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03 触れた指先

「あっ、北村さんやないですか。いらっしゃい」 暖簾をくぐった瞬間、ふわりと甘い香りとともに、穏やかな声が迎えてくれた。 厨房から姿を現した俊一は、少しだけ目元を緩めて、やわらかく微笑む。 普段は標準語で話すように徹底しているらしいのだが、 いつからだろうか——柊に対しては、自然に関西の言葉が混ざるようになっていた。 きっと、心の距離が近づいた証。 客と店主という枠を越えて、少しずつ「友人」になれたような気がして、 そのささやかな変化が嬉しくて、つい心が浮き立ってしまう。 「こんにちは。めっきり寒くなりましたね」 「ほんまに。もう朝布団から出るのが辛くて仕方ないですよ」 他愛のない会話。でもそのリズムが、心地よい。 ショーケースには今日も艶やかなおはぎたちが並んでいて、柊はしばし見入る。 選ぶ時間もまた、ここへ来る楽しみのひとつだった。 「粒あんと、こし餡と、抹茶ゆずを一個ずつお願いします。……あ、職場にも買っていこうかな」 「ふふ。たくさん買うてくれて嬉しいです」 そう言いながら、俊一は慣れた手つきでおはぎを箱に詰めていく。 その所作に、柊は自然と目を奪われていた。 「制作は順調ですか?」 声をかけられ、意識が現実に戻る。 「……はい。ちょうど原稿が整ったところです。これから誌面に落とし込んでいきます」 「良かった。インタビュー、あれで大丈夫やったかちょっと不安だったんです」 「そんな、全然。むしろ、どこを削るか迷うくらい素敵な話ばかりで」 「そう言ってもらえると嬉しいな。……ますます完成が楽しみです」 少し照れたように笑う俊一の声に、柊の口元にも自然と笑みが浮かんだ。 * 「ありがとうございました」 紙袋を丁寧に受け取って、店を出ようとしたそのとき。 「あっ、北村さんちょっと時間あります?」 「はい、大丈夫です」 「すぐ戻るから。ちょっと待ってて」 そう言って俊一は奥へ姿を消す。 しばらくして、片手で収まるほどの小さな容器を手に戻ってきた。 「お待たせ。ごめんね」 「いえ、大丈夫です。……これは?」 ふたを開けると、コロンと丸みを帯びた焼き菓子が姿を現す。 ほのかにバターの香り。そして、あんこの匂いが混ざっている。 「これ、今試作しているクッキー。生地に餡を練り込んで作ってみたらどうかと思って。……よかったら食べてください」 「え、僕に?」 「北村さん、すっごく美味しそうに食べるから。感想聞かせてほしいなって。職場の人にも良かったら」 「……ありがとうございます。食べて、ちゃんと感想お伝えしますね」 俊一がクッキーの入った容器を、先ほどの紙袋に添えるように入れてくれる。 そのとき、ふと指先が触れた。 ほんの一瞬。けれど、触れた部分がじわりと熱を持つ。 「よろしくお願いします」 俊一はふわっと微笑んだ。 「は、はい……」 ――心臓の音が、うるさい。 自分の中だけで鳴っているはずなのに、なぜか外にも漏れてしまいそうだった。

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