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第1話
「秋斗 さん、蒼 さんと結婚はなさっていないんですね?」
後輩が口にした何気ない一言は、俺の頭の中に大きな雷を落とした。
後輩は、俺のフェイスノートを見て、そう言った。俺のフェイスノートのプロフィール欄には、未婚になっている。俺は4年間、蒼と結婚生活をしてきたはずだ。
結婚式を挙げて、一緒に旅行に行って、食卓を囲んだ。それなのに、フェイスノートにはその痕跡が一切ない。混乱しながら後輩に礼を言い、俺は足早にその場を後にした。車に乗り込み、蒼との結婚を証明するものを探す。共同名義の車の契約書。運転免許証。
コンビニに行って戸籍謄本の写しを印字する。
けれど、戸籍は4年前に妻が死んで、それいらい俺は婚姻していないという事実がわかっただけだった。何もない。すべての記憶が、俺の頭の中にあるだけの、空虚なものだったと気づいた。
姓が違うのも俺たちが同性だからではなくて、公的にパートナーとしての手続きをしているわけじゃないからだった。
その日の帰り。
カーラジオから流れるバラードは、ひどく切なくて、耳にこびりつくようだった。ハンドルを握る指先に、一瞬、力がこもる。助手席に座る蒼は、懐かしそうに目を閉じている。その横顔は、俺が4年間愛し続けた、そのままだ。昨日まで、そして今この瞬間まで、俺の隣にいることが当たり前だった。
それなのに、後輩が口にした「結婚されてないんですね?」という、たった一言が、すべてを壊した。
履歴書には、妻の死後、誰とも婚姻関係がないと書かれていた。あの時、確かに自分の目で見た。それと同時に、蒼と二人で婚姻届を出しに行った記憶が、頭の中に鮮明に浮かび上がった。結婚式を挙げて、旅行に行って、食卓を囲んだ。愛し合っていたはずの4年間が、まるで砂で作られた城のように、音を立てて崩れていく。
隣で、蒼がそっと目を開けた。
「……どうかした?」
俺の異変に気づいたのだろう。その声は、いつもと変わらない優しい響きだった。その優しさは、今はただ、恐ろしくて仕方ない。どうして、そんな嘘をつけるんだ。なぜ、俺を騙していたんだ。
喉まで出かかった言葉を、俺は必死で飲み込んだ。車内は、先ほどのバラードの続きが流れるだけで、張り詰めた沈黙に満ちていく。
家に到着しても、その沈黙は続いた。蒼は心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。その瞳に映る俺は、きっと酷く歪んで見えただろう。
「何か、あったのか?」
蒼の声が、静かな部屋に響く。俺は、その問いに答えることができなかった。答えてしまえば、この嘘がすべて本物になってしまうような気がした。
このままではいけない。俺は、崩れ落ちていく自分を立て直すために、ただ一言、絞り出した。
「……話がある」
それは、静かに始まる、嵐の予兆だった。
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