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第1話

 ショッピングモールのゲームセンターにある、プライズゲーム機の前で、若宮薫は目当ての商品、だらりくまのキーチェーンをにらみつけ、コインを投入した。 「あっ」  慎重に操作をするも、慣れない操作がうまくいくわけはなく、景品にかするのが精一杯。 (簡単に取れないってのは、わかってはいたけどさ)  想像以上の難しさにため息をつき、財布を開くと小銭がなくなっていた。あと千円を崩してダメなら、今日はあきらめて帰ろうと決めて、カウンター横に設置されている両替機に向かうと、背の低い茶髪の店員が、中年男性になにか言われていた。 (うわ)  厄介ごとの気配を察して足を止めた薫は、どうしようと成り行きを見守る。  店員の背は中年男性よりも頭ひとつ分は低い。ゲームの騒がしい音の合間に聞こえる範囲を拾い集めてみると、客が規定以上の駐車券サービスを要求し、店員の彼が毅然とそれを突っぱねているのだとわかった。 (すごいなぁ)  自分よりも大きな、しかも年上相手にしっかりとルールを突きつけるなんて、勇気があるなと薫は感心する。  対して自分は、体は人より大きいくせに、意気地がない。もめごとが嫌いで、なにごとも穏便に、静かに平和に日々を過ごしていたいので、あんなふうに客にすごまれたら、駐車料金のサービスくらいならと、あっさり折れてしまいそうだ。  ちょっとした羨望を浮かべて見つめていると、もうひとり男が増えて、ふたりがかりで店員に文句をつけはじめた。 (わわ……)  さすがにこれは折れるだろうと予測するも、店員はきっぱりと断っている。 (かっこいい)  ぼんやりと思った薫は、このままではいけないと勇気を出して前に出た。 「いい歳をして、ふたりがかりで不当行為を強要するなんて、どうかしているんじゃないか」  怖くて震えそうになりつつも、険しい顔を作って低い声ですごんだ。 「ああ?!」 (ううっ、怖い)  内心ではビビリつつにらみ返すと、男ふたりは薫を見上げて顔をひきつらせた。  薫は相手よりも頭ひとつぶん高い自分を、さらに大きく見せるために胸をそらす。 「ルールを守れないヤツが、遊ぶんじゃない」  見下ろして言い放てば、男たちは顔を見合わせ、舌打ちしながら去っていった。  その姿が見えなくなってから、そびやかしていた肩を落として安堵の息を吐く。 「大丈夫?」  情けない笑顔を浮かべて店員を見ると、彼はキョトンとしてから笑顔になった。 「助かった。サンキュな」 (わ……)  花がほころぶような、という表現がぴったりの、明るく愛らしい笑顔に薫は見とれる。  ふっくらとまるい頬。ネコのように大きなアーモンド形の瞳。すこし色素の薄い茶色の瞳と、金色に近いほど脱色している髪が、よく似合っている。 (かわいいなぁ)  だからこそ、あの客ふたりは言いくるめられると判断し、偉そうな態度を取ったに違いない。 (俺みたいなガタイの大きいのには、負けると思ってこないもんな)  平和主義者の薫にとって、それはありがたいことだった。 (でも)  彼のような容姿なら、かわいいもの、特にくまモチーフのキャラクターが好きであっても、変に思われないだろう。 (うらやましい)  薫は自分よりも、頭ひとつ半は低い相手を見下ろした。 「あのまま絡まれてたら、仕事できねぇなって困ってたとこだったんだ。ああいう連中は、俺みてぇな見た目だと、弱っちいと勘違いして、わけのわかんねぇこと言ってくるからさ」  そう言って、店員は気軽に薫の腕を軽く叩いた。 「あんたぐれぇ、ガタイがでかけりゃあ、一発で跳ね返せるっつうか、まず、あんな奴らは寄ってこねぇだろうな」 「あはは」  苦笑いを浮かべつつ、薫は毎朝目にしている、広い肩幅と男らしい顔つき、漆黒のクセ毛という自分の容姿と目の前の彼を比較した。  自分とは反対の悩みを抱えてきたであろう店員が、腰につけている鍵束を握る。 「礼に、なにかひとつゲームおごってやるよ。なにがいい?」 「ええっ」 「遠慮しないで、なんでもいいぞ。メダルゲームのメダルよこせ、はちょっと無理だけどさ」 「でも、それじゃあ、さっきの人たちとおなじになるんじゃ」 「は? ぜんっぜん違ぇよ。アイツらは、たかり。おまえのは、お礼」 「いや、でも……そんなつもりじゃなかったから」 「だからこそ、おごりたい気になるんだろ? あ、あー。わかった。そんじゃあ、ちょっと裏に入れよ」 「えっ」 「いいから、ほら」  言いながらカウンター奥の扉を開けた店員に促されて、薫はモジモジしながら彼と共に従業員室に入った。 「そこに座って待ってろ」  ロッカーの前にあるパイプ椅子を示されて、薫はおとなしく収まった。 「コーヒー淹れるから。礼に一杯、飲んでいけよ。それなら遠慮もなにもいらねぇだろ」 「あ、うん。……ありがとう」 「砂糖とミルクは?」 「あ、砂糖を二杯とミルク一杯」 「なんだ、甘党かよ」  笑いながらインスタントコーヒーを作った店員が、薫に紙カップを渡しながら隣のイスに座る。 「俺とおまえ、中身が逆ならピッタリだったかもな。俺、ブラック飲むと変な顔されんだよ」 「えっ」 「意外に見えるんだろ? お互い様だ」  乾杯の真似をされて、薫は笑みを浮かべた。 「へえ? いい顔で笑うじゃん。あのいちゃもんヤロウを追い払ったときとは、別人みてぇだ。あんときは、鬼みたいだったもんな」 「お、鬼って」  ケラケラ笑う店員がタバコを取り出し、薫はギョッとした。 「なんだよ。未成年とでも思ったか? これでも二十八なんだぜ。ここの社員」  どうだ、まいったか。とでも言いそうな声音に、薫は目をまるくしてうなずいた。 「俺は逆に、年上に見られるから」 「ふうん? いくつだよ」 「二十歳、です」  年上とわかって、薫は敬語になった。 「学生? 社会人?」 「大学二年です」 「見えねぇな。んでも、こうやって話してると、気の弱い、見てくれだけが強い奴ってのが、すぐわかる。あ、悪口じゃねぇぞ。なんつうか……。ああ、俺いっつも、選ぶ言葉が不適切とか言われるんだよな」  ガシガシと頭を掻く相手の姿に、薫の心はほっこりとする。 「大丈夫です。ええと……ひさま、さん?」  制服の名札を見て呼びかけた薫に、店員は「違う違う」と笑った。 「これ、くまって読むんだよ。久間鷹也」 「くま、さん」  ぱあっと薫の顔が明るくなる。 「なんだよ、その顔。動物を見た女子みたいな顔になってんぞ」 「え。いえ、あのその……。くまとたかで、強そうでいいなぁって」 「ふうん? こんな見た目と名字なもんで、マスコットみたいだとか、学生んときはさんざんな扱いだったけどな」 「かわいいから、いいじゃないですか」 「は?」 「あ、いえ」  なんでもないですと目をそらした薫の顔を、鷹也が下からのぞき込む。 「で? おまえの名前は」 「あ、すみません。若宮薫です」 「女みてぇな名前だな」 「……はあ」 「見た目も名前も、逆ならピッタリくんのにな。なんか、すげぇ親近感」  おなじ感想を持たれていると知って、薫はうれしくなった。 「ほんと、そうです。俺もこの見た目と名前に苦労したっていうか、ちょっとイヤだなって思ってて」 「性格と名前は合ってんのにな。なんか、気弱そうっつうか、なよっちいっつうか、そんな感じがするからよ」 「久間さんは、すごく強いですね。自分よりも大きな相手に、あんなふうに凄まれても毅然としていて」  かっこよかったです、と心の中で付け加えた薫に、まあなと鷹也は鼻を鳴らした。 「見た目でナメてかかってくる奴は、たいていが小物なんだよ。それに、あそこでめんどくせぇって許しちまったら、ほかのバイトにもやりだすし、他所でもやるかもしんねぇだろ? そうなったら、なんかイヤじゃん。だから、俺は屈しねぇの」 「……すごいです」 「へへ」 (その場だけでなく、その後のことまで考えているなんて)  大人だなぁと感心しながら、薫はコーヒーをすすった。 「おはようございまぁす。……あれ? 新人さんですか」  学生らしい女性が入ってきて、薫は慌てて立ち上がった。座っていていいとシャツの裾を引かれて、照れくさくなりながら座り直す。 「意味わかんねぇ要求されてるとこ、助けてくれたからコーヒーおごってんだよ」 「へえ? 久間さんって、そういうのに遭遇しやすいですねぇ」 「うるせぇよ」  ふたりの親しいやりとりに、ほのぼのとした心地になった薫は彼女のカバンについている、羊毛フェルトのマスコットに気がついた。 「あ、それ」 「知ってます? KAOって名前の手芸作家さんで、私、ファンなんですよ」 「かおぉ? どこにでもありそうな、クマの飾りじゃねぇか」 「もう! 久間さんみたいな朴念仁には、このかわいさはわかんないですよ。……ええと、恩人の人はどうしてKAOのこと、知ってるんですか?」 「あ、ええと」 (まさか、俺がそのKAOです、なんて言えないよな) 「俺の姉が好きで」 「そうなんですね!」 「おら。余計な話してっと、タイムカード、時間過ぎちまうぞ」 「わかってますよぉ」  もっと話をしたそうな顔をしつつ、彼女はロッカーにカバンを詰めると制服を取り出し、カーテンの引かれている一角に入った。 「おう、おつかれ!」  次に年配の男が入ってきた。 「おつかれさまです」  鷹也が立ち上がり挨拶したので、薫もつられて立ち上がり、頭を下げた。 「なんだ? 新しいバイトか」 「いえ。俺が絡まれてたら、助けてくれたんス」 「へえ? そんでバイトの勧誘でもしてんのか。用心棒にはもってこいの見てくれだよな」 「気は優しい奴ですけどね」  どう反応をしていいのかわからない薫は、ただ笑ってふたりのやり取りをながめていた。  女子バイトが着替えを済ませ、タイムカードを押してフロアへ出ていく。 「それじゃ店長。俺、上がります」  言いながら、鷹也が制服のシャツを脱ぐ。 「おう。おつかれさん。って、おまえボタン取れかけてるぞ」 「あ。まあでも、見えない場所だから、いっスよね」 「俺、裁縫道具あります」 「え」  思わず言ってしまった薫は、注目されて真っ赤になった。 「いや、あの……俺、図体がデカイんで、引っかかってボタン取れるとかあって、それで」 「ふうん? まあでも、ズボンに入れりゃあ、わかんねぇから」 「コーヒーいただいたお礼に、直しますよ」  言いながら裁縫道具を出して手を伸ばすと、鷹也は「ふうん」と言いながらシャツを渡した。 「そんじゃ、ま。頼むわ」  大学に通う傍ら、趣味の手芸で個人ブランドを立ち上げ、大儲けとまではいかないまでも、小物の製作販売をしている薫にとって、ボタン付けくらいは朝飯前だ。  手早く済ませてシャツを返す。 「すげぇな」 「いや、このくらい誰でもできますよ」 「俺はできねぇ。めんどくせぇから、したいとも思わないしな。だから、すげぇんだよ。素直によろべよ」  ボタン付けくらいで褒められるとは思わなかった薫は、はにかんだ。 「うし。じゃあ、誘っといて追い出すみてぇで悪いけど、出ようぜ」 「はい」  素直に返事した薫は、店長と呼ばれた男に頭を下げて、鷹也とともに外へ出た。 「なんか、おまえってさ」 「え」 「かわいいな」 「は?」 「見た目ごついのに、内面がっつうの? ギャップ萌えとかいって、女子にモテんだろ」 「いえ、そんな……。それを言うなら久間さんだって」 「俺? 俺がどうしたよ」 「いや、その、かっこいいなって」 「はは! そうだろう、そうだろう。俺はかっこいいんだよ」  バシバシと腰を叩かれ、それがなぜかうれしく感じた薫は「じゃあな」という言葉が冷たく聞こえた。 (もうちょっと、一緒にいたかったな)  けれど引き止める理由はどこにもない。失礼しますと頭を下げる。 「かたっ苦しいんだよ」  笑顔で手を振る鷹也を見送り、名残を惜しみつつ家へ帰った。

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