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第77話 仔竜の贈り物③

 午後は、生徒それぞれが持つ能力(スキル)に合わせた特別授業だ。俺はもちろん――治癒魔術科一択。  他クラスと合同でも、ヒーラー志望は十人にも満たない。  ドォォォォンッ!!  演習場の方角から校舎が震えるような爆裂音が響き渡った。  続いて「キャーッ♡ リセルせんぱぁい♡」という女子生徒の歓声と「今の応用魔法、さすがだな!」「ミシェル王子もいるし、攻性魔術科はやっぱり華があるなぁ!」……なんて浮かれた声が廊下越しに聞こえてくる。  ――すっげぇ平和だ。  いや、爆発してるから平和じゃないけど……でもまあ、楽しそうではある。  (リセル……女子にモテモテじゃないか。兄さんはこれっぽっちも羨ましくなんて、ないんだからね!)  俺は恨めしさと羨ましさ半々の目で窓の外を一瞥し、そのまま黙って、自分の“超地味な作業場”へ視線を戻した。  そこにあるのは、人間大の樹脂製ゴーレム。  無機質な顔で仰向けに寝かされ、胸だけがやけにリアルに沈むように造られている。  俺は汗だくになりながら、その胸郭に両手を重ね、体重を乗せて規則正しく押し込んでいた。  「――28、29、30。……気道確保、人工呼吸2回!」  自分でも驚くほど機械的な手際で、ゴーレムの顎を持ち上げ、無表情な口元へ自分の口を寄せる“フリ”をして息を吹き込む動作をする。  そしてすぐさま、また胸骨圧迫へ。  (……なぁ、これおかしくないか?)  額の汗すら拭けないまま、俺は心の中で盛大に叫んだ。  (俺が入学したの、“アルケイン王立魔法学院”だよな!? なのに今やってるの完全に救命士コースじゃねぇか!!)  ふと我に返ると、魔法使いではなく看護学生の実習に紛れ込んだ錯覚さえ覚える。  ――その瞬間。  「リズムが乱れていますよ、ユーマ・クロード君」  背筋が凍るような声がすぐ後ろから落ちてきた。  振り返るまでもない。教鞭を片手に、カーヴェル先生が音もなく立っていた。  氷の湖面のように静かで、底が見えない視線。  「心臓が停止した人間に、いくら治癒魔法(ヒール)をかけても無意味です。魔力とは“生命力”を増幅させる燃料。その前提となるエンジン――つまり心臓が止まっているなら、命は救えません。……基礎中の基礎ですよ」  「は、はいっ……!」  「蘇生判断を誤り、無駄に魔力を消耗し、治療段階でガス欠――。そんな失態、三流以下の笑い話です」  正論すぎて、ぐうの音も出ない。  攻性魔術科の連中が“ファイアーストーム!”だの“アイスニードルッ!”だのキャッキャウフフしてる裏側で、俺たち治癒魔術科は、ひたすら地味すぎる人命救助の基礎を叩き込まれる。  地味だ。とんでもなく地味だ。  ――でも、これがヒーラーの現実だ。  「……ふむ。血流循環の確保については、及第点としましょう」  パン! とカーヴェル先生が手を叩いた瞬間、俺が押していたゴーレムがガシャンと動きを止めた。  ほっと息をついたのも束の間、先生は黒板に三色の紙を貼り付けた。  『赤』『黄』そして――『黒』。  教室の空気が、目に見えて沈む。  「では、次の実習に移ります。――『トリアージ(選別)』です」  その言葉が落ちた瞬間、クラスの緊張が一段階跳ね上がった。  「君たちの中に、上級魔術師や大賢者のように、広範囲を瞬時に癒やす“エクストラヒール”の使い手はいますか?」  シン、と静まり返る教室。  当然だ。マルコム室長でさえ使えない魔法だ。  俺のエクストラヒールは筋肉バフのオマケなので、もちろん黙っておく。  「いませんね。つまり君たちは一度に一人ずつしか救えない。しかし、戦場や災害現場で患者が一人だけ――そんな都合のいい状況は稀です」  淡々とした声なのに、容赦ないほどの現実を叩きつけられる。  「目の前に三人の重傷者がいる。君の残り魔力では二人しか助けられない。……さあ、どうしますか?」  パチン、と指を鳴らすと、三体のゴーレムが同時に赤く発光し、不気味なうめき声を上げはじめた。  魔法負傷のシミュレーションだ。  一体は腹部損傷――内臓が見えかけている重度の出血。  一体は足が不自然な方向に折れた骨折。  そして最後の一体は――頭部に深刻な損傷。反応が微弱すぎる。  「制限時間は一分。診察し、優先度タグを貼り付けなさい。『赤』は最優先。『黄』は待機。そして『黒』は――」  一拍。  カーヴェル先生は、冷ややかな視線で俺たち全員をゆっくり見渡した。  「――『死亡』、あるいは『救命不可能』です」  ゴクリ、と誰かが硬い空気を飲み込む音がした。  「……では、クロード君。まず君から」  「は、はいっ……!」  心臓が一段強く跳ねる。  促されるまま、一歩前へ出る俺。  「――始めなさい」  短く告げられた瞬間、思考より先に身体が動いた。  まず足の個体。意識は明瞭、出血も少ない。これは『黄』。腹部損傷。止血すれば間に合う。『赤』だ。  問題は――頭部損傷の個体。  手が止まる。  魔力感知するまでもない。生命の灯火が、今にも消えそうだ。  俺のヒールを注ぎ込めば、延命くらいはできるかもしれない。  ――だが、その間に『赤』は死ぬ。  これはただの人形だ。分かっている。  なのに、『黒』のタグを貼る手が震えた。  まるで俺が、この胸の中の命を見捨てると“宣言”しているみたいで。  「残り5秒。4、3――」  無情なカウントが迫る。  奥歯を噛み締め、俺は黒いタグを握った。  心の中で、ごめん、と呟きながら、それを胸に貼り付ける。  すぐさま腹部損傷の『赤』を治療すべく、魔力を流し込む。  「……そこまで」  静かな声とともに、実習が終了した。  肩で息をしながら、その場にへたり込む。  手のひらが汗で湿って気持ち悪い。  カーヴェル先生は俺が『黒』を貼った個体を見下ろし、小さく頷いた。  「……正解です、クロード君。あなたの判断で、この『赤』は助かりました」  褒められたはずなのに、胸の奥が重い。鉛みたいに。  「ですが――タグを貼る直前の“2秒の迷い”。本番ではその2秒が、『赤』の命を奪います。非情になりなさい。それが治癒魔術士(ヒーラー)が背負うべき、最も残酷で、そして最も誠実な使命です」  「……はい」  搾り出すのが精一杯だった。  窓の外から、またドォォン!と爆発音。  攻性魔術科の生徒たちは楽しそうだ。  (……俺の学園生活、マジでキラキラ成分ゼロだな)  自嘲するみたいに、苦笑いが零れた。  俺はゆっくり立ち上がり、握りしめた黒いタグを見下ろす。  その冷たさが、手のひらから腕の奥、胸の奥へとじわりと刺さってくる。  魔力が足りないせいで。  知識がなかったせいで。  ――そんな理由で、大切な人を危険に晒したくない。  (……もう二度と、あんな後悔はしない。  助けられたはずの命を、“自分の無知”で失わせるなんて――絶対にしない)  指先に力を込める。  黒いタグが、パキ、と小さく鳴った。  俺が立つべき場所はきっと、光の当たらない裏側――華やかな魔法とは無縁の、戦場の衛生兵みたいな場所だ。  それでも。  俺の前に無言で立つ、その背中を守れるのなら、喜んで、何度でもその影に立つ。  これが、俺が選んだ道。  そして、俺がようやく掴んだ、“守りたいもののためのリアル”なのだから。

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