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第44話 脅迫の墓前
義父がふいに墓石に近づいた。
軽く踏み鳴らすようなその一歩で、俺が供えたばかりの花束が地面に落ちる。
「おっと」
義父は鼻で笑いながら、わざと足で花束を踏みつけた。白い花弁が土にまみれて崩れていく。
「やめてください……!」
俺は思わず声を上げた。義母がにやりと笑う。
「あら、何よ。たかが花じゃない」
健が踏みつけられた花を靴底でさらに擦りながら、冷たく言い放つ。
「お前が素直に従えば、こんなことしなくて済むんだぞ?」
義父が墓石に置かれた小さな写真立てを手に取り、わざと雑に下ろす。ガラスが地面に当たって鈍い音を立てた。
「これも邪魔だな」
胸の中で何かが崩れていく音がした。
「やめろ……!」
俺は叫んだが、健が鼻で笑う。
「やめてほしいなら、言うことを聞けよ。簡単だろ?」
義母が線香立てに近づき、火のついた線香を指でつまんで抜き取る。
「こんなの無駄よね」
そう言って地面に投げ捨てた。
「父さんと母さんの墓を……汚すな!」
俺の声が震えた。涙がこぼれそうになるのを必死で堪える。義父が低く笑った。
「お前が悪いんだ。お前が言うことを聞かないから、俺たちがこんなことをしなきゃいけない」
健が一歩近づいてきた。
「さあ、決めろ。拓実と別れて俺たちに協力するか、それとも——」
健の視線が墓石に向けられる。
「この墓、もっとひどいことになってもいいのか?」
俺は崩れた花束を震える手で拾い上げた。
花弁についた土をそっと払って、再び墓前に置き直す。
「……父さん、母さん、ごめん」
声が震えていた。悔しさと情けなさで涙が滲む。
「は? まだ分からないのか」
背後で健の声が響いたかと思うと、次の瞬間、横腹に鋭い衝撃が走った。
「……っ!」
俺の体は前に倒れ込み、墓石に手をついた。健に蹴られたのだ。義母が冷たく笑った。
「何度言われても分からない子ね。素直に従えば痛い思いしなくて済むのに」
耳の奥で、心臓の音が暴れるように響く。
この光景は、昔と同じだった。
中学生の頃、口答えしただけで健に押し倒され、義父と義母に「言うことを聞け」と罵られた夜。
俺は泣いて、ただ耐えることしかできなかった。
……けれど今は。
俺はゆっくりと立ち上がり、乱れた服を整える。
そして墓前に向き直り、背筋を伸ばした。
「……俺は、もう逃げない」
健たちの顔がわずかに引きつる。
「父さんと母さんの墓を汚すなら……絶対に許さない」
声はかすれていたが、確かに届いた。
拳は震えていたけれど、もう屈する気はなかった。
健が苛立ったように舌打ちする。
「おい、まだ強がるつもりか? なら——」
その瞬間、背後で車のドアが閉まる音がした。
「遥!」
聞き覚えのある声。
振り返ると、拓実が息を切らしながら走ってきた。
拓実が俺の前に立ち、肩に手を置いた。
「大丈夫か?」
その温かい声に、張り詰めていた何かが緩んだ。
「なんで……ここが」
「お前、今朝変な様子だったから心配でさ。GPSで確認したら、ここに来てるのが分かった」
健が苛立ったように割り込んだ。
「あんた、邪魔しないでくれよ。家族で話してるんだ」
「遥を返してもらえますか」
拓実の声が低く、静かだった。
「返すも何も、今は大事な話をしてるんです」
「大事な話?」
義父が胸を張って言い切った。
「ええ。遥の将来について、親として話し合っているんです」
その言葉を聞いて、拓実の目が細まった。
「詳しく聞かせてください」
健が調子に乗って話し始める。
「遥には、身の丈に合った相手を見つけてもらいたいんです。あなたのような大企業の社長では、釣り合いませんから」
拓実の沈黙。そして、義母が続ける。
「それに、遥の両親が残した預金を使って、健の借金返済を手伝ってもらうんです」
「預金を?」
拓実の声に怒りが滲んだ。
「勝手に使うつもりですか?」
「勝手じゃありません。俺たちは遥の未成年時の財産管理人でしたから。その権利があるんです」
義父が続ける。
「それに、遥が神谷さんと別れないなら、慰謝料を請求します。数千万は取れるでしょう。それで借金を返して、新しい事業の資金にする」
「慰謝料?」
拓実の顔がどんどん険しくなる。
「でっち上げの慰謝料請求ですか」
拓実がポケットから携帯を取り出し、短く電話をかけた。
「福田さん、今すぐ来てください。場所は送ります」
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