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第87話 仔竜の贈り物⑬
ガウルも戻ってきた。
ついでに仔竜も――なぜか――戻ってきた。
俺の平穏も、まあ概ね、戻りつつある……はずだった。
そんな、ある日の放課後。
「おい! 正門前にマッチョな獣人が三人で仁王立ちしてるらしいぞ!」
その叫びが耳に飛び込んできた瞬間、鞄にしまおうとしていた魔導書を持つ手が、ピタリと止まる。
(……ああ、はい。なるほど)
嫌な予感だとか、推測だとか、そんな段階は一瞬で吹き飛んだ。
この平和な魔法学院の正門において、「マッチョ」「獣人」「三人」「仁王立ち」この四語が同時に成立するケースなど、天地がひっくり返っても一通りしかない。
(……ガウルと、クーと……あとアヴィだな)
脳裏に浮かぶ、愛すべき――そして重すぎる同居人たちの顔。
「守衛もビビって近づけないらしいぞ」 「おい誰か、声かけてみろよ」「えー、やだよ、怖いもん。お前がやれよ」
教室がざわめく中、俺は虚無の表情で、静かに魔導書を閉じた。
(……あいつら、絶対に俺を迎えに来ただけだ)
だが、他人の目にはそれは「迎え」ではなく、どう見ても「包囲」か「制圧」である。
しかも、わざわざ三人そろって。過保護にも、ほどがある。
(……俺の平穏、短かったな……)
重たい溜息をひとつついて、俺は覚悟を決めるように立ち上がり、そして足早に歩き出した。
正門の向こう側。
もし効果音が付くなら、間違いなく「ドドン!!」だ。
そんな音が聞こえてきそうな威圧感で、ガウルたちは堂々と胸を張って立っていた。
そして見事なまでに、その周辺だけ人がいない。
男子生徒は露骨に遠回りし、女子生徒は一定の距離を保ったまま、ひそひそと囁き合いながら遠巻きに眺めている。
(無駄に顔だけは王族レベルだからな……)
「あ! ユーーマーー♡ おかえりーー♡」
俺に気づいたクーが、満面の笑みでぶんぶんと両手を振る。
その瞬間、周囲の視線が一斉に俺へ突き刺さった。
やめろ。お願いだからやめてくれ。
言いたいことは山ほどある。
だが、まずはこれだ。
――俺は、ボウリングの球さながら、真正面から突っ込んだ。
もちろん、ストライクなんて都合のいい結果にはならない。屈強な三人の壁に跳ね返され、見事にガター一直線である。
「オイ! お前ら何やってんだよ!!」
「……見れば分かるだろ」
腕を組んだまま、ガウルが低く言い放つ。
「ご主人様を迎えに来ました」
対照的に、隣から飛んできたのは、どう考えても恋人との待ち合わせみたいな声だった。
「は? わざわざ三人でか……?」
「三人揃って来たわけじゃありません」
アヴィが、涼しい顔で即答する。
「僕が最初に待っていたところに、ガウルさんとクーさんが後からノコノコやって来ただけです」
「なんだその偶然! お前ら仲良しか!!」
俺が突っ込むと、三者三様の反応が返ってきた。
「……こいつらと一緒にするな」
ガウルは不機嫌そうに鼻を鳴らし、そっぽを向く。
「心外ですね。僕を、この野蛮な方々と同列に語らないでいただけますか?」
アヴィは大袈裟に肩をすくめ、氷のような冷笑を浮かべる。
だが、クーだけは満面の笑みでトドメを刺した。
「えへへ、みんな考えてること一緒だね♡」
……うん。否定のタイミングまで息ぴったりだな。
「はいはい、分かりましたよ。……ほら、さっさと帰るぞ」
すれ違う生徒たちの視線が痛い。「あれが噂の……」「猛獣使い……」なんて声が聞こえてくる。一刻も早くこの場を離脱したい。
(このままだとヒーラーじゃなくて、モンスターテイマーだと誤解される……!)
俺は苦笑いを浮かべつつ、逃げるように歩き出した。
当然のように左右と背後を固めて歩き出す三人を横目に、ふと思い出して声をかける。
「あ、そうだ。悪い、帰る前に一箇所寄っていいか?」
「ん? どこだ」
横を歩くガウルが、肩越しに振り返る。
「まぁ、ちょっとな。来れば分かる」
***
鍛冶屋 の敷居をまたいだ瞬間、鼻腔を突く煤と鉄の匂いが肺に流れ込んできた。
「……来たな。“例のもん”、できてるぜ」
作業場の奥から、低くしゃがれた声が飛んでくる。
「無理を言ってすみません……」俺がそう言うと、店主は鼻で笑った。
「いいや。こんな機会、めったにねぇからな。こっちも、気合が入りすぎちまったくらいだ」
そう言いながら、店主は大切そうに抱えていた包みを、慎重にカウンターへと運んだ。
まず、乾いた金属音を立てて、鈍色の鞘に収まった一本の短剣が滑り出る。
続いて、その隣にそっと並べられたのは、吸い込まれるような美しい曲線を描く弓だった。
無駄のない肢体に、硬質な輝きが宿っている。
頼んだのは、ルギドの鱗で打った短剣と弓だ。
弓には、グリップ部分と、弦を引っ掛ける上下のリムチップに鱗を使ってもらっている。
もともとは、ガウルのミディアムソードを打った際、思いのほか鱗が余ったのがきっかけだった。
それならば――と。
アヴィとクーにも、何か一つずつ作ってやれないだろうか。そう考えて親方に相談した結果が、この組み合わせである。
本当は、短剣を二本そろえてやりたかった。
だが、そうすると今度は弓を諦めなければならない。
悩みに悩んだ末の、苦肉の選択だ。
ちなみに、代金は分割払い。
ガウルの剣を作った時点で貯金がほぼ底を突いていた身としては、正直かなりありがたかった。
「この前、ガウルの剣を作っただろ? そのあと……実は、こっそり別注で作ってたんだ」
実のところ、ガウルと剣を交換してからというもの、クーは何ひとつ変わらず、いつも通りの天真爛漫な笑顔で場を和ませていた。
――けれど、問題はアヴィだった。
彼は俺に対しては平静を装い、むしろ以前よりも丁寧な態度を取るようになった。
……けれど、ふとした瞬間に見せる、どこか捨てられた仔犬のような、陰のある視線を俺は見逃さなかった。
その表情の変化を横目にするたび、俺の中に、説明のつかない罪悪感が芽生えては、抜けない棘のように、胸の奥に残り続けていた。
俺は三人に、優劣をつけているつもりは一切ない。
だが、俺の何気ないプレゼント一つで、誰が一番だの、誰が特別だのと勝手に順位をつけられ、一人で勝手に落ち込まれるのは――正直、精神的にくるものがある。
「ほら、これはアヴィの分な」
俺が受け取った短剣を、そのままアヴィの方へ差し出すと、彼は弾かれたように俺の顔を見て、それから吸い寄せられるように短剣を手に取った。
アヴィはゆっくりと、その中身を確かめるように鞘を抜く。
「……ルギドの、短剣……?」
「ああ。ガウルの剣を作った時に出た……余った鱗でな。本当は一対にしたかったんだけど、素材が足りなくてさ。だから――お前の双剣の片方と、入れ替えて使えないかと思って」
一瞬の沈黙。
(……しまった。“余った”は余計な一言だったか……?)
胸に小さな不安が芽生えた、その直後。
今まで一度も聞いたことのない、冷たく、それでいて妙に熱を帯びた声で呟く。
「……ガウルさんの、残り物……」
「あ、いや! 性能は本当にいいんだぞ!? そこは保証するし……!」
「いいえ」
アヴィは、俺の言葉を静かに遮った。
顔を上げたその瞳は、暗い炎を宿したように揺れ、まっすぐ俺を射抜いてくる。
「いただきます。……いえ、これを使わせてください」
そう言って彼は、腰に差していた愛用の双剣の一本を鞘ごと外し、迷いなく俺に差し出した。
「え? アヴィ?」
「ご主人様。このミスリルの短剣は、貴方が持っていてください」
「……は? 俺が?」
「はい」
アヴィは、ゆっくりと、妖艶に微笑んだ。
「ガウルさんのミディアムソードより、僕の短剣の方が軽いですし。護身用には、こちらの方が最適でしょう? 僕の分身だと思って、肌身離さず持っていてくださいね」
最後の言葉と同時に、アヴィの視線が、ちらりとガウルへ向けられる。
ガウルは何事もなかったかのように腕を組み、沈黙を貫いていた。
引きつった笑みを浮かべる俺の横で、クーが、おずおずと声を上げる。
「ユーマ、ありがとう♡ オレの弓まで、作ってくれてたんだ♡」
クーは弓を胸に抱きしめ、宝物を見るように目を輝かせている。
「さすがに弓は予備で取っとけよ。俺、弓なんて使ったこともねぇし」
肩をすくめてそう言うと、クーは一瞬きょとんと目を瞬かせ――
次の瞬間、不満そうに頬をぷくっと膨らませた。
「えー! オレもユーマにあげたかったのにぃー!」
「いや、だから貰っても困るっての……」
「じゃあさ♡」
クーは弓を抱えたまま、ぐいっと距離を詰めてくる。
「今度、オレが手取り足取り遣い方教えてあげるよ♡ 二人きりで♡」
――その瞬間だった。
「ダメですよ、クーさん」氷の刃のように、アヴィの声が割り込む。
「貴方はまだ、ご主人様との外出禁止令が解除されていませんから」
「ええー!!」
クーが悲鳴めいた声を上げる。
「オレ、いつまでユーマとデート禁止なのぉ!!」
騒がしさが最高潮に達した、その時。
「……あんたら悪いけど」
作業場の奥から、心底うんざりした声が飛んできた。
「デカいし、うるせぇし、気が散る。用が済んだら、とっとと出てってくれねぇかな」
店主の一言に、場の空気がピタリと止まる。
「……はい! すみません!! すぐ出ます!! ありがとうございました……ッ!!」
俺は内心で五体投地しながら、態度と図体と声がデカい三人をまとめて店から引きずり出した。
「……怒られちゃったね♡」
「ったく、お前らが騒ぐからだろ!」
店を出て、夕暮れの街を歩きながら――つくづく思う。
全員、性格も考え方も、愛し方さえもてんでバラバラだ。
圧倒的な力で外敵をねじ伏せようとする奴。
甘い言葉と狡猾な執着で逃げ道を塞ごうとする奴。
無邪気な笑顔でいつの間にかパーソナルスペースを侵略してくる奴。
どれが正解で、どれが間違いなんて、たぶん最初から存在しない。
それでも。この三人が同じ歩幅で俺の隣を歩き、同じ熱量で俺の名前を呼ぶ。
ただそれだけで、胸の奥のざわつきが妙に収まってしまう自分がいる。……それが、正直一番厄介で、一番タチが悪い。
ふとした視線を感じて顔を上げると、案の定、三人の目がこちらを捉えていた。
氷のような執着、獣の独占欲、そして底知れない親愛。それぞれ違う温度の眼差しが、逃げ場のない檻みたいに俺を囲む。
俺は深く息を吐いて、自嘲気味に苦笑した。
(……まあ、今さら、逃げる気も起きないけどさ)
完済の目処が立たない武器のローンと、分割不可能な濃密すぎる関係。
――今日も俺は、この非日常という名の日常を、騒がしく生きていく。
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