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第98話
身に纏わり付く海水が邪魔だ。
それのせいで貼り付く服も邪魔でしかない。
ジャブジャブと水を掻きながら、必死に脚を動かした。
海水が冷たいなんて感じる余裕はない。
今が何月かなんてどうでも良い。
ただ、邪魔な水を掻きながら脚を前へと動かすだけだ。
次第に足が着かなくなって、身体がすっぽりと海水に浸る。
どけっ、コタが…
邪魔すんな…っ
“あの人”しか琥太郎を楽にしてやれないなら、それで構わない。
“あの人”が琥太郎を今でも愛しているなら、俺は離れるから。
「コタっ」
それで良いから…。
「コタっ、…コタっ」
あと……すこし……
冷たい海の中に揺蕩う腕へと手を伸ばす。
「コタ…っ」
悴む手でしっかりと手首を掴んだ。
「コタ…っ、コタ…っ!」
「…た、かや…」
深い海の色をした目がこっちを見ている。
“俺”を見ている。
その目に映っているのは“俺”。
「コタ……」
手をとってしっかりと握り締めた。
冷たい手。
だけど、生きている温度がある。
……もう離さない。
離してやらない。
嫌がられたって構いやしない。
「虎のくせに、飛べる思ったのかよ…。
飛ぶなら…鷹の俺だろ…」
「……ごめ、ん、」
「生きてたら、それでいい…」
「俺は死にたかったのかな……」
ポツリ、と海に溶けてしまう小さな声。
波の音の方が大きく聞こえる。
小さくて弱々しいのに、すごく強い言葉だ。
「龍雅さんに会いたいのは事実、どうでも良い…死んでもいいやって思ってるのも本当。
自分の命も、どうでもいい…。
誰かが殺してくれるならそれを有り難く受け入れた。
だけど、俺は…死にたかったのかな……。
生きていたら、鷹矢と……」
ポロポロ溢れる涙を手で拭うと、頬の冷たさに不安は増すばかり。
それでも、生きている。
琥太郎は、目の前でちゃんと泣いている。
生きているから、辛いんだ。
「なら、一緒に考えよう。
飯食って、寝て、起きた時に死にたかったらさ、そん時に一緒に考えよう。
誰かに会いたくて死にたくなったら、また一緒に考えよう。
何回でも考えよう」
死んで欲しくない。
そんなの当然だ。
だけど、その願いが琥太郎を苦しめるなら、俺に止める権利はないのかもしれない。
誰かのしあわせを自分の物差しで計るのも違うと思う。
死がしあわせであることだって、きっとあるんだと思う。
死は絶対的な永遠だから。
それが救いや、しあわせになることだってきっとある。
遺される側の気持ちしか分からないから、死んで欲しくないなんて思うんだ。
沢山の思い出と共に遺されるのは寂しくて、苦しくて、悲しいから。
俺達はいつも我が儘で、勝手で、誰かを必要とすることで生きている。
誰だって、誰かと生きたいと……大切な人と生きたいと思う。
エゴで、普遍的な願い。
きっと、当たり前のことなんだ。
「たか、や…」
「うん」
「ごめん……」
「うん。
無事で、良かった」
琥太郎の大切な人に勝つとか負けるとか、そんな話はもうどうでも良いんだ。
その人はその人。
俺は俺なんだから。
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