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一日目・火曜日
校舎四階の角にある生徒会室は、いつでも静寂に満ちている。十二月が始まったばかりの朝は少し寒いけれど、暖房をつけるほどではない。
毎朝、登校してから一限目が始まるまで、僕はここで過ごしている。窓の外のグラウンドで朝練するサッカー部を眺めつつ、一人、図書室で借りた小説を読むのが習慣だ。
しかし、今朝から少しの間、サッカー部キャプテンのレイヤくんによって、この習慣が乱されることとなった。
「ユウキ。カードをシャッフルして」
僕はコクリと頷いて、トランプのような見た目のカードを八回シャッフルした。パイロット版らしく、厚紙にプリンタで出力されたような手作り感のあるカードだ。
表面は全て同じ紫色で、ハートの弓矢を持ったエンジェルのイラストが描かれている。完成版じゃないとはいえ、ちょっとダサい。
「よし。じゃ、このケースに戻して」
またコクリと頷いて、プラスチックのケースに二十四枚のカードを収めた。
レイヤくんは、改めてカードゲームの説明をしてくれる。
「今日から、朝、昼、放課後と一枚ずつ、上から順にめくっていく。で、出たカードに書かれたミッションを二人でこなす。無事に八日間休まずやり遂げ、感想や改善案のレポートを提出すれば、アルバイト代は四万円。オレとユウキで折半。二万円ずつだ」
そのとき一限目の予鈴が鳴った。思わず部屋の上部に取り付けられたスピーカーを見上げるが、ここは四階で僕ら二年生の教室は三階だから、慌てなくて大丈夫。窓の外には、校門から玄関ホールに向けてダラダラと歩く生徒の姿が、まだ多数見える。
「じゃ、始めよう」
レイヤくんが一番上のエンジェルの絵をペラリとひっくり返す。カードには太いゴシック体で文字が書かれていた。
【一分間見つめ合う】
レイヤくんはテキパキとスマホを取り出し、アラームをセットする。
「眼鏡、外して」
コクリと頷き、言われるままに銀縁の眼鏡を外した。
「いくぜ、ユウキ」
そう言って、僕の戸惑いなど考慮せずにスタートボタンを押した。
いつの間にか僕より十センチは背が高くなったレイヤくんを、少し見上げる。首は長く、肩幅も広い。日焼けした肌が健康的で、黒く真っ直ぐな髪はツヤツヤとしている。
色白で、華奢で、少し茶色いクルクルと癖毛の僕とは対照的だ。
レイヤくんの目を、こんな風に見つめたのはいつ以来だろう。
幼稚園や小学生のときはごく自然に目を合わせ、いろんな話をしていた気がする。中学も同じ学校だったけれど、レイヤくんはサッカーを始め、運動が苦手な僕とは接点が減り疎遠になった。高校も同じ男子校に進んだけれど、会話をすることはほとんどない日々。昨日このアルバイトを持ちかけられたのだって、本当に突然だった。
レイヤくんの目も、じっと僕を見つめてくる。
子どもの頃と何も変わらず、真っすぐに僕を見てくれる。夢中でサッカーボールを追っているときも、こんな目をしているのだろうか。
一分は意外と長い。段々と、自分の顔が熱くなっていくのが分かった。ドキドキと胸が高鳴って、思わず制服のブレザーのボタンを握りしめる。目線をずらしたくなったけれど、アルバイトなのだからと、必死に耐えた。
レイヤくんの口が薄く開き、何かを僕に告げようとした瞬間、一分経ったことを知らせるアラーム音が鳴った。
彼はさっと僕から目を逸らし、スマホと通学カバンを手に取る。
「じゃ、昼休みにまたこの生徒会室で」
走って廊下へと飛び出していってしまう。僕も早く教室へ向かわねばならないと分かっているのに、しばらく立ち尽くしてしまった。
もしかして、とんでもないアルバイトを始めてしまったのかもしれない。僕とレイヤくんはどこへ向かおうとしているのだろう?
—
四限目が終わって、いつも通り早々に生徒会室へと移動した。僕はこの高校の生徒会副会長で、鍵の管理を任されている。だから昼食も、ここで一人ゆったりと食べている。
この時間を邪魔する者はどこにもいない。……はずだったのに、昨日突然、乱暴に扉がノックされレイヤくんが入ってきたのだ。
「ユウキ、久しぶり。ちょっと頼みたいことがあるんだけどさ、今いい?」
「レ、レイヤくん?」
声が裏がってしまう。ちゃんと話すのは小学校を卒業して以来だから、本当にびっくりした。そもそもどうして僕がここにいると、分かったのだろう。
「なぁ、バイトしない?ずげぇいい話があるんだけどさ、オレ一人じゃできなくて、ユウキに一緒にやってほしいんだわ」
「え?僕が一緒に?」
「そうそう。ユウキにしか頼めなくて」
うれしかったんだ、とっても。常にたくさんの友達に囲まれているレイヤくんが、僕なんかを頼ってくれたことが。だから、ついOKしてしまった。
けれど、話をよく聞いてから返事をすべきだったかもしれない、と今は思っている……。
ドンドン。
昨日に続き、今日も乱暴に扉がノックされた。古い校舎なので、扉に埋め込まれているガラスが、音を立て震える。
無遠慮に生徒会室に入っていたレイヤくんは、僕のお弁当箱を覗き込んだ。
「うまそー」
「唐揚げ好きでしょ?一つ食べていいよ」
「やったー!ありがと。ユウキんち母さんの唐揚げ、めっちゃ久しぶり」
指でヒョイと摘み、口に放り込んだ。唐揚げ一つで、眩しいくらいの笑顔を見せてくれる。この笑顔こそ、僕がふとしたときに思い出すレイヤくんという男、そのものだ。
「レイヤくん、お弁当は?」
口をもぐもぐしながら、レイヤくんが返事をする。
「二限目の休み時間に食べた。だから昼はこれ」
学食のパンが何個も入っているだろうビニール袋を掲げてみせる。ザ運動部って感じの彼の生活は、常に賑やかで輝いている。きっと毎日が充実しているのだろう。僕の静かな穏やかさを求める高校生活とは、まるで違う。
「食う前に、カード引くか」
僕の隣の椅子に座ったレイヤくんは、棚の上に置かれたエンジェルのカードに手を伸ばした。
そしてなんの躊躇いもなく、「えいっ」とカードをめくる。
【一緒に食事をする】
「なんか楽勝じゃん、このカードゲーム」
そう笑って、ビニール袋から、たくさんのパンを取り出し、まずは焼きそばパンを頬張った。僕がもう一つ唐揚げを譲ってあげると、お礼だと言って、メロンパンを半分ちぎってくれた。
学食のパンを初めて食べたけれど、思った以上に美味しかった。そして、久しぶりに家族以外の誰かと食べる食事は、僕を楽しい気分にしてくれた。
すごい勢いで食べ終わったレイヤくんは、サッカー部のミーティングがあるからと立ち上がり、ゴミをまとめ、ビニール袋へ片づける。
「ユウキ、オレ、放課後は部活が始まる前にここ寄るから。またな」
子どもの頃のように、バイバイと手を振って、レイヤくんは生徒会室をあとにした。
彼の出て行った扉を見ながら、僕らがテストプレイしているカードゲームのタイトルを思い出し、そっと息を吐く……。
—
放課後。
僕が四階の生徒会室へ向かったとき、レイヤくんのクラスはまだホームルームをしていた。
だから僕は一人、鍵を開け、棚の上にこっそりと置かれたカードへ、足早に近づく。
そして残り二十二枚となったカードを、プラスチックケースから取り出した。
午後の授業を受けながら、他にどんな種類のカードがあるのか、どうしても気になってしまったのだ。事前に知っておけば心づもりができる。このゲームの向かう先を確認しておきたい。ルール違反をする言い訳を自分の中で並べ立てる。
けれど、チラっと一枚目をめくった途端、僕の目に飛び込んできたカードには【キス】と書かれていた。
「え?」
その二文字を見た瞬間心拍数が跳ね上がった。思わずプラスチックケースを落とし、カードを床にバラ撒いてしまう。
慌てて拾い集めたから、それ以外のカードになんと書かれていたかは、頭に入ってこなかった。
とりあえず、ひとまとめにし、もう一度一番上をペラっとめくると、再び【キス】のカードが一番上にきていた。
この偶然に僕は更に焦ってしまい、しつこいくらいに何度も何度もシャッフルをした。
もし僕が今、カードをカンニングしなかったら次に引かれるカードは【キス】だったのだ。そしたらレイヤくんはどうするつもりだったのだろう……。
ドンドン。
僕がカードを棚へ戻したギリギリのタイミングで、ノックと共に扉が開き、レイヤくんが入ってくる。手にはナゼかもうサッカーボールを持っていた。
「さっ、カード引くか」
「あ、あのさ、このゲームのテストプレイって、レイヤくんの叔父さんから来た話なんだよね?」
「そうそう。いろんな人にテストしてもらってるらしい。幅広い年齢のデータが欲しいんだって」
「それで、レイヤくんは何て言って頼まれたの?」
「学校の友達とやってみてくれって」
「叔父さんは、レイヤくんが男子校だって知ってるんだよね?」
「あぁ、どうだろ?知ってんのかなー、わかんねぇ」
「だけど、このゲームのタイトルってさ……」
「【マッチングした二人が、恋人になるためのカードゲーム(仮題)】だろ。叔父さんは結婚相談所で働いてるんだよ」
レイヤくんは【キス】ってカードが入っていることを知っているのだろうか?いや、たぶん知らないだろう。だから僕だけが顔を赤くし、俯いているのだ。
僕の躊躇などお構いなしに、レイヤくんがカードをめくろうとした。何度もシャッフルしたとはいえ、また一番上に【キス】のカードがきていることもありえるのだ。僕は思わず拳を握りしめる。
めくられたカードの文字を見て、ふー、と肩の力が抜けた。
【相手を褒める】
「ん?褒める?」
レイヤくんが首を傾げる。
「どうしたの?」
「あ、いや……。ユウキ、オレの褒めるところなんてあるか?」
そう言いながら、癖なのか、サッカーボールをムニムニと感触を確かめるように触っている。
「あるよ!たっくさんある!レイヤくんはね、常に周りの人を嫌な気持ちにさせない。自然とやってるように見えるけど、考えて意図的にそうしてるって僕は見て知ってる。声掛けや、笑顔で、雰囲気を作るのが上手くって、さすがサッカー部キャプテンって感じ。久しぶりに話をした僕のことだって、楽しい気持ちにしてくれた」
「そっか。なんか恥ずかしいな。でもうれしい。サンキュ」
照れた笑顔を僕に向けてくれた。
僕のほうこそ、地味で友達も少なくて、褒めてもらえるような点が見当たらない。
「ユウキは誰よりも信頼できる。他の奴に、今みたいに褒めてもらっても、本当かよ?って思っちゃうけど、ユウキが言ってくれるならって素直にうれしく思える。生徒会長のマコトも言ってた。ユウキが副会長で助かってるって。信頼が置けるから色々なことを任せられるって。オレ、それを聞いて「だろ?」って誇らしかったぜ」
窓から入り込む西日がレイヤくんを照らし、彼の顔をオレンジ色に染める。僕なんかのことを、信頼してくれていたなんて、思いもしなかった。
「オレがサッカー始めたのだって、ユウキが小学校の体育の時間に「レイヤくん、サッカーと相性がいいね」って言ってくれたからだぞ。おかげで今じゃ、エースだ」
いや、でもそれは……。
「じゃオレ、部活行くわ。また明日な」
レイヤくんの信頼を裏切らないためにも、もう二度とカードのカンニングはしないと、心に誓った。
数日中に訪れるだろうレイヤくんとのキス。僕はそれを遠ざけたいのか、望んでいるのか、それすらも分からなかった。
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