27 / 44

10-3

レイチェルの声は、小さいけれどはっきりしていた。 その言葉に俺の胸がギクリと跳ねる。 「……どういう意味だ?」 俺は思わず前のめりになって問い返した。 レイチェルは膝の上で両手を組み、視線を落としたまま答える。 「あたしは占いの相談を受けるときに、相談者の過去の恋愛も参考に聞いてるの。 ねぇ、世利さんはあの男の恋愛歴って知ってるの?」 レイチェルの質問に俺は小さく頷く。 「幼馴染だし、一応は……。 社会人になってからだけど、3人くらいは顔も知ってるかな」 俺の言葉にレイチェルは顔をしかめた。 「世利さんは、それに対して何も疑問に思わなかったの?」 どういう意味だ? 過去の恋人に嫉妬するかっていう話かな? そんな意味のないことはしないつもりだけど……。 「よく考えて。 あの男は世利さんに長年の片思いをしてたんだよね? それなのに、過去に恋人がこんなにいるって、おかしいと思わない?」 「……あっ」 思わず声が漏れた。 そうだ。 ずっと俺のことを好きだったなら、なんで他の子と付き合ったんだ? それも、一人や二人じゃない。 レイチェルに言われて、優成の片思いの矛盾に初めて気がついた。 「あたし、こんな不誠実な男許せないの」 レイチェルの瞳が真っ直ぐに俺を射抜いた。 「……不誠実、って」 俺は曖昧な言葉で返すしかなかった。 「だってそうでしょ?」 レイチェルは少し身を乗り出してきた。 その仕草はまだ子どもっぽいのに、言葉はやけに鋭かった。 「好きな人と付き合うっていうのが、恋愛の最低限のルールじゃないの? あの男は違う。 世利さんに片思いしながら、別の人と付き合ってた。 それって、本当に不誠実だよ」 「……」 俺は返す言葉を失った。 「ねぇ世利さん。 あの男と付き合ったとして、世利さんが他の人と同じように扱われない保証はある? あたしは、世利さんが心配だよ」 レイチェルの声は、俺を気遣う気持ちから震えていた。 潔癖すぎる考え方かもしれない。 でも、その真っ直ぐさは、二十歳の若さが持つ怖いくらいの純粋さだった。 「恋愛って、もっと真っ直ぐで綺麗でいいはずだよ」 レイチェルの言葉が俺の心臓を突いた。 「でも、優成は……」 俺が言いかけた言葉は、喉に詰まって出てこなかった。 優成の気持ちを信じたいけど、レイチェルの言葉の正当性が俺の思考を止めてしまった。 「世利さんには呪いのせいでたくさん迷惑かけちゃってるから、どうしても幸せになってほしいの。 ……あの男を選ばなくても、世利さんは幸せになれる人だよ」 ──ブーブーブー…… その時、俺のスマホが机の上で震えた。 通知には優成の名前が見えて、俺はスマホに手をかけた。 「世利さん……」 レイチェルが不安げに俺を見つめた。 俺はレイチェルを見つめ返してから、一度だけ息を吐いた。 こんな不安定な気持ちのまま優成の声を聞いたら、いつものように俺は流される。 ──今は優成と話せない 俺はスマホをカーペットの上に伏せて、優成からの連絡に出ないことにした。 「レイチェル、君の気持ちはよくわかったよ。 俺も、これからどうするか……ちゃんと考えてみる」 これがいつもはお気楽な俺の、精一杯の答えだった。 それに、どちらにしろ呪いを解くために、“答え”は出さなくちゃいけない。 俺の眼差しを受けて、レイチェルは安心したように小さく頷いた。 「うん。 あたしは、どんな答えでも世利さんのこと助けるつもりだからね」 彼女の純粋な思いが、俺の心を暖かくした。 時計を見ると、既に20時を過ぎていた。 外はさっきよりも雨の音が強くなっている。 「駅まで送るよ」 帰り支度をするレイチェルに俺は声をかけた。 「ううん、大丈夫。 トモロウに迎えに来てもらうからさ」 「ト、トモロウ……」 車も持ってるなんて流石だな。 「世利さんもまた遊びに来てね」 「あはは……」 レイチェルの無邪気なお誘いに、俺は乾いた笑いで返した。 トモロウの占いの館『ダングリング・ポンチオ』は、気軽に遊びに行くような場所ではない気がする。 「あ、そうだ……一つ言い忘れてたよ」 レイチェルは靴を履きながら声をかけてきた。 「……え、まだ何かあるの」 俺はレイチェルの次の言葉を、ハラハラしながら待ち構えた。 「性転換後の、その……性器の見た目なんだけどさ」 「……性器の、見た目」 ちょっとエッチな響きに、俺の胸は高鳴った。 「あれ、あたしの想像した形になっちゃってるんだ。 別に不便はないと思うけど、好みじゃなかったらごめんね」 「……えっ?!そ、想像した?どういうこと??」 「じゃ、また何か困ったらトモロウ経由で連絡してね!」 「ちょっと、ちょっと!待ってよ!!」 ──バタンッ。 「ちょっと……あの…………え?」 部屋に残されたのは、俺の間抜けな声だけだった。 「じゃあ、この勃起しないちんこも、パイパンまんこも、レイチェルの想像した形ってことか?」 ──レイチェル、二十歳……だしな。 見たこと、なかったのかな。 「とりあえず、病気じゃなくて良かった」 そう呟いたあと、俺は改めて自分の股間を見下ろした。 俺の股間には女の子が想像したちんこが生えている……。 ──ゴクリ 何という背徳感!!! 「……でも、やっぱり勃たないのは困るんだよなぁ」 20歳の女の子にはわからないであろう切実な問題を、一人抱えながら俺はトボトボと部屋に戻った。 冷めきったココアのカップを片付けながら、俺はふと小さく呟いた。 「……レイチェル、せめて巨根を想像してくれよ」 ──俺の切実な願いだけが部屋に響いた。

ともだちにシェアしよう!