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第1話

「先輩!先輩……愛しています」  さらさらと木々が揺れ、緑の隙間から暖かな光が漏れる。風が「さくら」の花びらを攫い、駆け抜けていく。いや、これは、1年生の必修実技「色つき雪」のカケラだろうか。先輩、僕ならもっとうまくできます。 「すげーうれしい。けど、ごめん。男同士じゃ血が途切れるだろ?」  先輩は、ミルクティーのような優しい声でそう告げて、困ったように笑う。辛そうな表情。僕は、そんな顔させるために言ったんじゃない。  初めて人と繋がりたいと思った。この人を信じてみたいと願った。だから、たくさん覚えた言葉の中から、一番相応しそうな物を探し出して、声に出した。だけど、こんな言葉じゃ足りない。こんなのじゃ、僕の中の、自分では止めることのできない狂ったどろどろは伝わらない。 「わかってます……でも……」  頭の上に、大きな手のひらをふわりと乗せられる。その感覚を味わうために目を閉じると、涙が一筋、滑り落ちていった。 「生まれ変わったら、一緒になろうな」  叶わぬ夢のような、残酷で、けれども優しい約束。 「約束、ですからね?」  止まらない涙が、僕達の未来を示している。だけど、僕の全細胞が、それを受け入れようとしない。今はただ、「生まれ変わったら」というその言葉が、組織液に代わって僕を満たす……  これは、とある魔術師が、セカイを敵にまわしてでも、愛を貫くお話。 「いーえ。誰も信じない狂人が、世界を憎しみ殺すお話です」  慎重に、ビーカーの中の液体を量りながら、ラブ・ウェルシアは毒づく。透明度の高い緑色の液体はきらきらと流動して、どうしても心が凪ぐが、それでも彼の眉間の皺は、刻まれたままだった。不機嫌そうな顔は、生まれつきらしい。  魔術師のラボというと、薬品の匂いが漂い、魔術書や様々なレシピが綴られた羊皮紙が、規則性を持ったように散乱し、ビン詰のナニカが書架の一部に置かれていたり、火の加護を受けるため暖炉が設置され、その他は全体的に暗い空間、というものが多いだろうか。  ところが、ラブ・ウェルシアお気に入りの、彼専用ラボは、自宅の地下に設けられているにも拘らず、常に南中並みの明るさで、シングルベッド程の大きさの作業台がひとつ、壁一面にはウォールナットの一枚板が垂直に取り付けられ、棚の役割を果たしていた。その棚には、場所ごとに置くものが決められていて、本、薬品、ビン詰のエリアと、小物を収納するための小さな箱が敷き詰められているエリアがある。そして暖炉はなく、代わりに少し大きめのアルコールランプが机上に置かれているだけだ。  そこで今、魔術師ラブ・ウェルシアは、作業台に向かい黙々と何かを生み出している。 「独り言こわーい。この人やばーい」  ザザザとノイズが混じる、低い声が聞こえた。調子は上げているようで「尚更耳障りだ」と、ラブは思った。 「君。使い魔のくせに主をやばい人呼ばわりかい?」  足元に視線を送り戒めたが、黒い猫は小さな肩をスイとすくめるだけだった。 「あと、猫は普通、人語を理解しても話せない。紛らわしいから語尾にニャーをつけてくれ」 「そんな事より、晩ごはんを食べてから針が一周した。もうすぐ来るんだろ?監視。ニャー」  猫のくせに下手くそな「ニャー」の後で、後方に身を縮め、前足で舵を取り、流れるように力を移動させ、後ろ足でその力をコントロールして作業台の上に飛び乗った。着地は羽のように軽やかなので、物を揺らしてラブに咎められる心配はない。自身の見事なジャンプに気が昂ぶったのか、自慢の後ろ足で耳の後ろを得意げにシャシャと掻く。 「ああっ、やめろ!毛が舞うだろっ」  ラブは慌てて、手に持っていたビーカーと試験管を猫から遠ざけて置き、ポケットから、自作の魔動式空気清浄器を取り出して放り投げる。赤血球のような形のそれは、ふよふよと浮遊し、真ん中のくぼんだ部分から、猫の毛が混じった空気を吸いこんで、その反対側からはきれいになったものを出す。  役目を終えた魔動式空気清浄器は、自らラブのポケットの中へ帰って行った。 「そうだよ。針が一周したら、どうなるんだっけ?あと、監視じゃなくて監査」  ラブは、猫が「1時間、明日に近くなる」と答えるのを「よくできました」と褒めながら、先程守ったビーカーと試験管の中の液体を何度か行き来させる。ポン、とコミカルな音がして、試験管の中に、形がヒヨコマメに類似したピンク色の固体が6つ、発生する。 「『For You』だ。今晩はマグロかな?」 「残念、納期は明後日だ。お金も明後日」  残念そうに試験管の中身を見つめる猫の頭をポンポンと撫でてやる。もちろん、毛が飛ばぬよう最善の注意を払って。  「For You」は、ラブが独自開発した、端的に言うと「惚れ薬」だ。仕組みは、意中の相手の「少しの好意」を爆発的に増大させ、短期間で本物の恋人関係と変わらぬ感情を抱かせる事が出来る。その効果はホンモノで、それが人伝いに広がり、切羽詰まった女性から多くの支持を得ている。  その結果、ラブは自分のラボを持つ事ができ、生計も保てている。金貨を貯めて、自分専用の大きな暖炉を買う事が直近の目標だ。認めたくはないが、この薬は魔術学園時代のとあるひとつの失恋の賜物だ。  作りたての「For You」を小瓶に詰め、しっかりと封をする。それを確認した猫はようやく少しの緊張から解き放たれ、盛大に毛をまき散らそうと、作業台の上でごろんと転がり始める。 「土産持ってこないかなー、監査のヒト。ニャー」  「持って来るわけないだろ?気が利かない奴だ、あったとしても、どうせまずいホームクッキーだ」  ラブが、苦虫を噛み潰したような顔で猫をたしなめていると、こんこん、と、表玄関のドアをノックする音が聞こえた。ラブは面倒くさそうに螺旋階段を上り、1階へ出るための丸いドアのハンドルに手をかける。それと同時に、猫が階段の一番上で、好奇心に満ちた目でドアが開くのを待つ。 「いいかい?絶対喋るなよ?」  猫はニコリと笑い、こくこく、2回頷いた。

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