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第82話 仔竜の贈り物⑧

 「「「ユーマの兄貴! ガウルの旦那! お疲れっしたァァ!!」」」  「あー! ガウルおかえりぃ〜♡ 大変だったね〜?」  「あ、……生きてたんですね。おかえりなさい」  ガウルと並んで帰宅すると、チビたちを筆頭に個性の濃すぎる面々が入り乱れて玄関ホールになだれ込んできた。  「ガウルさんお疲れさまでした」  「……おかえり……なさい」  「なあ、お土産あるか?」  リィノ、リーヤ、ライトはその背後から控えめに顔を覗かせている。  「……このうるささ、久しぶりだな」  「……だろ?」  ガウルは眉間に皺を寄せて苦笑しつつも、どこか悪い気はしていない様子だった。長い尻尾をわずかに揺らすガウルを、俺は肘で軽く小突く。  「ちっとばかし早ぇですが、晩飯にしやしょうかね? もう仕込みは終わってるんでさぁ」  チビの提案に、俺はあらためてガウルを振り返った。  「ガウル、腹減ってるか?」  「……ああ。今日は朝から、なにも食べてない」  「え? なんでだよ?」  俺が理由を問うと、ガウルはバツが悪そうに口を噤み、視線を逸らした。  その瞬間、クーがニヤリと笑い、俺とガウルの肩に背後から腕を回して、強引に割り込んでくる。  「ユーマに早く会いたかったんでしょ〜?♡」  「それしか考えられませんね。家に帰るより先に、ご主人様のいる魔法学院へ会いに行くくらいですから」  「……黙れ」  どこか棘を含んだアヴィの追撃に、ガウルは鋭く睨み返した。 ​ 「さあさあ! 立ち話もなんなんでぇ、ここらでひとつ乾杯といきやしょうかね! 今日は旦那の帰還祝いってことで、これから大急ぎで特上ミノタウロス肉のステーキ、こしらえますんでさぁ!!」  チビたちの野太い号令とともに、俺たちはダイニングテーブルへと雪崩れ込んだ。  テーブルの上には、樽ごと置かれたエール。  杯を傾けながら待っていると、次々と料理が運ばれてくる。  山と積まれた肉の塊。脂を滴らせる丸焼き。大皿からはみ出すほど盛られた豪快なサラダ。ぐつぐつと音を立てる濃厚シチュー。そして、無造作に転がされたチーズと、籠いっぱいの果物。  男所帯らしい豪快さの塊のような光景だが、今の俺たちには、それがなにより魅力的だった。  ガウルは、目の前に置かれた巨大な肉塊をナイフで大雑把に切り分けると、躊躇なく口へと運んだ。  咀嚼し、喉を鳴らして飲み込む。  空っぽの胃袋に染み渡るのがはっきりと分かるほど、美味そうに、そしてどこか野性的に食らうその横顔を、俺は思わず見つめてしまう。  「……どうした、食べないのか?」  「あ、いや……食うよ。ガウル、美味いか?」  「……ああ。悪くない」  素っ気ない返事だったが、その尻尾が椅子の背もたれの後ろで、満足げにゆらりと揺れているのが見えた。  それを見て、俺も自然と口元が緩んでしまう。  「兄貴! こっちのシチューも自信作っすよ! 精がつきます!」  「あーもう、わかったから! 自分の皿に入れろって!」  「おかわりー!」  「ご主人様、口元にソースがついていますよ」  「……このお肉、おいしいね」  「リーヤ肉ばっかだな!」  「そう言うライトも、肉しか食べてないじゃない」  飛び交う怒号と、食器が触れ合う音。  肉の焼ける匂いと、誰かの笑い声。  ――騒がしい。  本当に、耳が痛くなるほど賑やかだ。  スープを口に運びながら、俺は胸の奥に、じんわりと温かい何かが広がっていくのを感じていた。  ガウルがいないだけで、この喧噪すらどこか物足りなかった。  今は、隣に彼がいる。  いや、ガウルだけじゃない。  きっと誰が欠けても、ダメなんだ。  みんなが揃っているから、飯がうまい。  この騒がしい声さえ、心地よいBGMのように聞こえてくる。  ふと、ガウルが食事の手を止め、視線だけで俺を捉えた。  「……なんだ、ニヤニヤして」  「……べっ、別に。なんでもねぇよ」  俺は照れ隠しに肉を頬張り、咀嚼して飲み込む。  腹の底から湧き上がる満腹感とは違う、もっと深い場所が、満たされていく感覚。  (……おかえり、ガウル)  言葉にせず、俺は心の中でそっと呟く。  この騒がしくて、愛おしい日常が、ようやく帰ってきたのだと――噛み締めるように、俺はもう一口、スープを飲んだ。  ***  食事が終わったあと、俺は一人きりで自室にこもっていた。  ベッドの上に置かれた黒い鞘の剣を見下ろしながら、何度目かもわからないため息を吐く。  (……渡しそびれた)  腹は満たされたのに、胸の奥が落ち着かない。  ガウルの隣で笑っていたくせに、肝心なことだけが、どうしても言えずに終わってしまった。  「……何やってんだよ、俺」  剣の柄に指をかけ、そっと抱きしめる。  胸に押し当てると、冷たいはずの鞘が、妙にぬくもりを持ったように感じられた。  ――コンコン。  静かなノックの音が、部屋に響く。  一瞬、ガウルかと思い、身を固くした。  「……はい」  だが、戸を開けた先に立っていたのは、ガウルではなかった。  「……失礼します、ユーマさん」  穏やかな声。  柔らかく笑う、リィノだった。  「あ……リィノ……」  視線が、俺の腕の中の剣に落ちる。  「……やっぱり、まだだったんですね」  責めるような響きは、まるでない。  ただ、静かに状況を受け取った、という調子だった。  「……情けないよな。あんなに意気込んでたのにさ」  「いいえ」  即答だった。  リィノは少し首を振って、俺をまっすぐ見る。  「……大切なものだから、でしょう。だから、簡単に差し出せないんです」  胸の奥を、やさしく指でなぞられたみたいな言葉だった。  「怖くても、いいんですよ。ちゃんと“決めたい”って思っている証拠ですから」  リィノはそっと剣に視線を送り、静かに微笑んだ。その言葉が、俺の背中を優しく押してくれる。 ​ 「……そうだよな。ありがとう、リィノ」  俺が勇気づけられ、顔を上げた、まさにその瞬間だった。背後の廊下の闇から、一際大きな影が滑り出てきた。  そこに立っていたのはガウルだった。  夜の廊下の闇を背に立つ彼は、いつも通り無表情……のはずなのに。  金の瞳だけが、まっすぐに俺と、リィノを見ていた。  鋭い、刃みたいな視線。  けれど、リィノは動じなかった。  何も言わず、同じ温度の目でまっすぐ見返す。  沈黙は短かった。  先に口を開いたのは、リィノだった。  「……それでは、俺はこれで」  俺にだけ、ほんの少しだけ柔らかな視線を向ける。  「おやすみなさい。ユーマさん、また話を聞かせてくださいね」  そう言って、静かに一礼し、ガウルの横をすり抜けて廊下へと消えていった。  俺は剣を抱きしめたまま、リィノの背中が闇に消えるのを見送った。そして、ドアの前に立つ、重苦しい空気を纏ったガウルに、恐る恐る顔を上げた。  ガウルは、リィノが消えた暗がりから視線を戻し、俺を見下ろす。  その瞳には、まだ獲物を狙うような鋭い光が残っていた。  「……あいつと、随分仲が良くなったようだな」  「……は? バカ、違うって! あいつはただ、俺がうじうじしてたから背中を押してくれただけで……」  俺の弁解など聞こえていないのか、ガウルは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、一歩踏み込んで俺との距離を詰めた。  圧倒的な体格差。彼の影が俺をすっぽりと覆い隠す。  「……で? そいつはなんだ」 ​ ガウルの視線が、俺が抱きしめている剣に落ちる。  もう、後戻りはできない。俺は観念して、それを彼に突き出した。  「……これ、やるよ。お前のために、用意した……剣だ」  沈黙。  空気が張り詰める。  ガウルは、すぐには手を伸ばさなかった。  ゆっくりと視線を落とし――黒い鞘を見る。  そして。  ガウルは大きな手でそれを受け取った。  ずしり、とした重みを感じたのか、彼の眉がわずかに動く。 ​ ガウルは静かに柄を握り、ゆっくりと少しだけ鞘から引き抜いた。 ​ シャラッ……  澄んだ金属音が静寂な廊下に響く。  夜を閉じ込めたような漆黒の刃。  鱗の文様が、淡く光を受けて浮かび上がる。 ​ ガウルが息を呑むのがわかった。  彼は刃を光にかざし、その輝きと、鍛え上げられた波紋を食い入るように見つめた。  「お前の剣……直ったって聞いたけど。でも、予備くらいにはなるだろ。……俺が、お前のために工房に頼んで打ってもらったんだ」  俺がボソボソと言うと、ガウルは長い沈黙の後、剣を鞘に納めた。  そして、信じられないほど愛おしげに、その鞘を指で撫でる。  「……なるほどな」  ガウルの口元から、先ほどのリィノへの苛立ちは完全に消え失せていた。  代わりに浮かんでいるのは、獰猛なほどの独占欲と、歓喜。  「……隠してたのは、これか」  「わ……悪いかよ。い、要らなきゃ他の奴にやれよ。言っとくけど、それ、めちゃくちゃ高ぇんだからな……!」  言い終わるより早く、ガウルは空いた片腕で俺を力強く抱き寄せた。  逃げ場のない抱擁。彼の体温と匂いが、一気に俺を包み込む。  「……馬鹿。誰が他の奴にやるか」 ​ ガウルは俺の髪に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。  「……これはあんたが俺のために用意した剣だ。俺が貰う」  耳元で囁かれる低い声が、甘く溶けるように俺の芯を揺さぶる。  その声色だけで、彼がどれほど喜んでいるかが伝わってきて、俺の胸も熱くなった。  「……そ、そうかよ……」  「ああ……」  俺が顔を上げると、ガウルは俺の手を取った。  至近距離で輝く金の瞳が、熱っぽく、どこか妖艶に揺れている。 ​ 「……俺も、あんたに渡すものがある」 ​ ガウルは俺の手を引き、顎で階段のある廊下の奥をしゃくった。 ​ 「来てくれ」  有無を言わせない声。  俺は頷き、言われるがまま、二階の突き当たりにある――もはやガウルの私室と化した部屋へついていくのだった。

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