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第11話 おい、筋肉だけでダンジョン攻略するな①
寝てた。
すっごい寝てた。
頬に張り付いたヨダレの不快感で目が覚めた瞬間――
いろんな意味で悟った。
(…………筋肉ベッド、案外、悪くないな?)
安定感は腹立つほど抜群で、ぬくもりが心地よくて――
なにより、たぶんちょっと、いい匂いがする。
いや、待て待て。何を肯定しかけてんだ俺!?
落ち着け、理性!! 戻ってこい!!!
頭を振るようにして上体を少し起こした瞬間――
視線がぶつかった。
……クーと。
「おはよ、ユーマ♡」
満面の笑み。
俺の顔面から一気に血の気が引いた。
「ひぃぃっ、ごめん!!」
思わず叫んだ声が、室内にこだまする。
視線を落とせば――
クーの完璧な胸板に、くっきりと残るヨダレの湖。
ああもう、無理……!今すぐ記憶を消してぇぇ……!!
でも待て、落ち着け俺。
これ、俺が悪いか? いや違うだろ!?
寝袋から引きずり出されて、無理やりマッチョベッドに乗せられた結果だよ!?
むしろ俺が被害者じゃない?
このヨダレの池、責任は――むしろクー側にあるよね!?
っていうか――
なんで笑ってんの、クー!!?
羞恥と混乱でキャパを超えた俺は、思わず叫んでいた。
「……なんで笑ってんだよ!? ヨダレで胸ベッタベタにされたら、普通、気持ち悪いだろ!?」
「ぜんぜん。だって――ユーマが安心して眠れたってことでしょ? 嬉しいもん♡」
ニコッ、と満開の笑顔。しかも、言ってる内容がマジで純粋。その目はキラキラしてて、一点の曇りもない。
(やばい……こいつ、本気で“幸せなひととき”みたいな空気出してる……!)
背筋がぞわっと粟立った。何この無垢な猛獣。
「ねぇ、ユーマ。二度寝しよ? こうしてるの、すっごく落ち着くんだ」
言いながら、クーの腕がまた俺の腰に回されてきた。
「ちょっ、クー!? ダメだって、今は……!」
逃げようとジタバタしかけたそのとき――
ぴくり、と。下腹部に、なにかが、あたった。
「……え、ちょっ、ちょっと待て……この感触……いや、いやいやいやいや!?」
視線を落とすまでもない。 何かが、主張していた。
「……あのさ、クー……これ……」
「うん、わかってる。朝だからね♡」
……いやいやいや!!さらっと、爽やかな顔で言うなーーーー!!!
「ちょ、二日連続!? おまえ昨日の夜も“生理現象♡”って……!!」
「ユーマが、気持ちよさそうに寝てたから……」
「……だからって!! 起きた途端に地獄見せるのやめてッ!!」
(この筋肉兵器、無邪気を装った天然ハザードすぎる……!)
そのとき――
バシャッ!
「……いっ!?」
俺の後頭部に、冷たい何かが直撃した。
反射的に手で払って落ちたのは……濡れタオル。
「おい。さっさと支度しろ」
低く鋭い声が飛んでくる。 ――ガウルだった。
振り向けば、寝起きとは思えぬ完全武装。朝日を背に仁王立ち。 その顔、明らかに不機嫌オーラ全開。
「おはようございます、ご主人様」
穏やかな声が頭の上から降ってきた。
気づけばアヴィがすでに起きていて、にこやかな笑みを浮かべながら俺の傍らにしゃがみこんでいる。
「お、おはよう……」
次の瞬間――
アヴィはその優しげな顔のまま、クーの腕を容赦なくほどいて、俺をスルッと救出した。
「うわっ……!?」
身動き取れなかった体が、嘘みたいに解放される。
そのまま、アヴィが手にした冷たい濡れタオルで、俺の頬に張りついたヨダレをていねいに拭ってくれた。
「はい、すっきりしましたね」
そして、そのタオルを――
無言で、クーの腹の上にぽとりと落とした。
(……怖い怖い怖い怖い!!)
にっこり笑ってるその顔が、逆に怖すぎる!!
クーはと言えば、それを見て――
鼻で小さく笑って、肩をすくめただけだった。
「何が悪いの?」
そんな顔だ。反省ゼロ。むしろちょっと誇らしげ。
(こ、こいつ……本気で思ってる……“いいことした”って顔してる……!!)
「ユーマ。……食糧庫が空っぽだった。昨日、全部使ったのか?」
低く落ち着いた声に、俺はピクリと肩を揺らす。
「あっっ……!! そうだった!! ……ってか!食べ尽くしたのお前らだからな!? 特にクー!! おかわり何杯したよおまえ!!」
「へへ、だってユーマのご飯、おいしいんだもん♡」
無邪気に笑うな!! こちとらこの状況で胃に優しいものすらないんだぞ!!
「……で、今朝はどうする?」
重苦しい沈黙が落ちる中、俺はおそるおそる切り出した。
「き、昨日あれだけ食べたんだからさ、朝ごはん抜きでも……いいよな? な?」
俺は必死に説得するように皆を見渡した。
……その瞬間。
「「「グー」」」
腹の虫の三重奏。
クー、お前はともかく、アヴィまで!?
いやガウル、お前もかよッ!?!
「……全員、空腹かよ!!」
思わず頭を抱えた俺の嘆きなんて誰も気にせず、三人はすでに“朝ごはん”のことしか考えてない様子だった。
(くそっ……二度と外食しないって、昨日あれだけ誓ったのに……!)
――そうして俺たちは、なじみの宿屋兼食堂に足を運んだ。
「いいか、おかわり禁止な!!!」
という、絶対的なルールを設けて。
***
朝のギルドは、いつにも増して冒険者で賑わっていた。
ざわめきの中を歩けば、昨日と同じく俺たちの前だけ、綺麗に人の波が割れていく。
昨日と顔ぶれは違うはずなのに、やることは皆同じだ。 視線と距離と、わかりやすいほどの気遣い(という名の警戒)。
「……はいはい、モーゼモーゼ」
なんなんだ、この扱い。慣れてきた自分が怖いわ。
そんな空気を切り裂くように、見知った顔が駆け寄ってきた。
昨日対応してくれた、ギルドの受付のお姉さんだ。
「ユーマさん!」
「あ、お姉さん。こんにちは。昨日はどうも」
ぺこりと頭を下げると、お姉さんは小声で挨拶を返しながら、ちらちらと後ろの三人を気にするように目をやった。
(……あー、うん。まあ、そうなるよね)
そしてそっと距離を詰めてきて、声を潜めながら言った。
「あの、実は……急ぎの依頼が飛び込んできまして。できればユーマさんたちにお願いしたくて……!」
「急ぎの依頼……ですか?」
俺が訊き返すと、お姉さんは頷きながら、手元の書類をちらりと見た。
「はい。実は――街の南の外れにある採掘坑で、以前落盤事故があって長らく休工していたんですが……」
「……もしかして、再開?」
「はい。坑道のオーナーが発掘を再開する方針を決めたそうで、その前に“魔物が住み着いていないかの調査”と、“いた場合の討伐”をお願いしたいそうなんです」
ふむ、と俺は顎に手を当てる。 よくある話ではあるけど――
「落盤事故があった場所なら、地盤も怪しいですよね?」
「ええ……そのため、依頼自体は高報酬なんですが、危険度の面から熟練の冒険者にしか回せなくて」
要は、素人には回せないってことだ。
なるほど、そりゃ急ぎで頼みたいわけだ。
「あの……実は、他にもプラチナランクの方々に声をかけてみたんです。でも――」
お姉さんは少し困ったように笑った。
「“坑道じゃロングソードは使えない”“狭い場所で仲間の動きが見えないのは危険すぎる”って。あと、“地盤が不安定だから魔法が使えない”“敵の正体も分からないのは博打だ”って……」
言い終えたあと、彼女は申し訳なさそうに肩をすくめた。
「結局、皆さん“リスクが見合わない”って。断られちゃって……」
「……なるほど、それで俺らに」
確かに、俺たちの中にロングソードや大剣使いはいない。魔法なんて俺のしょぼいヒールのみ。
狭所での取り回しなら、うちのパーティーはまだ向いてるほうかもしれない。
――でもな。
それ以前の問題として、俺には一つ、深刻な懸念がある。
(……そもそも、こいつらマッチョすぎて通れるのか?)
いやマジで、通路が人ひとり分の幅だったらどうすんだよ。
筋肉で壁こすってガリガリ言わせながら進む羽目になったら、笑えないぞ。
頼むから「つっかえて進めない」とか、そういうギャグみたいな展開だけは――本当に、やめてくれ……。
お姉さんの話がひと通り終わったところで、俺は後ろを振り返り、仲間たちの顔をざっと見渡す。
クーはやる気満々の笑顔、アヴィはいつも通り微笑んでいるけど、すでに頭の中でルート計算してそうな目をしてる。そして――
「……どうする、ガウル?」
一番経験も知識もある彼に、自然と視線を向ける。
ガウルは腕を組んだまま、しばらく何も言わず、じっと受付のお姉さんの話した坑道の地図を見つめていた。
やがて、低く、しかしはっきりと頷いた。
「引き受けよう。落盤跡ってのが気になるが……慎重に動けば、問題はない」
掲示板に視線を流すだけで、ガウルは他の依頼をざっと確認する。
わずかに眉をひそめたあと、短く言った。
「……今日は他に、めぼしい依頼もないしな」
「了解。じゃあ俺たち、今日の予定は“坑道攻略”ってことで」
「ありがとうございます。本当に、助かります」
お姉さんが安堵の笑みを浮かべたのを見て、少しだけ気が引き締まる。
――まあ、不安は山ほどあるけど。
せっかく頼ってもらえたんだし、やれるだけ、やってみるか。
依頼はすぐ正式に受理され、俺たちは防具屋へと向かった。
防具屋といっても、鎧や盾ばかりを扱っているわけじゃない。
この店は“道具屋”も兼ねていて、実際のところ、冒険に必要な装備やアイテムの大半はここで揃う。
ガウルの助言を受けて、俺たちは松明にロープ、落盤対策のピッケル、それに非常用の携帯食もいくつか買い込んだ。
坑道は何があるか分からないし、準備だけは入念にしておいて損はない――らしい。
***
街の南外れ、人通りもまばらな岩場の丘を抜けた先に――目的の坑道はあった。
岩肌をくり抜いたような坑口には、錆びかけた鉄柵が立てかけられ、「立入禁止」の札が斜めにぶら下がっている。
あたりはひんやりと静まり返っていて、遠くの風の音だけが耳に残る。
「……ここが、例の採掘坑か」
ガウルが前に出て、柵をどかすと、ギィ、と金属が軋む音がした。
坑道の入口からは、冷えた空気と、どこか湿り気を帯びた土の匂いが漂ってくる。
「うわ、なんか空気がもう……『ダンジョンです!』って主張してない?」
俺がぼやくと、後ろでクーがにこにこしながら手首を回している。
アヴィは相変わらず無言で坑道の奥を見つめ、光の届かぬ暗がりへ目を細めていた。
「……松明、つけるか」
俺は腰袋からファイヤースターター(火打ち石)とたいまつを取り出し、手慣れた手つきで火花を散らす。数度の火打ちの末、ぱち、と小さな炎が揺れ、薄闇にオレンジ色の光が灯った。
「ふぃー、これで準備万端っと……」
たいまつを持ち直しながら振り返ると――
そこには、松明なしで坑道の奥を見つめている三人の姿。
「あれ? お前ら……火、いらないの?」
俺の問いに、ガウルはちらりと振り向くだけで、再び無言で前を向いた。
アヴィは軽く瞬きし、少し申し訳なさそうに口を開く。
「……ああ、言ってませんでしたね。僕たち獣人は、夜目が利くんです。
ある程度の暗闇なら、光がなくても問題ありません」
「……マジかよ!?」
俺だけ、たいまつ。
俺だけ、必死に火起こししてた。
なんだこの理不尽な差。
「安心して。ユーマの松明は、みんなのためにも必要だよ」
クーがいつもの笑顔で俺の肩をぽん、と叩いた。
「オレたちが見えるのと、空間全体を照らすのは別だし、ね? ほら、落とし穴とか……」
「不穏なこと言うな!?」
ため息をつく間もなく、ガウルが前を向いたまま言った。
「無駄話はその辺にしておけ。行くぞ」
「……了解でーす」
たいまつの炎を高く掲げ、俺たちは坑道の奥へと足を踏み入れた。
入り口を過ぎた途端、外の陽光は完全に遮られ、世界は一気に闇へと沈む。
ひとたび足を踏み出せば、もう戻れないような閉塞感が、じわじわと背中を這い上がってくる。
俺は必死にたいまつを掲げ、心許ない炎で足元と岩壁を照らす。
先へ進むごとに空気は冷え、湿り気を帯びていく。土と鉄の匂いに、どこか“生き物の息づかい”のような得体の知れない気配が混ざり始めた。
「……なんか、空気が変わってきたような」
「中層域に近づいてるな。気をつけろ」
ガウルの警告に、全員の足取りが慎重になる。
そのまま進んでいくと、突然、目の前の通路が開けた。
――岩壁に囲まれた、広大な空洞。
天井は高く、たいまつの炎では到底届かない。
頭上を仰ぐと、闇がそのまま口を開けているかのように見えた。
足元には、ひび割れた古い枕木が残り、ここがかつて鉱石の運搬路だった名残を物語っている。
その時だった。
――ギィィ……ッ!!
耳を裂くような、金属をひっかくような鳴き声が、突然、頭上から降ってきた。
「なっ……!?」
反射的に見上げた俺の目に、たいまつの炎が映し出した“それ”が飛び込んでくる――
翼を広げれば大人一人ぶんはありそうな、巨大な黒いコウモリ――キロプテラ。
その赤く鈍く光る眼が、こっちを狙っている。
しかも、数は一匹じゃない。天井に張り付いた無数のシルエットが、カサリ……と動いた。
「やば……っ!!」
俺は後ずさり、たいまつを構え直す――その瞬間。
一匹のキロプテラが、滑空するように飛びかかってきた。
「うわっ、ちょっ、マジか――っ!?」
振りかざす余裕もない。ヤバい、これは――!
バシィィィィィン!!!!!!
何かが空気を割った。
俺の目の前で、キロプテラが肉塊のごとく地面に叩き落とされる。
「……!?」
見れば、クーが悠然と片手を振り下ろした体勢のまま、俺の前に立っていた。
「だいじょーぶ♡ユーマには、俺がついてるよ?」
「ヒィィィィィ!!!」
まるでハエたたきのごとく、クーの剛腕で地面に叩きつけられたキロプテラは、羽が変な方向に折れ、羽ばたく代わりにピクピクと痙攣している。
ついでに地面に「べちゃっ」という不快な音がして、俺の中で“虫”カテゴリに分類された。
「ム、ムリ……ムリムリムリ……!!」
俺が必死に後ずさるのとほぼ同時に、鋭い声が飛ぶ。
「ご主人様っ、下がって!」
アヴィの声だ――と、同時に。
バサバサバサッ!
天井の奥、闇の中から、無数の影が羽音を鳴らしながら音を立てて降ってきた。岩肌をかすめる音、ひゅうっと空を切る風圧――
「来るぞ!」
ガウルの低い声が響いた次の瞬間、闇の中から金属を引っかくような鋭い鳴き声が飛び交い、巨大な黒い翼が空間を埋め尽くす。
キロプテラが光に向かって突撃してくるように、俺たちめがけて一斉に飛びかかってきた――!
本来はミディアムソードを主武器にしているガウルだが、この狭い坑道では刀身の長さがネックになる。
今は腰に差していた予備の短剣を引き抜き、素早く構えた。
一歩、前へ出る。
群れの先頭を切ってきた個体の喉元を、迷いなく斬りつける。
――スパァン。
予備とは思えぬ切れ味で首が宙を舞い、羽ばたきも悲鳴も消え、巨体は無音で地に落ちた。
まるで斬ったことすら意に介さないように、ガウルはそのまま次の個体へと身を翻した。
「飛べなきゃ、ただの獣ですね」
アヴィは片膝をついて姿勢を落とし、鋭く跳ね上がる。
狙うのは羽根――飛翔の要だ。
ザシュッ!
舞う羽根。断ち切られた飛翼をばたつかせるも、バランスを崩したキロプテラは地面に墜ち、アヴィのナイフがその眉間を正確に貫いた。
そして――
「ユーマに手ェ出しちゃダメだよ」
クーが俺の腕を軽く引き寄せ、さり気なく背中へと庇った。
満面の笑みを浮かべたまま、迫ってきたキロプテラを平手で叩き落とす。
「……もう、怖くないよ?」
――目の前の怪物より、クーの甘い笑顔の方がよっぽど怖い。(いや、別の意味で!)
その直後、さらにもう一体が背後から忍び寄る。
「……クー、余所見するな」
静かな声と共に、ガウルの一閃が闇を裂いた。
今度は首ではなく、心臓を正確に突いていた。
刹那、羽音が止み、空間が沈黙する。
気づけば、全てのキロプテラが地に伏していた。
「クー、油断するな」
「だって……ユーマが怖がってたんだもん」
「ユーマを危険に晒すなと言っている」
「……ガウル! 大丈夫だから!」
思わず声が出た。
俺の貧弱が原因で仲間割れとか、マジで勘弁してほしいんですけど!?
「ほら、もしもの時はヒールあるし……うん。……ありがと、二人とも」
クーが嬉しそうに俺を見て、ガウルは眉間に小さく皺を寄せたまま目を逸らした。
その様子を見ていたアヴィは、意味ありげに微笑んで――なぜか、鼻で小さく笑った。
――それぞれの“やり方”で戦いを終えたあと。
残ったのは、静寂と、ほんの少しの鼓動の余韻だった。
息を整え、俺は腰袋から地図を取り出す。
松明の灯りで湿った紙を広げながら、胸の奥で小さくため息をついた。
「……この先、分かれ道がある。左に行こう。右は袋小路になってて、退路を塞がれたら危ない」
ガウルとアヴィは地図を一瞥しただけで、すぐに頷いた。
無言だけど、ちゃんと理解したうえで判断を任せてくれているのがわかる。
クーはと言えば、地図を見てもよくわかってなさそうな顔で、でもニカッと笑って親指を立ててきた。
「よく分かんないけど任せた♡ 俺はユーマの言う通りにするから」
……うん、ありがとう。でもせめてちょっとは分かってくれ。
それでもこの無言の信頼――いや、もはや全幅の信頼が、なんだかやけに嬉しかった。
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