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第七話・月曜日

 期末テストは、今日の午前午後、そして明日の午前まで続く。  サッカー部の朝練も、流石にテスト期間中は休みだ。  しかし、スマホにセットしたアラームを切り忘れ、今朝も早朝に目が覚めてしまった。せっかくだからと眠い目をこすり机に向かい、一点でも多く稼ぐために英単語帳を開く。  ノートにスペルを書きなぐり、単語を頭に叩き込んでいたが「フーーー」と深いため息が出て、手が止まった  昨日ユウキの家でカケルに言われた「ユウキの邪魔」という言葉が、心に引っかかったままでいるのだ。  同じことを、小学六年生のときの担任によく言われた。 「レイヤくん、ふざけてばかりで、ユウキくんの邪魔をしないで」 「レイヤくんが邪魔をするから、ユウキくんが困ってるわよ」 「ユウキくんの邪魔になってるって、気付けないかしら?レイヤくん」  最初は響かなかったその言葉が、小学校を卒業する頃にようやくオレの心に届いた。  オレが指を骨折し、二人で怒られる羽目になったことも、きっかけの一つだったかもしれない。  オレは、真面目に授業に取り組みたいユウキにとって、邪魔な存在なのかもしれない。このまま中学生になったら、オレはますますユウキの邪魔になってしまうかもしれない。  思春期に差し掛かったオレは、強くそう思うようになった。  昨晩は、ジョンの散歩がてらオレの家の近くまで送ってくれるというユウキの親切を、断った。  カードのミッションはあくまでバイトで、対価が支払われることだけれど、それ以上のことをユウキに求めてはいけない。そんな卑屈なことを考えてしまったから。    いつもとは違う時刻に、最寄り駅へ向かう朝。駅へと続く並木道は、全て葉が落ち寒々しい。  一般的な通勤通学の時間だから、電車も混むだろう。ふと、前方の人込みを見ると、ユウキが歩いているのが見えた。 「あっ」と思い駆け寄ろうとするが、その隣にカケルがいるのが目に入り、足が止まる。もう駅は目の前で、このままでは二人と同じ電車になりそうだ。  オレは行きたくもないトイレへ向かい、一本電車をずらす選択をする。  しかし、トイレの洗面台で手を洗っていると、背後から声を掛けられた。 「おはよう、レイヤくん」  顔を上げれば、目の前の鏡の中で、カケルが笑っていた。 「ユウキくんはもう電車乗っちゃったよ。君は急がなくて大丈夫?」  オレは適当に会釈をし、その場を離れようとする。しかし彼は、追い打ちをかけるように言葉を足してきた。 「勉強の邪魔をしないであげてね。君はサッカーで大学に行くんだろうけど、ユウキくんは違うから」  隠しきれない不快感で声の主を睨みつけ、オレはその場をあとにした。  生徒会室へ行くと、ユウキはいつも通り読書をしていた。コツコツと勉強するタイプだから、テスト直前に詰め込む必要がないのだろう。 「おはよう、レイヤ」  今日も、呼び捨てで呼んでくれた。 「おはよう。オレ、もう一度教科書見直したいから、手早くカード引いちゃおうぜ」  あまり深く考えないようにと自分に言い聞かせながら、すっとカードをめくる。 【ごめんなさいと謝罪する】  カードをユウキにも見えるよう、机の上に置いた。 「ユウキ。こんなテスト期間中に、変なバイトを持ち掛けて申し訳なかった。オレ、子どもの頃からユウキの邪魔ばかりして。本当にごめん」  ちょうど頭の中で考えていたことだったから、いつになく真剣な声になってしまった。ユウキは驚いた顔をしている。それでも、もう一度「ごめんなさい」と伝え、オレは深々と頭を下げる。  ユウキは静かに首を振った。 「そんなこと言わないで。レイヤは少しも邪魔なんかしてない」 「ホントか?」 「僕は子どもの頃から一度だって、レイヤを邪魔だと思ったことなんてない」 「一度も……」 「うん。僕のほうこそ、中学も高校も、レイヤと距離ができたことを寂しく思っていたのに、自分からは何の行動も起こせなかった。ごめんなさい」 「ユウキ……」 「このエンジェルのカードゲームのおかげだよ、また仲良くなれたのは。僕をアルバイトに誘ってくれて、ありがとね」  オレの単純な心は、ユウキの笑顔一つで快方へと向かった。 —  午前のテストで、数学と英語は乗り切った。残りの科目は、まぁなんとかなるだろう。  それよりも、カードが引けるのは、あと五回。期末テストや第三者の存在に心を乱されている場合ではない。  ここで気合を入れ直さなければ、ゲーム終了のホイッスルが鳴るとともに、オレたちの接点は激減しかねない。  今一度、自分に問いかける。ユウキとどうなりたいのか、と。  オレはサッカーが忙しい。ユウキも受験勉強に本腰を入れていくだろう。それでも、今後も一緒に昼めしを食べたい。時々学校外で会ったり、寝る前にメッセージのやりとりをしたりしたい。  邪魔な存在ではなく、励まし合い、支え合うような男になりたい。  キスだって、それ以上だってしたい。  ユウキの隣のポジションを、カケルに奪われたくない。  こんな大事な局面で、次に何のカードが出るか運に任せている場合ではないだろう。ズルい策士としては、虎視眈々と自分のペースへ引き戻す算段を練るべきだ。  弁当を持って生徒会室へ行くと、先に来ていたユウキが、部屋から出て行くところだった。 「レイヤ!僕、閃いたんだよ、とってもいいアイデアを」 「え?」 「レイヤは、このエンジェルのゲームが終わっても、僕の頼み事を聞いてくれる?」  ユウキは何だか楽しそうな表情をしている。 「お、おう。当たり前だろ。ユウキの頼み事ならなんでも聞く。オレに任せとけよ」 「ありがとう!ちょっとマコトくんのところへ行ってくる。お弁当、先に食べてて」  そう言って、廊下を走り行ってしまった。 「わけわかんねぇ……」  だけどこれは、チャンスではないだろうか。  ユウキの弁当の隣に置かれたプラスチックケースへ、オレは手を伸ばした。 【ギュッとハグをする】のカードが二回出るトラブルがあったせいで、残りのカードは六枚。  オレは六枚を目の前に並べた。ここから先、どの順番でどのカードを出現させるべきか。  頭の中でたくさんのオレが猛スピードで会議を繰り広げ、何度もカードを並び変えた。 「あれ?レイヤ、食べずに待っていてくれたの」 「あぁ。マコトとの用は済んだのか?」 「うん、バッチリ。明日はさ、昼でテストが終わって下校だけど、レイヤは部活だよね?」 「だな」 「お昼に、サッカー部部長として時間を作ってくれないかな?マコトくんも同席するから生徒会として話がしたい」 「なんの件?」 「テストが終わってから言うよ」 「そっか。分かった」  ユウキの口調から、悪いことではないだろうと充分に推測できた。 「食べながら、カード引いちゃうか」 「え?」  ユウキの指が咄嗟に唇に触れた。口の中は、弁当のとんかつを詰め込んだばかりのようで、モグモグとしている。  その仕草で、オレは気が付く。ユウキも【キス】のカードが存在することを知っているのだ、と。 【秘密を一つずつ打ち明ける】  だから、賭けに出た。 「オレさ、この残りカードの中に【キス】ってミッションがあるのを知ってるんだ。それがオレの秘密」  ユウキの目が大きく見開かれた。そして、口の中のとんかつを、ゴクンと飲み込む。  そして小さな声で、彼も秘密を告白した。 「僕も、知っていた……【キス】のカードのこと」 「知ってて、続けてくれてたんだ?」  意地悪を言うオレに、ユウキはコクリと頷いた。   —  六限目のテストが終わり、二人で一緒に下校した。こんな時間に帰宅できるのは、テスト期間中くらいだ。  今日は晴れているが、北風が冷たい。そのせいで、オレたちは心なしか身を寄せ合って歩いている。  最寄り駅で電車を降りたとき、オレは声を潜めてユウキに尋ねた。 「なぁ、ユウキんちに行ってもいい?公園でカード引いてもいいけど、ほら、もしあのカードが出たら困るだろ?」  ユウキの顔は赤く染まったが、コクリと頷いてくれた。あぁ、可愛い。  カードの順番を完全に把握しているオレには、次のカードが【キス】でないことが分かっている。なのに騙すようなことを言って、申し訳ないとは思っている。  それでも、オレは今日中にあの男と対峙しておきたかったのだ。ユウキの隣人、いけ好かないカケルと。   【私物の貸し借りをする】  ユウキの部屋でカードを引くと、彼はホッとしたように息を吐く。  緊張していたのだろう。表情が緩んだ。  予め「すぐに帰るから」と伝えてあったから、立ち話で会話が進んでいく。 「レイヤに借りたい物、なんだろう?あっ、貸したい物ならあるよ」  ユウキはクローゼットを開け、紺色のマフラーを取り出した。 「これ、使って。外、風が冷たいから」  首にぐるりと巻いてもらえば、フワフワしていて肌触りがいい。 「サンキュ。めっちゃ、あったかい」  うれしくて、身体がポカポカとしてくる。 「じゃ、オレはコレを貸す」 「漫画?」 「そ。普段そういうの読まないだろうけど、面白いから読んでみて。カズヤのだけど」 「え?いいの僕が借りちゃって」 「いいの、いいの。オレにも副部長から回ってきた。その前も誰かが読んでて、サッカー部の中をぐるぐる回ってたんだよ」 「僕、部員じゃないのに大丈夫かな?カズヤくんと面識ないし」 「ユウキはオレの友達だし、同じバイトしている奴らもいるし、もうサッカー部仲間も同然じゃん」  オレが何気なく言った言葉に、ユウキは思いの外喜んで、漫画の単行本を受け取ってくれた。  そんな目を潤ませながら貸し借りするような漫画じゃないんだけどな。  さて、本題。 「今日はさ、カケルさんもう家にいるかな?」  そう問うとユウキは部屋の窓を開け、隣の家の窓に向かって声をかけた。 「おーい、カケルさーん」  ガラガラと窓が開き「なんだい?」とカケルが顔を出す。  え?この二人、こんな近しい距離で暮らしているのか……。  すかさずオレは二人の間に割り込む。 「すみません。オレ周りに大学生とか居ないから、大学ってどんな感じなのか話を聞かせてもらえないかと思って」 「ふーん、レイヤくん来てたんだ」  意味深な顔をして、カケルがオレを見る。 「いいよ。じゃユウキくん、今日のジョンの散歩、俺が行ってもいい?」 「うん。ジョンも喜ぶと思う」 「ということだから、散歩しながら話そうかレイヤくん」  物事はオレの思惑通りに運んだ。  ジョンに引っ張られるように歩きながら、カケルが一方的に話し始める。 「俺があの家に引っ越してきたとき、ユウキくんは中学二年生だった。多感な時期特有の不安定さがあって、俺と会話してくれるようになるまで、随分と時間がかかった」  ジョンが「ワン」と振り返り、歩みが遅いぞとオレたちに注意を促してくる。 「彼が俺に最初に話してくれた悩みは、君のことだったんだよ、レイヤくん」 「え?」 「小学校まではとても仲の良い幼馴染だったのに、中学に入ったら全然話をしてくれなくなった。僕のせいで、野球部に入れなかったからかもしれないって」 「いや、それは」 「野球だのサッカーだのって話は、象徴であって、彼としてもそれが原因の全てだと思ってた訳じゃないと思う。でも、すごく寂しそうだったんだよ、その話をするユウキくんは」  中学の制服を着たユウキが目に浮かぶ。 「だから、俺は君のことが信用できない。君はまた平気で、ユウキくんに寂しい思いをさせるかもしれないだろ?」 「平気なんかじゃなかった」  オレはしょぼくれて下を向く。 「ハハハ、なんてね。分かるよ、俺にも。思春期とはそういうものだ。今、大学でね、発達心理学の勉強をしているんだ。オレは将来中学校の先生になりたくてね」 「先生?」 「そう、先生を目指してるくせに、今朝は君を試すようなことを言って、申し訳なかった。でも、こうして俺に会いに来てくれただけで、オレにとってレイヤくんは信用できる男になったよ」  ジョンが走り出し、オレたちも一緒に走る。 「それからね、レイヤくん。何か勘違いしてるみたいだけど、俺、彼女いるから」 「へ?」 「可愛い彼女が大学にいるから。そういうこと。じゃ、またね」  歩みを止めたオレを置いて、ジョンとカケルは走って行ってしまう。  オレは暑くなってマフラーを外した。 「なんだよ、もう」  思わず笑ってしまい、道ゆく人に怪訝な顔をされたが、晴れ晴れとした気分だった。  オレは、ユウキに借りたマフラーをギュッと抱きしめ、明日めくることになるカードを思い浮かべながら帰路についた。

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