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第六話・日曜日

 僕の部屋にレイヤくんがいる。  そして、僕とレイヤくんの間には当然だというように、愛犬ジョンが寝そべり、レイヤくんを監視している。 「ジョン、ユウキを守っている騎士みたいで格好いいぞ」  そう言って、毛足の長い背中を何度も何度も撫でてもらえば、あっという間に懐柔されてしまうのだが。 「お土産のプリンありがとうね。おやつに食べよう。この前の『プリンとシュークリームならどっちが好き?』って質問、この為だったんだね」 「ユウキの『コーヒーは飲める?』もだろ?オレ、ココア好きだからうれしい。温まるよ」  私服のレイヤくんは、ジーンズにオーバーサイズのフーディをざっくり着ていて、程よく力の抜けたラフなスタイルがよく似合っている。 「オレ、真剣に勉強するつもりで来たから。明日からの期末テスト、結構ヤバイんだよ」  レイヤくんはそう決意を述べ、背負ってきたリュックから教科書や参考書を取り出す。 「うん。一緒に勉強しよ。その前にカードだね」  実は僕、再びカンニングをしてしまいました。  五年ぶりにレイヤくんが家に来てくれるという楽しみな一日を、どんなカードが出るかという憂いに奪われたくなかったから。  レイヤくんが来る少し前、こっそり一枚目をめくってみたけれど【キス】のカードは出なかった。続けて二枚目をめくってみると、【キス】のカードが現れた。僕は慌ててそのカードを、束の一番後ろへと移動させる。  危なかった。初めてのキスに胸がいっぱいになり、昼に母さんが作ってくれる親子丼を、食べられなくなるところだった。 【相手の命令に一つ従う】  予定通りのカードが出た。だから僕は決めてあった命令をレイヤくんにする。 「レイヤくん、数学が一番ピンチなんだよね?ここからここまでの問題をまず解いてみて。で、間違ったところを一緒にやり直そう」 「それがユウキからの命令?」  レイヤくんは僕が指示した参考書を見ながら「こんなにたくさんかよ」とブツブツ言っている。 「そうだよ。レイヤくんからの命令は?」 「うーん、そうだな。レイヤくんじゃなく、レイヤって呼んで」 「へ?」 「へ、じゃないよ。さぁ、呼んでみて」 「レ、レイヤ……」 「うん。イイ感じだ。勉強頑張れそう」  レイヤくんはフーディを腕まくりして、問題を解くためにノートを広げた。  やる気が出たのなら、いいけれど……。今さら呼び捨ては照れくさいよ。 「ココア、おかわりいる?レイヤくん」 「くんは要らないってば、ユウキ」 「ココア、おかわりいりますか?レイヤ……」  不慣れなあまり敬語になってしまった。 「もう一杯、もらおうかな」  レイヤくんがニヤリと笑う。眠っていた愛犬ジョンは、目を開けてジロリとレイヤくんを睨みつけた。 —  レイヤくんが数学のテスト範囲の中で、どこが分かって、どこが分からないのか判明したところで、お昼となった。  母さんがノックと共に、親子丼をお盆に載せ持ってきてくれる。 「温かいうちに食べちゃいなさい」 「美味そー」 「レイヤくん、プリンたくさんありがとね。私たちも食後のデザートに御馳走になるわ」  ジョンは勉強ばかりしている僕たちに退屈したのか、母について階下へ降りていってしまった。  いい匂いのする丼ぶりを前に、エンジェルのカードは食後にしようと教科書や参考書を横へ追いやる。 「ユウキの母さん、オレが親子丼好きだって覚えててくれたんだな」 「小さな頃のレイヤくん、結構偏食だったよね」 「くんは要らない。まぁ、今でも魚より肉、野菜より肉だけどな」  温かく静かで、平和な時間だった。時折、レイヤくんのスマホが、ピコンピコンと通知を知らせるけれど、彼はチラっと見るだけで、アプリを開いたりはしない。  二人で、幼かった頃の思い出話をしながら、親子丼を食べた。 「さて。カードを引いて、午後の勉強を再開するか」  レイヤくんのやる気は、お昼を食べても継続しているようだ。 「うん。じゃ、レイヤが引いてよ」 「おぉ、ちゃんと呼べたな」  レイヤくんはさっきジョンを撫でたように、僕の頭をワシャワシャと撫でてくれる。【キス】のカードが出ないと分かっているだけで、僕の心には余裕があるのだ。 【友達を紹介する】  友達。これはなかなかの難問だ。僕が学校で一番親しいのは、生徒会長をしているマコトくんだけれど、レイヤくんとは既に友達だ。一年生のとき、同じクラスだったらしい。  あとは、愛犬のジョン。こちらは紹介済みだし……。どうしよう。  そのとき、レイヤくんのスマホがまたピコンと鳴った。 「うるさいんだよ、あいつら」  そう呟いて、レイヤくんはスマホを手に取って、ビデオ通話のボタンを押した。 「レイヤ、どこにいんの?俺たち、カズヤの家でお勉強中だぜ」 「部長も来いよー。勉強しないとヤバいんだろ」 「お勉強、俺が教えてやってもいいぞー」 「まさか、彼女んち?部長、いつの間に!」  数人がいっぺんに喋り出し、すごく賑やか、というかうるさいくらいだ。サッカー部の部員たちだろう。 「オマエらちょうど良かった。一人ずつ画面に向かって自己紹介しろ。名前とポジションだけでいいから」 「なにそれ?やっぱり彼女?きゃぁ―――」 「違うよ。エンジェルのゲーム。出なかったか【友達を紹介する】ってカード」 「あったかそんなの?」 「あった気もする」 「いや、まだ出てないんじゃね?」 「いや、あったあった」  かなり適当にゲームに挑んでいるのがバレバレの発言で、思わず僕は笑ってしまう。 「ほら早く。名前とポジション」  そこからはスマホの向こうで、レイヤくんの友達七人が、代わる代わる名乗ってくれた。 「サンキュ。オレは期末テスト、生徒会副会長に教わるから、好成績期待してろよ。じゃあな」  レイヤくんはそう言い残し、まだまだ喋り続ける友達を無視して通話を切った。  次は僕の番か、と困っていると、ドアがノックされた。 「こんにちは」  そこにはプリンをお盆に載せた、カケルさんが立っていた。相変わらず、好青年といった雰囲気で、身に着けている服装も、爽やかだ。 「おばさんが、プリン持ってって。それと、勉強をみてあげたらってさ」  これはちょうどいい! 「レイヤ、この人は、隣に住んでいるカケルさん。三年前に引っ越してきて以来、家族同士、とても仲良くしてもらってる」 「この前、ジョンを散歩させてた人だろ」 「そうそう!レイヤ、あのとき暗かったのに良く分かったね。カケルさんは、僕らの高校の卒業生なんだよ。今は大学三年生。僕の第一志望の大学だから、色々アドバイスをもらったりもしてる」 「よろしく。ユウキくんが呼び捨てで呼ぶなんてめずらしいね。そんなに仲が良いのかな、二人は」 「はい」  レイヤくんが、カケルさんの目をしっかりと見て、返事した。 「そう。ところでテスト前なんだろ?分からないところがあったら教えるよ?」 「いえ、結構です。ユウキに教わるんで」 「それじゃ、ユウキくんの勉強の邪魔だって気付かないのかな?レイヤくんは」  なんだろう。二人の間に見えない火花が散っている……。  結局カケルさんは、プリンを二つ置き、僕らが食べ終わった丼ぶりを持って、部屋を出ていった。  そこからレイヤくんは、無言で勉強に取り組んだ。僕に聞くこともなく、教科書をめくり、参考書をめくり、時には何かを検索して、問題を解き進めている。  眉間にシワが寄っているのは、テスト勉強に真剣なのか、機嫌が悪いのか、僕には分からなかった。  だけどきっと、やる気になったレイヤくんは最強だ。 —  部屋のドアを、ジョンが「開けて開けて」というように、引っ搔いてくる。  窓の外を見れば、もう日が沈み暗くなっていた。二人ともかなり集中していたようだ。途中で、一度だけプリン休憩をとったが、あとはずっと机に向かっていた。  ドアを開けてやれば、ジョンが自らリードを咥え、「散歩に連れてって」とアピールしている。  レイヤくんも流石に疲れたのだろう。肩や首をグルリと回して、うめき声を上げていた。 「レイヤ、今日はここまでにしよう。僕、ジョンの散歩に行かなくちゃ。今日の散歩コースはレイヤくんの家の近くを通ることにするよ」 「くんは、要らない」  まだまだ呼び捨ては難しく、混在してしまう。 「うん。気を付ける」 「じゃ、カード引くか」  僕はコクリと頷いて、プラスチックケースに手をかける。  そのときだった。  待ちきれなくなったジョンが、突進してきたのだ。いつでもジョンファーストの僕が、レイヤくんを優先させているのが、気に食わなかったのかもしれない。  エンジェルの絵が描かれたカードの束は、宙を舞い、残り七枚がバラバラになって部屋に散らばった。机の下、ベッドの下、ジョンの背中にも舞い落ちる。 「あーあー」  レイヤくんは身をかがめ、素早く回収し向きを整え、シャッフルまでしてくれた。 「ありがとう……」  これでまた【キス】のカードの行方が分からなくなってしまった。ジョンのことを睨みつけると、小さく「クゥ」と鳴いて、謝ってくれたから、許すけれど。 「そっか、そっか。早く散歩に行きたいか」  レイヤくんは、やさしくジョンを撫でている。僕はため息を飲み込んで、一番上のカードをめくった。 【ギュッとハグをする】 「あれ?このカード」  僕は慌てて、カードの残り枚数を数える。 「七枚ある」  今度は、制服のジャケットのポケットに手を入れ、ミッション済みのカードも数える。 「ポケットの中に十四枚。朝のカード、昼のカードを足しても十六枚」  どうやら、【ギュッとハグをする】のカードが二枚存在するわけではないようだ。  おそらく、昨日の夜、掛け布団をくるくる巻いたりしている間に、ベッドの下にでも落ちていたのだろう。そしてさっきカードが散らばったときに、一緒に回収された。 「どうする?引き直す?」  レイヤくんにそう問うたけれど、彼は首を横に振る。 「ジョンも待ってるみたいだからさ」  彼は一歩近づいてきて、僕の腕を強く引き寄せた。  倒れ込むように、レイヤくんの胸に飛び込む。十センチ背の低い僕の顔が、たくましい肩口に埋まった。 「ユウキ」  昨日、スマホ越しに聴いたような切ない声が、耳元で聞こえる。背中に回された腕で、ギュッと強く抱きしめられた。 「ほら、ユウキもギュッって……」 「……うん」  僕も両手をレイヤくんの大きな背中へ回した。  そして、レイヤくんの真似をして名前を呼んでみた。 「レ、レイヤ」  まだ呼び慣れない呼び捨てに、声が微かに震えてしまった。 「ワン、ワンワン」  待ちきれなくなったジョンが、すぐそばで大きく吠えた。それでも、レイヤくんはハグを解いてはくれなかった。  僕だって、振り払ったりせずこの状況に流されそうになっている。 「ユウキくーん、まだ勉強終わらないなら、俺が代わりに散歩行こうかー」  階下から、カケルさんの声が聞こえた。  レイヤくんは舌打ちをし、僕からそっと離れる。  きっと僕の顔は真っ赤で、今すぐには階下に降りていけない。 「あと五分したら、僕が散歩行くんで大丈夫でーす」  顔を上げて目の前のレイヤくんを見ると、彼の顔も赤く染まっていた。  僕の赤い顔は誰にも見られたくないけれど、レイヤくんの赤い顔だって、誰にも見せてほしくないと思ってしまった。

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