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第10話
このことは絶対悠には言えないと思った。悠は本人が思っているより心配性なとこがあって、特にオメガ関係のこととなるとひどく不安定になることが多いから。…まるで過去に何かがあったかのように。あえて聞かなかったが、おそらく悠はオメガ関係でなにかあったのだろうと思う。だからこそ余計に、雪と連絡先を交換したことなど言えるはずがなかった。
悠がトイレに立った後のこと。雪は泣きそうな顔で、どうしたら僕のことを好きになってもらえますかと聞いてきた。それに対して俺は、ごめんだけど君を好きになることはないよとはっきり告げた。雪は唇を嚙み締め、下を向いた後、ぱっと顔を上げてじゃあせめて連絡先をくださいと言ってきた。俺はそれにも多少は渋ったけど、僕に恋人ができるまでの期間だけ、相談に乗って欲しいと言われてしまえば、それ以上だめとは言い難くて。多分、その時には既に運命の番という存在に絆されていたんだと思う。俺の心がどれだけ悠の傍にあろうと、本能には逆らえなかったんだ。
それから時々雪から連絡が来るようになった。今日学校であったこととか、バイトで頑張ったこととか、本当に些細なことを少しだけ話してきた。俺もそれに伴って今日何したとかを話すようになった。雪は俺と悠の関係性を壊さない程度に連絡を求めてきた。電話もかけてきたのは一度きり。それのせいで俺はこれは浮気なんかじゃない、彼はそんなことを考えていない、と考えるようになる。もちろんそんなのはただの言い訳で、悠にこの話をできていない時点で後ろめたいと言っているようなものだった。
『今日は昼食で友達にオメガってことを少しいじられました』
『それは酷いな。オメガだから、というよりそもそも雪は人間なんだからいじっていいことじゃない』
『そうですよね。晶さんにそう言ってもらえると嬉しいです』
『またなんかあったら言ってよ。相談くらいしか乗れないけど』
『はい!ありがとうございます』
最後にぺこりと俺たちに雪がお辞儀をする光景が目に浮かぶ。雪のことだ、携帯の向こうでぺこりとお辞儀をしている可能性もある。雪は俺がなにかを言うたびに毎回お礼を言ってくれる。彼は結構律儀だ。
俺が返信していると、悠がカップを片手に隣に座ってきた。今日は悠の家に来ている。悠の家の近くの不動産屋に行くためだ。
悠は今日は特に機嫌がいいみたいでにこにこして口を開く。
「最近ずっと誰かと連絡取っているけど、どうかしたの?」
「え」
「ん?」
悠に言われるまで、俺は雪とのメッセージのやり取りを楽しんでいたことに気づかなかった。そして気づけば雪のことを少しかわいいと思うようになっていたことも。これって、まずいんじゃないか。俺は不思議がる悠に、咄嗟にヒロちゃんだよ言ってしまった。
「ああ、ヒロさん!もう久しく会ってないよね」
「また店に来てよ、だってさ。今度行かないとね」
「うん!あ、そろそろ出る?」
時計を見る悠。
内心冷や汗をかいていた。ここでもし雪と連絡を取っていることがばれたら、悠がどんな反応をするか…想像に容易い。どうして連絡を取っているの、俺のことが好きじゃないの、と必ず怒るに違いなかった。
この時の俺はまだよくて、悠が不安がるから、と悠のことを一番に考えて言わなかったんだ。
「そうだな、そろそろ出よう」
俺はこれ以上襤褸(ボロ)が出ないように席を立つ。それに合わせて悠も立った。
今日は良いところあるといいね、などと話しながら部屋を出て不動産屋を目指す。予約した不動産屋で席に座り、いい物件がないか探していると、俺たちに合う3LDKの物件を見つけることが出来た。敷金礼金もそこまで高くないものの築年数はそこまで経っておらず、広さもちょうどいい。エアコンも完備でトイレ風呂別だ。しかも家賃が安い。もしかして事故物件?と思って聞いてみたが、駅からそれなりに遠い為あまり人気のない物件なのだと担当者は説明してくれた。
「この部屋なら今契約キャンペーン中で一年間は家賃が一万円引きさせていただいてますね」
「「ここにします!」」
悠と声が重なって、顔を見合わせて笑い合う。そんなお得なキャンペーン乗るしかない。そのまま契約までして、引っ越しは一か月後に決まる。年明けな為少し料金が嵩(かさ)むが、その分家賃が安くなるならまかなえると考えた。
不動産屋を出てほくほく顔で二人で話し合う。
「いい物件あってよかったね!」
「そうだな!あとは引っ越し業者に連絡して…」
「お互い部屋片づけないとだね」
「忙しい一か月になりそうだ」
よっしゃ、がんばるぞ!と腕をぐっと構えてえいえいおーと腕をあげると悠が楽しそうに笑った。そうだ、俺は悠のこの笑顔が好きなんだ。柔らかくて、俺を癒してくれるかわいい笑顔。俺はその笑顔が愛おしくて仕方がなくて街中なのに悠を抱きしめてしまった。
「ちょ、晶!」
「あ、ごめんごめん」
悠に言われて慌てて放したが、手は離さなかった。なんとなく照れくさくなって下を向けば、悠もそうだったようで差し障りのない言葉を選んでいる。
「あ、そ、そうだ。今日ヒロさんのところ行く?」
「え」
「だってお誘い来てるんでしょ」
さっきの話だと気づいて、どう乗り切ろうか考え…結果、行くことになった。そんな話したっけと言えばなにかしら疑われるだろうし、ここ数ヶ月ヒロのところに行っていないのは事実だからだ。きっとヒロなら余計なことは言わないだろう。時間も夜に差し掛かっている。もう既にヒロのバーは開いている頃だ。
「じゃあ行こうか」
「うん」
手を繋ぎながらヒロのいるバーに向かう。道中飾りつけされた並木道を通った。もうクリスマスだ、今年も二人でいれるのが嬉しいな、なんて話をする。悠と出会ったのは冬に差し掛かる手前で、付き合ったのは年が明けてから少しだから付き合ってからもう二年が経とうとしていた。来年には二人とも大学を卒業する。誰だからその前に身を固めておきたかった。結婚という楔(くさび)悠を縛り付ける。俺は悠を誰にも渡したくないんだ。
このまま二人でずっといられると、俺は思っている。
バーに着いてドアを開ければ、まだ開店したばかりだからか誰もいない店内が見えた。シックなその雰囲気に懐かしさを感じ、すぐにマスターであるヒロに声をかける。
ヒロとの出会いはこのバーだった。ゲイの友達に誘われここに連れて来られ、俺はすぐにヒロと関係を持った。高校を卒業したてだった俺は両親からの重圧に耐え切れず他県の大学に進学しており、ヒロという今まで身近にいなかった大人な彼に惚れ、入れ込んだ。でもヒロは昔に付き合った元カレが忘れられないらしく、俺たちの関係はわずか半年という短い期間で終わることになる。その間何も言われないからと俺はいろんなベータと関係を持ち、最終的にはヒロにベータたらしと言われるまでになった。そこは今でも悪いと思っているし、いじられても強く言い出せない点だ。
「お、晶に悠太くんじゃん。久しぶり、来てくれたんだ」
「久しぶりですヒロさん!来ました!」
悠はヒロにとても懐いていて、俺が大学の友達と遊んでるときにたまに会って遊んでいるらしかった。それには少し妬いてしまうが、ヒロになら悠を預けてもいいという信頼の元それは成り立っている。それに二人ともネコだ、どうなるということはないだろう。
「悠太くん、ちょっとふっくらしたんじゃない?もしかして幸せ太りー?」
「えっ、そうですか?…痩せなきゃ」
「いいよいいよそのままで。悠太くんはそれくらいがかわいいと思うから」
「ちょっと、ヒロ。俺の恋人口説かないでくれる?」
背の高いカウンターチェアに座ろうとする悠を手助けし、自分もひょいと座った。悠はオメガほどではないがベータ男性にしては身長が低めだ。そこもかわいいところなんだけど。
俺の苦言にヒロは笑って、でも感慨深そうな顔をした。
「もう二人が付き合って二年かぁ…来年には婚姻届け出すんだっけ」
「そう。悠の方が卒業式二日遅いからその後になるけど、来年には夫夫だね」
「そっかぁ…なんだか月日が経つのって早いねぇ」
しみじみしながら言うその姿が妙におもしろくて俺はつい吹き出してしまう。それに対してヒロがおいこら晶!と文句を言われてしまった。
それから三人でいろいろと話した。最近あったこととか、今日住むところを決めたこととか。ヒロはバーの店主をやっていることもあって聞き上手ですぐにいろんなことを話してしまう。もちろん、雪のことも。
運命の番に会った、でも俺には悠がいるから断った。その話題になると悠は何か思うところがあるのかあまり喋らなくなり、俺とヒロの独壇場になる。
「まぁ、それからアクションないんでしょ?じゃあ気にしないことだね。向こうもまさか寝取ろうなんて考えてないだろうし」
「そう、だな…」
ここで俺が雪と連絡を取り合っていることを伝えたらヒロはどういう対応をするのだろう。やっぱり今すぐ消せ、と言うのだろうか。それも可哀想な話だと思う。ただ雪は俺に話を聞いてもらいたいだけなのだから。もしかしたらすぐ雪に恋人ができて俺はのろけをずっと聞かされる羽目になるかもしれないが、その時まで見守ってやりたいと考えていた。
雪の話もほどほどに、合計で一時間ほど喋った頃だろうか。悠がふと、ヒロにありがとうと礼を言った。
「え、どしたの急に」
「ヒロさんが来て欲しいって言ってくれなかったらこうして楽しくおしゃべりできなかったからありがたいなーって思ったんです」
「うん?俺そんなこと言ってな―」
「あ、ああそれは…」
慌てて話に割って入ろうとした瞬間、カランカランとドアベルが鳴り人が一人入ってきた。振り向けば俺より背の高い男がいて、匂いですぐにアルファだとわかった。ベータにはわからないらしいが、俺たちアルファとオメガには特有の匂いがあり、近くにいると匂いでわかるのだ。それを悠は不思議だと言っていたことを思い出す。
相手も俺がアルファだとわかったのか、ちらりと俺を見て軽く会釈してきた。そのまま視線を悠に移すと少し目を見開いた。しかし彼は何も言わず、俺たちから少し離れたカウンター席に座った。
「匠、久しぶり」
ヒロは人が来たことで俺に手を顔の真ん中まで上げ謝罪を表し、親し気に男の名を呼んだ。
「久しぶり、比呂」
「もう半年近く来てなかったんじゃないか」
楽し気に話す二人。悠とヒロの会話が途切れたことに安堵し俺は心の中でほっと息をついた。
「悠どうする?帰る?」
「あ、そうだね…もう結構飲んだし話もしたし帰ろうかな」
携帯で時刻を確認し悠が言った。俺も頷き返し荷物をまとめようとしていると、ヒロが戻ってきて俺たちの前に酒を一杯ずつ置いた。え、なにこれ?と聞けばお隣さんから、と彼は答える。どういうことだと隣を見れば酒を片手に男が申し訳なさそうな顔をしていた。
「話を中断させてしまってすまない。一杯俺から奢らせてくれ」
「そんな…悪いですよ」
「奢らせてあげて。言い出したら聞かないから」
くすくすとヒロが笑いながら言う。悠も渋っていたが、ヒロにそう言われて最終的に飲む決断をしたようだ。二人でもう一度席に戻り、グラスを手に取る。なんとなくコン、と乾杯をしあってから飲むと喉が焼ける感じがしたと同時にさっぱりとした味わいが口の中に広がった。きついのに、うまい。きっと上等な酒なのだろう。こんなのを奢ってもらうなんて、と更に申し訳なくなる。そして男への印象がかなり良いものになった。
男の席に向かって二人でごちそうさまでした!とお辞儀をする。男は笑って、また来てやってくれと言った。
本当に二人は仲がいいようだった。
「最後のお酒美味しかったね」
家に帰ってから悠がその瞬間を思い出したのかそう言った。
「たしかに美味しかったな。酒の種類聞こうと思ったけど絶対手出せないからやめたんだ」
「あ、俺も。ちょっときつかったけどすごいすっきりした味わいで癖になるなーって思ったけど、高そうだからやめたー」
二人で似たような感想を持っていたんだなって思うと少しおかしく感じて笑う。なんだか悠のことがさらに愛おしく感じて、俺が巻いてやったマフラーを解く悠を抱きしめようとした時だ。
ぽこん、と携帯の通知音が鳴った。今日はすでに一回連絡してきているため雪ではないだろう、と携帯を開く。彼は一日一回しか連絡してこないという自信のポリシーを守っている。しかし予想を裏切って通知は雪からのものだった。
内容を見て、脱いだ靴を慌てて履き直す。
「ごめん悠!友達がトラブルに巻き込まれたみたいでちょっと行ってくる!」
「えっ!わ、わかった!気を付けて行ってきてね!」
玄関を出て、雪と出会った横断歩道を走って渡り、民家の裏路地に入る。きょろきょろと辺りを見渡してくまなく探せば、端の方に雪が蹲っているのが見えた。
「雪!」
声をかければ、ぱっと雪が顔を上げた。近づいて見てみれば、顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。どうしたのかと聞く前に雪が飛びついてきた。咄嗟に抱き留めれば、ひっく、ひっくと嗚咽を上がる。
―たすけて
それが、雪から来たメッセージの内容だった。
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