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第43話 最後の悪あがき

土曜日の朝。 いつもより早く目が覚めた。 胸の奥がそわそわして、落ち着かない。 何度もスマホの時計を見ては、また画面を伏せる。 拓実はまだ寝室で眠っていた。 穏やかな寝息が聞こえるたびに、声をかけようか迷ったけれど――やめた。 言ったら、きっと一緒に行くって言うし。 優しい人だから。 でも、これは自分の中でけじめをつけたかった。 あの人にまで、俺の過去の重さを背負わせたくなかった。 そっと玄関を出る。 向かったのは、両親の墓がある霊園。 久しぶりに行かなくちゃと思っていた。 秋の空気は澄んでいて、ひんやりと肌に触れる。 電車の窓に映る自分の顔が、どこか他人みたいに見えた。 霊園に着き、花を供えて手を合わせる。 「お父さん、お母さん……」 小さく呟いた時、背後から足音が聞こえた。 「よう、遥」 振り返ると、健が立っていた。その後ろには義理の両親も。 「……なんで」 「お前の両親の命日だろう? 俺たちだって墓参りくらいするさ」 健が軽い口調で言った。でも、その目は笑っていない。義父が近づいてくる。 「久しぶりだな、遥」 「……はい」 緊張で声が震えた。義母が墓石を一瞥して、鼻で笑う。 「ずいぶん綺麗にしてあるじゃない。余裕ができたのね」 「普通に……働いてるだけです」 健はゆっくりと歩み寄ってきた。冷たい風が吹き抜ける中、その足音だけがやけに大きく響く。 その顔には、苛立ちと焦りが入り混じっていた。 「普通? 神谷メディアの社員が? しかもアークメディア社長の恋人が?」 またそれか。いい加減にしてほしい。 「遥、お前のせいで俺がどんな目に遭ったか分かってるのか」 健の声が、次第に荒くなっていく。 「美咲との婚約は破談になった。警察沙汰は免れたが、岩本社長からは出入り禁止だ。会社でも左遷された」 「それは……」 「全部お前のせいだ!」 健が声を荒げる。 「お前が神谷拓実なんかと付き合うから、俺の立場がなくなったんだ!」 義父が腕を組んで、俺を睨みつける。 「遥、お前は子どもの頃から俺たちに世話になってきた。その恩を忘れたのか」 「恩……?」 思わず笑ってしまった。乾いた声だった。 健が苛立ったように舌打ちする。 義母は氷のように薄く笑った。 その目には一片の情もなく、まるで俺の弱さを確認するように見下ろしている。 そして、健が俺の肩を掴んだ。 「遥、いいか。今から言うことをよく聞け」 命令口調だった。 「まず、神谷拓実と別れろ」 「……何を言って」 「黙って聞け!」 健の声が墓地に響く。 「お前が別れたら、お前の両親が残した預金を使って、俺の借金返済を手伝ってもらう」 義父はゆっくりと一歩、また一歩と近づいてきた。 足元の砂利が小さく軋む。その音が、やけに耳に残る。 「それだけじゃない。俺たちの生活費の援助もだ」 「そんな……」 「当然でしょう? あなたを育ててあげたんだから」 健がさらに続ける。 「預金で借金を返済したら、俺は新しい事業を始める。お前もそれに協力しろ。神谷メディアのコネも使わせてもらう」 「勝手なことを……」 健の目が細まる。 「もし別れないなら、神谷拓実に多額の慰謝料を請求する」 「慰謝料……?」 「当然でしょう? あなたのせいで、健と美咲さんの婚約が壊れたのよ」 「は……?」 言葉が詰まる。何を言っているのか理解できなかった。 健が苛立ったように吐き捨てる。 「親戚にも顔向けできねぇんだよ。だからその責任を取れ。神谷拓実にも責任を取らせろ」 義母が冷ややかに笑った。 「“不当な交際で婚約を妨害した”って言えば、いくらでも理由はつけられるわ。弁護士に頼めば、数千万円は取れるでしょうね」 「数千……」 血の気が引いていく。 健が肩を掴み、囁くように言った。 「なあ遥。お前が素直に別れてくれりゃ、拓実を巻き込まずに済むんだ。……どっちがいい?」 義父が冷たく言葉を継いだ。 「裁判になれば、会社の評判も終わりだろうな」 墓前に立ちながら、両親の名前が刻まれた石を無意識に見つめる。 ……どうして、いつまでも縛られるんだろう。どうして俺だけが。 三人の視線が重くのしかかる。 俺は拳を握りしめ、唇を噛んだ。​​​​​​​​​​​​​​​​

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