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第81話 仔竜の贈り物⑦

​ 「うう〜〜っ、ルギちゃ〜〜ん!! 俺っちが餌やり忘れた時に本気で俺っちごと食おうとした件、一生忘れないからねぇ〜〜!!」  王城・城門前の広場では、本来の生息地である山岳地帯へ返すため、ルギちゃんを載せた大型の荷馬車が静かに出立の準備を整えていた。  白い幌布(ほろぬの)の隙間から覗くのは、頑丈な檻。そして――  ロイドさんが、号泣しながら檻にしがみついていた。  涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のまま、白幕の隙間に指を突っ込み、仔竜との最後の別れを全力で惜しんでいる。  俺もその隣に立ち、「……元気でな」と小さく声をかけた。厳つい顔つきに似合わず、仔竜は「クルル……」と喉を鳴らす。  格子の隙間から突き出した鼻先が、フス、フスと小さく呼吸する。  ――撫でてほしいときの仕草だ。  俺は思わず苦笑しながら手を伸ばし、眉間のあたりをそっと撫でて、ポンポンと軽く叩いた。  そして最後に手のひらを額に当て、祈るように“ヒール”をかけてやる。  そして、仔竜の荷馬車を牽く屈強そうな二頭の馬にも近づき、鼻先を優しく撫でて、そっと魔力を流し込んだ。  「……遠い道になるけど、頼むな」  俺がゆっくりと馬車から身を引くと、見送りに出ていたミシェル王子が小さく頷き、御者へと合図を送る。  「それでは……よろしくお願いします」  護衛の騎士団が先導し、幌馬車がゆっくりと動き出す。俺は一行が小さくなるまで見送り、肩の力を抜くようにそっと息を吐いた。  すると、隣で同じように遠ざかる馬車を見つめていたロイドさんが、突然、感心するようにポソリと呟いた。 ​ 「……ユーマ君ってさ、究極的に優しいよね」  「えっ?」  「俺っちが、もし動物だったら……ユーマ君みたいな飼い主に飼われたいな〜、って思うんだよね。うんうん」  顎に手を当てながら、なにやら一人で勝手に納得して頷いているロイドさんを横目に、俺はつい、ロイドさんの猫耳と首輪姿を想像してしまい、背筋にぞわりと悪寒が走った。  「……やめてくださいよ、ちょっとゾワゾワするんで!」       「えー! なんでよ! 今だって猛獣何匹も飼ってるようなもんなんだから、癒し系枠で1匹ぐらい増えてもよくない!?」  しかし、背後に“何か”の気配を感じ取ったロイドさんが、ピタリと動きを止めた。  「ふふ。ご主人様に飼われたいんですか……?」  ――気づくと、いつの間にかロイドさんのすぐ後ろ、触れられるほどの至近距離に、アヴィが立っていた。  瞳の奥は氷のように冷たいのに、口元だけは優雅な微笑みを浮かべている。肌に突き刺さるような、純粋な殺気。  ロイドさんは一瞬だけ喉を鳴らし、視線を逸らして咳払いひとつ。  「……あ、うん。やっぱりいいや。ユーマ君ち、たぶん――俺っち、生きて帰れる気しないから」  「……大丈夫ですよ。痛いのは、最初だけですから」  「……ッこえぇ〜〜よぉぉぉ!!」  ロイドさんの悲鳴じみた絶叫が、遠ざかりながら王都の空に吸い込まれていった。  だがアヴィは、逃げ去るロイドさんなど道端の小石ほどにも意に介さない。  先ほどまで漂わせていた氷のような冷気を一瞬で霧散させ、いつもの優雅な微笑を唇に浮かべると――迷いなく、俺の手を両手で包み込むように取った。  「ご主人様。……僕も、撫でてください」  「……は?」  思わず間の抜けた声が漏れた。  いや、今の流れでそのお願いはおかしくないか?  (『も』ってなんだよ、『も』って!? まさかさっきの仔竜と馬のアレか!?)  悲鳴を上げて逃げていったロイドさんの残像と、目の前で静かに――だが一切引く気のない、真っ直ぐな視線を向けてくるアヴィを、俺は交互に見つめる。  ……ダメだ。  この状況じゃ、仔竜との別れの余韻に浸る時間なんて、これっぽっちもありゃしない。  俺は小さく苦笑いしながら、そっとアヴィの頭に、手を置いた。  *** ​ ガウルが不在になってから、気づけばもう三週間が過ぎようとしていた。 ​ あの仔竜――ルギちゃんは無事、本来の生息地である山岳地帯へ還され、工房『ウォルカーヌス』に依頼していたミディアムソードも、予定通り問題なく納品された。  黒く輝くその剣は今、俺の部屋で主人の帰りを静かに待っている。 ​ 準備は、万端だ。  あとはあいつが帰ってくるのを待つだけだが――その前に、ちゃんと筋を通しておきたかった。  アルケイン王立魔法学院、放課後の教室。  俺は帰り支度をしていた背中を見つけ、努めて明るく声をかけた。  「ミシェル王子、少しお時間――よろしいですか?」  振り返ったミシェル王子は、俺の姿を認めると、そっと表情を緩めて柔らかな微笑みを浮かべた。  「ユーマさん。どうなさいました?」  「あの……先日は、本当にありがとうございました。ロイドさんから聞きました。ルギドの鱗の件……王様にまで掛け合って、正式な許可を取ってくださったと」  俺が深く頭を下げると、王子はわずかに目を細め、静かに首を横に振った。  「礼を受けるようなことではありませんよ。あれは本来、貴方方が受け取るべき正当な『報酬』です。仔竜を守り、王都の混乱を防いだのですから」  「……でも、あんな……貴重なものを……」  「国にとっては、ただの“素材”に過ぎません。ですが――」 ​ 王子は一歩、こちらに距離を詰め、真っ直ぐに俺を見つめた。  「貴方にとっては、大切な人を守るための『力』になる。……そうでしょう?」  その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。  ――この人には、きっと全てお見通しなのだ。俺が何を恐れ、何を守りたいのか。  「……はい。おかげで、最高の剣ができました。ガウルが帰ってきたら、胸を張って渡せます」  「ふふ……それは楽しみですね。あのガウルさんが、どのようなお顔をされるのか……想像するだけで、微笑ましいです」  王子は小さく声を漏らして笑い、冗談めかすように人差し指を口元に添えた。  「ロイドも助かったと申しておりましたよ。『ユーマ君が受け取ってくれなかったら、俺っち、王様に雷を落とされるところだった〜!』と、本気で泣いていましたから」  「……あはは。ロイドさんらしいですね……」  窓の外から、夕刻を告げる鐘の音が響く。  「――ああ、もうこんな時間ですね。引き止めてしまってすみません」  「いいえ。ユーマさんのお顔が晴れていて、僕も心から安心しました」 ​ 王子は鞄を持ち直し、優雅に一礼する。  「ガウルさんがお戻りになったら、ぜひ新しい剣のお話を聞かせてくださいね」  「……はい。必ず」  教室を後にする王子の背を見送りながら、俺はそっと拳を握りしめた。  ――準備は整った。  王子の後押しもある。剣も、気持ちも。  あとは――  茜色に染まる空を見上げ、胸の奥で高鳴る焦りを宥めるように、俺は小さく息を吐いた。  そして荷物をまとめ、帰り支度を始める。  教室を後にして階段を降り、学舎を出る。  すぐ前に広がる噴水広場を抜け、そのまま校門へと向かった。  ひんやりとした風を頬に受けながら、俺は真っすぐ自宅のある方向へ歩き出し――校門を抜けた、その時。  「――おい」  不意に鼓膜を震わせた、低い声。  咄嗟に足を止め、弾かれるように振り返る。  夕陽の朱が届かない、校門脇の死角。  その暗がりに溶け込むようにして――腕を組み、壁に背を預けた男が立っていた。  「……ガウル!? お前、帰ってたのかよ!」  俺が掠れた声を上げると、ガウルは暗がりからゆっくりと歩み寄ってくる。  茜色の光が銀髪と狼耳を撫でた瞬間、俺は思い知らされた。  ――三週間前と、何ひとつ変わらない。  どこか鋭くて、近寄りがたい雰囲気を纏っている。それでいて、どうしようもなく見慣れた、彼の姿だった。  ガウルは俺の頭のてっぺんから足先まで、確かめるように視線を走らせてから、小さく呟いた。  「……変わりないか」  「……ああ。そっちは? ミスリル、手に入ったのか……?」  わずかな間のあと、ガウルは短く頷く。  「ああ。……少し手間取ったがな」  そう言って、腰の鞘からミディアムソードを引き抜いた。  刃毀れひとつなく磨き上げられたその刃は、夕暮れの光を受けて――まるでガウルの銀髪のように、静かに、そして力強く煌めいていた。  ガウルが大事にしている、ただ一振りの愛刀。  「……よかったな。ちゃんと、直って」  自分でも分かるほど、声がかすれていた。  悟られたくなくて視線を逸らすが――案の定というべきか、ガウルは鋭く目を細める。  俺の顔を、獲物を値踏みするみたいに射抜いてきた。  「……何を、隠してる」  「べっ……別に。何も、隠してねぇって」  俺が反射的にそう言い返すと、ガウルはフッ、と鼻を鳴らした。  「……嘘だな」  どこか愉しげな、含みを持った笑み。  修復された愛刀を鞘へ納めると、ガウルは一歩踏み込み、無造作に俺の顎を掴んだ。 ​ 「っ……!」  抵抗する間もなく、強引に上を向かされる。  至近距離で交わる視線。  熱を帯びた金の瞳が、逃がさないと言わんばかりに俺を射抜いていた。ガウルは、いたずらな笑みを深め、親指で俺の唇の端を愛でるように撫でる。  「……だが。後ろ暗いことじゃなさそうだな」  「あっ、当たり前だろ! 離せって……!」  ガウルの体温と匂いにドギマギしながら、俺は焦って周囲に視線を走らせた。  下校途中の生徒たちが、二人の世界に入り込んでいる俺たちを、遠巻きに、そして興味津々に眺めているのが見える。  (……ヤバッ! ここ、校門前じゃねぇか……!!)  顔から火が出るかと思った。  俺は咄嗟にガウルの腕を振り払い、そのまま袖を掴んで強引に歩き出す。  「ほ、ほら! さっさと帰るぞ!! みんなお前の帰り、待ってたんだからな!!」  早口でまくし立てる俺に引かれるまま、ガウルは低くぼそりと呟いた。  「……待ってないだろ。俺がいなくて、清々してるのが約一名いるはずだ」  「……アヴィはともかく! クーもチビたちも、すげぇ会いたがってるからな」  「……あんたは?」  不意打ちだった。  ガウルは俺の手首を掴み返し、身を寄せて耳元に顔を落とす。  「あいつらのことは、どうでもいい。……あんたは、どうなんだ?」  低く、掠れた囁きが鼓膜を震わせる。  心臓が大きく跳ねた。  触れられた耳から首筋にかけて、一気に熱が駆け上がる。  視界の端で、人の往来がぼやける。  羞恥と、積もりすぎた三週間分の感情が、一気に噴き上がった。  「……っ、うるせぇ!!」  俺は半ばやけくそに叫ぶ。  「ああ、そうだよ! 心配だったし……会いたかったよ! 悪いかよ!!」  吐き出すように叫んで、息が乱れる。自分の顔が、どうしようもなく熱い。  けれどガウルは、それ以上なにも言わなかった。金の瞳を細め、どこか満足そうに口角を上げる。  「……いいや」  短くそう言って、深く、優しい笑みを浮かべた。  そして、静かに俺の隣へと歩み寄る。  夕暮れに染まる朱の道を、家のある方角へ――  俺たちは、並んで歩き出した。

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