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五日目・土曜日
昨夜の公園での出来事は、僕のキャパシティーを超えてしまいそうだった。
幼い頃レイヤくんと遊んだことのある公園には、オレンジ色の街灯が灯り、夜空には細い月が浮かんでいた。噴水の水が落ちる音は、程よいノイズとなって、駅から聴こえるリアルな生活音を隠してくれる。
僕らはベンチに座り、カードのミッションとして手を繋いだ。レイヤくんの手は大きくて肉厚で、記憶の中の小さな手のひらとは、まるで違った。
三分間と時間の制限が書かれていたけれど、レイヤくんはタイマーをかけなかったし、僕だってそれを指摘しなかった。
やさしく握ってくれていた手は、途中で意図があるかのように強く握られ、僕も反射的に同じ強さで握り返す。
僕の照れて赤くなっていただろう頬は、初冬の風が冷やしてくれたが、それでも心臓はバクバク高鳴り続けていた。
そんなとき、ジョンの鳴き声とカケルさんが呼ぶ声が聴こえたのだ。
彼らは僕にとって、当たり前過ぎる日常の登場人物。僕は思わず、レイヤくんと非日常から、日常へと逃げ帰ってしまった。
公園に置き去りにしてしまったレイヤくんを振り向いて、手を振ることもさえできなかった。
朝。生徒会室の鍵を開け、窓辺に行く。朝練をしているサッカー部が見え、たくさんの人がいる中からレイヤくんの姿を探した。どこにいるかはすぐ分かり、しばらくの間、その姿を目で追う。
ふと立ち止まったレイヤくんが、こちらを見た気がするが、おそらく僕の気のせいだろう。
僕は制服のブレザーのポケットに手を突っ込み、ミッションをこなし終えた十二枚のエンジェルのカードを取り出し、机に並べた。
レイヤくんは終わったカードに興味がないようで、仕舞おうともしないから、毎回僕がポケットへと入れていたのだ。
このカードゲームを作った人の目的は、やはりプレイヤー同士が恋人になることなのだろう。
テストプレイのアルバイトとはいえ、僕はカードのせいで、自分の恋心を自覚せざるおえなくなってきている。
何年も口を聞かなかった幼馴染と、再び話ができるようになっただけで充分だというのに。
レイヤくんはどうなのだろう?どこまでアルバイトだと割り切っているのだろう。どこまでカードの効力に流されているのだろう。
こうしてエンジェルのカードに惑わされている時点で、このゲームの思う壺なのかもしれない。
「悪い、待たせた」
僕はブンブンと首を横に振る。変に意識してしまい、気の利いたことも言えない。
「ユウキ、カード引いてくれるか?」
着替えを始めたレイヤくんに、コクリと頷き、一番上のカードに手をかけた。
もしこのタイミングで【キス】のカードが出たりしたら、僕はどうすればいいのだろう……。緊張のあまり目をつぶってから、えいっとカードを裏返す。
【一回休み】
そっと目を開けたときに見えた四文字に、身体の力が抜ける。「フフフ」と声を出し笑ってしまった。
昨日の夜から、ずっと自分の気持ちが高ぶったままだったのだと思い知る。
「一回休みかぁ」
レイヤくんも、気が抜けたような顔をして、大きく大きく伸びをした。
「じゃ、少し早いけど教室行こっか」
「いや、オレ、今日は休みにするわ」
「へ?」
「屋上で、ちょっと寝たい。昨日の夜、全然眠れなかったんだよ」
確かに眠たそうなレイヤくんは、髪型が乱れるのも気にせずに、モシャモシャと頭を掻いた。
「ダメだよ、そんなの!」
「大丈夫。大丈夫」
そう言って、気だるそうに欠伸をする。
「サボりなんてダメだってば、ね、レイヤくん」
「今日土曜だから三限目で終わりだろ?屋上で待ってるから。授業が終わったら迎えにきて。そんとき、次のカードを引こう。な?」
レイヤくんは慣れた足取りで、屋上への階段を登っていってしまった。
彼が昨晩眠れなかった理由が、公園での僕の態度のせいかもしれないと思うと、それ以上引き止めることはできなかった。
—
三限目が終わり、急いで帰り支度をして、屋上へ上がる。レイヤくんは柵に体重を預け、グラウンドの遥か向こうに見える山々を眺めていた。今日は天気が良く、遠くまで見渡せる。
「レイヤくん」
声をかけると、良く寝ただろうスッキリとした表情で振り返った。
「おぉ、お疲れ」
「ずっとここにいたの?」
「あぁ、いい場所があるんだ」
彼は給水塔の横にある、簡素なベンチを指さす。
「あそこ、風も当たらないし、太陽は程よく当たるし、サボるにはサイコー。内緒だからマコトにも言うなよ」
「言うわけないじゃん」
ムキになる僕に、レイヤくんは「ハハハ」と笑った。やっぱりレイヤくんは青空の下がよく似合う。
「ユウキ、エンジェルのカードは、持ってきてくれた?」
僕はコクリと頷いて、通学カバンからプラスチックケースを取り出す。
「早速、引くか」
レイヤくんが手を伸ばし、一番上のカードを裏返した。
【悩み事を一つずつ打ち明ける】
「悩み事かぁ」
高校二年生の今、悩み事など無数にある。僕にも、きっとレイヤくんにも。
進路のこと、英語の成績が伸び悩んでいること、長く入院している祖父のこと、おでこにできたニキビのこと、靴下の片方をジョンに隠されてしまったこと、【キス】のカードが待ち受けていること。
こんな晴れ渡った青空の下でレイヤくん相手に話す悩み事として、相応しいのはどれだろう。
先に口を開いたのは、レイヤくんだった。
「オレたちの代のサッカー部、結構強いんだよ」
「知ってる」
「でも、県大会で優勝できる程ではない。バカみたいに強い強豪校があるからさ。あそこには逆立ちしても勝てない」
その言葉に反論したりフォローできるほど、僕はサッカーに詳しくない。
「でもさ、サッカーって楽しんだよ。単純に。それをさ、部員の一部が見失いそうになっている。特にレギュラーに入れなかった奴らが。だから、何か初心を思い出せるような機会があるといいのになって考え中。部長としてそれが悩み事」
「そっか。いい部長さんなんだね、レイヤくん」
「なんだそれ」
照れたようにレイヤくんの目線は、青空へ向く。
「僕の悩み事はね」
「なに?」
「来月、生徒会主催で、地域の子どもを学校へ招待して交流会をやるんだ。細かい企画は決まってきたんだけど、目玉となるようなイベントが見つからないこと、かな」
「ユウキも、生徒会頑張ってんな」
褒めてもらったのがうれしくて、僕も青空を眺めた。
「なぁ、今日の夜のカード、どうしようか。ユウキはこのあと塾だろ?オレは部活だし」
「うーん。リモートでも可能かなぁ?」
「ミッションによっては可能だろ。じゃ、ユウキ、カード持って帰ってくれるか?」
「うん」
僕らは、一階の玄関ロビーまで一緒に降り、そこで手を振って別れた。
頭の片隅で、僕の悩み事とレイヤくんの悩み事をまとめて解決するようなアイデアがあったらいいのに、と思いながら僕は塾への道を急いだ。
—
レイヤくんとビデオ通話を開始した時刻は、結構遅かった。
僕はパジャマで、レイヤくんは寝巻代わりなのかジャージ姿だった。髪はお風呂上がりに適当に乾かしたのだろう。まだ少し湿っているようだ。
「こんばんは。レイヤくん」
昼間にも会っていたくせに、スマホの画面越しだと、妙に照れくさい。
「よぉ、ユウキ。先に明日のことなんだけどさ」
「うん」
「十時半頃に直接訪ねて行ってもいい?」
「もちろん。朝のカードは来てから引けばいいよね」
「おぉ、そのつもり」
「楽しみだなー。レイヤくんが遊びに来てくれるの」
「ユウキの母さんには言っておいてくれた?」
「うん。一緒に勉強するって言ってある。母さんも喜んでた。昼ご飯、作ってくれるって」
「やったぜ」
明日のことは、僕も本当に楽しみにしている。
「じゃ、とっととカード引いて、今日は早く寝るか」
その言葉を受けて、僕はエンジェルのカードをペラリとめくった。
【ギュッとハグをする】
よりによってリモートでは難しいミッションが出てしまう。こういう場合、どうしたらいいのだろう。「じゃぁ、これは明日に延期ね」と告げるには、あまりに恥ずかしいミッションだった。
少し間が空いて、レイヤくんが話し始める。
「よし、オレにいいアイデアがある」
「なになに?」
「ちょっと見てろ」
コトンとレイヤくんのスマホが机の上に置かれた音がした。レイヤくんのベッドと彼の全身が画面に映って、おどけたように僕に向かって変顔をする。
ふざけているレイヤくんに笑うよりも、何年振りかに見たレイヤくんの部屋のインテリアに、目がいってしまった。海外のサッカーチームのユニフォームが飾られ、ポスターも貼られている。推しチームの色なのか、家具の色使いも統一されていた。
小学生の頃にあった野球チームの応援グッズは、もう見当たらない。
画面の中のレイヤくんは、掛け布団をくるくると筒状に丸め始めた。電信柱みたいな太さの筒ができあがると、一旦画面から消え、深緑色のネクタイを持って再び現れた。そして、筒状になった布団にぐるっとネクタイを巻きつける。長さが足りなくて、ネクタイとしては結べないけれど、ハチマキみたいに巻かれている。
きっとあれが僕なのだろう。
「どう?ユウキもやってみて」
僕もスマホを自分が映り込むように棚へ置き、レイヤくんを真似て布団を巻く。そして、同じようにネクタイを巻きつけた。
「できたよ!レイヤくんの偽物」
「偽物ってなんだよ。よし、せーので布団にハグすれば、ミッション完了だ。せーの」
眼鏡をはずし、ふわふわの電柱に抱きつきギュッと抱きしめる。布団に顔が埋もれて、画面を覗き込むことは不可能だ。
「僕、ちゃんとやったよ。レイヤくんもやった?」
「やったよ。ユウキこそギュッってしたか?よし、オレがチェックする。もう一度、一人でやってみろ」
よく見えるようカメラの角度を考え、横を向いて立ち、ギュッと全身で布団を抱きしめた。
布団が相手なのに、なぜだか恥ずかしい。
「じゃ次、レイヤくん」
「いいか、ちゃんと見とけよ」
僕は眼鏡をかけ、棚に置いていたスマホを手に握り、しっかりと見届ける。
布団を抱きしめたレイヤくんは、そっと目を閉じていた。その顔が妙に大人っぽく、ドキリとさせられてしまう。
「ユウキ……」
布団に向かって小さく僕の名をつぶやいたその声が、信じられないくらい切なげで、セクシーで、大人びていた。
僕の耳はゾクリとし、身体にピリッと電流が流れたような甘い痺れを感じる。
「ん……」
僕は反射的に通話を切るボタンを押してしまった。だって、さっき名前を呼んでいたのは、僕の知らない雰囲気のレイヤくんだったから……。
そして、折り返しかかってこないように、慌ててメッセージを送信する。
『WiFiがおかしいみたいで、切れちゃった。また明日ね』
レイヤくんからは『おやすみ』というスタンプだけが送られてきた。
昨日の夜の公園と同じで、僕はまた非日常から逃げてしまったのかもしれない。
深く考えずもう眠ってしまおうと、布団の中に潜り込んでも、さっきのレイヤくんの声が何度も耳に蘇った。
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