5 / 47

第5話 母との別れと旅立ちへ

アンリと母と父王と僕と  またアンリと一緒にずっといられるようになって、僕は満ち足りた毎日を過ごしていたんだけど、母がだんだん寝付くようになった。シルヴィが亡くなった一年前から少しずつ体力が落ちて、それでも気分のいい日には外に出て遊んでる僕たちを見守ったりしていた。それが、一日一日、次第にベットから出られない日が増えてきた。  食事も取れない日が増えたようで、もともと細い母の腕は枯れ木のようになってきた。僕とアンリは、母の様子を見て大丈夫そうな時は母の部屋で歌を歌ったり、詩を覚えて披露したりした。ただそれも母が眠っていない時なので、だんだんそんな時間は無くなっていった。そして一年が経った頃には、もうほとんど眠っているようになった。母の体の中の色んなものが機能しなくなっているようだった。触った手も冷たい。声をかけても、反応がないことがほとんどだった。  ある晩、母の部屋のドアが少し開いていて、低い声が聞こえた。隙間から覗くと、国王がベットの横に座って母の手を両手で握り、その手を自分の額に当てて祈るようにして囁いていた。  「カミーユ、カミーユよ。我が最愛の妃よ。余のために共にあってくれて、感謝する。お前と娘を守れなくて済まない。お前にとって余の側が地獄でなければ良かったんだが」  僕が知らなかっただけで、国王は今までも母の元に来ていたんだろうか? 母を愛していたんだろうか? 今でも? 「幸せでした……貴方と会って。ずっとそばにいられたらよかった……」  母の声はとても小さくてゆっくりだった。 「どうか……」  王の返事はもう聞こえなかった。聞き取れない言葉を話して、ずっと、手を取っていた。  母はそうして亡くなった。  可憐な野の花が旅人に手折られて、飾られたけど、世話をされずにそのまま萎れてしまったように。その花はそのまま野にあれば幸せだったのか? 旅人が手折らずにいれば良かったのか?  旅人は一生後悔したかも知れない。可憐な花にもう会えないことを。花の行く末を知れないことを。  花も旅人も、たとえ短い間と分かっていても一緒にいたかったんだろう。それは哀しいというものかもしれない。  お伽話のように、お姫様って、王子様とお城で暮らしました、めでたしめでたしってはならないんだね。  そして僕とアンリにも、哀しいって奴が静かに迫って来ていた。    ◇◆ ◇◆ ◇◆ 母の葬儀は月の宮の中でそっと行なわれた  ずっと俯いている国王と、母の実家から伯爵家(母の結婚の時に男爵家から陞爵されていた)を継いだ母の兄が参列しただけで、ひっそりとした葬儀だった。僕はずっとアンリと手を繋いでいた。僕たちは母の棺に両手一杯の色とりどりの花を供えた。  それからしばらくの間僕は、心の中の三分の一程に暗雲を宿したままだったけど、アンリと過ごす毎日は満たされていた。母がいなくなっても、月の宮は僕とアンリを守り育ててくれていた。アナマリー達の力で。そうして居るうちに少しずつ心は晴れていった。  僕とアンリの事をどう伝えたらいいんだろう? 考えてみて。僕が好きな物や事の話をすると、アンリが自分も好きだって言って、僕よりも詳しくその物や事について話しだすんだ。何の話をしてもずっとそうで、好きなもの、知りたい話、楽しいこと、全部全部そうだねって言ってくれるし、僕もそう言える。お互いのまるごとを肯定してくれてまるごと受け止めてくれる人がいるなんて、すごく満ち足りて幸せなことなんだ。  アンリと一緒なら、勉強も、乗馬や鍛錬も、何をしても楽しい。頑張れる。アンリがいれば僕は完全体。無敵だ。  月の宮の裏手は森、その奥は丘が連なっていた。そこから小動物や鳥達が、奥まった宮にもやってくる。りす、うさぎ、イタチや貂。ツグミやヒバリ、カササギ、フクロウやナイチンゲール。生垣やトピアリーの内側とかに小鳥達は巣を作るんだけど、アンリと毎日雛を観察した。森を抜けて丘まで外乗に行った日はアナマリーにお土産のベリーを摘んで帰ったりした。とにかく晴れた日も、雨で外に出られない日も、嵐の日だってアンリがいたら楽しいんだ。  カリエの王宮の様子がよくわからないまま、アンリはそのまま五年近くゾルタン王国で過ごしていた。  

ともだちにシェアしよう!