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15-3
「俺だけが因果から抜け出せるだって?」
俺の乾いた声が、異質な空間に小さく響いた。
正直、俺はトモロウの話を理解できていなかった。
それでも、必死に話の内容を頭に詰め込んでいる状態だった。
トモロウは、俺を見つめて静かに頷いた。
「えぇ、そうよ。
選択によっては、あなたは呪いのことすらも忘れることができるかもしれないわ」
「それって……もしかして、優成と別れるって選択じゃないよね?」
俺は、恐る恐るトモロウに問いかけた。
『違う』と言ってほしくて思わず出た言葉だった。
俺は、額に滲む汗をトモロウに借りたタオルで拭うと、もう一度視線を戻す。
「ごめんなさい。
その選択は、あなたの言うとおり“別れる”か“別れない”かよ」
予想していた最悪の選択に、俺の心臓がバクンと激しく脈打った。
「優成さんと別れて、呪いの因果から抜けるか。
それとも別れないで、呪いの代償を背負って生きていくか」
──別れるか、別れないか
「そんなの、別れないに決まってる!」
俺は迷わず声に出して答えた。
感情的になってしまい、少し声が大きくなった。
それは、冷たくなったコーヒーが小さく波打つほどだった。
「呪いの代償があったって、別れなきゃ優成とずっと一緒にいられるんだ。
そんなの、考える必要もないよ!」
感情的に言葉を並べる俺に対して、トモロウは落ち着いた表情で口を開いた。
「そうね。確かに恋人でいる限り、ずっと一緒にいられるわ。
それでも……」
トモロウがそこで少し間を取った。
何か言いにくそうに、一瞬目を伏せてから話を続けた。
「それでも、あなたたちは呪いの代償のことを、一生意識し続けることになるわ。
別れたら最後だと、常に考えていなきゃいけないのよ?」
「そ、それは……」
トモロウの話に、気持ちが少し揺れた。
そんな残酷な選択を、俺が下してもいいのか?
きっと、代償の話をしたあと、俺がそれでも別れたくないと言えば、優成は別れないでいてくれるだろう。
別れなければ関係は続く。
でもそれって、逆に言えば代償があるから別れられないってことにならないか?
本当にそれが、優成の幸せって言えるのか?
俺は、最悪の状況を想像してしまい、一気に胸が苦しくなった。
太ももの上で握る拳は、小さく震えていた。
俺の様子をうかがいながら、トモロウは優しい声で告げた。
「もしもここで別れを決断できたら、呪いの因果から外れることができるわ。
世利さん、あなたは幸せになれる人なのよ」
「……幸せに、なれる人?」
俺は、何気ないその言葉が引っかかった。
そして、以前レイチェルに言われた言葉を思い出した。
『……あの男を選ばなくても、世利さんは幸せになれる人だよ』
あのときは全く違う話なのに、俺は何故かいつも“幸せになれる”と言われている。
でもそれは、俺たちのことを祝福してるわけじゃない。
まるで、優成を選んじゃいけないみたいに使われる言葉だ。
“幸せになれる”という言葉が、優成から離れろって意味にしか聞こえない。
特にトモロウの話は、幸せになれると言うわりに、俺の気持ちは尊重されていない気がする。
そんなことを、考えていたら無性に腹が立ってきた。
俺の胸の中で、気持ちのスイッチが切り替わったのがわかった。
誰かの言いなりで未来を決めるなんて嫌だ。
──俺の幸せは、俺が決める。
俺は決意を胸に込めて、トモロウの瞳を見返した。
「俺、やっぱり別れない」
「世利さん、あなたは……」
トモロウが、少し困ったように口を開きかけた。
その言葉に被せるように、俺は続けた。
「だって、俺は優成と誠実に付き合っていくって決めたばかりなんだ」
俺と視線を合わせたトモロウは、顔色を変えずに、今度は静かに話を聞いている。
「もし、何か得体のしれない不幸が起こったとしても、それは俺たちが解決していくことだと思う」
俺は、そう言いながら今回の性転換の呪いを思い浮かべていた。
最初は宇宙人の仕業かと思っていた謎の性転換も、今では“呪い”という答えまで辿り着けている。
俺は、何か不幸なことが起こっても、俺と優成なら解決できる結束があると信じている。
「今回みたいな出来事が、この先もあるかもしれないし、無いかもしれない。
そんなの、わかんないよ。
だって俺の……俺たちの未来は、これからなんだから」
早口にまくし立てる俺は、トモロウに伝えるというよりも、自分の気持ちを確かめているようだった。
そして最後に、トモロウに向かって俺の決意を口にした。
「俺は、優成と一緒に生きる未来を選ぶよ」
小さな静寂が訪れた。
俺の荒い息遣いが、やけにうるさく耳に響いた。
トモロウは、俺の言葉を聞いて小さく肩を落として、そして目を細めて微笑んだ。
「世利さんの気持ち、胸に響いたわ」
トモロウの優しい声が、俺の体の力を解していく。
そして、トモロウは柔らかい口調で話を続けた。
「でもね、代償があることには変わりはないのよ?
だから、私から一つ世利さんにいい情報をあげるわね」
「情報?……教えてください」
何か解決の手段でもあるのか?
俺の喉が一度、ゴクリと音をたてた。
すると、トモロウは後ろの戸棚から拳大のガラス瓶を取り出して、テーブルの上に置いた。
──コトン。
それは、表面がダイヤモンドのようにカットされていて、照明の光をキラキラと反射していた。
俺は一瞬にしてガラス瓶に目を奪われた。
「これは蓋を開けると悪いものを吸い込み、蓋を閉じると浄化をする聖なるガラス瓶よ」
「……聖なる、ガラス瓶」
トモロウは俺の瞳を覗き込み、優しく語りかけるように説明をする。
まるで、心の中も覗かれているみたいで、体が一瞬強張った。
「そうよ、特別なガラスなの。
これさえあれば、あなたの不幸は浄化されるわ」
「……そ、そんなものがあるんですか?
絶対、欲しいです!」
呪いなんてものが存在するんだ。
特別なガラス瓶があったって不思議じゃない。
そうだ。これさえあれば、俺と優成は幸せになれる!
すると、トモロウはガラス瓶を俺の目の前に近づけてから、囁くように告げた。
「30万よ」
「…………え?」
やけに高額な数字に、一瞬で脳がバグった。
「一つ、30万円なのよ。どうかしら?
あって困るものじゃないし、こういう特別なものは安くは手に入らないのよ。
だって、そうでしょう?
安いものに価値があるなんて思えないものね?」
「あ……え?あ、はい。そう、ですね」
俺は、珍しく早口で喋るトモロウに唖然として、理解もできてなかったのに頷いてしまった。
「聖なるガラス瓶よ?
ここで手に入るなら、むしろ安いくらいだわ」
……そ、そうなのか?
特別なガラスってことは、ここで買わないともう買えないのかな?
聖なるガラス瓶さえあれば、不幸がなくなるんだよな?
買う価値……あるよな?
俺は、自分のポケットから財布を出して、中身を確認する。
「あの……現金がそんなに入ってな……」
「キャッシュレス決済可能よ。
クレジットカード、電子マネー、QRコード決済も対応しているわ」
「えぇ……決済方法が豊富ぅ……。
いや、でも今日は、まだ買うか……」
「安心して!使い方も簡単なのよ。
これ買った人みんな幸せになっているの。
嘘だと思ったら一度使ってみて欲しいわ」
前のめりに話してくるトモロウの気迫に、俺は言いたいことも言えなくなっていた。
でも、今すぐこの聖なるガラス瓶を買わなきゃいけない気がしてきて、財布からクレジットカードを取り出そうと手を動かした。
その時だった。
──バタンッ!
「遅れてごめん!」
俺の背後から、大きな扉の音と共に女性の声が聞こえてきた。
俺は振り返ってその人の姿を目に写した。
彼女は前回会ったときと変わらず、金色の長い髪を整えながらそこに立っていた。
「レイチェル!」
そうだった。
今夜はレイチェルに会いに来ていたんだった。
俺はレイチェルの顔を見るまで、今日来た理由も忘れてしまっていた。
それほどに、トモロウとの話に夢中になっていたんだ。
「レイチェル、君に話を聞きたくてここまで来たんだ」
俺は財布をポケットに仕舞ってから、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「世利さん、あたしもだよ。
とりあえず、今夜その財布は使わないで」
レイチェルの言葉の意味が、俺にはまだわからないままだった。
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