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第3話 攻防戦、疲れた心を君に預けて

会議が終わった瞬間、背筋に走った冷や汗をタオルで拭った。 斎藤の矢継ぎ早な注文と嘲笑。反論の隙を与えない攻め口に、いくら場数を踏んだ俺でも胃の奥がじりじりと焼けつくようだった。 「……くそ」 小さく吐き出した声は、誰にも聞かれていないはずだ。 背後に控えていた部下たちは、会議室を出た途端にほっとしたように息を漏らす。 ……俺が弱気を見せたら、皆の士気はあっという間に崩れる。 廊下を歩きながら、頭の中で対策を組み立て始める。 今回の案件――クライアントの新規キャンペーン映像は、元々こちらから提示した有名モデルを起用する予定だった。 だが直前になってスケジュールが合わず、白紙に戻った。 その隙を突くように、斎藤は「もっと話題性のある人物を」と曖昧に要求してきた。 狙いは明白だ。俺を追い込み、足元を見て優位に立とうとしている。 「社長、どうされますか」 担当社員が不安げに声をかけてきた。 「まずは候補を洗い直そう。エージェントや広告代理店にも当たる。時間を無駄にはできない」 的確に指示を飛ばしながら、心の中では別の懸念が膨らむ。 この短期間で“話題性のある人物”を確保できるのか。 失敗すれば――アークメディアの信用に関わる。 翌日からは奔走の日々だった。 業界の人脈を総動員し、スケジュールが空いている俳優、モデル、アーティストを洗い出す。 電話が終わればすぐ次、メールを送れば確認のために直接足を運ぶ。 社長業とプロデューサー業を両立させながら走り回る俺の姿に、社員たちも必死でついてきた。 だが現実は非情だった。 知名度のある俳優はすでにCM契約が詰まっている。 アーティストは全国ツアーで海外まで飛び回っている。 新人を押し込むにはリスクが大きすぎる。 「……八方塞がりだな」 * 後日、斎藤との会議の日がやってきた。 相変わらず薄笑いを浮かべ、机に肘をついてこちらを試すような視線を送ってくる。 「進捗はどうです? 御社の“実力”とやらを見せてもらいましょうか」 挑発的な声。部下たちがわずかに萎縮するのを感じる。 俺は表情を崩さず、資料を差し出す。 「候補者数名と交渉を進めています。いずれも一定の話題性と実績を持っています」 「へえ……それは楽しみだ。しかしね」 斎藤は資料をろくに見ず、机に投げ出した。 「私が求めているのは“確実に世間が飛びつく名前”ですよ。並みの人材じゃ意味がない」 吐き捨てるような言葉に、背筋が強張る。 俺の中で怒りが渦を巻くが、ここで感情をぶつけても状況は悪化するだけだ。 「御社の要望に応えられるよう、最大限調整します」 「……本当に、ね? 楽しみにしてますから」 あざ笑う視線を背に受けながら、拳を握りしめる。 必ず覆してみせる――その決意だけを胸に刻んだ。 夜、自宅に戻った俺はスーツを脱ぐ間もなくソファーに沈み込んだ。 スマホを握りしめたまま、ため息がこぼれる。 「拓実?」 キッチンから顔を出した遥が、手に持ったグラスを差し出してくる。 水滴が滴る冷たい麦茶を一気に喉へ流し込み、ようやく少しだけ呼吸が整う。 「顔色、悪いな。相当やられたんだろ?」 「……まあな。代役探しが難航してる」 「クライアントのせいか?」 「うん。いつものことだけど、今回は特にきつい」 俺が頭を抱えると、遥は隣に腰を下ろした。 柔らかな視線で覗き込みながら、静かに言う。 「でも、拓実はいつもなんとかするじゃん。俺が知ってる拓実は、一度も投げ出したことねえし」 その言葉に、胸の奥の緊張が少し解けた。 社員の前では決して言えない弱音も、遥の前なら吐ける。 そして不思議と、吐いた分だけ力が湧いてくる。 「……そうだな。まだ終わったわけじゃない」 「そうそう。で、候補は見つかりそうか?」 「いくつか当たりはあるけど、条件が合わねえの。出演料やスケジュール……どれも厳しくてさ」 「……なるほどね」 遥はそれ以上聞かず、スマホを手に取り、画面を軽く眺めた。 「……拓実も大変だよな」 遥の横顔を見ながら、前に一度だけ気づいた“メッセージ相手”のことを思い出す。 ただの仕事上の連絡だろう……と自分に言い聞かせても、心のどこかで小さな引っかかりは残っている。 俺は首を振ってその雑念を振り払い、そのまま遥の膝に頭を預ける。 「ちょ、今日は甘えモード?」と笑う声が頭上から降ってくる。 「……ん、もう限界」 「そっか」 遥は苦笑しながら俺の髪をくしゃりと撫で、額にそっとキスを落とす。 体の重さと一緒に、心の緊張も溶けていく。 俺は瞼を閉じ、膝の温もりに身を任せて明日の段取りを思考に叩き込んだ。

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