘッドロックを決めた。 「おりゃああああ!!」 ……なんでそんなにいいフォームなんだよ!? 竜の巨体が苦しげにのたうつ。あ、ちょっと絞まりすぎてる!?!? 次の瞬間、視界の端で栗毛の影が跳んだ。 アヴィの無駄のない巨躯がふわりと宙を舞ったかと思うと、 そのまま繰り出された飛び蹴りが、竜の肩口に炸裂する。 ズガァン!! 石化した表皮が砕け、岩片がぱらぱらと宙に散った。 (……え? 今の一撃で!?) 整った顔立ちに似合わず、その体には100キロ級の筋肉が詰まってる。 わかってた。わかってたはずなのに――動きがしなやかすぎて、錯覚するんだってば!! 岩竜がよろめいた。 その背後に、いつの間にか回り込んでいたガウルが、低く息を吐く。 ガウルは尻尾を掴み――そのまま、 「はあああっ!!」 ゴゴゴゴゴゴ……!!! 「え、ちょっ、ええええっ!?!?」 坑道の床を抉るような轟音とともに、岩竜が勢いよく回された。 そのまま壁めがけて―― ズドオォォン!!!!! 壁が崩れるかと思った。 土が崩れ、岩片が降り注ぐ中、しばらくして。 サクスムドラコが、ゆっくりと土煙の中から這い出してきた。 片目が腫れて、鱗も剥がれかけで、息も絶え絶え。 ごつごつの竜が、こんなにボロボロになることある!? (……なんか、もう……かわいそう……) どっちが魔物なのか、わからなくなってきた。 そのとき、確かに俺は一瞬、心の中で――こう呟いていた。 「がんばれ、サクスムドラコ……」 ……いや、違う、敵なんだけどさ!?!?!? サクスムドラコは、もうほとんど虫の息だった。 土煙の向こうで、竜がぐらりと揺れた。 そこへ――クーが爆走する。 「せーーーのっ!!」 ドォォォン!! クーの全体重を乗せた体当たりが、岩竜・サクスムドラコの側面に直撃した。 巨体が横に吹っ飛び、ドシャアアッと地面に倒れる! 「おっしゃー、今だ今だっ!」 クーはそのまま、竜の足に組み付き―― 「足首固め……っ!!」 グルルルァアアア!!と吠えるサクスムドラコの足が、絶妙にキマったロックに固定される。 完全に動きを封じられたその腹部へ―― 「そこだ」 ガウルの低い声とともに、鋭い一撃が突き刺さる。 「地獄突き――ッ!!」 ゴスッ!!という生々しい音とともに、岩竜の柔らかい腹がめり込んだ。 巨体がビクンと跳ねた、その瞬間―― 「行きますよ……!」 アヴィが、岩壁をステップにして高く跳躍。 くるり、と宙を舞った栗毛が、月光のように弧を描く。 「ムーンサルトプレス!!!」 ズドォオオォン!!! 空から降ってきたアヴィの全体重が、竜の胸部を直撃。 完全に沈黙するサクスムドラコ。 (……ねぇ、ここ、ほんとに坑道だったよね?) 俺はただ呆然と、立ち尽くしていた。 いや、違う。これは坑道なんかじゃない。 もはや―― 「プロレス会場かっ!?!?!?」 気づけば俺の手には松明じゃなく、ラウンドベルでも握ってる気分だった。 (おい、筋肉だけでダンジョン攻略すんなーーー!!!) 俺の絶叫をよそに、クーは横倒しになった岩竜の上で「やったー!」とピースサインを決めていた。 ガウルはその隣で、ぶっ壊れた壁を見ながら無言でため息をつき、アヴィはすました顔で衣服の乱れを整えている。 ……なんだこの人たち。冷静と混沌の暴力。 俺は、ぐったりとその場に座り込んだ。 すごい。ほんとにすごい。 頼もしさは100点満点、安心感はMAXだ。 ……けど、なにかがおかしい。 方向性とか、常識とか、倫理観とか……いろんなものが迷子だ。 (えっ、これから先も、ずっとこのメンバーで冒険……?) 遠い目になった俺の脳裏に、蘇るひと皿。 ――かき揚げうどん。 あれを作った日から、何かがおかしくなった気がする。 俺は思った。 ――これ全部、かき揚げうどんのせいなの……? ……いや、うどんは悪くない。 悪いのは、マッチョでプロレス技をぶん回す味方たちだ。 ……いや、たぶん、どっちも悪くない。 けどなんかもう、どうしてこうなった!? (お願いだから次は……もっとこう、普通の敵で頼む……) 天井から落ちてきた砂埃を見上げながら、俺はそっと願った。 そんな俺の視線の先に、とんでもない光景が飛び込んできた。 「待って!! ソレ持ち帰るの!?」 気づけば岩竜の死骸を、三人が神輿みたいに担ぎ上げて坑道を進んでいる。 ……いやマジで、神輿。まごうことなき神輿。 「素材は高く売れるし、肉は美味いぞ」 と、ガウルが淡々と告げる。 「え、ヤバ……岩竜、めっちゃ主婦(夫)の味方じゃん……!」 (いや待って!? そうじゃなくて!! 見た目!! 神輿っていうか、葬送の儀っていうか、尊厳どこ!?) そんな混乱をよそに、クーがにっこり笑って振り返った。 「ユーマ、上に乗ってもいいよ♡」 「……えっ!? いやいやいやいや!! 神輿の上に乗っていいのは神様だけだから!? ていうか、ちゃんと命に感謝して!! それ、罰当たり案件だからね!!?」 すると―― 「ご主人様は、僕たちにとって“神”のような存在ですから。……むしろ、理にかなっているのでは?」 アヴィがごく自然に、当たり前のようにそう言った。 「崇めろとは言わんが……祀るくらいなら、構わん」 ガウルが真顔で、竜の死体を持ち上げ直す。 (……え、そうなの……か?) いや、いやいや。 俺って、もしかして――このマッチョ神輿の上で崇め奉られる、“獣人たちの神ポジション”なの……??? (って、そんなわけあるかーーーーい!!) 背筋を走るのは、戦慄か、ほんのり湧いた背徳感か。 いや、違う、そうじゃない、落ち着け俺! どちらにせよ、俺の冒険は今――また一歩、「帰れない場所」へと足を踏み入れてしまった気がした。

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