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序章1・禍根の矛先【鈴の音】

 六林道(ろくりんどう)をひとり歩く日影(ひかげ)の足取りは、少し弾んでいた。  そのたびに、  チリン、リン。  カラン、リン。  と、二重の鈴の音が、静かな林道に響く。  人目のあるところではできないが、今は一人きりだ。  誰の目も気にせず、日影は小さく跳ね、鈴の音を楽しむ。  その音が、好きだった。  鈴は、番傘(ばんがさ)の中央――放射状に伸びる竹骨の奥で鳴っている。  淡い黄白(おうはく)の満月を囲う、紫の三日月模様が傘の(ふち)を際立たせ、色彩を調和するように白い花吹雪の舞う傘。  不思議な鈴の音と相俟って、その傘は日影(ひかげ)の心を和ませた。  人っ子一人(ひとり)、通りすがる人の影もない六林道(ろくりんどう)。  シンと静まるその道に、響くのは不思議な鈴の音と土を踏む草履(ぞうり)の音だけ。  このひとときに、日影は、胸の奥を少し軽くする。  今日は、久しぶりに寄れるだろうか。  と、日影は使いを終えたあとのことを考えた。  今は、主に頼まれた書状を、杜也(もりや)様へ届ける途中だった。  杜也(もりや)とは、主たる朔夜(さくや)の務めを陰で支える者の職名である。  朔夜(さくや)は、この九十九の地に蔓延(はびこ)ろうとする悪鬼魍魎(あっきもうりょう)から、人の暮らしを護る、大切な神代(かみしろ)たる役目を(にな)っている。  その務めが(とどこお)りなく行われるよう、差配(さはい)するのが杜也と呼ばれる人達だ。  日影は、杜也様宛の書状が納められた、紫色の風呂敷包みを抱え直す。  今日は、大切な書状を預けられる身なのだから、寄り道はせず、真っ直ぐに杜也屋敷(もりややしき)へと向かう予定だ。  その帰りには、(ふもと)阿波霧(あわぎり)(まち)に寄り、久しぶりに甘蜜(あまみつ)を楽しみながら、一息つこうと考えていた。  それから、家人(けにん)仲間に頼まれた小間物(こまもの)を買い、屋敷に戻る。  その頃には、昼も半ばを過ぎているだろう。  頭の中であれこれと思案しながら、耳は鈴の音を聞いていた。  チリン、リン。  カラン、リン。  重なり合う鈴の音に、不思議と心も和む。 『今日は夕刻に戻る』  朔夜はそう言い置いて、務めへと向かった。  ――そういえば。  と、出がけに投げられた朔夜の問いを思い出し、日影はフツリと小さく笑った。 『日影。何か、欲しいものはあるか?』   いつものことだった。  必ず投げかけられる、その問いは、留守番を預ける子どもをあやすような口ぶりが、いつもどこか可笑(おか)しい。  十三の頃から、日影は神代(かみしろ)たる朔夜を主とする神代屋敷(かみしろやしき)で、家人(けにん)として働いている。  屋敷に連れられて来て、すぐに側用人(そくようにん)としての教育がはじまったものだから、屋敷仕事も知らずにと、よく陰口を叩かれた。  そんな日影を気づかい、、だったのかもしれない……。  しかし、当時は欲しいものなど答えようもなかった。  神代屋敷は衣食住も整い、仕事もあり、銭貨(せんか)も支給される。  嫌なこともされず、痛いこともされない。  些細(ささい)な陰口などには、不満も湧かなかった。  教育係として日影の面倒をみる椿は、厳しく、少し恐いところはあるが、曲がったところがない誠実な人で、安心もできた。  生きていくのにも、暮らしていくのにも、満足している。  なのに。  これ以上、何を望めばいいのか。   朔夜のその問いが、始まった頃は、悩んだ。  欲しいものはない、と云えば、『主の好意を無下にするな』と椿に叱られ。  船が欲しい、と云えば、また『身のほどを弁えろ』と椿に叱られる。  他人の欲しいものを頼めば、朔夜の前まで引き摺られていき、土下座で謝罪させられた。  困った日影は、もうこれしかないと、朔夜の好きな食べ物でごまかした。  椿がいれば、主に家人のお使いをさせる気かと、叱られただろう。けれど、その日は運よく椿はおらず、朔夜はそれを許してくれた。 『仕方のない奴だな』と、云って。    その問答は、今も続いている。  日影はいまだ、欲しいものの答えを出せてはいない。  朔夜の夕食に出す干物か漬物で答えを補い続け、時折り、椿の目を盗んでは家人仲間の欲しいものを買って来てもらう。  それにしても、と考える。  よくもまぁ。飽きもせずに――三年も、続けられるものだ。  その不易(ふえき)執念(しゅうねん)に感心すら覚える。  律儀と云えば、聞こえもいい――けれど。  日影には、それが時折、ひどく痛々しいものにも見えてしまう。  実際は、朔夜に気を惹こうとする意図も、日影に寄り添おうとする繊細さも感じられたことは、ない。  もし、本当に、そんな意図や繊細さが朔夜の中にわずかでもあったなら、こんな問答はすでに終わっていたはずだ。  それほどに、日影にはその応酬が、苦痛でしかなかった。  朔夜もそれと知っていながら、続けているような節もある。  長躯の広い肩を見せる朔夜は、その容貌を柔和で美麗に整える美丈夫だ。九十九には珍しい、金糸のような髪と緑黄色の眸に、惹かれない老若男女を見たことがない。  その為、優しい主の側に仕えることができるなんて本当に羨ましい――と、云うわれる。  けれど、朔夜の本性を知らないからそんなことが云えるのだ。  出掛けの問答に限らず、朔夜には平気で苦しむ人を責め続ける鬼のような所がある。まるで泰然と不易な強圧を加え続ける。そこに、温情も憐情も感じられない。  だから、朔夜の行動を痛々しく感じるのは多分、日影自身の中の問題なのだろう――と。  一瞬、己の中にある昏い想いに火が灯り、打ち消す様に、軽く頭を振った。  戻れない過去を思い出して、何になるというのか。  チリン、リン。  カラン、リン。  ――と、鈴が鳴る。  ただ、その朔夜の出掛けの問答の中で、変わったこともある。  いつまでも、自分の欲しいものを云わない日影の代わりのように、朔夜は日影の物を勝手に買ってくるようになってしまったのだ。  その一つが、この鈴の音のする、番傘だ。 『いい子に、留守番を預かっているようだから』    そう言って、子ども扱いをするようになった。  まぁ、子どもなのだから仕方のないこと、なのだけれど。  その『いい子で留守番』の言い回しが、少し気になった。  けれど、丁度舞踊(ぶよう)を習うようになっていた日影にとって、嬉しい贈り物に変わりはなかった。  そうか、あれからまだ三年しか経っていないのか……と、物思いに耽りそうになる頭を叱りつけるように「やめやめ!」と(ひと)()ちる。  チリン、リン。  カラン、リン。  鈴の音を聞きたくなり、歩調を速めた。  気づけば、六林道はあっという間に終わり、神代屋敷の建つ丘の麓にある阿波霧(あわぎり)(まち)が見えてきた。  日影は阿波霧まで真っ直ぐに伸びる広い土道(つちみち)を避け、田園を巡るように続く細いじゃりの脇道へと足を向ける。  さすがに、もう弾むように歩くことはしない。  屋敷と麓を繋ぐ六林道とは違い、下へ降りれば、どこから人の目があるのかも解らない。  日影は(つと)めて(つつ)ましく、(おごそ)かに。  表情は硬く整え、静々(しずしず)と足を進める。  教育係の椿風に言えば、神代屋敷の家人たる品位を疑われてはならない、ためである。  神代屋敷に仕える者の姿は、遠目にもすぐにそれとわかる。  一般的な小袖(こそで)の着物とは異なり、白衣(しろごろも)緋袴(ひばかま)巫子装束(みこしょうぞく)。男女の区別なく揃えられる。神代屋敷の家人に共通する装束である。  所用で屋敷を離れる際は、菖蒲(しょうぶ)紫紋(むらさきもん)があしらわれた白い広袖の着用が義務付けられている。  そのため、その姿で邑の中を歩けば、否応なく人目を引く。  故に日影は、用向きのには必ず、人目の少ない道を選ぶ癖がついていた。  脇道を暫く進み、小さな土手を降りる。  青い稲穂が一面に揺れる田園の畦道(あぜみち)を抜け、畦の間を流れる水路に沿って足を運べば、さらさらとした水の音が耳に心地よく届く。  チリン、リン――。  カラン、リン――。  歩調に合わせて、鈴の音もゆったりと揺れて鳴る。  向かう先に、此方へと手を合わせる農夫の姿が見えた。  神代屋敷の装束に気づけば、大抵の者は、そうして手を合わせる。  不思議なものだ。  自分には、何のご利益もないのに――と、自然と心が冷めていく。  神代屋敷に仕えている――ただそれだけで、その威光は人の目を(くら)ませるのだ。  神代たる朔夜へと向けるものならば、理解もできる。  人を喰らう悪鬼魍魎を狩り、瘴気を祓い、人々の暮らしを護り、安寧を(もたら)す。日輪の神より浄火(じょうか)の炎を授かる者なのだから。  けれど、日影はただの人だ。  普通の。否、それ以下だと云われる変わり色の髪と眸をもつ身だ。などと、卑屈になれば、教育係の椿も一緒に湧き出て日影を叱る。 『卑屈とは。背中を丸くし根性を捻じ曲げ、人を醜く貶める瘴毒の如し。背筋を伸ばし、顎を引き、呼吸を整えなさい。腹に力を入れるのです。丹田ですよ。丹田!!』  椿はそう云って、卑屈なことを云う家人には、腹の力の鍛錬を強いてくる。  思い出しただけで、背筋が勝手に伸びてしまう。  朔夜に、傘を買い与えられ、日の下を歩けることが楽しくなった日影は、ある時、朔夜に誘われ椿と三人で麓の阿波霧へと降りたことがあった。  阿波霧の賑わいは、朔夜の姿を見るや、行き交う人の波がふと停まり、さもそれが自然なことのように道が開けた。背中を丸めたように手を合わせる人々が、道脇へと静かに並んでいく。  その光景は、今も忘れられない。  それがあまりにも異様に見えて、日影は怖くなった。  不安に駆られて、つい朔夜の羽織衣の袖を曳いて、『何故。手を合わせるの?」と礼もなく問うと、朔夜は「さぁ、わからない」と軽い口調で答えて、笑った。  本当は判っていたくせに、ただ安心させるためにそう云ったのか、それとも、深く考える必要もないと、軽く流しただけなのか。  朔夜らしいのは、だぶん後者だろう。  それが神代たる朔夜に向けられた崇敬であり、人々が平穏を祈るための儀式的な儀礼(ぎれい)なのだと理解したとき、怖さは消えた。  けれど、その代わりにその姿が――嫌いになった。  日影は、傘を目深にし通り過ぎ様に、一瞬、立ち止まると膝を少し折り曲げる礼をする。神代屋敷で務める家人は、主以外に頭を下げない。その代わりに、こうして辞儀を示すのだ。  そうして、足早に農夫の前を通り過ぎる。  畦道の終りへ向かい、土手を上がり、じゃりの細道を辿れば、守也様の住む屋敷のある邑が、見えてくるはずだ。  だが、左手に大樹の並ぶ森が見えてきたところで、この細道を素直に通してくれない者達のことを思い出した。  甘蜜に気を取られ過ぎていたと、己の失念に唇を噛む。 ★続きは序章1-1→

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