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第42話 終わりの始まり
拓実が通話を切って、俺の方を振り向いた。その瞳には、達成感と安堵が混ざり合っている。
「終わったな」
「完全に自爆したね」
俺の心にも、ようやく少しだけホッとした気持ちが広がっていく。
「美咲さん、かわいそうだったな」
通話越しに聞こえてきた彼女の泣き声が、まだ耳に残っている。
「でも、真実を知ることができて良かったと思う」
拓実が立ち上がりながら言う。その横顔は、どこか寂しげにも見えた。
「岩本社長たちを迎えに行こう」
俺たちはロビーからエレベーターホールへと向かった。
エレベーターの到着を告げるチャイムが鳴り、扉がゆっくりと開いた。
そこには、泣き腫らした目をした美咲さんと、厳しい表情の岩本社長が立っていた。
健の姿はない。逃げたのか、それとも……。
「神谷社長」
岩本社長が深く頭を下げた。その背中が、ひどく重そうに見える。
「申し訳ありませんでした。あのような男を、姪の婚約者として…」
「いえ、岩本社長は何も悪くありません」
拓実の声は優しかった。責めるような響きは微塵もない。
「美咲さんも、お疲れさまでした」
美咲さんが顔を上げた。目は真っ赤に腫れていたけど、不思議とその表情には、どこかすっきりとした雰囲気があった。
泣くだけ泣いて、吹っ切れたのかもしれない。
「神谷社長、一ノ瀬さん、本当にすみませんでした」
彼女の声は震えていた。でも、そこには謝罪だけじゃなくて、何か別の感情も混ざっているような気がした。
「美咲さん」
俺は思わず声をかけていた。
「健の行動は、あなたのせいじゃありません」
悪いのは健だ。美咲さんを騙して、利用しようとした健が。
「でも、私がもっと早く気づいていれば……」
美咲さんの声がまた涙声になりかける。
俺は何て言えばいいんだろう。慰めの言葉なんて、うまく見つからない。
「気づくのは難しいよ」
拓実が静かに言った。
「健は巧妙に嘘をついていたから」
岩本社長が拓実の方に向き直った。その表情には、経営者としての厳しさが戻っている。
「健という男については、既に弁護士に相談しました」
「そうですか」
拓実が頷く。俺もその横で、息を詰めて聞いていた。
「詐欺未遂、それに不正競争防止法違反での告発を検討しています」
それは本当に、健にとって終わりを意味する。拓実が頷いた。
「僕の方でも、不正アクセスの件で証拠を揃えています」
二人の会話を聞きながら、俺は改めて事の重大さを実感していた。
「健はどこに?」
俺が聞くと、美咲さんが小さく答えた。
「慌てて出て行きました。『これは誤解だ』って言いながら」
最後まで往生際が悪い。それが健らしいと言えば、らしいのかもしれないけど。
岩本社長が重いため息をついた。
「あの男とは、もう関わらない方がいいでしょう」
「はい」
美咲さんが小さく頷いた。その横顔には、もう迷いはなかった。
「私からも、もう連絡は取りません」
*
その夜、俺たちは拓実のマンションで今日の出来事を振り返っていた。
リビングの大きな窓からは、東京の夜景が一望できる。キラキラと輝く光の海を見ていると、現実感が薄れていくような気がした。
「健、終わったな」
俺がソファーに座りながら呟くと、拓実も隣に腰を下ろした。
「自業自得だよ」
拓実の声には、勝利の喜びというより、むしろ疲労感が滲んでいた。
「でも、まだしばらくは注意が必要だな」
その言葉に、不安が胸の中に広がっていく。でも、同時に不思議と怖くはなかった。
俺も拓実の手を握り返した。
「でも、もう怖くない」
「え?」
拓実が少し驚いたような顔で俺を見た。
「拓実がいるからな」
一人だったら、こんなに強くなれなかった。こんなに前を向けなかった。
拓実が微笑んだ。
月明かりに照らされたその横顔が、やけに綺麗で、俺はちょっとドキドキしてしまう。
「俺も、遥がいるから強くなれるよ」
その言葉が嬉しくて、俺は思わず拓実に寄りかかった。
拓実の体温が伝わってくる。安心する。
窓の外では夜景が美しく光っていた。
無数の光が、まるで星空みたいに広がっている。
戦いも、そろそろ終わりに近づいている気がした。長いトンネルの出口が、ようやく見えてきたような。
でも同時に、拓実の言葉が頭の片隅に引っかかっていた。
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