11 / 39

第11話 おい、筋肉だけでダンジョン攻略するな①

寝てた。 すっごい寝てた。 頬に張り付いたヨダレの不快感で目が覚めた瞬間―― いろんな意味で悟った。 (…………筋肉ベッド、案外、悪くないな?) 安定感は腹立つほど抜群で、ぬくもりが心地よくて―― なにより、たぶんちょっと、いい匂いがする。 いや、待て待て。何を肯定しかけてんだ俺!? 落ち着け、理性!! 戻ってこい!!! 頭を振るようにして上体を少し起こした瞬間―― 視線がぶつかった。 ……クーと。 「おはよ、ユーマ♡」 満面の笑み。 俺の顔面から一気に血の気が引いた。 「ひぃぃっ、ごめん!!」 思わず叫んだ声が、室内にこだまする。 視線を落とせば―― クーの完璧な胸板に、くっきりと残るヨダレの湖。 ああもう、無理……!今すぐ記憶を消してぇぇ……!! でも待て、落ち着け俺。 これ、俺が悪いか? いや違うだろ!? 寝袋から引きずり出されて、無理やりマッチョベッドに乗せられた結果だよ!? むしろ俺が被害者じゃない? このヨダレの池、責任は――むしろクー側にあるよね!? っていうか―― なんで笑ってんの、クー!!? 羞恥と混乱でキャパを超えた俺は、思わず叫んでいた。 「……なんで笑ってんだよ!? ヨダレで胸ベッタベタにされたら、普通、気持ち悪いだろ!?」 「ぜんぜん。だって――ユーマが安心して眠れたってことでしょ? 嬉しいもん♡」 ニコッ、と満開の笑顔。しかも、言ってる内容がマジで純粋。その目はキラキラしてて、一点の曇りもない。 (やばい……こいつ、本気で“幸せなひととき”みたいな空気出してる……!) 背筋がぞわっと粟立った。何この無垢な猛獣。 「ねぇ、ユーマ。二度寝しよ? こうしてるの、すっごく落ち着くんだ」 言いながら、クーの腕がまた俺の腰に回されてきた。 「ちょっ、クー!? ダメだって、今は……!」 逃げようとジタバタしかけたそのとき―― ぴくり、と。下腹部に、なにかが、あたった。 「……え、ちょっ、ちょっと待て……この感触……いや、いやいやいやいや!?」 視線を落とすまでもない。 何かが、主張していた。 「……あのさ、クー……これ……」 「うん、わかってる。朝だからね♡」 ……いやいやいや!!さらっと、爽やかな顔で言うなーーーー!!! 「ちょ、二日連続!? おまえ昨日の夜も“生理現象♡”って……!!」 「ユーマが、気持ちよさそうに寝てたから……」 「……だからって!! 起きた途端に地獄見せるのやめてッ!!」 (この筋肉兵器、無邪気を装った天然ハザードすぎる……!) そのとき―― バシャッ! 「……いっ!?」 俺の後頭部に、冷たい何かが直撃した。 反射的に手で払って落ちたのは……濡れタオル。 「おい。さっさと支度しろ」 低く鋭い声が飛んでくる。 ――ガウルだった。 振り向けば、寝起きとは思えぬ完全武装。朝日を背に仁王立ち。 その顔、明らかに不機嫌オーラ全開。 「おはようございます、ご主人様」 穏やかな声が頭の上から降ってきた。 気づけばアヴィがすでに起きていて、にこやかな笑みを浮かべながら俺の傍らにしゃがみこんでいる。 「お、おはよう……」 次の瞬間―― アヴィはその優しげな顔のまま、クーの腕を容赦なくほどいて、俺をスルッと救出した。 「うわっ……!?」 身動き取れなかった体が、嘘みたいに解放される。 そのまま、アヴィが手にした冷たい濡れタオルで、俺の頬に張りついたヨダレをていねいに拭ってくれた。 「はい、すっきりしましたね」 そして、そのタオルを―― 無言で、クーの腹の上にぽとりと落とした。 (……怖い怖い怖い怖い!!) にっこり笑ってるその顔が、逆に怖すぎる!! クーはと言えば、それを見て―― 鼻で小さく笑って、肩をすくめただけだった。 「何が悪いの?」 そんな顔だ。反省ゼロ。むしろちょっと誇らしげ。 (こ、こいつ……本気で思ってる……“いいことした”って顔してる……!!) 「ユーマ。……食糧庫が空っぽだった。昨日、全部使ったのか?」 低く落ち着いた声に、俺はピクリと肩を揺らす。 「あっっ……!! そうだった!! ……ってか!食べ尽くしたのお前らだからな!? 特にクー!! おかわり何杯したよおまえ!!」 「へへ、だってユーマのご飯、おいしいんだもん♡」 無邪気に笑うな!! こちとらこの状況で胃に優しいものすらないんだぞ!! 「……で、今朝はどうする?」 重苦しい沈黙が落ちる中、俺はおそるおそる切り出した。 「き、昨日あれだけ食べたんだからさ、朝ごはん抜きでも……いいよな? な?」 俺は必死に説得するように皆を見渡した。 ……その瞬間。 「「「グー」」」 腹の虫の三重奏。 クー、お前はともかく、アヴィまで!? いやガウル、お前もかよッ!?! 「……全員、空腹かよ!!」 思わず頭を抱えた俺の嘆きなんて誰も気にせず、三人はすでに“朝ごはん”のことしか考えてない様子だった。 (くそっ……二度と外食しないって、昨日あれだけ誓ったのに……!) ――そうして俺たちは、なじみの宿屋兼食堂に足を運んだ。 「いいか、おかわり禁止な!!!」 という、絶対的なルールを設けて。 *** 朝のギルドは、いつにも増して冒険者で賑わっていた。 ざわめきの中を歩けば、昨日と同じく俺たちの前だけ、綺麗に人の波が割れていく。 昨日と顔ぶれは違うはずなのに、やることは皆同じだ。 視線と距離と、わかりやすいほどの気遣い(という名の警戒)。 「……はいはい、モーゼモーゼ」 なんなんだ、この扱い。慣れてきた自分が怖いわ。 そんな空気を切り裂くように、見知った顔が駆け寄ってきた。 昨日対応してくれた、ギルドの受付のお姉さんだ。 「ユーマさん!」 「あ、お姉さん。こんにちは。昨日はどうも」 ぺこりと頭を下げると、お姉さんは小声で挨拶を返しながら、ちらちらと後ろの三人を気にするように目をやった。 (……あー、うん。まあ、そうなるよね) そしてそっと距離を詰めてきて、声を潜めながら言った。 「あの、実は……急ぎの依頼が飛び込んできまして。できればユーマさんたちにお願いしたくて……!」 「急ぎの依頼……ですか?」 俺が訊き返すと、お姉さんは頷きながら、手元の書類をちらりと見た。 「はい。実は――街の南の外れにある採掘坑で、以前落盤事故があって長らく休工していたんですが……」 「……もしかして、再開?」 「はい。坑道のオーナーが発掘を再開する方針を決めたそうで、その前に“魔物が住み着いていないかの調査”と、“いた場合の討伐”をお願いしたいそうなんです」 ふむ、と俺は顎に手を当てる。 よくある話ではあるけど―― 「落盤事故があった場所なら、地盤も怪しいですよね?」 「ええ……そのため、依頼自体は高報酬なんですが、危険度の面から熟練の冒険者にしか回せなくて」 要は、素人には回せないってことだ。 なるほど、そりゃ急ぎで頼みたいわけだ。 「あの……実は、他にもプラチナランクの方々に声をかけてみたんです。でも――」 お姉さんは少し困ったように笑った。 「“坑道じゃロングソードは使えない”“狭い場所で仲間の動きが見えないのは危険すぎる”って。あと、“地盤が不安定だから魔法が使えない”“敵の正体も分からないのは博打だ”って……」 言い終えたあと、彼女は申し訳なさそうに肩をすくめた。 「結局、皆さん“リスクが見合わない”って。断られちゃって……」 「……なるほど、それで俺らに」 確かに、俺たちの中にロングソードや大剣使いはいない。魔法なんて俺のしょぼいヒールのみ。 狭所での取り回しなら、うちのパーティーはまだ向いてるほうかもしれない。 ――でもな。 それ以前の問題として、俺には一つ、深刻な懸念がある。 (……そもそも、こいつらマッチョすぎて通れるのか?) いやマジで、通路が人ひとり分の幅だったらどうすんだよ。 筋肉で壁こすってガリガリ言わせながら進む羽目になったら、笑えないぞ。 頼むから「つっかえて進めない」とか、そういうギャグみたいな展開だけは――本当に、やめてくれ……。 お姉さんの話がひと通り終わったところで、俺は後ろを振り返り、仲間たちの顔をざっと見渡す。 クーはやる気満々の笑顔、アヴィはいつも通り微笑んでいるけど、すでに頭の中でルート計算してそうな目をしてる。そして―― 「……どうする、ガウル?」 一番経験も知識もある彼に、自然と視線を向ける。 ガウルは腕を組んだまま、しばらく何も言わず、じっと受付のお姉さんの話した坑道の地図を見つめていた。 やがて、低く、しかしはっきりと頷いた。 「引き受けよう。落盤跡ってのが気になるが……慎重に動けば、問題はない」 掲示板に視線を流すだけで、ガウルは他の依頼をざっと確認する。 わずかに眉をひそめたあと、短く言った。 「……今日は他に、めぼしい依頼もないしな」 「了解。じゃあ俺たち、今日の予定は“坑道攻略”ってことで」 「ありがとうございます。本当に、助かります」 お姉さんが安堵の笑みを浮かべたのを見て、少しだけ気が引き締まる。 ――まあ、不安は山ほどあるけど。 せっかく頼ってもらえたんだし、やれるだけ、やってみるか。 依頼はすぐ正式に受理され、俺たちは防具屋へと向かった。 防具屋といっても、鎧や盾ばかりを扱っているわけじゃない。 この店は“道具屋”も兼ねていて、実際のところ、冒険に必要な装備やアイテムの大半はここで揃う。 ガウルの助言を受けて、俺たちは松明にロープ、落盤対策のピッケル、それに非常用の携帯食もいくつか買い込んだ。 坑道は何があるか分からないし、準備だけは入念にしておいて損はない――らしい。 *** 街の南外れ、人通りもまばらな岩場の丘を抜けた先に――目的の坑道はあった。 岩肌をくり抜いたような坑口には、錆びかけた鉄柵が立てかけられ、「立入禁止」の札が斜めにぶら下がっている。 あたりはひんやりと静まり返っていて、遠くの風の音だけが耳に残る。 「……ここが、例の採掘坑か」 ガウルが前に出て、柵をどかすと、ギィ、と金属が軋む音がした。 坑道の入口からは、冷えた空気と、どこか湿り気を帯びた土の匂いが漂ってくる。 「うわ、なんか空気がもう……『ダンジョンです!』って主張してない?」 俺がぼやくと、後ろでクーがにこにこしながら手首を回している。 アヴィは相変わらず無言で坑道の奥を見つめ、光の届かぬ暗がりへ目を細めていた。 「……松明、つけるか」 俺は腰袋からファイヤースターター(火打ち石)とたいまつを取り出し、手慣れた手つきで火花を散らす。数度の火打ちの末、ぱち、と小さな炎が揺れ、薄闇にオレンジ色の光が灯った。 「ふぃー、これで準備万端っと……」 たいまつを持ち直しながら振り返ると―― そこには、松明なしで坑道の奥を見つめている三人の姿。 「あれ? お前ら……火、いらないの?」 俺の問いに、ガウルはちらりと振り向くだけで、再び無言で前を向いた。 アヴィは軽く瞬きし、少し申し訳なさそうに口を開く。 「……ああ、言ってませんでしたね。僕たち獣人は、夜目が利くんです。 ある程度の暗闇なら、光がなくても問題ありません」 「……マジかよ!?」 俺だけ、たいまつ。 俺だけ、必死に火起こししてた。 なんだこの理不尽な差。 「安心して。ユーマの松明は、みんなのためにも必要だよ」 クーがいつもの笑顔で俺の肩をぽん、と叩いた。 「オレたちが見えるのと、空間全体を照らすのは別だし、ね? ほら、落とし穴とか……」 「不穏なこと言うな!?」 ため息をつく間もなく、ガウルが前を向いたまま言った。 「無駄話はその辺にしておけ。行くぞ」 「……了解でーす」 たいまつの炎を高く掲げ、俺たちは坑道の奥へと足を踏み入れた。 入り口を過ぎた途端、外の陽光は完全に遮られ、世界は一気に闇へと沈む。 ひとたび足を踏み出せば、もう戻れないような閉塞感が、じわじわと背中を這い上がってくる。 俺は必死にたいまつを掲げ、心許ない炎で足元と岩壁を照らす。 先へ進むごとに空気は冷え、湿り気を帯びていく。土と鉄の匂いに、どこか“生き物の息づかい”のような得体の知れない気配が混ざり始めた。 「……なんか、空気が変わってきたような」 「中層域に近づいてるな。気をつけろ」 ガウルの警告に、全員の足取りが慎重になる。 そのまま進んでいくと、突然、目の前の通路が開けた。 ――岩壁に囲まれた、広大な空洞。 天井は高く、たいまつの炎では到底届かない。 頭上を仰ぐと、闇がそのまま口を開けているかのように見えた。 足元には、ひび割れた古い枕木が残り、ここがかつて鉱石の運搬路だった名残を物語っている。 その時だった。 ――ギィィ……ッ!! 耳を裂くような、金属をひっかくような鳴き声が、突然、頭上から降ってきた。 「なっ……!?」 反射的に見上げた俺の目に、たいまつの炎が映し出した“それ”が飛び込んでくる―― 翼を広げれば大人一人ぶんはありそうな、巨大な黒いコウモリ――キロプテラ。 その赤く鈍く光る眼が、こっちを狙っている。 しかも、数は一匹じゃない。天井に張り付いた無数のシルエットが、カサリ……と動いた。 「やば……っ!!」 俺は後ずさり、たいまつを構え直す――その瞬間。 一匹のキロプテラが、滑空するように飛びかかってきた。 「うわっ、ちょっ、マジか――っ!?」 振りかざす余裕もない。ヤバい、これは――! バシィィィィィン!!!!!! 何かが空気を割った。 俺の目の前で、キロプテラが肉塊のごとく地面に叩き落とされる。 「……!?」 見れば、クーが悠然と片手を振り下ろした体勢のまま、俺の前に立っていた。 「だいじょーぶ♡ユーマには、俺がついてるよ?」 「ヒィィィィィ!!!」 まるでハエたたきのごとく、クーの剛腕で地面に叩きつけられたキロプテラは、羽が変な方向に折れ、羽ばたく代わりにピクピクと痙攣している。 ついでに地面に「べちゃっ」という不快な音がして、俺の中で“虫”カテゴリに分類された。 「ム、ムリ……ムリムリムリ……!!」 俺が必死に後ずさるのとほぼ同時に、鋭い声が飛ぶ。 「ご主人様っ、下がって!」 アヴィの声だ――と、同時に。 バサバサバサッ! 天井の奥、闇の中から、無数の影が羽音を鳴らしながら音を立てて降ってきた。岩肌をかすめる音、ひゅうっと空を切る風圧―― 「来るぞ!」 ガウルの低い声が響いた次の瞬間、闇の中から金属を引っかくような鋭い鳴き声が飛び交い、巨大な黒い翼が空間を埋め尽くす。 キロプテラが光に向かって突撃してくるように、俺たちめがけて一斉に飛びかかってきた――! 本来はミディアムソードを主武器にしているガウルだが、この狭い坑道では刀身の長さがネックになる。 今は腰に差していた予備の短剣を引き抜き、素早く構えた。 一歩、前へ出る。 群れの先頭を切ってきた個体の喉元を、迷いなく斬りつける。 ――スパァン。 予備とは思えぬ切れ味で首が宙を舞い、羽ばたきも悲鳴も消え、巨体は無音で地に落ちた。 まるで斬ったことすら意に介さないように、ガウルはそのまま次の個体へと身を翻した。 「飛べなきゃ、ただの獣ですね」 アヴィは片膝をついて姿勢を落とし、鋭く跳ね上がる。 狙うのは羽根――飛翔の要だ。 ザシュッ! 舞う羽根。断ち切られた飛翼をばたつかせるも、バランスを崩したキロプテラは地面に墜ち、アヴィのナイフがその眉間を正確に貫いた。 そして―― 「ユーマに手ェ出しちゃダメだよ」 クーが俺の腕を軽く引き寄せ、さり気なく背中へと庇った。 満面の笑みを浮かべたまま、迫ってきたキロプテラを平手で叩き落とす。 「……もう、怖くないよ?」 ――目の前の怪物より、クーの甘い笑顔の方がよっぽど怖い。(いや、別の意味で!) その直後、さらにもう一体が背後から忍び寄る。 「……クー、余所見するな」 静かな声と共に、ガウルの一閃が闇を裂いた。 今度は首ではなく、心臓を正確に突いていた。 刹那、羽音が止み、空間が沈黙する。 気づけば、全てのキロプテラが地に伏していた。 「クー、油断するな」 「だって……ユーマが怖がってたんだもん」 「ユーマを危険に晒すなと言っている」 「……ガウル! 大丈夫だから!」 思わず声が出た。 俺の貧弱が原因で仲間割れとか、マジで勘弁してほしいんですけど!? 「ほら、もしもの時はヒールあるし……うん。……ありがと、二人とも」 クーが嬉しそうに俺を見て、ガウルは眉間に小さく皺を寄せたまま目を逸らした。 その様子を見ていたアヴィは、意味ありげに微笑んで――なぜか、鼻で小さく笑った。 ――それぞれの“やり方”で戦いを終えたあと。 残ったのは、静寂と、ほんの少しの鼓動の余韻だった。 息を整え、俺は腰袋から地図を取り出す。 松明の灯りで湿った紙を広げながら、胸の奥で小さくため息をついた。 「……この先、分かれ道がある。左に行こう。右は袋小路になってて、退路を塞がれたら危ない」 ガウルとアヴィは地図を一瞥しただけで、すぐに頷いた。 無言だけど、ちゃんと理解したうえで判断を任せてくれているのがわかる。 クーはと言えば、地図を見てもよくわかってなさそうな顔で、でもニカッと笑って親指を立ててきた。 「よく分かんないけど任せた♡ 俺はユーマの言う通りにするから」 ……うん、ありがとう。でもせめてちょっとは分かってくれ。 それでもこの無言の信頼――いや、もはや全幅の信頼が、なんだかやけに嬉しかった。

ともだちにシェアしよう!