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6 王の器と精霊の化身の覚醒
聖堂に屋根裏部屋があるなんて、聞いたことがない。
「あるんだよ。聖堂は丸屋根だが、合議の間の天井は丸くなかったろ」
だがエリセイの言うとおり、小ぢんまりとした部屋に行き着いた。
木の寝台、一人用の木机と椅子、暖炉でもういっぱいだ。明かり取りの高窓から淡い夕陽が射し込んでいる。
「もとは管理人の部屋だろう。今は近くの村の者がたまに掃除にくるくらいだから、坊っちゃんたちが合議中にのっぴきならなくなった場合に備えて、寝具を整えといたんだ。まさか自分で使うとはなあ」
エリセイが苦笑いで寝台に腰掛ける。父の小屋の寝台並みに軋むのも構わず、自分も隣に乗り上げた。
エリセイの剣を提げた帯革と騎士服に手を伸ばすが、指先がもつれてうまく脱がせられない。
「おっ、ふたりきりになるなり積極的じゃないか。俺も早くこうしたかったから歓迎だが」
「それより傷を……傷を出せ」
切実に求める。
エリセイは急に艶然と微笑み、自分の騎士服に手を掛けた。見せつけるかのごとくゆっくり上衣の留め具を外し、黒い下着 も首から引き抜く。
がっしりした首、筋肉に覆われた肩と腕、厚い胸板、割れた腹――逞しい上半身が露わになった。こちらの肌より一段濃い色なので、陰影がくっきりと浮かぶ。
脇腹の創傷は掠り傷とは言えないが、思ったより深手でもない。
「母君の厨子が知らぬ間に服の中で移動してた」
でも痛そうだ。血の臭いもする。
(早く癒してやりたい)
跪礼するみたいに上体を折り畳み、傷を何度も手で撫でた。精霊王から授けられた加護を分けるために。
万一痛くないよう、触れるか触れないかの力加減を心掛けるうち、血が止まる。頭上でエリセイが熱っぽい息を吐いた。
さらに唇を寄せれば、傷口が徐々に塞がっていく。自分が癒す側に回ってみると不思議なものだ。
「ん……、んっ」
自分から他人に口づけるのははじめてなので拙いものの、エリセイが癖毛を掻き混ぜてくる。調子が戻ってきたか。
「……ふう。どうだ、もう痛まないか」
ひとしきり癒して身体を起こすと、エリセイは余裕たっぷりに口角を上げた。
「スフェンのおかげでな。で、どうだ。おまえさんと俺が運命の番だって認めるか」
言い回しを真似して問われる。はっと我に返った。
(守りたい一心で、夢中で癒して……)
そう、癒せた。しかも、律しきれない発作状態である。全身が火照っている。
さすがに頷かざるを得ない。
「おお。のんびりを封印して駆けずり回った甲斐があった」
自分はエリセイにとって特別ではないと、何度も言い聞かせた。そう思っておけば叶わなくとも傷つかない。でも、誰よりも特別だというなら――嬉しい。
(出会えたのも、叶ったのも不思議だ)
「っと、俺の血でずいぶん唇が赤くなってる。目に毒だ」
嬉しさを噛み砕けないでいたら、エリセイが腰を捻り、屈み込んできた。唇をぺろりと舐められる。血か。治癒以外に一切気を払っていなかった。手の甲で唇を拭おうとするも、エリセイの大きな手に止められる。
「んっ、」
再度唇が重なった。
やわらかく、熱い。至近距離にある緑眼が「目を閉じて」と促してくる。
まだ戸惑いながらも従った。
それを合図に、下唇を食まれる。上唇も。ちゅ、ちゅっと音を立てて血を舐め取られた。次は口の中まで舌が入ってくる。
「ん、ぁ……なに……っ、……」
エリセイの舌は厚く、ねじ込まれるとしゃべるのもままならない。目を閉じているぶん、咥内で自在に動く彼の舌の感触を鋭敏に感じてしまう。
歯と肉の境目や、上顎のざらざらしたところを舌先が掠めると、身体の芯がじんと痺れた。
(そんなところまで、血がついているか?)
血の味はしない。それでも顎に手を添えられ、口を大きく開かせられる。半信半疑で応じる。
「う、ぅん……、は……ぁ」
舌同士を絡め合わせるのが気持ちよくて、つい声が漏れた。どっと唾液が分泌し、溢れて口の端を伝う。ちらりと目を開ければ、その色は赤でなく透明だったが、口づけをやめられない。
エリセイも同じ状態のようだ。ここぞと唇を貪ってくる。
「エリ、セイ……っ」
腰を抱き寄せられる。慣れた様子だ。もう片方の手で雀斑や耳、騎士服越しに胸までくすぐり出したので、名を呼ぶ。しかし何の窘めにもならない。
エリセイの大きくて暖かい手には、安心するし、逆らえないのだ。
行為はいつしか、傷を癒すものから、官能を喚び起こすものに変わっていた。
エリセイがやっと舌を解く。すうう、と深く息を吸い込んだ。芳香を味わっている。
「やっぱり甘い、いい匂いだ」
治癒は済んだのに、発情発作は収まらない。身体の奥深くまで甘い熱で満たされない限りは――。
言葉にしなくとも目を合わせただけで、エリセイはこちらの欲を理解した。騎士服の上衣をみるみる脱がされる。腕を上げたりと、柄にもなく協力する。
白い騎士服を脱いだ今は、使命はいったん横に置いておき、ただの「スフェン」ということにしよう。
「はあ……」
ぎゅっと抱き締められ、肌を直接触れ合わせる心地よさに息を吐く。エリセイが「人肌に勝る暖房具はない」と言っていたのはこれか。
「こんな感覚は、はじめてだ」
「そりゃよかった」
エリセイの弾む声が、耳のすぐ近くで聞こえる。もはや完全にしなだれかかっていた。服を脱ぐと体格差が強調されるが、悔しさを安心感が上回る。
ただ、はじめてだけに、このあとどう動けばいいかわからない。
エリセイがおもむろに腕の力をゆるめる。体温が名残惜しくて「あ……」と上目遣いに見上げると、合議での演説時に劣らず真剣な緑眼とぶつかった。
「スフェン。番の儀式をしないか」
「番の儀式?」
耳慣れぬ単語に、小首を傾げる。
「ほんとは居城に戻ってからと思ってたんだが。夜は長いし大丈夫だろう」
「具体的に何をするんだ。……結婚の宣誓か?」
半ばお預け状態なのもあり、説明を急かす。
以前、「番う」とは結婚かと考えた。それなら運命の番と認めて即しなくてもいい気がする。
「いや。結婚同然ではあるがな。史料を総合すると、アルファと結婚したオメガの芳香が他の男にも効き続けてるのは、儀式によって正式に番ってないからだ。番えば相手を見つけるための芳香は要らなくなる。運命の番も、繁殖周期の他は近づく度じゃなく癒しが必要なときのみの発情になるとさ」
(正式に違う、儀式か)
エリセイは合議の準備をしつつ、史料調査も継続していたらしい。声を潜めて明かす。
「儀式の方法は、お互い発情して達する瞬間に、アルファがオメガの項を噛むこと」
「……どんな冗談だ」
半眼でエリセイの胸板をはたいた。さすがに肉体的過ぎる。
「ほんとだって。番うとは何なのか突き止めようと、密会前に王城書庫の床にばらばら落ちてる頁まで漁ったんだぞ。試してみればわかる」
だがエリセイは譲らない。上半身裸で寝台を降り、跪きさえした。
「スフェン。結婚より強い絆を、俺と結んでほしい」
緑眼は祈るようにただひとりを見つめている。くしくも、発作めいた症状が出た自分をあれこれ世話してくれた出会いのときと同じ体勢だ。
あのとき運命を感じなかったのではなく、運命が何か知らなかったに過ぎない。
だが、「結婚同然」「結婚より強い」と聞いて、却って躊躇いがよぎった。騎士にしては細い腕できゅっと膝を抱える。
「わたしで、いいのか? 父君に、貴族のオメガとの縁談を勧められているのではないか」
エリセイは数度瞬きしたのち、これみよがしに溜め息を吐いた。興醒めさせたか。
次の瞬間、膝を抱える腕のさらに上から抱き込まれた。優しく、強く。
「俺がスフェン以外に目移りする男に見えるか?」
「そうじゃない、」
「うちの城に潜伏中、父もおまえさんを至極気に入ってた」
「えっ?」
合議までの期間、身分を伏せてエリセイの居城に世話になったのだが、彼の父が常ににこにこしているのは、戦いを好まない性分ゆえと思っていた。
「それに、俺が誰と番いたくてこうなってるか、わかれ」
エリセイはこちらの手を、自らの下半身へと導いた。熱く硬いものが下衣を押し上げている。すごく窮屈そうだ。
「愛してる。信じてもらえるまで何度でも言う。今、スフェンと愛し合うのに何の障壁もない。俺たちが頑張ってなくしたんだよ。このときのために頑張ってきたと言っても過言じゃない。障壁も制約も他に優先すべきこともないなら、スフェンはどうしたい?」
畳みかけられ、目の奥が熱くなった。
先に信じてくれるのも、愛してくれるのもエリセイだ。
まだ未来の見えない時点でも、命を救ってさえくれた。
彼と一緒だから、今日この日に辿り着けた。
「……わたしも、愛するエリセイと番いたい」
何度目かの正直で、本当の想いを伝える。幼く見えてもいいからできる限りの笑顔とともに。
エリセイも晴れやかに笑った。
この緑に、はじめて出会ったときから惹かれていた。調子を狂わされるほどに。
「その言葉を聞きたかった」
もともと馴鹿毛皮を敷いてあった寝台に、エリセイが自分の騎士服の毛皮側を重ねて敷く。
そこにうやうやしく横たえられた。下衣の帯革 を外され、靴を脱がされつま先に口づけられる。下着も取り払われ、まっさらな裸体にされる。
(ああ……何も隠すものがない)
他人に裸を見せたことはない。もじもじと局部を手で覆う。エリセイはその仕草を「可愛い」と言った。
剣を突きつけるどころか、嬉しいなんて思う。
「寒くないか?」
甲斐甲斐しく気遣われる。暖炉に火が入っており、毛皮に包まれている上、エリセイが腿を跨ぐ形で身体を寄せてくれているので、寒くはない。それより、
「……恥ずかしい」
羞恥で逆に熱いくらいだった。
早くも音をあげそうになる。裏腹にエリセイは悪戯っぽい笑みを深める。
「小屋では奔放だったのに」
「あれは死後の夢だと思っていたんだ」
本物のエリセイには知られない前提での痴態を引き合いに出され、居たたまれない。
「ひぁ、っ」
そっぽを向いたら、あれも現実だと思い出させるかのごとく、胸の尖りに吸いつかれた。高い声が出る。エリセイの舌はしっとりして熱く、粘膜を擦り合わされるとたまらない。乳首がぷくりと赤く腫れ、より敏感になる。
「は……っ、あ、ぁっ、……うぅん」
湧き上がる性感を持て余し、エリセイの頭を掻き抱いた。短い髪がさらさらと肌をすべるのすら刺激になる。
エリセイは左右の乳首を交互に、熱心にしゃぶっていたが、つ、と上体を起こす。息を切らしているこちらの眼前に、大きな手を翳した。
「これ、何だと思う?」
人差し指と中指の先がてらりと光っている。融けた雪より粘度があり、体液のようだ。でも、覆うもののなくなった性器はまだ兆していない。残る可能性は――。
「スフェンの愛液だ」
エリセイが雄っぽい興奮を隠さない声で囁く。しかも指先をちゅぱっと口に含んでみせた。
いつの間にか後腔も弄られていたらしい。
つまりオメガとして言い訳の余地もないほど発情し、エリセイもまたアルファとして誘発発情していると、自覚させられる。
「小屋で癒したときが周期の発作だったとしても、あれから六日経ってる。もう収まったはずだ。これは俺に狂わされた発作だよな?」
「わかって、いる、くせに……」
エリセイを睨み上げるが、目じりに生理的な涙が滲み、煽っているようにしか見えまい。実際、エリセイがごくりと喉を鳴らす。
ずっと自律していたのもあり、こんなに愛液が溢れてくるのは経験がない。発情中だけ腹の奥に拓かれる、子を孕む器官を否が応にも意識する。
煩わしく思っていた。今は、そこにエリセイを受け入れられるのが嬉しい。エリセイが運命の相手だったのも。エリセイと番えるのも。
「……はやく」
少しだけ素直になる。
エリセイがやにわに両膝を掴んできた。あっと思う間もなく、がばりと大きく開かされる。
震える性器も、その下の薄紅色の窄まりも、エリセイの視線から逃れられない。
「ほんとに、どこもかしこも可愛い」
エリセイはうっとりと呟き、後腔の縁を指の腹でくるくる撫でる。その刺激でまた愛液が滲み出してすべりがよくなり、つぷんと指先を呑み込んだ。
「んぅっ」
「痛いか?」
違う意味で絶えず声が出てしまいそうで、奥歯を噛み締めて首を振った。さっきのは未知の感覚に驚いたに過ぎない。内側の襞をエリセイの熱い指に撫でられるのは、むしろ気持ちいい。
(好んでいるエリセイの手を、こんなふうに使われるとは……)
「俺がはじめてなら、ちゃんと解さないとな」
エリセイは愛液を襞に摺り込むみたいに指を動かし、少しずつ奥へと進む。
「うあぁっ!?」
腹側の一点を押し上げられ、腰がびくんと跳ねた。今のはいったい――。
「はは。スフェンのとびきり気持ちいいところだ。あとでたくさん擦ってやるよ」
声を低めて予告される。待ち遠しくも怖くもあり、ナカが勝手に指を締めつけた。エリセイは「こら」とちっとも怒っていない声で言い、指を二本に増やす。
「……あぁ……あっ、ぁ」
小さな屋根裏部屋が、愛液を掻き回される水音と、自分の嬌声、反射的に腰が動いて起こる衣擦れで満ちる。エリセイの焦れた息遣いも時折混じった。
「俺のに比べればまだ狭いが、だいぶ拓いてくれた」
いったん指を引き抜かれる。悦 過ぎて苦しくもあったので、息を整えられると思いきや。
エリセイは自分の帯革をしゅるりと引き抜いた。
「躊躇いもはじらいも融かしちまおう」
そう言い放ち、残りの服も豪快に脱ぐ。発達した臀部と太腿、そして大きく色濃い性器がお目見えした。触ってもいないのに勃ち上がっている。
(すごい……これがアルファの……。これを挿れて、エリセイと番う――)
「スフェン、こっちを見ろ」
緊張を見越してか、立ち膝のエリセイが優しく声を掛けてくる。従順に目を合わせた。
かつてイスに在り、今後イスに増えていくだろうみずみずしい緑。見惚れるうち、立派なものを正面から宛がわれる。
後腔の縁がはくはくとエリセイの性器に取りついた。身体は正直だ。
息で笑ったエリセイが腰を前に押し出す。いちばん太い先端が挿入 ってくる。
「……っふ、……大き、いぃ」
さすがに息が詰まった。喉を反らして喘ぐ。エリセイがあやすように癖毛を撫でてきた。それでいて、ぐ、ぐっと腰を進める動きは止めない。こちらも止めないでほしかったから構わないが。
「ふぅ……、うぅ、ん……」
結合が深まる毎に、歓喜の息を吐いた。
(融けて、溶けて、ひとつに、なっていく)
互いの境がわからなくなるくらい、粘膜が絡み合う。
「あぁ、奥……、ほんとうに……ぁる」
腹奥にはオメガだけの分かれ道ができている。エリセイは自分のための器官のほうに正確にもぐり込んだ。
「ぁん」
突き当たりに、暖かいものが触れる。いちばん深いところまで辿り着けたと精霊王に証明するかのごとく、居座る。
「奥のくびれが俺のかたちにぴったりだよ、スフェン。どうして知ってた?」
エリセイがこちらの頭の横に両手を突き、容赦なく体重を掛けてきた。寝台だけでなく、めいっぱい開いた腿の付け根の骨も軋む。それすら甘く受け止めるのは。
「……運命の番だからだろう?」
掠れ声で請け合う。顔もすっかりとろけていると思う。エリセイにしか見せないから、よしとしよう。
エリセイは意表を突かれたみたいに目を見開いた。かと思うと艶めかしく微笑み、こちらの両手をまとめて毛皮に縫い留める。少し勢いをつけて腰を引く。
「あ、ぁっ、待って」
性器が抜けていく感覚は、埋められるのとまた違う悦 さがあった。快楽が腰から手先足先へと波及する。ただエリセイが離れていくさみしさもあって、小声で「寒い」と訴える。
エリセイはくすりと笑い、結合が解けるぎりぎりで止まった。ずずっ、と再び押し入ってくる。浅いところでそれを繰り返す。
「は、ぅ、……んっ、……ぅあ」
どんどん湧いてくる愛液とエリセイの先走りとで、滑りがいい。
「ん、っ、熱……い」
先ほどと正反対の一言を口走る。摩擦熱や波及する熱だけでなく、エリセイの体温が高いのだ。発情によってより高くなっている。
密令中少し誘発発情していたんだなと、今になって答え合わせする。
もっと熱くなりたい。
口に出したわけではないが、視線が交差するや、鼠蹊部を鷲掴まれた。
腰が浮き、挿入の角度が変わる。性器の張り出したところを、中ほどの腹側――さっき予告した箇所に擦りつけられる。
「ひゃ! っそこ、……ばかり、だめ……っ」
「すまんが聞けない注文だ」
エリセイも粘膜を擦り合わせるのが気持ちいいらしい。ぬちゅぬちゅと音を立てて腰を振り続ける。
「はあ……番の儀式だからか? 誘発発情でもこんなに興奮するのはじめてだ」
エリセイが上擦った声で言う。
その言い回しに、婦人方やオメガの影がちらついた。本人は禁欲的などとのたまったが、エリセイの魅力に気づく者が他にもいたかもしれない。
(でも、今日からは、わたしの番だ)
自分に夢中にさせてやればいいと、エリセイの腰に脚を巻きつける。絶え間ない刺激に内壁が収縮し、エリセイの性器を締めつけた。
覿面にエリセイが喜ぶ。
「スフェン。もう一度奥まで挿れたい」
拒むわけがない。圧し掛かってくるエリセイの脇腹に手を添え、引き寄せさえする。
(あ……創傷痕の引き攣れがなくなっている)
手と唇で癒した傷がどこだったかわからないくらいすべらかな肌と、張りのある筋肉の感触しかなかった。驚きと安堵とで、何度も脇腹を撫でる。
「やっぱり挿入すると各段に治癒が進むな」
エリセイも気づいた。真似するみたいに、こちらの上半身に斜めに走る傷痕をなぞってくる。
「……おまえさんを斬ってしまったときの感覚を上書きさせてくれ」
自罰的にも見える顏で言い、肩口から腰まで、何度も大きな手を往復させた。
ときにゆっくり、ときに早く。貂 毛皮のようにやわく、かと思うと塞いだ直後の薄い皮膚引っ掻く。
「く、……ぅん」
むずむずと、得も言われぬ性感が生まれる。単なる傷痕に未知の感覚が刻まれていく。
エリセイの嫌な記憶も、愉しい記憶に塗り替えられただろうか。
「ひ、あ、ぁっ、あ」
傷痕を弄られると同時に、ずぶずぶ突き下ろされた。エリセイの手と性器、どちらにどれだけ快楽を与えられているのか、混乱してくる。
「ふ、……んんっ、……ぁ、はぅ?」
「感じてるな。可愛い身体に傷痕が残ってほしくないと思ってたけど、少し残ってもいいかもしれん。丸ごと性感帯になるから」
また怖いことを言われた。
処理しきれないうちに、会陰をエリセイの下生えがくすぐる。あられもなく脚を開いて、大きく熱いエリセイの性器を根もとまで咥え込んでしまった。本当に誂えたかのようだ。
「こうすることでも、運命の番かどうか、わか、る……な」
「はは、違いない」
エリセイが欲情しきった息を吐く。体質が判明してから、男たちに欲を向けられるのは気分がよくなかったが、エリセイに限って好ましい。恋とはつくづく不思議だ。
「ナカにも、俺だけが悦ばせられる性感帯をつくろう」
エリセイは力強く大きく腰を使い出した。
愛液でぬかるんだ内壁をまんべんなく擦られる。奥のわずかにくびれている箇所を弾かれ、甘い悲鳴を上げた。奥にも気持ちいいところがあるのか。腹側のほうは意地悪く外されたり、焦らした上で思いきり擦られたりと、翻弄される。
「あっ、ぁあ! 変に、なりそう、だ……っ。わたしの、身体は、いったい……」
相変わらず傷痕も辿られ、身悶えた。はじめての行為でも、運命の番とだとこれほど乱れるものか? 自分が実はすごく淫らな性質なのでは、と狼狽える。
エリセイはこちらの動揺を知ってか知らずか、耳もとで低く囁いた。
「小屋で介抱したときも、こうして傷痕を愛撫し続けた。身体は憶えてるみたいだな」
何だと――?
意識がないのをよいことに、密かに快楽の種を植えつけられていたらしい。
今度は意識のある状態で、発情で感じやすくなっている身体を、これでもかとまさぐられる。傷痕に留まらず、ぴんと勃った乳首や、いつしか透明な体液を溢す性器にまでエリセイの手が及ぶ。
この大きくて暖かい手は、本当に罪だ。抗議どころか声が大きくなるのを抑えられない。
「スフェンは寝台の中では素直だなあ。愛したぶん善 がってくれるから、可愛がり甲斐があるよ」
疲れ知らずの抽送と執拗な愛撫を施され、エリセイの広い背中にぎゅっとしがみつくしかできなくなる。つい爪を立ててしまい、慌てて手を浮かす。
行き場をなくした手を、エリセイが自分の首に回し直した。
「ヒールオメガは番を癒せるんだ。気遣わなくていい」
そう言ってのけ、わざとなのか、覚え込ませた性感帯をまとめて擦り上げてくる。指先に力がこもり、エリセイの背中の引っ掻き傷ができては消える。
「ひぁ、……ぁん、……っ」
「ん? てことは、こっちもどれだけ激しくしても抱き潰さないわけだ」
甘えるような啼き声の合間に、エリセイがとっておきの閃きとばかりに呟いた。
まさか、これ以上の悦楽に突き堕とされるのか。さすがにおかしくなる。危機感を抱き、規則的に揺れる視界の中、どうにかエリセイの耳を捉える。
「エリ、セイ。わたし、も……君を、気持ちよく、させたい」
荒い息の合間に申し出ると、暴風雪じみた抽送が止まった。
主導権を交代する作戦が功を奏したようだ。……と思いきや、毛皮と背中の隙間に手を入れられ、抱き起こされる。胡坐を掻いたエリセイの腰を跨いで座る体勢になった。
「そうか? じゃ、頼む。スフェンは手綱遣いが巧いもんな」
エリセイが汗で湿った髪を掻き上げ、こちらの顏を下から覗き込みながら嘯く。
(腰を振れ、ということか)
ただその言い方だと、今後馴鹿に乗る度に意識してしまうではないか。エリセイが含みたっぷりに微笑む。確信犯め。
笑っていられなくしてやろう。姿勢を変えたので結合が浅くなっている。奥に迎え入れて締めつけようと、脚の力を抜いて深く沈み込む。
「ん、ぁあっ!」
結果、自分が喘ぐ破目になった。仰向けで突かれるより、奥を押し上げられる感覚が強い。それきり動けないでいたら、エリセイが小ぶりな双丘に手を添えてきて、前後に揺らし始める。
手伝いは要らないと、エリセイの肩を掴み直し、自ら同じ動きに挑んだ。
「ふう……、ぅあ、……っく」
結合部からくちゅくちゅと、先走りと愛液が混ざり合う音が聞こえてくる。でも、やはり自分のほうが感じている気がする。
「……気持ちい、か?」
「うん。頑張ってるのがすごく可愛い」
稚拙な腰遣いのさなか、エリセイの頬の傷痕を撫でて性感帯にできないかと試みても、さっき彼がしてきたほどは手応えがない。
エリセイは今まででいちばん発情しているそうだが、こちらはそれを遥かに超える。
「はっ、ぁっ、今……こんなに、発情しているのに……なぜこれまで、何度会っても、発情しなかった、のだろう……?」
「これまで」は疑問で、「これから」は不安だ。正式に番えば近づいただけでは発情しなくなるという。しかし儀式で溺れるほどの快楽を刻まれて、明日から日常に戻れるのか。
エリセイはこちらの動きに合わせて腰の突き上げを加えながら、口を開く。
「今までもしてたと思うぞ。身体が熱かったり、よろめいたり。スフェン自身は気づかないふりしてたか、耐えてたがな」
言われてみれば――エリセイと身体が触れるほど近づいたり、褒められたり、逆に感心したりしたとき、頬が火照り、指先が痺れ、頭がぼうっとして視界がちかちかしたのを、今さら照合する。ルドルフにそそのかされての一騎打ち中さえもだった。
しかも、そのほのかな発情をエリセイに気づかれていた。
「耐えられたのは、スフェンの鍛錬と――たぶん、まだ俺の覚悟が足りなかったから」
「っ、覚悟……?」
「王として、戦わない、大地を損なわない、自分のオメガを守り愛する覚悟だ」
確かにエリセイは出会いの時点で好戦的ではなかったものの、任務や使命の中では剣を振るうのもやむなしという面もあった。
今回の合議の直後、彼の前で強い発作を起こしたのは、百年の戦いを収めるべく活躍した――王に相応しいと運命が強まったゆえ、と解釈できなくもない。合議でのエリセイは本当に頼もしく、好ましかった。
ということは、こちらもこれまでどおりの自分ではいられない。
「俺の覚悟が固まったのは、いつも頑張るスフェンに感化されたんだよ。命を張るおまえさんを、俺も命懸けで守ると決めた。もっとも、命を使うような状況は二度と起こさないが」
ふたりの剣はといえば、木床で重なり合っている。ちょうど持ち主たちみたいに。こうして日がな武器を遊ばせておく未来も遠くはあるまい。
(それでも、構わないか……)
「さて、愛するほうに集中しようか」
エリセイは真面目な話に少し照れたのか、こちらを膝から降ろし、くるりと反転させた。
「ぅ、ん――」
肩甲骨から背筋、尾てい骨へと熱い口づけを落とされ、毛皮にうつ伏せにされる。一瞬離れただけでも隙間がさみしくて、自ら腰だけ高く掲げる体位を取った。
「んぁあんっ」
後ろから一気に貫かれる。ぱんっと肌がぶつかる音がするくらい強く。
思わず毛皮に顔を埋める。エリセイの匂いがした。癒しによって、胸の傷痕はうつ伏せになっても痛まないし、薄くなってもいる。ただ癒したぶん以上に喘がされて、力が入らない。
「スフェンのいちばん可愛いところに、俺のが当たってるよ」
大きな手に、顔だけ横を向かされる。屈み込んできたエリセイに噛みつかれ、ただでさえままならない呼吸を奪われた。エリセイの舌は、最初にこちらが反応したところを的確に責め立てる。上も下もエリセイに占められる。
「……ッ、……~っ!」
腰遣いはもはや発情期の雄馴鹿並みだ。擦られ過ぎて内壁がめくれるのではないかと錯覚する。
エリセイの性器はさっきにも増してふくらんでいた。彼にしか届かない最奥を捏ねられ、瞼の裏にちかりと光が散る。
(これが、いちばん、気持ちいい……)
鍵と鍵穴のごとく性器をぴったり奥まで嵌め込み、円を描くように動かされれば、腹側の一点も奥のくびれも最奥も圧迫される。どれも叫びたいくらいの快楽をもたらすが、特にオメガならではの器官を愛撫されると、とてつもなく満たされる。
その最奥で、ぴくぴくとエリセイが弾けそうになっているのを感じ取って――はたと気づく。必死に口づけを解き、首を振る。
「エリ、セイ、だめだ……子を、孕んでしまぅっ」
発情というからには、発作中のオメガがアルファに精を注がれれば、体質を持たない男女よりも孕みやすい。
「ほんとにだめか? ここを濡らされるのは一際気持ちいいっていうし、スフェンにそっくりの可愛い子を授かると思うけど、な」
だがエリセイは聞く耳を持たず、腰を振りたくっている。
「俺は子どもが好きだし、たくさん欲しいよ。スフェンは?」
「だ、ぁ……め、だ」
エリセイと番になっても近衛騎士をやめるわけではない。子どもはまだ早い。何とか吐精を阻止せんと「だめ」を繰り返す。
すると、エリセイが動きを小さくした。
「じゃあ、俺の腕の中から這い出すといい。俺はスフェンに合わせて動いてるだけだから。ん……ほら、また搾り取ろうとして」
「え……?」
思ってもみない指摘だ。捕らえて離さないのはエリセイのほう――にもかかわらず、なぜか逃れられない。それどころか、物足りなくてエリセイの恥骨に双丘を押しつける。内壁もきゅううっとエリセイの陰茎に絡みつく。
「だめ、……っ、なの、に……止まら、ない……っ」
口ではエリセイを制しながら、腰をくねらせ、快楽を追ってしまう。はじめて味わう気持ちよさは中毒性があって、知らぬ間に身体を支配されていた。
「素直で可愛い、俺のスフェン。儀式もあるし、止まらずいこう」
エリセイも追い上げを再開する。最奥を強弱をつけて捏ねられ続ける。こんな快楽は知らない。エリセイとでないと辿り着かない。
「あぁあっ、……いく――!」
ついにびくびくと身震いした。前への愛撫は一切ないままナカだけで、オメガとして達したのだ。頭が真っ白になって、何も考えられない。
「達する顔も可愛いんだな。もう一回見せてもらおう。なに、儀式だからここを俺の精液で浸しても大丈夫なはずだ」
「ほんとう、か……?」
エリセイは「ああ」と半ば押し切ったあとは、抽送にかかりきりになった。
「ん、ぁ、あっ、んっ、あぁっ」
一度達したはずなのに、快楽の波が引かない。達しぱなしになっているのかもしれない。エリセイに揺さぶられるがままだ。彼を同じところに連れていきたい、と思う。
「スフェン――スフェンに出会えて、よかった……っ」
ほどなく、エリセイが胴震いした。どぷどぷっと最奥に熱い飛沫が散る。
「精霊王の、加護あらん」
忘れず項を噛まれ、番の証を刻まれた。
「ふあぁああ、ん!」
その刺激で自分もまた昇り詰める。彼の言うとおり、一際気持ちいい。重ねられた手を握り込んで叫ぶ。内壁がエリセイの性器を扱くみたいに蠢く。
「はあ、ぁ……」
発情したアルファとオメガらしく、射精もナカの収縮もしばし続いた。至高の絶頂を与え合う。
ナカをたっぷり濡らされたのち、ようやくエリセイが口を離し、歯形に舌を這わせてきた。
「……正式に、番えた、か?」
「これだけすれば、他のアルファを寄せつけまいよ」
噛むという行為は、大地に種を植えつけるのに似ている、と言えなくもない。加護を宿し、愛が芽吹き、末永く幸せが続く未来が見える。
「わたしも、オメガに生まれてよかった……」
汗みずくながら、みずみずしい緑を振り仰ぎ、微笑む。親愛に満ちた口づけで応えられた。
エリセイと一緒なら、自分を肯定できる。どんな未来でも、彼を愛し抜こう。
「……精霊王はなぜ『発情』なんて加護を授けたんだ。子を孕める、だけで充分だろう」
数刻後、風邪を引いたみたいな声で呟く。儀式の余韻から一転、物申したいことがたくさんある。
「イスは雪と氷の国だから、お熱いほうがいいと思ったとか? ……痛た、俺の『剣』を握り潰さんでくれ」
その最たるは、アルファの誘発発情ぶりだ。
儀式中にナカに出されたぶんは、念のため掻き出した、のだが。ねっとりと濃い精液の感触にこちらがほんの少し性感を拾ったら、エリセイの性器は再び熱く硬くなった。
鮭の浮き袋でつくった避妊具があるからと――ちゃっかり携帯していた――、二度目の挿入を許したのが間違いだった。以前は鮭の燻製肉すら受け入れなかったのに。
誘発発情したアルファは、吐精してもすぐ精力を取り戻し、それこそ確実にオメガを孕ませるまで離さない。加えてエリセイは体力があるので大変なことになった。
(いっそ怪我したままにしておくべきだった)
運命の番ゆえ、身体を重ねれば結局傷は治る。本能的な発情に振り回されるうち、寝台に敷いた毛皮が体液でびしょびしょになってしまった。これはいけないと窓の外の雪ですすぎ暖炉で乾かす間にも、また襲い掛かられた。
幾度絶頂に達したかわからない。怪我ではないからか治癒も効かず、もう指一本動かす余力もない。ただ身体を丸めて寝台に横たわる。
裸の背中には、同じくまだ服を着ていないエリセイがぴったりくっついていた。体温のおかげで暖かいが、油断できない。
高窓に映る空が白んでいる。一日の三分の二を占める夜じゅう情事に耽ってしまった。癒そうとする度にこうなるのかと、発作のせいではなく眩暈がする。
「これでは、運命の番の治癒能力も弊害が大き過ぎる……」
「そうかな。一人の男として愛する人を守ることも、騎士として忠誠を尽くすこともできて、俺たちには好都合だと思うが」
エリセイが呑気なようで気高いことを言う。
この特別な力は、王と伴侶として国を収めるだけでなく、王とその伴侶を支えるためにも使えると。
感心してまた芳香を発してしまわないよう、屋根裏部屋の天井――聖堂の丸屋根を見上げる。
アナトリエ家の紋章にも通ずる太陽を表す形。高窓のそばには、ソコロフ家の紋章と同じ鷹の像。
聖堂は百年よりずっと前に建てられた。おそらくソコロフ家とアナトリエ家から王が出ることが多くなった頃だろう。
(もしかして)
かつて新王を選出する合議は、ヒールオメガの選択を承認する場だった。
オメガたちは王と他の候補者とに争わずにいてほしがった。それで彼らを安心させるべく、ヒールオメガに選ばれた公子と選ばれなかった公子が一緒に建てた――なんて。
(さすがに飛躍が過ぎるか)
とはいえ、自分がソコロフ領の小さな村にオメガとして生まれた意味が、アナトリエ領に生を受けたアルファと出会い、その上でソコロフもアナトリエもなく愛し合うためだったのは、事実だ。
甘く痛む腰を庇いつつ、ゆっくり寝返りを打つ。エリセイは嬉々として腕を回してくる。
身体はへとへとだが、エリセイとこうするの自体が嫌なわけではない。確かによぼよぼになる前にするべきだ。むしろ、発情していないときにもしてみたい。それで身体を慣らせば、次の周期の発情発作ではエリセイをもっと愉しませられる……まで考えて、降参じみた気持ちになった。
それも仕方ない。なぜなら。
「……エリセイ。わたしも愛している」
「出会ったときから知ってたよ、可愛いスフェン」
聞こえるか聞こえないかの睦言は、やがて朝陽に溶ける。
その後、レクスとニキータがそれぞれの父親と家臣を説得するのを、エリセイとともに後押しした。その甲斐あって、主人たちは執務室を王城に移すまでに漕ぎ着けた。
体制を変えるには刻がかかる。武装解除し、ソコロフかアナトリエか問わず戦死者と負傷者に補償を出し、家屋や施設の修繕も補助する――というのは綺麗ごとかもしれない。だが、ふたりが本気で取り組めば、まだ静観している貴族たちも恨みを融かし始めてくれるはずだ。そして民の生活が変われば、イスは豊かになっていく。
短い春の訪れを感じる四月。これまでなら二大貴族の戦いが再開するところ、今年はソコロフ城とアナトリエ城より、それぞれの公子一行が同時に王城へ入った。
王城を取り巻く暴風雪は完全に止み、常に雪雲が居座っていた空には晴れ間さえ覗いた。密会時の数倍煌びやかな「精霊の囁き 」に彩られる。
番の儀式を済ませた未来の王とその伴侶を迎えたからにほかならない。
(覚悟を強くしたレクス殿と向かい合っても、ニキータ殿が凛としているということは……だよな)
自分たち以外の近衛騎士たちは、はじめての光景に任務も忘れて見入っていた。この様子が口伝えでイス全土に広まれば、戴冠式もそう遠くないだろう。心から誇らしく思った。
「きっと運命の番がもう一組付き従ってたから大歓迎だったんだな」
エリセイが書庫の階段梯子に腰掛け、ひとり得心する。こちらは彫刻扉の裏に寄り掛かり、腕を組んでいる。
近衛騎士の任務がひと段落した夜。隣り合わせの公子執務室の前で目くばせして、地下へ下りてきた。
今となっては、書庫はいちばん落ち着ける場所だ。
ちなみに扉の表側、彫刻の精霊王は満面の笑顔だった。主人たちの密会時と明らかに表情も姿勢も違う。あのときは腕の形で「危険がある」と伝えてくれていたのだ。
エリセイと出会ったとき扉が少し開いていたのも、彼の仕業に思える。悪戯の範疇か、切実な頼みかは知れないが――。
「この扉の中の本は、運命の番にのみ見つけられる仕掛けだったのではないか」
調査の癖が抜けず推説を述べると、エリセイが「どれどれ」と歩み寄ってきた。扉上部の鍵穴を調べるふりで、番を腕の中に抱き込む。呑気な笑みとともに。
こちらも「まったく、君は」と苦笑しつつ、その広い背中に手を回した。
直接会うのは、聖堂で番の儀式以来だ。
主人のための努力に報いるみたいに叶った、密かな恋を噛み締める。
「俺も後からひとつ気づいた」
エリセイが、癖毛を梳きながら話し出す。
「戦いのきっかけになった百年前のオメガは、葬送もうやむやになったって史料にあっただろ? きっと死んだと思われただけで、運命の番と駆け落ちしたんだ」
ぴくりと顔を上げた。個人的にとても心当たりのある行動だ。
誰も知らない、歴史にも残らない恋のゆくえ。
「で、スフェンの母君の村に流れ着いた」
「ヒールオメガの伝承を遺した本人、だというのか」
「ああ。癒す力の自覚があったんだろう。その子孫が、おまえさんってわけだ。命を張るところも可愛いのもよく似てる」
「まるでその目で見てきた口ぶりだな」
「俺にとってはスフェンのほうが可愛いがな。……おっと」
エリセイは軽口に甘言を交ぜるようになった。逆にこちらは剣を突きつける腕が鈍った。革の鞘に入ったままの剣先に、エリセイが頬を寄せる。もはやじゃれ合いだ。
「彼の運命の番は、ソコロフ家公子でもアナトリエ家公子でもなく、他の家の公子だったと」
ふと、告悔を書き残した名もなき貴族が思い浮かんだ。
「うん。ふたりで癒し合いながら戦いを止めようと奮闘したが、力及ばなかった。せめてと次代に託したんだと思う」
木彫りをつくる母の祈るような横顔、父の「精霊を宿す大地の子ども」と呼ぶ声がよみがえる。
どれだけ恨みや悲しみが積み重なろうと、いつか手を取り合えると信じた。
「一理ある。わたしたちは、もう殺し合わない」
数か月前は敵として出会った、今は唯一の番を見上げ、凛と決意を口にする。
努力破れて精霊界へ旅立った百年前のヒールオメガを、戦いで死んでいった者たちを、生き返らせてやることはできない。しかし当代の王とその伴侶を、自分の運命の相手を守ることはできる。刻を越えて意志を引き継いだ。
エリセイも廉潔に頷く。かと思うと緑眼に慈愛を浮かべ、堪えきれずといったふうに唇を押しつけてきた。
「ん――、ふ、……ぁ、……」
目を閉じて、しばし口づけに没頭する。
エリセイは舌も温かく、こちらの好む触り方を知り尽くしている。舌を絡め合わせながら、大きな手に頬の雀斑も撫でられ、身体に熱が灯る。
これ以上は口づけで収めきれない、というぎりぎりで、名残惜しくも息を吐いた。
「ふう。もう戦わないなら、騎士の数も少なくてよくなるな。新しい仕事を探さねばならんか?」
エリセイが濡れた唇を優しく拭ってくれがてら、のんびり提案してくる。
「白樺林に家を建てて、一緒に馴鹿牧夫として暮らすのはどうだ。これからのイスには馴鹿たちの好む地衣 がいっぱい育つだろ」
軽い調子だが、顔は結構真剣だ。
ふたりきりの日々を想像してみる。悪くはない。かつてはそうして林や村で穏やかに生きた番がいた可能性もある、が。
「そんな駆け落ちめいたことをせずとも、王城でいつでも堂々と会える」
「それもそうだな。それもそうだ。どこにいたって定期的に愛し合えば無敵だし」
反応が芳しくないと見るや、あっさり撤回した。そんなエリセイに呆れつつも憎めず、吹き出す。
平和な刻を、番と過ごすのに充てたいという、奇怪なアルファのエリセイを改めて見つめる。
「運命の番を持つ君も、王冠を戴く権利はある。主張せずレクス殿下に譲るのか?」
「『王位は要らない』って、何度も言ったろ」
エリセイは、合言葉を引き合いに出した。
「同じイスの民なのに、わざわざ取り合おうとは思わんよ。歴代の善き王も、次の王に譲って精霊界へ旅立ったし。坊っちゃんに誓った忠誠だってそんなに安くない。何より、スフェンの可愛さを独り占めして、スフェンと生きていけるんなら、それ以上の望みはない」
そう言い切り、また抱き締めてくる。そう言えばこの男は、愛する者を死から引き戻せるなら「地位も名誉も何もいらない」とのたまったのだった。
単純だが最も難しいことをやってのける。その慧さに惹かれた。
腰を引き寄せられ、踵が浮く。結局この後、補修に着手したばかりのどちらかの私室になだれ込む予感がする。周期の発作はまだ先だが関係ない。
「あ、伝承官に就くってのはどうだ? 発作や芳香の仕組みを正確に伝えていけば、オメガの意思を守れるし」
「いい考えだ。わたしたちは主人を精霊界へ送り出す日まで必ず生き、功績を後世に遺そう」
たとえ癒し合えても不老ではない。いつかは精霊界へ旅立つ。
それを理解した上で、忠誠を新たにする。やはり王になるより王を支えるほうが自分たちらしくいられると思いながら、ふたりにとって始まりの書庫から踏み出した。
王史として伝承されない、もうひと組の運命の番の溺愛ぶりは、イスの精霊だけが知っている。(了)
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