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第12話

雪の家庭の話を聞き食事をしていると結構な時間になってしまい、帰ってくると悠はメモを残して自分の家に帰っていた。携帯を見れば、数件のメッセージが来ている。 『友達大丈夫?』 『明日講義が朝からだから先に家に帰るね。待っててあげられなくてごめん』 『ご飯作っておいたからよかったら食べてね』 メッセージを基(もと)に冷蔵庫を覗けば、俺の好物のオムライスが置かれていた。俺は、まるで隙間風が吹いたかのように心のどこかで寂しさを感じた。 その日は朝から大忙しだった。理由は簡単、引っ越しのためだ。一か月後は意外にも早く来て、俺たちは新しい家に住むことになる。俺の荷物が運び出され先に新居に着き、二時間ほど荷解きをしているとインターホンが鳴り、晶の荷物が届いた。その後は日が暮れるまで延々と二人で荷解きをしていた。といっても、冬の日暮れは早い。俺たちは生活に必要なものだけを片付けてその日の片づけを終了させた。 「冬なのに汗かいたー!」 どソファーに座った俺の隣に晶がどかっと腰を下ろす。このソファーは晶が家から持ってきたものだ。何度も座ったことがあるため座り慣れている。 「塩飴とか買っといた方がよかったかもね」 「そうだなー」 タオルを首にかけた晶が俺の肩にもたれかかる。ほんのり塩の匂いがして、俺は晶汗くさーいとふざけて言った。途端、晶がごろんと俺をソファーに押し倒してきた。悪い顔をしている彼は俺の服を少し持ち上げてくんくんと嗅いでくる。その仕草がくすぐったくて俺はあははと笑って体を捻った。彼は服から顔を出し、にやっとして悠も汗臭いと言った。 「あ、言ったな!晶の方が汗かいてるもん!」 「いやいや、悠も変わんねぇって」 今度は脇に鼻を突っ込まれる。さっきよりこそばくて俺はまた笑い声をあげた。そのうち汗が引いてきて、冷静になって、二人ともソファーに座り直した。それから、ふと前に言われたことを思い出す。 「ねぇ晶。アルファとオメガって特有の匂いを嗅ぎ分けられるって言うじゃん。あれってどんな匂いなの」 「どんな匂い…」 晶は斜め上を向いてうぅんと悩んだ後、それぞれ違った匂いがある、と言った。 「例えば佐藤。あいつはフルーティーな匂いがする」 「フルーティー…」 「この間ヒロのところでお酒奢ってくれた男の人は苦い匂い…ビターチョコレートみたいな匂いがした」 「なるほど」 「あとは雪。あの子は名前の通り降り積もった雪の匂いがする」 「…へぇ、おもしろいね」 そうだろ、と晶が笑う。俺も笑っておいたけど、内心穏やかじゃなかった。まるでつい最近会ったみたいに覚えているんだね、とはさすがに言えない。だって晶はそんな不誠実なことはしない。きっと随分前に会ったときの記憶を脳がはっきり覚えてしまっているだけだろう…彼らは運命の番なのだから。 でも俺は晶の匂いはわからないから、行動で晶が浮気しているか見極めないといけない。それは、アルファやオメガの浮気を判明させるより難しい気がする。彼らなら、相手についた匂いでどこでなにをしてきたかわかるから、その点では良いなと思う。けど同時に知りたくないことまで知ってしまうから、いいことばかりじゃない。 晶は浮気しない。これだけはわかっている。 「晶って、聖人だよね」 「え、どういう意味?確かに二十は超えてるけど」 聖人と成人を勘違いしてる晶に、俺は違うよと答えながら、でも答えは告げずに立ち上がりキッチンに向かう。普段から行う動きで冷蔵庫を覗いてしまったが、もちろん中身は何もない。振り返って晶に問う。 「夜ご飯どうしようか」 「そうだな…さすがに今日は疲れたし外に食べに行けばいいんじゃないかな」 「お、引っ越し記念?」 「そう。それに後三日したら二年記念日だし、ちょうどいいんじゃないか」 そうだった、今日から三日後、一月十日には俺たちは交際二年を迎える。思わず忘れてたと口に出そうになり咄嗟に口を噤んだ。晶は結構記念日を大事にするタイプな為、俺がそれを言った瞬間くすぐり攻撃が実行される可能性がある。半年記念日の時に実際に行われたことがあるため忘れてたは禁句だ。偶然にも晶は特に異変を感じていないようで助かる。 「そうだね。じゃあ食べに行こう」 冷蔵庫を閉めて、出かける準備をする。いつも通り晶にマフラーを巻いてもらい、玄関を開けた。鍵はオートロック式な為、そのまま鍵をかけずににエントランスに出る。 「どこがいい?」 「この間翔が美味しい焼き肉屋見つけたって言ってたからそこ行こうか」 「お肉!いいね」 どちらからでもなく手を繋ぐ。冬の堪える寒さの中で、ここだけはほどよい温度の炬燵の中のようだった。晶と関わったことのある人ならわかってくれると思うが、晶は本当に太陽のみたいな人で関わる人間すべてを明るく照らしてくれる。そんな晶が、俺は大好きだ。 横断歩道を渡り、商店街を通り街に出る。この先に店はあるらしい。何を食べようかなんて今から二人で考える。なにしろ今日は俺たちは引越し作業で腹ペコなのだ。 店に着き待合の椅子に座る。もう夕飯時だからか人が多く賑わいを見せていた。奥の方から大きな笑い声も聞こえるし、もしかしたら大人数が利用しているのかもしれない。少し待つと俺たちが呼ばれて、トイレが近い奥の席に通された。 「はー寒かった!」 マフラーを外してふうと息をつく。晶も上着を脱ぎメニュー表を取り出した。メニュー表が紙だが注文はタブレットでするらしく、最近はなんでもデジタル化だねなんて話す。牛タン、カルビ、ハラミ…と思い思いにメニューを決めてタブレットに入力していった。そのうち肉が届き、最初は無言で食べ連ねる。晶は食べないけど、俺は米がないと食べ続けられないため途中で米も注文した。腹がいっぱいになってくると会話が出てきて話すようになる。 「伊藤くんって美味しいお店いっぱい知ってるよね、すごい」 「いろんなバイト掛け持ちしてるからその辺の情報はたくさん入ってくるんだって言ってたな」 そうなんんだ、と言って肉を一つ摘まむ。俺は段々お腹が張ってきたが、晶はまだ食べるだろう。これはアルファとベータの違いかな、なんて思ったり。俺がデザートの欄を見ていると、晶はやはり食べるみたいで牛タン注文して、と言われた。言われた通り注文すると、晶がようやく箸を止めた。 「悠、一緒に暮らすにあたってルールとか決めといた方がいいんじゃない?」 「ルール…たしかに。ご飯はどうする?当番制?」 「それでいいと思う。帰る途中で雑貨屋に寄ろう。手作りのルーレット作ろうぜ」 にかっと笑う晶。晶は手作りのものが好きだ。今つけている一年記念のペアリングは晶が工房に通ってわざわざ作ってくれたものだ。少し武骨で、けれども温かみのある曲線が含まれた指輪。でも結婚指輪はちゃんと高いものをやるから!と言われた時は笑ってしまった。どうやらその辺の線引きはちゃんとしているらしい。 晶らしい、と俺が笑ってそうしようと言うとまた肉が届いた。 肉を食べない俺はその後焼き係に徹し、晶がもう食べれないと言うまで肉を焼き続けた。 「お腹いっぱい!」 「翔が言うだけあってやっぱり美味しかったな」 そう話しながら会計のために席を立つ。後ろにいる俺の方を向きながら話す晶に危ないよと声をかけようとして、案の定彼は前から来た人とぶつかってしまう。この先はトイレしかないためトイレに立ったお客さんだろう。 「あ、やべ…すみません」 「こちらこそごめんなさい!」 謝った声に聞き覚えがあった。嫌な予感がしつつ晶とぶつかった人物を恐る恐る晶の後ろから顔を出せば、やっぱり雪だった。じくりと前回会ったの記憶が蘇り胸を疼つかせる。 「雪じゃん。久しぶり」 「あ、晶さん…悠太さんも…」 ”も”ってなんだ、俺は後付けか…と、言うのは簡単だったが喧嘩したいわけではない。俺は黙って晶と雪が話すのを眺めていた。 「ご飯食べに来てたのか?」 「そうです。学校のみんなで食べに来てて」 「そうなんだ。楽しい?」 「…実はあんまり。前に話した少しいじってくる友達がいるんで居づらいというか」 前に話したということは、二回目に会ったときに話したことなのだろうか。でもその時はそんな話をしていなかった気がする。もしかしたら俺がトイレに行っていた時に話していたことなのかもしれない。そう思うことにしよう。じゃないと晶を疑ってしまいそうになるから。 少し待ってみても二人は話に花を咲かせていて全く終わる気配がない。どうしよう、蚊帳の外だ。手持ち無沙汰になった俺は、でもその光景をずっと見ているのも嫌で会計してくると二人の隙間を縫って通路を出た。 待っていれば出てくるだろう、と会計を終えて外に出る。自分でマフラーを巻きなおし、コートのポケットに手を突っ込んだ。寒い、さっさと話を終えて出てきて欲しい。 雪を久しぶりに見て思った。やはり彼はかわいい。たれ目な目尻は愛らしさを富んでいて、頬は白雪姫のように赤く柔らかそうだ。その点俺はどうだ、普通のどこにでもいる男だ。一般的に好かれるのは確実に雪の方だろう。二人が並んでいる姿を想像すると、非常にお似合いな気がした。…俺に好かれる要素なんてあるのだろうか。 自分を卑下しそうになり、首を振ってだめだと思い直す。そんなことをしては俺を好いてくれている人に失礼だ。過度な謙遜は、相手に不快感を与える。大学の心理学の講義でそう習った。 深くため息をついて、まだかなと店の出入り口を見た。するとマフラーを片手に持った雪と晶が話しながら出てきた。声をかけようとして、やめる。晶が思いついたかのように雪のマフラーを手に取ったから。それから俺にするように雪にマフラーを巻いているのを見て、俺は―。 「なぁ悠…機嫌直して。引っ越し早々喧嘩なんてしたくないよ」 その原因は晶だってさらにキレそうになり、深呼吸をして自分を落ち着かせる。家に帰った俺たちだったが、その間俺は一言もしゃべらなかった。晶も俺が怒っているとすぐに感づいて話しかけてこなかった。それすら俺の癪に障る。 だって…だってあの行為は俺のためだけにあると思っていたから。晶は俺のためだけにマフラーを巻いてくれていると、ずっと勘違いしていたから。それを口にすらできず、俺は何度もゆっくり呼吸を重ねた。今日から毎日晶と一緒に寝れると思っていたけど、今日は無理そうだ。怒りが湧いて、収まらない。口にできたのは、そう、ひどい言葉だった。 「晶は、俺のこと、好き?」 玄関にいる晶を振り返ることもできずそう尋ねる。こんなひどい言葉、いままで口にしたことはない。そんなこと、浮気を疑っていると言っているようなものだから。 返事はすぐに抱擁と共に返ってきた。 「当たり前だろ!…ごめん、不安にさせて」 「…俺も晶のこと好きだよ」 だからもう雪と会っても話さないで。その一言が出ずに、俺はただ太陽の温かさに身を任せていた。

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